7時半、起床。加藤和彦の死を報じる朝刊の記事を改めて読む。やはりやりきれない気持ちだ。有名人の自殺は珍しくないが、このようなやりきれない気持ちは、伊丹十三のとき以来だ。他の人々と、二人との違いは、私が二人の作品をとても好んでいたということだ。ザ・フォーク・クルセダーズの音楽は中学生だった私の一部だったし、伊丹十三の本(映画ではなく)は大学生・大学院生だった私の一部だった。だから二人の自殺は移植した内臓が拒絶反応を起こしたような気分に私をさせる。
有名人が自殺をすると、ネットには「○○さん、お疲れ様でした。」「○○さん、ありがとうございました。」という決まり文句があふれる。「お疲れ様でした」だって? 「ありがとうございました」だって? ずいぶんと物分かりがいいじゃないか。こういう言葉はせめて四十九日あたりまで待って言うべきで、自殺の当日や翌日に言うような言葉じゃないだろう。〝言葉を失う〟というのが本当なんじゃないのか。・・・と、やりきれない気分の私は、つい八つ当たりをしたくなってしまうのだ。
ユーチューブにアップされていた加藤和彦と坂崎幸之助のデュエットによる「悲しくてやりきれない」を繰り返し聴く。