福島県いわき市勿来町関田にある勿来の関跡です。
勿来の関は南下してきた蝦夷勢力の来襲を防ぐため5世紀に作られた関所です。同時代に作られた白河の関、念珠ヶ関とともに奥州三古関として有名です。
「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされた源義家の銅像です。「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」と詠んでいます。源義家がここで休息をとった時、一本の松に弓を掛け、隣の松に鞍を掛けたといわれています。
名古曽とは誰かは
言ひしいわねども
心に寿うる関とこそ三連
和泉式部
「勿来」とは「来る勿(な)かれ」からきているそうです。現在も、関東と東北との境となっています。
勿来の関の碑をはさんで、関東側に「関東宮」、 東北側に「東北宮」という小さな祠があります。関東と奥州の国境の守り神としてまつられたお宮と考えられています。
松尾芭蕉も勿来の関を訪れています。
「風流のはしめやおくの田植えうた」
という句碑が残されています。
勿来関文学歴史館には源義家を中心とした資料等が展示されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
http://jf0rak.blog.fc2.com/
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勿来の関は南下してきた蝦夷勢力の来襲を防ぐため5世紀に作られた関所です。同時代に作られた白河の関、念珠ヶ関とともに奥州三古関として有名です。
「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされた源義家の銅像です。「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」と詠んでいます。源義家がここで休息をとった時、一本の松に弓を掛け、隣の松に鞍を掛けたといわれています。
名古曽とは誰かは
言ひしいわねども
心に寿うる関とこそ三連
和泉式部
「勿来」とは「来る勿(な)かれ」からきているそうです。現在も、関東と東北との境となっています。
勿来の関の碑をはさんで、関東側に「関東宮」、 東北側に「東北宮」という小さな祠があります。関東と奥州の国境の守り神としてまつられたお宮と考えられています。
松尾芭蕉も勿来の関を訪れています。
「風流のはしめやおくの田植えうた」
という句碑が残されています。
勿来関文学歴史館には源義家を中心とした資料等が展示されています。
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