いくつものカーブを曲がって曲がって ここまでやってきた。長かったようで短い六十年の歳月。だれもが抱くような感慨をぼくも覚える。どこのカーブでどんなふうに曲がり損なったか・・・なあんて考えはすててしまえ。ぼくはあと何年生きていられる?という意識といっしょに。ぼくから去ってしまったものをカタログにして眺めても仕方ない。愛する人に愛されないのも まあ仕方ない。今日の気温が三十八℃だってのに これから出かけていかなければならない場所がある。それも仕方ない。人生の半分は「仕方ない」ことでできている。子どものころからわかってはいたけれど。
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このところ、埼玉県、群馬県では、異常高温注意報が発令されている。
昨日は館林市で39.2℃、伊勢崎市39.1℃、前橋市38.6℃。体温より高いこの温度の中で、長時間働くのはキケンだなあ・・・と思うような、異常な気温である。猫は犬に較べて体温調節が苦手とみえて、テンちゃんが、この数日食欲をなくしている。わが家ではめったなことではエアコンをつけないから、暑くて身の置きどころがないのだろう(~o~)昨日は朝方母屋へいき、玄関ドアをあけて約2秒後、わたしは悲鳴をあげて後ろにのけぞった!なぜなら、玄関の上がり框に、アオダイショウがいたのである(^^;)
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ふとした出来事があって、昔を思い出した。しかし、「わたし自身をご紹介します」といっても、集団「はぐれ雲」をやっていたころ、まだ40代はじめの三毛ネコさんであります(^^;)最初に掲げたこのうすぼんやりした男は、ライカM3を構え、会社の洗面所の鏡に向かってシャッターを切っている。レンズは沈胴タイプのズミクロン50mm。またこちらは、前橋市内の街角にあったショーウィンドウに向かって、ライカM6で撮ったセルフポートレイトで、レンズは35mmのズミクロン。印刷物からの複写なので、残念ながら画質はこれ以上よくならない。印刷物とは1997年にわたしが地元新聞社から自費出版した「パーソナル・リレーション(PERSONALRELATION)」というモノクロ写真集のこと。 . . . 本文を読む
生活の一断面をスケッチするような写真をメモ・カメラで撮り、「画像貯蔵庫」にときおり放り込んでおく。このアルバム中の写真は、ブログ、mixi日記での使用率はかなり高く、私の場合、そのほとんどが挿絵というか、説明写真となっている。今日は仕事場でこれを書いている。事務処理がわずかに残っているけれど、このあいだお家賃8万円の空室が申し込みになったので、ふううーと胸を撫で下ろしているところ。もうひとつヤマがひかえているが、これで一つヤマをこえたのだ。今日の日曜はこれといったアポがない気楽な一日で、事務所当番とはいえ、一日の大半が“自由時間”となっている(^_^)/~ニカッ さきほどは、詩が一編生まれてきたし。
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メンデルスゾーンのシンフォニーが好きになったのはいつからだろう。とくに第三番「スコットランド」。この曲は「ぼくがいちばんしあわせだったころ」を思い出させる。どういうわけか 干からびた肌に 若かりしころのうるおいがうっすらもどってくる。振り返ると すぐそこにあのころのきみがいるような気がする。あのころのきみは九月の空をすいすいと飛翔していくアキアカネ。あのころのきみは足許でごろごろのどを鳴らしてすりよってくる仔猫ちゃん。あのころのきみは空たかく放り投げるとそのままもどってこないテニスボール。あのころのきみは・・・。
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前橋市の県庁付近――萩原朔太郎の生家跡の石碑が建てられている近くに、残念ながらもう廃業してしまったけれど、昭和の往時をしのばせる「アローム」という名の喫茶店がある。外壁をツタがはっていて、国道17号を通過しながら、信号待ちや渋滞でクルマが止まると、ウィンドゥ越しに、この「アローム」を撮影したことが、何回かあった。本日午前中、近くまで仕事で出かけた帰り、ノウゼンカズラが歩道に散り敷いているありさまが、この季節の情感をあたりにただよわせているので、その横の路地を曲がり、停車余地をさがして徐行していたら、家のまわりに箱庭をめぐらせた家が眼にとまった。まず、全景をアップしてみよう。
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このあいだの水曜日は、撮影には出ずに、用事をすませたあとは、リビングでうたた寝。かなり蒸し暑かったが、エアコンのスイッチは入れず、窓から流れ込むわずかな“涼風”で、暑さしのぎしながら。このところ知り合いの病気の報を耳にしたり、友人の病気見舞いにでかけたりしているせいか、「ああ、そうだな。そういう年齢なのだから、もっと健康に気をくばらなければ」などと自重気味(^^;)寝ころがって、数ヶ月まえからぽつぽつBOOK OFFなどで見かけるたび買っておいたブラームスを、うつらうつらと聴いていた。今年になって聴いたといえば、ブルックナーのシンフォニーばかり。
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以前も似たようなことを書いた記憶があるが、表現をかえて、もういっぺん書いておこう。「偶然性、偶有性を味方につけたとき、俄然写真がおもしろくなる」すでにどなたかがいっているだろうが、スナップの醍醐味は、偶然性、偶有性に対し、フレキシブルに、瞬時にふるまえたかどうかにある。アンリ・カルティエ=ブレッソンの昔から、ライカという小型カメラは、広大な風景や、小さな美しい花を撮るために発明されたわけではない。鷹の眼をもったブレッソンが、それまで人びとが気がつかなかった偶然性、偶有性を味方につけて、見る者を驚かせたのである。それはその時代の人間にとって、新しい視覚体験であった。ん、偶然性はともかく、偶有性ってなんだ?・・・とお思いの方がいるだろうが、わたしはつぎのような意味で使用している。
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Dream ageといっても、人によって、いろいろな意味をもたせているようである。しかし、ここでわたしがいうDream ageとは、幼少年期のこと。自分の足で歩けるようになる3歳あたりからはじまって、小学校5、6年生までの子供時代をさしている。前橋七夕祭りの写真を見返していたら、一枚の写真に眼がとまった。それが上の写真というわけである。彼女がややまぶしそうに見上げるこのまなざしのさきには、なにがあるのか?むろん美しくきらびやかな七夕飾りなのだが、ちょっと拡大解釈すれば、そればかりではないだろう・・・と思えてきたのだ(^_^)/~世の中にはめぐまれない幼・少年期を送っている子供もいるだろうけれど、まあ一般的には、人生の黄金期といえば、この年代をさす。
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「今年はまだ、ろくに路上スナップしてないなあ」五月の連休ごろ、気候がよくなってきたので、スナップショットの虫がうずいていた。ところが二眼レフがやってきたので、「街の無意識シリーズ」のほうにバランスがゆれて、群馬県内はじめ、周辺の小都市ばかり歩いていたので、ずっとのびのびになっていた。「そうだ・・・七夕祭りの前橋を、今年も撮り歩いてみよう」わたしの場合は、行事を撮るのではない。説明的なショットもたまには撮るけれど、被写体はその場の空気と、人びとの自然な表情。
この日は2時間ほど時間をつくって、蒸し暑いのをこらえ、ヤシカマット124GとPENデジで、祭りにやってくる人びとの笑顔をおもにねらってみた。二眼レフを併用するので、心身にかかる負担は倍になる。
首が重いし、歩いているうち、背筋が張ってきた(笑)。まあ、ふだん運動不足なので、体力がないのだ。
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