旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

京都市北区の等持院です。

2006年11月04日 | 旅 歴史
 足利尊氏は暦応2年(1341)現在の御池/柳馬場付近に等持寺を建立し夢窓疎石を迎えて開山しました。その後、等持院の別院として北等持寺をこの地に建立しました。尊氏の没後ここで葬儀を行いました。北等持寺は等持院と改名し、天竜寺末として夢窓門流相承の臨済宗天龍寺派の禅寺となりました。
以後足利歴代将軍の廟所となって毎年7月15日に将軍が参詣する足利家の菩提寺となりました。応仁の乱で本寺が焼失後はこちらの等持院が本寺となったのです。
方丈は後水尾天皇の元和2年(1616)に福島正則が妙心寺塔頭の方丈として建立した物を文政元年(1818)ここに移転再建したものです。廊下は鶯張り、襖絵は狩野興次のものです。
 文久2年(1863)尊王攘夷派の浪士が尊氏ら木像3体の首を抜き取って三条河原にさらしたという事件もありました。
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