9時、起床。喉がイガイガする。痛いまではいっていないが、風邪の前兆である。くるみパンとホットミルクの朝食。
午後、東京都写真美術館に出かける。
今日のお目当ては、「ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」展。ウォーカー・エバンスらが社会改良を目的として都市や農村の普通の人々=貧しき人々を撮った「アメリカン・ドキュメント」の源流をヨーロッパの7人の写真家たち(ジョン・トムソン、トーマス・アナン、ビル・ブラント、ウジェーヌ・アジェ、ブラッサイ、ハインリッヒ・ツィレ、アウグスト・ザンダー)の作品の中に探るというのが展示会のねらいである。
ジョン・トムソン「前科者の館」(1877-78)
トーマス・アナン「大学広場から見るハイ・ストリート」(1868)
ウジェーヌ・アジャ「大道芸人」(1898-99)
ハインリッヒ・ツィレ「砂地で荷車を動かす2人、クノペルスドルフ橋を背景に」(1889)
なるほど、確かに、「アメリカン・ドキュメント」風の作品が散見される。ただし、「アメリカン・ドキュメント」度は写真家によって異なり、同じ写真家の中でも作品によってばらつきが大きい。たとえば、トムソンの撮ったロンドンの街頭の風景は風物詩的である。そこには告発的なまなざしは、少なくとも意図的には、存在しない。それを「アメリカン・ドキュメント」風に見るのは、「アメリカン・ドキュメント」を好む私の意識がそうさせているわけであるが、かといって、まったくの牽強付会というわけでもない。トムソンの作品はトムソンの意図を超えて、当時のイギリスの社会の構造的問題を写してしまっているのである。写真家が物珍しげに、センチメンタルに、あるいはロマンチックに撮った作品の背後に、そうした構造的問題が写ってしまっているのである。
水の入ったグラスを真上から接写してみました
ミルフィーユ風のラザニア
館内のカフェ「シャンブル・クレール」(明るい部屋)で、遅い昼食(ラザニア)をとる。ロラン・バルトの写真論の本のタイトルからとった名前と思うが、実際、南側が全面ガラスで、とても明るいカフェである。
一年で一番日没が早い季節だけのことはある。外に出ると、夕暮れの時間になっていた。クリスマスツリーのイルミネーションの周りでたくさんの人が写真を撮っていた。
たぶんここには現代日本社会の構造的問題は写っていないと思う。