歴史と経済と医療の未来予測・歴史経済波動学

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2046年英米資本主義崩壊。2059年仏資本主義崩壊。ともに戦士戦国時代へ。共産党の暗躍の時代が戦国時代。

2019年09月06日 16時31分03秒 | 世界戦国時代


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)9月6日(金曜日)弐
         通算第6189号  
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(休刊のお知らせ)香港取材のため小誌は明日9月7日—10日が休刊になります。
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 「2049 香港」は「CHINAZI」か?
   英国、豪州、カナダの中華社会が鮮明に分裂した
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 英国ロンドンの「中華街華人総会」の会場風景を新華社が中継した。会長が挨拶にあって「香港の生活は破壊されている。学生達の暴力はいけない。『暴民』を排除する香港警察をわれわれは断固として支持する」と発言した。
 驚くべき時代錯誤ととるべきか、いやこれが外国で暮らす中国人の生き延びる知恵なのか?

 かつて香港は英国領だった。
香港返還に際しての条件は「一国両制度」を50年間保証することだったのである。
また英国は返還前後から積極的に移民受け入れ政策を採ってきた。チャイナタウンはロンドンに宏大に拡がるばかりか、マンチェスターにもグラスゴーにもある。
 中国支配を嫌って英国へ来たのに、英国の華僑らは、中国共産党が支配しようとしている香港の繁栄と安定ばかりを望み、自由や民主を等閑視するのは何故か?

 世代間ギャップが著しいからだと情報通は言うが、むしろ若い世代が香港警察を支持しているのは、どうやって説明するのだろう。香港では中学生までもが民主、自由を求めて抗議活動に参加しているというのに?
 謎解きは簡単である。香港からの移民枠は終わり、いま英国が受け入れているのは中国本土からの留学生と投資移民である。夥しい留学生は香港からではなく、中国大陸からである。かれらはロンドンにある中国大使館に登録を義務づけられ、その指示に従って五星紅旗を振るために指定された場所に集まるのだ。

 だから英国の中華街が香港政庁を支持しているかのような錯覚の印象が造られるわけだ。
 「一国両制度」は2047年に終わる。あと28年!
 そのとき香港もチャイナチ(CHINAZI)の属国になっているのか、自由社会の一員として高度の自治を拡大しているのか。

 若者がいう「生きるか、死ぬかの戦い」は、民主化抗議行動は香港で、まだまだ納まりそうになり。
 逃亡犯条例を撤回する前、キャリー・ラム(林鄭月峨。広東語で「林」はラムと発音)行政長官は、中国国務院の香港マカオ弁事処主任の張暁明と深センの近くで会合を持っており、条例撤回に関して、中国側の返答がなかったことから、撤廃黙認と読んだらしい。


 ▲暴動鎮圧の教訓を間違った二つの外国事例に求めた

 この間、キャリー・ラムが部下に命じたのは二つの暴動の収拾方法を教訓に出来るかという調査だった(サウスチャイナ・モーニングポスト、9月5日)

 第一は、2011年にロンドンのトッテナム地区で発生した暴動。これは警察官が黒人の容疑者射殺に端を発して暴動となり、商店への略奪がひろがり、失業中の若者多数が参加し、合計五名が死亡、多数が負傷した。人種差別型暴動としてはロスアンジェルス暴動に似ている。
 キャメロン政権(当時)は、徹底した厳罰で臨み、SNSで暴動を煽った若者にも禁固四年という厳罰で臨んで力で封じ込めた。

 第二は昨秋から毎週土曜に行われたフランスの「黄色ベスト」「黄色ジャンパー」デモ、スタイルは香港の抗議方式に似通っている点もあるが、物価高のための賃上げと、マクロン大統領の辞任を要求していた。
フランス政府は譲歩せず、自然消滅を待った。

 しかし、香港政庁が教訓として参考にした事例は間違いであり、本来なら台湾の向日葵運動に学ぶべきだったのである。
 台湾政府はいかにして、あの向日葵学生運動を沈静化させたのか?
国民党は学生らの立法院議事堂という未曽有の事態に、徒らに警官隊を導入して力による弾圧を避け、学生に妥協ポーズを示しながら、次第に軟化させて学生らが退去するのを辛抱強くまった。

 というのも、台湾の民衆は向日葵学生運動を強固に支援し、医療チームなどを組織し外国語に堪能な人は翻訳チームも組織し、外国メディアに忽ちにして翻訳文を交付、義援金は遠く海外からも集まっていた。
支援集会には50万人があつまるという民衆のうねりを目にして、馬英九政権は平穏な解決を目指した。
このスタイルが、二年後の2016年に香港に伝播し、あの「雨傘革命」に繋がったのだった。
    ◇◎□◇み◎◇◎▽や◇◎▽◇ざ◇◎▽◇き○□◎▽ 


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