フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月10日(日) 曇りのち晴れ

2010-10-11 01:13:44 | Weblog

  8時半、起床。炒飯の朝食。フィールドノートの更新をして、「笑っていいとも」(増刊号)をなんとなく見ていると、日曜日の午前らしい気分になる。
  午後、自転車に乗って「甘味あらい」へ行く。メニューを開いて、季節限定の栗あんみつを注文する。普通のクリームあんみつとは違って、栗のアイスクリーム、渋皮付きの栗の甘露煮、ほうじ茶の寒天が入っている。季節の果物は栗、リンゴ、柿。実に秋らしいあんみつである。あんみつを食べた後に、磯辺巻き、そして珈琲を注文。しばらく滞在する。

  「甘味あらい」では持参した小沼丹『埴輪の馬』の中の「ゴムの木」と「十三日の金曜日」を読んだ。「十三日の金曜日」は文鳥の話で、親近感をもって読んだ。

  「何年か前の暮の寒い日、近くの町へ行く用事があってバスに乗ったら、筋向かいの席に座っている五十恰好の女が手に文鳥を乗せているのに気づいた。その女の人は太い毛糸で編んだ長い襟巻をしていて、その下に手を入れているが、文鳥はその手に乗って、襟巻きの間から顔を出してあちこち見ている。男の子が二人、一緒にバスに乗ったが、この二人も文鳥に眼を留めたと見える。
  ―あれ、鳥がいらあ・・・。
  ―十姉妹かな?
  なんて云っていた。
  何かの弾みで文鳥が飛立たないかと気になったが、居心地がいいのか、文鳥は神妙に凝っとしている。それを見ると、文鳥の奴も人間の手に乗っているのが一番安全だと心得ているらしく思われる。他の乗客もときおり何となく文鳥とその飼主の方を見る。そのせいか、その女の人は幾らか緊張した顔をしていたが、或は多少得意だったのかもしれない。その裡にバスが混んできて、文鳥のことは忘れてしまった。終点に着いたとき、文鳥を想い出して探したが、五十恰好の女の姿は見当たらなかった。どこか途中で降りたのだろう。」

  これが冒頭の部分。バスの中でたまたま見かけた中年の女性と文鳥を描写して、読者を作品の世界にスッと招き入れてしまう。一見地味だが、文章の呼吸がいい。達人の文章である。
  雀と文鳥は同じスズメ目に属する小鳥で、人になつきやすい。私もときどき小雀を小さな鳥篭に入れて電車に乗って田園調布の小鳥の病院へ連れて行くが、たぶん籠から出しても、私の手のひらの中でじっとしているのではないかと想う。今度、試してみようかしら。
  で、話の続きだが、バスの中で文鳥を見てから数日後に、小鳥好きの友人が文鳥を一羽持ってきてくれて、これを飼うことになったのである。

  「某君が持って来て呉れたのはよく馴れた手乗り文鳥で、空気孔の空けてある小さなボオル箱から出したら、ちょんちょん、と跳ねてひらりと某君の肩に乗った。
  ―あら、可愛いこと・・・。
  家の者が手を出したら、今度はちょんとその手に乗ったから家の者は嬉しそうな顔をした。文鳥は純白なものと思っていたが、この文鳥は背中の辺が薄墨色である。某君の話だとまだ子供だからで、大人になると真白になるらしい。
  文鳥は淋しがり屋だから人間のいる所に置いて呉れ、と某君が希望したから、食堂の食卓の上に文鳥の籠を載せて置いた。尤も、籠の戸はいつも開けてあるから、文鳥は好きなときに外へ出てその辺を散歩する。暫くしたら、文鳥が好んで飛んでいく場所が幾つか出て来た。
  一つは脱衣所にある体重を計る秤の上で、最初、ちっぽけな文鳥が大きな秤の上に澄まして乗っているのを見たときは、何ともたいへん可笑しかった。
  ―何故、秤の上が好きなのでしょう?
  家の者は首をひねったが、そんなことは文鳥に訊いて呉れと云いたい。
  もう一つは食堂の棚で、棚は幾つかに仕切ってあるが、珈琲豆を入れた硝子の容器の並んでいる所が気に入ったらしい。文鳥はその棚に乗って、あっち向いたり、こっち向いたりしている。洋酒の瓶の載っている棚は見向きもしないのだから、どう云う料簡なのかさっぱり判らない。
  文鳥を貰ったばかりの頃、珍しいからちょいちょい相手になってやったかもしれない。文鳥を見ると、どうも淋しいから相手をしろと云っているように思われる。仕方が無いから指に乗せてやると、喜んで頻りに掌を啄いたりした。」

