梅雨明けを思わせるような夏空である。就職試験のために高知に帰っているMさんから、「高知では今日梅雨が明けました」というメールが届いた。例年、東京の梅雨明けは中国・四国地方の梅雨明けから1週間ほど後である。もう一度、雨が数日続いて、その後、本当に梅雨明けとなるだろう。8月1日頃かな。
午前、オープンキャンパス用の資料の作成。昼から社会学基礎講義の試験の採点に着手。全部で200枚ちょっとなので、2日は必要である。もちろんやとうと思えば1日でやれないことはないのだが、似たりよったりの答案が多いので、そればかりでは飽きてしまうのである。遅い昼食をとりがてら散歩に出る。「やぶ久」で日替わり定食(イカ天丼とおろしそば)を食べてから、有隣堂を覗いて、以下の本を購入。
粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社)
小谷野敦『谷崎潤一郎伝』(中央公論新社)
大塚英志『村上春樹論』(若草書房)
川本三郎『村上春樹論集成』(若草書房)
野呂邦暢『愛についてのデッサン』(みすず書房)
今日は全部単行本で締めて12,075円也。購入した本はとりあえずパラパラと目を通しておく。これは読書が仕事の一部である人間なら誰もがやっていることである。これをやっておかないと、後から何かのときに、その本のことを思い出すことができない。今日はボリュームのある本が多く時間がかかりそうなので、椅子の座り心地のいいルノアールに行く。一昨々日よりも混んでいるのは、平日はビジネスマンの利用が多いからである。1時間半ほどかけて全部に目を通した。「はじめに」「あとがき」は必ず読む。「目次」にも目を通す。論文・評論集の場合は冒頭の一編を読むことが多い。短篇小説集の場合は表題作を読むことが多い。長編の小説・評論の場合はなまじ読み始めてもしかたがないので、本を愛撫しながら、「そのうち読むからね」と心の中で語りかける。「忘れないでね」と本が答える。もし忘れてしまっても本は私を恨んだりはしない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/78/492216636e400608b69e93fb55048cd5.jpg)
野呂邦暢『愛についてのデッサン』は1979年の作品である。今回、みすず書房の「大人の本棚」シリーズの一冊として再出版された本書を購入したのは、佐藤正午が書き下ろしの「解説」を担当しているからである。佐藤は学生時代に野呂邦暢にファンレターを出し、野呂から原稿用紙に書かれた返事をもらったことがあるのだが、そこには青いインクののびやかな文字で「君はまだ若いから、目と歯の丈夫なうちにもっとたくさんの本を読んだ方がいい」みたいな助言が書かれていた。
「野呂邦暢の最初の本『十一月 水晶』から『諫早菖蒲日記』までを読んだ人なら全員が賛成するはずだが、この作家のいちばんの美質として、何より先に読者が感じ取れるものは詩情である。万年筆のキャップをはずし、原稿用紙にたった一行でも文を書けばそれが詩になる。野呂邦暢はそういう魔法を身につけた作家だった。(中略)
でも、何かが変わりつつある。あえて言えば、野呂邦暢はここから、初期の作品に溢れんばかりにあった詩情を押さえ込もうとしているように見える。(中略)なぜそんなもったいないことをするのか、理由は野呂邦暢本人に聞かなければわからない。もしかしたら、作家はもっと先の未来を見据えて、この『愛についてのデッサン』に取り組んだのかもしれない。この小説の文章を散文の職人に徹して書くことで、何か未来の大きな目標への第一歩を踏み出していたのかもしれない。(中略)あと十年、寿命があればその成果がいま目の前にあったかもしれない。
すべては想像である。現実には、もうどんな質問も彼にぶつけてみることはできない。(中略)野呂邦暢は一九八〇年五月七日、四十二歳でこの世を去った。その翌年、若い僕は自分で小説を書き出し、五十歳を越えようとするいまも書き続けている。つまりとっくに野呂邦暢の亡くなったときの年齢を追い越している。四十二歳という年齢を、自分が遙かむかし通ってきた地点として振り返ることだけができる。敬愛する作家の解説に、最初から最後まで年齢のこと、というより私事を書き連ねるのは、むろんためらいもあるのだが、何よりもまず私事として彼の小説、彼の死が僕の前にあるからである。ひとりの同業者、小説を書く人間としてではなく、現実に目も歯も衰えるまで長生きしてしまった三十年前のひとりの若者として、この作家の小説をいまも読み、また彼の死をどう惜しんでも惜しみきれないからである。」(253-256頁)
