午後、昼食を取りがてら散歩に出る。「やぶ久」の冬の定番はすき焼きうどんだが、最近はもっぱら日替わり定食(丼物+ソバ)である。今日の日替わり定食は親子丼と天ざる(天ぷらは舞茸)。写真ではかなりのボリュームに見えるかもしれないが、親子丼もざるも単品で注文するときの7割くらいのボリュームで、「そばも食べたいがそばだけではちょっともの足りない」という客のニーズに応えてくれる。ただ、私にとって少々困るのは常に温泉卵が付いてくることだ。今日も丼物が親子丼なのにやっぱり温泉卵が付いてきた。卵の過剰摂取である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/13/edfb12c03bc3c212cf6720cb7ae8cb5f.jpg)
有隣堂で堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書)を購入し、同じフロアーのカフェ・ド・クリエで読む。とても面白い本だ。内容は1980年代論である。1980年代に日本社会のあり方、人々(とくに若者)の生き方が大きく変化したことを論じた本である。ターニングポイントは1983年である、と著者は指摘する。それはいかなる年であったか。他の年同様、さまざまなことがあった年であったが、著者が注目するのは、雑誌「アンアン」1983年12月号のクリスマス特集「今夜こそ彼のハートをつかまえる!」だ。そのなかに「クリスマスの朝はルームサービスで」という記事がある。これは「クリスマスはシティホテルで過ごそう」と女性誌が言いだした最初の記事である。著者は「京王線に乗って八幡山で降りて、古い雑誌を集めている図書館に行って、かたっぱしから見ていって」この事実を突き止めた。固有名詞が書かれていないが、この図書館とは大宅壮一文庫である。ジャーナリストや社会学者で大宅壮一文庫の存在を知らないものはいない。そこで徹底的にリサーチをした上で、「クリスマスはシティホテルで過ごそう」と女性誌が言いだしたのは1983年であるという結論に達したのであれば、それは信用していいだろう。クリスマス・デートの記事は1970年代には6つしか見つけられなかったそうだ。それも、「クリスマスの贈り物、愛する人へ心を込めて」(1977年「ノンノ」)とか「二人きりの車内にキャンドルをともして…愛を語ろう」(1979年「ヤングレディ」)といったものである。
「1970年代のクリスマス記事を読んでいると、世の中に、まだ恋人たちのクリスマスの場所が用意されていないことがわかる。まだそういう商売が出てきてないのだ。だから若い人たちは、自分で工夫して、ロマンチックな夜にするしかない。雑誌は、その創意工夫を提案してくれていたのだ。いま読むと、想像しにくい風景だ。」(44頁)
「最初はロマンだった。女性にとってのロマンが少なかった時代にクリスマスをロマンチックな日にしたいと希求した。願いはかなえられたが、スーツを着たおとなたちがやってきて若者向けのイベントとしてシステム化し、収奪装置として整備し、強迫観念として情報を流し続けた。目的がしっかりしているからシステムが強固である。子供は素直に信じる。子供は十年で若者になる。1983年にシステム化された「恋人たちのクリスマス」は、冬至の祝祭の呪縛のように、人間社会の発生とともにあった制度然として存在してしまっているのだ。もう逃れられない。
1990年がピークだったが、1991年以降も恋人たちのクリスマスは続いた。
80年代に作られたものは、90年代には拡大されることもなかったが、壊されることもなかった。90年代は80年代の補強と定着に費やした十年だったのだ。90年代はカルチャー面では、どこまでいっても80年代の補償期間でしかない。
そしてそのまま恋人たちのクリスマスは21世紀に受け継がれ、固定されている。」(57頁)
ターニングポイントとしての1983年を象徴するのは「クリスマス」だけではない。著者は他にも、「ラブホテル」(「1983」という従来のラブホテルのイメージを一新するラブホテルが大人気になった)、「エッチ」(セックスのことをそう呼ぶようになったのもこの頃である。それまで「エッチ」とは「変態」の隠語だった)、「東京ディズニーランド」(1983年4月15日に開園)などを取り上げる。
「世界が女の子の希望を優先したのである。80年代を通して、つねに女の子の希望が消費経済を誘導していった。」(81頁)
なるほど。男の子はそれについていったわけだ。私なりに補足するならば、60年代(高度経済成長期=家電の時代)は、世界が主婦の希望を優先したのである。主婦の欲しがる三種の神器や3Cを購入するためにサラリーマンは会社人間となって働いたのである。主婦から独身女性へ。覇権の移行は70年代に進められていったのであろう。
