滋賀県大津市本堅田に浮御堂があります。
浮御堂の寺院名は臨済宗大徳寺派の海門山満月寺(まんげつじ)といい、寺伝によれば、平安時代に比叡山横川(よかわ)恵心院に住した恵心僧都源信(げんしん)(942-1017)が湖上安全と衆生救済のために建立したそうです。
源信自ら刻んだという1千体の阿弥陀仏を祀って、千仏閣とか千体仏堂といわれ、湖上通船の安全と衆生済度を発願したそうです。ひたすら行に務め、毎日のように水想観(すいそうかん)を行ったといわれています。
水想観というのは、紅白の蓮華(れんげ)が乱れ咲くといわれる西方浄土(さいほうじょうど)の池に思いをこらすものでした。源信が浮御堂でこの行を始めると、部屋の中いっぱいに水が湧き出て、浄土の池にいるような心境になったといわれています。
湖中に浮かぶ堂は「堅田の浮御堂」と呼ばれ、大津に数ある景勝地の中でも特にすばらしいものの1つとされ、古くから絵画や詩歌にたくさん描かれています。
近江八景の「堅田(かたた)の落雁(らくがん)」では、雁が列をなして冬の空を渡っていく姿を背景に浮御堂が美しく描かれ、多くの人々に深く愛されました。
「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」と元禄4年(1691)の夏に訪れた芭蕉が詠んでいます。小林一茶・歌川広重・葛飾北斎らも詩歌や絵画を残しています。
高浜虚子も「湖も この辺にして 鳥渡る」と詠んでいます。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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浮御堂の寺院名は臨済宗大徳寺派の海門山満月寺(まんげつじ)といい、寺伝によれば、平安時代に比叡山横川(よかわ)恵心院に住した恵心僧都源信(げんしん)(942-1017)が湖上安全と衆生救済のために建立したそうです。
源信自ら刻んだという1千体の阿弥陀仏を祀って、千仏閣とか千体仏堂といわれ、湖上通船の安全と衆生済度を発願したそうです。ひたすら行に務め、毎日のように水想観(すいそうかん)を行ったといわれています。
水想観というのは、紅白の蓮華(れんげ)が乱れ咲くといわれる西方浄土(さいほうじょうど)の池に思いをこらすものでした。源信が浮御堂でこの行を始めると、部屋の中いっぱいに水が湧き出て、浄土の池にいるような心境になったといわれています。
湖中に浮かぶ堂は「堅田の浮御堂」と呼ばれ、大津に数ある景勝地の中でも特にすばらしいものの1つとされ、古くから絵画や詩歌にたくさん描かれています。
近江八景の「堅田(かたた)の落雁(らくがん)」では、雁が列をなして冬の空を渡っていく姿を背景に浮御堂が美しく描かれ、多くの人々に深く愛されました。
「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」と元禄4年(1691)の夏に訪れた芭蕉が詠んでいます。小林一茶・歌川広重・葛飾北斎らも詩歌や絵画を残しています。
高浜虚子も「湖も この辺にして 鳥渡る」と詠んでいます。
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