『愛についてのデッサン』は、古本屋を営んでいた父親が急性心不全でなくなり、家業を継ぐことになった青年佐古俊介を主人公とする成長の物語で、「佐古俊介の旅」という副題が付いている。主人公の職業が古本屋というだけで惹かれるものがある。そのうち読むからね。
午前、オープンキャンパス用の資料の作成。昼から社会学基礎講義の試験の採点に着手。全部で200枚ちょっとなので、2日は必要である。もちろんやとうと思えば1日でやれないことはないのだが、似たりよったりの答案が多いので、そればかりでは飽きてしまうのである。遅い昼食をとりがてら散歩に出る。「やぶ久」で日替わり定食(イカ天丼とおろしそば)を食べてから、有隣堂を覗いて、以下の本を購入。
粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社)
小谷野敦『谷崎潤一郎伝』(中央公論新社)
大塚英志『村上春樹論』(若草書房)
川本三郎『村上春樹論集成』(若草書房)
野呂邦暢『愛についてのデッサン』(みすず書房)
今日は全部単行本で締めて12,075円也。購入した本はとりあえずパラパラと目を通しておく。これは読書が仕事の一部である人間なら誰もがやっていることである。これをやっておかないと、後から何かのときに、その本のことを思い出すことができない。今日はボリュームのある本が多く時間がかかりそうなので、椅子の座り心地のいいルノアールに行く。一昨々日よりも混んでいるのは、平日はビジネスマンの利用が多いからである。1時間半ほどかけて全部に目を通した。「はじめに」「あとがき」は必ず読む。「目次」にも目を通す。論文・評論集の場合は冒頭の一編を読むことが多い。短篇小説集の場合は表題作を読むことが多い。長編の小説・評論の場合はなまじ読み始めてもしかたがないので、本を愛撫しながら、「そのうち読むからね」と心の中で語りかける。「忘れないでね」と本が答える。もし忘れてしまっても本は私を恨んだりはしない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/78/492216636e400608b69e93fb55048cd5.jpg)
野呂邦暢『愛についてのデッサン』は1979年の作品である。今回、みすず書房の「大人の本棚」シリーズの一冊として再出版された本書を購入したのは、佐藤正午が書き下ろしの「解説」を担当しているからである。佐藤は学生時代に野呂邦暢にファンレターを出し、野呂から原稿用紙に書かれた返事をもらったことがあるのだが、そこには青いインクののびやかな文字で「君はまだ若いから、目と歯の丈夫なうちにもっとたくさんの本を読んだ方がいい」みたいな助言が書かれていた。
「野呂邦暢の最初の本『十一月 水晶』から『諫早菖蒲日記』までを読んだ人なら全員が賛成するはずだが、この作家のいちばんの美質として、何より先に読者が感じ取れるものは詩情である。万年筆のキャップをはずし、原稿用紙にたった一行でも文を書けばそれが詩になる。野呂邦暢はそういう魔法を身につけた作家だった。(中略)
でも、何かが変わりつつある。あえて言えば、野呂邦暢はここから、初期の作品に溢れんばかりにあった詩情を押さえ込もうとしているように見える。(中略)なぜそんなもったいないことをするのか、理由は野呂邦暢本人に聞かなければわからない。もしかしたら、作家はもっと先の未来を見据えて、この『愛についてのデッサン』に取り組んだのかもしれない。この小説の文章を散文の職人に徹して書くことで、何か未来の大きな目標への第一歩を踏み出していたのかもしれない。(中略)あと十年、寿命があればその成果がいま目の前にあったかもしれない。
すべては想像である。現実には、もうどんな質問も彼にぶつけてみることはできない。(中略)野呂邦暢は一九八〇年五月七日、四十二歳でこの世を去った。その翌年、若い僕は自分で小説を書き出し、五十歳を越えようとするいまも書き続けている。つまりとっくに野呂邦暢の亡くなったときの年齢を追い越している。四十二歳という年齢を、自分が遙かむかし通ってきた地点として振り返ることだけができる。敬愛する作家の解説に、最初から最後まで年齢のこと、というより私事を書き連ねるのは、むろんためらいもあるのだが、何よりもまず私事として彼の小説、彼の死が僕の前にあるからである。ひとりの同業者、小説を書く人間としてではなく、現実に目も歯も衰えるまで長生きしてしまった三十年前のひとりの若者として、この作家の小説をいまも読み、また彼の死をどう惜しんでも惜しみきれないからである。」(253-256頁)
『愛についてのデッサン』は、古本屋を営んでいた父親が急性心不全でなくなり、家業を継ぐことになった青年佐古俊介を主人公とする成長の物語で、「佐古俊介の旅」という副題が付いている。主人公の職業が古本屋というだけで惹かれるものがある。そのうち読むからね。