8時、起床。朝食は炒飯。我が家では冷蔵庫のご飯が一定量に達すると朝食が炒飯(あるいはドライカレー)になる。午前中は授業の準備。
昼から大学へ。昼休みの時間に今週のゼミの発表グループと研究室でランチミーティング。各自がお弁当持参で食べながら行うミーティングなのだが、私はコンビニで購入したおにぎり3個(鮭、昆布、鱈子)。雑談の中で、Yさんが今度親不知を抜くことになるかもしれないという話が出た。私もそうなのだが、違うのは、Yさんはこれまで一度も歯医者さんに行ったことがないということだ。全員びっくり。つまり虫歯になったことがなく、したがって抜歯の経験もなく、歯というものは自然に抜けて自然に生えてくるものだと単純に思っているのである。さすがサバンナ。野生児だ。しかし、そういう人が、初めて歯医者に行って、それが親不知の抜歯というのは驚天動地の経験なのではないだろうか。ある意味、気の毒である。
3限は「現代人間論系総合講座2」。木村助教の担当の1回目。ホームレス問題を自身の経験(ホームレスの経験ではなくてホームレス支援の経験)を交えて大変興味深く語ってくれた。最後、時間がなくて、用意した岡林信康の「流れ者」を流せなかったのは残念だったが、「大久保先生は学生の頃、よく岡林信康の歌を歌われたそうです」と言ったのは余計な話である。
4限は空き時間。雑用をいくつか片付けてから、生協に行って、以下の本を購入。5限は大学院の「質的調査法特論」。他のゼミの院生はこの授業を通じて知ることが多い。
大賀祐樹『リチャード・ローティ リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)
橋本健二『「格差」の戦後史』(河出書房新社)
正村俊之『グローバリゼーション』(有斐閣)
潮木守一『職業としての大学教授』(中央公論新社)
加藤周一『ある晴れた日に』(岩波現代文庫)
「ドイツ社会では教授の社会的な地位が日本よりもはるかに高く、給与も年金も恵まれている。ドイツのメディアの決まり文句に「怠け者教授」というフレーズがある。たしかに教授になれば上司はいない。その日常の行動を監視する監督官もいない。(中略)教授には週八時間教える義務があることは法律に明記されているが、毎日出勤簿に判を押すために大学に出てくることまでは書かれていない。だから一週間に三日しか出勤してこない教授が現にいる。そういう教授をDiMiDo教授と呼んでいるが、要するに火曜日(Dienstag)、水曜日(Mittwoch)、木曜日(Donnerstag)しかキャンパスに姿を現さない教授のことである。」(潮木、110頁)
この箇所を読んで、私がブログをやっているのは日常の行動を衆人環視の下におくためかもしれないと思った。それにしても、金曜日に授業をいれておいてよかった。辛うじてDiMiDo教授と呼ばれずにすんでいる。でも、水曜日は会議がなければ大学へは出ないから、似たようなものかもしれない。