長崎県長崎市南山手町にある旧羅典神学校(大浦天主堂)です。
大浦天主堂に向って右側に旧羅典(ラテン)神学校が隣接しています。プチジャン神父が日本人聖職者育成の目的に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
我が国初期の木骨楝瓦造りです。明治8年(1875)に完成し、大正15年(1926)まで、羅典神学校校舎兼宿舎として使用され、以後、司祭館や集会所にも使用されたそうです。
大浦天主堂での信徒発見の後も、キリシタンに対し弾圧があったため、ミサ(礼拝)や教育は密かに行う必要がありました。プチジャン神父は大浦天主堂の司祭館を改造して秘密の部屋をつくり、そこでミサを行い、日本人司祭育成のため教育も行いました。これが旧羅典神学校の前身です。
建物の内部は「キリシタン資料室」として、公開されています。踏絵、マリア観音、納戸神やキリスト教関係の資料およびコルベ神父に関する資料を展示しています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
大浦天主堂に向って右側に旧羅典(ラテン)神学校が隣接しています。プチジャン神父が日本人聖職者育成の目的に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
我が国初期の木骨楝瓦造りです。明治8年(1875)に完成し、大正15年(1926)まで、羅典神学校校舎兼宿舎として使用され、以後、司祭館や集会所にも使用されたそうです。
大浦天主堂での信徒発見の後も、キリシタンに対し弾圧があったため、ミサ(礼拝)や教育は密かに行う必要がありました。プチジャン神父は大浦天主堂の司祭館を改造して秘密の部屋をつくり、そこでミサを行い、日本人司祭育成のため教育も行いました。これが旧羅典神学校の前身です。
建物の内部は「キリシタン資料室」として、公開されています。踏絵、マリア観音、納戸神やキリスト教関係の資料およびコルベ神父に関する資料を展示しています。
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