  うちの小雀もよく人に馴れている。訓練の結果ではなく、巣からこぼれ落ちたのを拾って育てたので、人間に対する警戒心がまるでなく、こっちのことを育ての親だと思っている(生みの親とは思っていないと思う)。
  小沼の文章はのんびりしているが、その底にしんみりしたものが流れているのは、友人にしろ文鳥にしろ、すでに死んでしまって、いまはいない者たちについての文章が多いからである。

  「この文鳥は、人間は同輩、若しくは世話係ぐらいに心得て、いい気になって暮らしていたと思うが、四年ばかり経った頃病気で死んでしまった。その頃は、某君の言葉通り、背中の淡墨色は消えて真白になっていたから、見たところなかなか美しかった。
  ちょうど庭の白木蓮の花が咲出した頃だが、文鳥の具合が悪くなった。白木蓮の近くに太郎冠者と云う椿があって、これもその頃咲くが、この花が悪くない。その花を見ていたら、濡縁の所へ家の者が来て、
  ―文鳥が病気のようですよ。
  と云う。
  ―何の病気だ?
  ―そんなことは判りません。ちょっと薬を買いに行って来ますから・・・。
  家の者は小鳥用の何とか云う薬を買って来て、それを文鳥に与えたが、死んだのだから効目は無かったのだろう。気の強い筈の鳥が、病気になると気が弱くなって心細いのかもしれない。無闇に人間の手や膝に乗りたがる。乗りたがるのはいいが、水のような糞を垂らすのには閉口した。両手で包むようにしてやると、安心するのか、半分眼を閉じて小刻みに身体を揺すっている。文鳥はそれでもいいかもしれないが、人間は一日中文鳥の相手をしている訳には行かない。
  ―悪く思うなよ・・・。
  食卓の上に文鳥を置いて食堂を出て来るが、その后で文鳥は頻りに家の者の懐に這入りたがったそうである。相手は小さな文鳥だが、何もしてやれないと云うのはかなり気持ちの負担になって、これにはちょっと弱った。
  文鳥は具合が悪くなってから、三日目に死んだ。何だか長いこと家にいたような気がするが、はっきり想い出せない。
  ―うちに来て何年になったかな?
  と訊いたら、家の者は手帖を見て、
  ―四年と三ヶ月になります。
  と云った。」

  切ない。実に切ない。もしも「小鳥の病院」の広瀬先生みたいな人が近所にいたら、文鳥は死なずにすんだのではないかと思う。「文鳥は頻りに家の者の懐に這入りたがった」とあるが、それはたぶん寒気を感じていたからで、文鳥の体温は人間よりも高いから(40度台)、手の中で温めてあげてもいまひとつ温度不足なのである。

  自宅にいったん戻り、仕度をしてジムへ行く。ジムの後、「緑のコーヒー豆」に寄って、アイスカフェオレを飲みながら、『埴輪の馬』の中のまた別の作品、「連翹(れんぎょう)」を読んだ。太宰治の弟士で、小山清という作家の話だ。「朴歯の下駄」という作品が評判をとった人らしいが、私は未読である。ネットで検索したら、『埴輪の馬』と同じ講談社文芸文庫に『日々の麺麭・風貌 小山清作品集』が入っていることがわかったので、さっそくアマゾンで注文する。