午後、「やぶ久」で遅めの昼食(すき焼きうどん)をとってから、シャノアールに行ったら混雑していたので、ひさしぶりにルノアールに行ってみた。シャノアールで290円のブレンドコーヒーがルノアールでは480円である。その分美味しいかというとそういうことはない。では、この差額分のメリットはどこにあるかというと、(シャノアールに比べてルノアールは)第一に、店内がゆったりしている。椅子も硬い木製のものではなくソファで長居に適している。第二に、コーヒーを飲み終えると日本茶が出てくる。「どうぞごゆっくりなさってくださいね」と言われている感じがする(シャノアールも長居しやすいが、それは放って置かれる結果である)。第三に、店員の立ち居振る舞いに訓練の跡を感じる。つまりプロっぽい。
「せきしろ」という変わったペンネームの作家がいて、『去年ルノアールで』(マガジンハウス)という本を出している。アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバードで』(1960年)をもじっているのであろうが、倉本聰脚本のTVドラマ『昨日、悲別(かなしべつ)で』(1984年)を思い出す人もいるかもしれない(若い人はどっちも知らないと思われ…黒板純の口調で)。ルノアールに通う日々の中で書かれたエッセー集である。帯に「無気力文学の金字塔」と印刷され、南海キャンディーズの山里亮太が「『シートン動物記』以来久しぶりに僕のこころをワシ掴みにしてくれる本に出会いました」というコメントを寄せている。他にも5人ほどコメントを寄せているが、山ちゃん以外は私の知らない人ばかりである。あとがき「二〇〇五年の終わりに」で、著者はこう書いている。
「2005年、森夫婦が離婚した。この本の冒頭であれほど仲のよかった二人を、時が引き裂いてしまった。(中略)
そしてもう一つ大きく変わったこと。それは私が通い詰めていたルノアールの支店が閉店したことだ。
そこにルノアールがあることは永遠だと思っていた。何か根拠があるわけではないが、私はそう信じていた。閉店した店舗に立ち入り禁止の札を見るまで、私は納得しなかった。
しかし、時は容赦なく物事を変えていく。それが日常というものだ。
だが、変わらないものもある。
今、私はこの原稿をルノアールで書いている。通っていた店舗とは違う店だ。わざわざ電車に乗って、ルノアールへ通っている。
時の流れに抗うように、私は今日もルノアールにいる。」(203-204頁)
有限会社花見煎餅が喫茶部門を独立させて日本橋にルノアールの一号店を開店したのは、1964年10月である。東京オリンピックの開幕にタイミングを合わせたのであろう。私が日頃一番よく利用するシャノアールの設立も同じ頃(1965年5月)である。コーヒー一杯分の値段と考えるといささか高い料金を払って、一定の時間と空間を手に入れるというライフスタイル(それは当時の日本人には贅沢な行為に見えたはずだし、だからこそ一種の憧れでもあった)がその頃からサラリーマンやOL(当時はBGと言ったっけ)に浸透し始めたのである。高度経済成長がもたらした「豊かな生活」の断片である。
時は流れ、いま、ルノアールにはレトロな雰囲気が漂っている。スターバッスやエクセルシオールに代表される新興勢力に完全に主流の座を奪われてしまった。いつだったか、大学の卒業生と蒲田駅で待ち合わせたときに、スタバがあることにびっくりしていたが、蒲田だってスタバくらいはあるのである。しかし私はまだ一度も蒲田のスタバに入ったことはない。一言で言うと、スタバ(タイプの喫茶店)というのは、一見お洒落に見えるかも知れないが、私からすると「貧乏くさい」のである。第一に、椅子が硬くテーブル(個人空間)が狭い。ルノアールのテーブルは基本が4人客用で、たとえ1人客であっても遠慮することなくそこを占有することができる。椅子の座面も低いのでゆったり感がある。こぢんまりしているのはよいが、ちまちましているのはいやである。第二に、セルフサービスである。もちろんルノアールでは(これはシャノアールも同じ)店員が席まで注文を取りに来て、注文したものを運んでくる。新興勢力はこの分の人件費をカットするためにセルフサービスにしているわけだが、手ぶらで店に入るときはまだしも(しかしそういうときはまずない)、片手に荷物を持ちながら、片手でコーヒーとお冷やの載ったトレーを持って座るべき席をさがしてウロウロするというのは、危なっかしいし、見た目にも難民キャンプを彷彿とさせる(私だけか?)。とにかく「セルフサービス」(それってサービスじゃないだろ!)は貧乏くさいのである。貧乏はしかたないとして、貧乏くさいのはいやである。夜、NHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~」(25日の深夜に再放送する)を観て、改めてそう思った。そこに登場した人々は貧乏だが、貧乏くさくはなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/5d/f67b2bd74eda44fab3e02cae8ed2aa52.jpg)