それともう一つ、著者は指摘していないが(知らないのだから仕方がない)、1983年は私たち夫婦が結婚した年である。若者(独身者)を収奪する社会システムが稼働し始めた年に、私は若者の世界から脱出したのである。間一髪のタイミングであった。ふぅ、危ないところだったぜ(『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の中のひろしの口調で)。
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有隣堂で堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書)を購入し、同じフロアーのカフェ・ド・クリエで読む。とても面白い本だ。内容は1980年代論である。1980年代に日本社会のあり方、人々(とくに若者)の生き方が大きく変化したことを論じた本である。ターニングポイントは1983年である、と著者は指摘する。それはいかなる年であったか。他の年同様、さまざまなことがあった年であったが、著者が注目するのは、雑誌「アンアン」1983年12月号のクリスマス特集「今夜こそ彼のハートをつかまえる!」だ。そのなかに「クリスマスの朝はルームサービスで」という記事がある。これは「クリスマスはシティホテルで過ごそう」と女性誌が言いだした最初の記事である。著者は「京王線に乗って八幡山で降りて、古い雑誌を集めている図書館に行って、かたっぱしから見ていって」この事実を突き止めた。固有名詞が書かれていないが、この図書館とは大宅壮一文庫である。ジャーナリストや社会学者で大宅壮一文庫の存在を知らないものはいない。そこで徹底的にリサーチをした上で、「クリスマスはシティホテルで過ごそう」と女性誌が言いだしたのは1983年であるという結論に達したのであれば、それは信用していいだろう。クリスマス・デートの記事は1970年代には6つしか見つけられなかったそうだ。それも、「クリスマスの贈り物、愛する人へ心を込めて」(1977年「ノンノ」)とか「二人きりの車内にキャンドルをともして…愛を語ろう」(1979年「ヤングレディ」)といったものである。
「1970年代のクリスマス記事を読んでいると、世の中に、まだ恋人たちのクリスマスの場所が用意されていないことがわかる。まだそういう商売が出てきてないのだ。だから若い人たちは、自分で工夫して、ロマンチックな夜にするしかない。雑誌は、その創意工夫を提案してくれていたのだ。いま読むと、想像しにくい風景だ。」(44頁)
「最初はロマンだった。女性にとってのロマンが少なかった時代にクリスマスをロマンチックな日にしたいと希求した。願いはかなえられたが、スーツを着たおとなたちがやってきて若者向けのイベントとしてシステム化し、収奪装置として整備し、強迫観念として情報を流し続けた。目的がしっかりしているからシステムが強固である。子供は素直に信じる。子供は十年で若者になる。1983年にシステム化された「恋人たちのクリスマス」は、冬至の祝祭の呪縛のように、人間社会の発生とともにあった制度然として存在してしまっているのだ。もう逃れられない。
1990年がピークだったが、1991年以降も恋人たちのクリスマスは続いた。
80年代に作られたものは、90年代には拡大されることもなかったが、壊されることもなかった。90年代は80年代の補強と定着に費やした十年だったのだ。90年代はカルチャー面では、どこまでいっても80年代の補償期間でしかない。
そしてそのまま恋人たちのクリスマスは21世紀に受け継がれ、固定されている。」(57頁)
ターニングポイントとしての1983年を象徴するのは「クリスマス」だけではない。著者は他にも、「ラブホテル」(「1983」という従来のラブホテルのイメージを一新するラブホテルが大人気になった)、「エッチ」(セックスのことをそう呼ぶようになったのもこの頃である。それまで「エッチ」とは「変態」の隠語だった)、「東京ディズニーランド」(1983年4月15日に開園)などを取り上げる。
「世界が女の子の希望を優先したのである。80年代を通して、つねに女の子の希望が消費経済を誘導していった。」(81頁)
なるほど。男の子はそれについていったわけだ。私なりに補足するならば、60年代(高度経済成長期=家電の時代)は、世界が主婦の希望を優先したのである。主婦の欲しがる三種の神器や3Cを購入するためにサラリーマンは会社人間となって働いたのである。主婦から独身女性へ。覇権の移行は70年代に進められていったのであろう。
それともう一つ、著者は指摘していないが(知らないのだから仕方がない)、1983年は私たち夫婦が結婚した年である。若者(独身者)を収奪する社会システムが稼働し始めた年に、私は若者の世界から脱出したのである。間一髪のタイミングであった。ふぅ、危ないところだったぜ(『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の中のひろしの口調で)。