長崎県長崎市南山手町のグラバー園内にある旧オルト住宅です。
旧オルト住宅は大浦天主堂も手掛けた天草出身の小山秀之進によって造られた英国人ウィリアム・オルトの旧宅です。長崎に現存する洋風建築の中では最大規模のもので、国の重要文化財に指定されています。
三方にベランダをめぐらせた重厚な木造・外壁石積のコロニアルスタイルの建築です。堂々とした円柱がベランダに並び、中央には切り妻屋根のポーチがあります。
裏手には当時の厨房や倉庫があり、崖に造られた天然の貯蔵庫は年間を通して20℃に保たれています。ポーチ横には樹齢百年を越す日本最古で最大の木香バラが茂っています。
英国人のウィリアム・ジョン・オルトは19歳で安政6年(1859)来日しました。翌年オルト商会を設立、日本初の製茶工場を造りました。大浦お慶と提携して九州一円から茶を買い求めアメリカ方面に輸出、日本の緑茶を世界に広めたそうです。
オルトは妻エリザベスと2人の娘と明治元年まで長崎に住み、大阪、横浜へ滞在した後、明治4年(1871)健康上の理由で帰国しました。この邸宅は明治13年(1880)から2年間、活水学院校舎として使われました。その後、リンガーの長男が住んだことからリンガー兄邸ともいわれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
旧オルト住宅は大浦天主堂も手掛けた天草出身の小山秀之進によって造られた英国人ウィリアム・オルトの旧宅です。長崎に現存する洋風建築の中では最大規模のもので、国の重要文化財に指定されています。
三方にベランダをめぐらせた重厚な木造・外壁石積のコロニアルスタイルの建築です。堂々とした円柱がベランダに並び、中央には切り妻屋根のポーチがあります。
裏手には当時の厨房や倉庫があり、崖に造られた天然の貯蔵庫は年間を通して20℃に保たれています。ポーチ横には樹齢百年を越す日本最古で最大の木香バラが茂っています。
英国人のウィリアム・ジョン・オルトは19歳で安政6年(1859)来日しました。翌年オルト商会を設立、日本初の製茶工場を造りました。大浦お慶と提携して九州一円から茶を買い求めアメリカ方面に輸出、日本の緑茶を世界に広めたそうです。
オルトは妻エリザベスと2人の娘と明治元年まで長崎に住み、大阪、横浜へ滞在した後、明治4年(1871)健康上の理由で帰国しました。この邸宅は明治13年(1880)から2年間、活水学院校舎として使われました。その後、リンガーの長男が住んだことからリンガー兄邸ともいわれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/