長崎県長崎市本尾町にある浦上天主堂です、
浦上天主堂の建設計画は、明治6年(1873)キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上地区の信徒達によって行われました。
しかし、なかなか資金が集まらず明治28年(1895)にフランス人宣教師フレノ神父の設計による教会の建設が開始されました。
そして大正3年(1914)東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂としてまだ未完成でしたが献堂式があげられたのでした。
しかしそれも原爆により全壊してしまいました。現在の建物は昭和34年(1959)に再建されたものです。また原爆の爆風に耐えた唯一のアンジェラスの鐘が今も1日に3回鳴り響いています。
昭和55年(1980)レンガタイルで改装され往時の姿に復元されました。昭和56年(1981)2月26日、当時のローマ法王・ヨハネパウロⅡ世がここ浦上天主堂での司祭叙階ミサを行ないました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
浦上天主堂の建設計画は、明治6年(1873)キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上地区の信徒達によって行われました。
しかし、なかなか資金が集まらず明治28年(1895)にフランス人宣教師フレノ神父の設計による教会の建設が開始されました。
そして大正3年(1914)東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂としてまだ未完成でしたが献堂式があげられたのでした。
しかしそれも原爆により全壊してしまいました。現在の建物は昭和34年(1959)に再建されたものです。また原爆の爆風に耐えた唯一のアンジェラスの鐘が今も1日に3回鳴り響いています。
昭和55年(1980)レンガタイルで改装され往時の姿に復元されました。昭和56年(1981)2月26日、当時のローマ法王・ヨハネパウロⅡ世がここ浦上天主堂での司祭叙階ミサを行ないました。
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