関ヶ原の笹尾山の石田三成陣地跡です。今日、功名が辻で舞台になりましたのでアップしてみました。慶長5年(1600)石田三成は9月14日の午後7時頃、折から降りしきる雨の中、大垣城を出陣して関ヶ原へと向かい、南宮山の南から牧田(まきだ)を経由して翌15日午前5時頃に笹尾山に到着、本陣を据えました。三成は、北国街道を守備するため兵6千と豊臣の兵2千を笹尾山の正面に配し、竹矢来を二町(約200m強)東に二重に田の中に囲うと、竹矢来の前面に島勝猛を、中間に蒲生郷舎を置き戦いに臨みました。三成自身は、この山頂で指揮しました。この山の前面が最大の激戦地でした。竹矢来とは竹や丸太を粗く組んで作った臨時の囲いのことです。すき間が四角になったものを角矢来といい、菱形になったものを菱矢来といいます。敵の進入を防ぐのに利用したもので、三成はこの柵を二重にめぐらしました。