たそがれのルノアール
「せきしろ」という変わったペンネームの作家がいて、『去年ルノアールで』(マガジンハウス)という本を出している。アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバードで』(1960年)をもじっているのであろうが、倉本聰脚本のTVドラマ『昨日、悲別(かなしべつ)で』(1984年)を思い出す人もいるかもしれない(若い人はどっちも知らないと思われ…黒板純の口調で)。ルノアールに通う日々の中で書かれたエッセー集である。帯に「無気力文学の金字塔」と印刷され、南海キャンディーズの山里亮太が「『シートン動物記』以来久しぶりに僕のこころをワシ掴みにしてくれる本に出会いました」というコメントを寄せている。他にも5人ほどコメントを寄せているが、山ちゃん以外は私の知らない人ばかりである。あとがき「二〇〇五年の終わりに」で、著者はこう書いている。
「2005年、森夫婦が離婚した。この本の冒頭であれほど仲のよかった二人を、時が引き裂いてしまった。(中略)
そしてもう一つ大きく変わったこと。それは私が通い詰めていたルノアールの支店が閉店したことだ。
そこにルノアールがあることは永遠だと思っていた。何か根拠があるわけではないが、私はそう信じていた。閉店した店舗に立ち入り禁止の札を見るまで、私は納得しなかった。
しかし、時は容赦なく物事を変えていく。それが日常というものだ。
だが、変わらないものもある。
今、私はこの原稿をルノアールで書いている。通っていた店舗とは違う店だ。わざわざ電車に乗って、ルノアールへ通っている。
時の流れに抗うように、私は今日もルノアールにいる。」(203-204頁)
有限会社花見煎餅が喫茶部門を独立させて日本橋にルノアールの一号店を開店したのは、1964年10月である。東京オリンピックの開幕にタイミングを合わせたのであろう。私が日頃一番よく利用するシャノアールの設立も同じ頃(1965年5月)である。コーヒー一杯分の値段と考えるといささか高い料金を払って、一定の時間と空間を手に入れるというライフスタイル(それは当時の日本人には贅沢な行為に見えたはずだし、だからこそ一種の憧れでもあった)がその頃からサラリーマンやOL(当時はBGと言ったっけ)に浸透し始めたのである。高度経済成長がもたらした「豊かな生活」の断片である。
時は流れ、いま、ルノアールにはレトロな雰囲気が漂っている。スターバッスやエクセルシオールに代表される新興勢力に完全に主流の座を奪われてしまった。いつだったか、大学の卒業生と蒲田駅で待ち合わせたときに、スタバがあることにびっくりしていたが、蒲田だってスタバくらいはあるのである。しかし私はまだ一度も蒲田のスタバに入ったことはない。一言で言うと、スタバ(タイプの喫茶店)というのは、一見お洒落に見えるかも知れないが、私からすると「貧乏くさい」のである。第一に、椅子が硬くテーブル(個人空間)が狭い。ルノアールのテーブルは基本が4人客用で、たとえ1人客であっても遠慮することなくそこを占有することができる。椅子の座面も低いのでゆったり感がある。こぢんまりしているのはよいが、ちまちましているのはいやである。第二に、セルフサービスである。もちろんルノアールでは(これはシャノアールも同じ)店員が席まで注文を取りに来て、注文したものを運んでくる。新興勢力はこの分の人件費をカットするためにセルフサービスにしているわけだが、手ぶらで店に入るときはまだしも(しかしそういうときはまずない)、片手に荷物を持ちながら、片手でコーヒーとお冷やの載ったトレーを持って座るべき席をさがしてウロウロするというのは、危なっかしいし、見た目にも難民キャンプを彷彿とさせる(私だけか?)。とにかく「セルフサービス」(それってサービスじゃないだろ!)は貧乏くさいのである。貧乏はしかたないとして、貧乏くさいのはいやである。夜、NHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~」(25日の深夜に再放送する)を観て、改めてそう思った。そこに登場した人々は貧乏だが、貧乏くさくはなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/5d/f67b2bd74eda44fab3e02cae8ed2aa52.jpg)
たそがれのルノアール