フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月26日(水) 晴れ

2006-07-27 03:00:29 | Weblog
  梅雨明けを思わせるような夏空である。就職試験のために高知に帰っているMさんから、「高知では今日梅雨が明けました」というメールが届いた。例年、東京の梅雨明けは中国・四国地方の梅雨明けから1週間ほど後である。もう一度、雨が数日続いて、その後、本当に梅雨明けとなるだろう。8月1日頃かな。
  午前、オープンキャンパス用の資料の作成。昼から社会学基礎講義の試験の採点に着手。全部で200枚ちょっとなので、2日は必要である。もちろんやとうと思えば1日でやれないことはないのだが、似たりよったりの答案が多いので、そればかりでは飽きてしまうのである。遅い昼食をとりがてら散歩に出る。「やぶ久」で日替わり定食(イカ天丼とおろしそば)を食べてから、有隣堂を覗いて、以下の本を購入。

  粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社)
  小谷野敦『谷崎潤一郎伝』(中央公論新社)
  大塚英志『村上春樹論』(若草書房)
  川本三郎『村上春樹論集成』(若草書房)
  野呂邦暢『愛についてのデッサン』(みすず書房)

  今日は全部単行本で締めて12,075円也。購入した本はとりあえずパラパラと目を通しておく。これは読書が仕事の一部である人間なら誰もがやっていることである。これをやっておかないと、後から何かのときに、その本のことを思い出すことができない。今日はボリュームのある本が多く時間がかかりそうなので、椅子の座り心地のいいルノアールに行く。一昨々日よりも混んでいるのは、平日はビジネスマンの利用が多いからである。1時間半ほどかけて全部に目を通した。「はじめに」「あとがき」は必ず読む。「目次」にも目を通す。論文・評論集の場合は冒頭の一編を読むことが多い。短篇小説集の場合は表題作を読むことが多い。長編の小説・評論の場合はなまじ読み始めてもしかたがないので、本を愛撫しながら、「そのうち読むからね」と心の中で語りかける。「忘れないでね」と本が答える。もし忘れてしまっても本は私を恨んだりはしない。

          

  野呂邦暢『愛についてのデッサン』は1979年の作品である。今回、みすず書房の「大人の本棚」シリーズの一冊として再出版された本書を購入したのは、佐藤正午が書き下ろしの「解説」を担当しているからである。佐藤は学生時代に野呂邦暢にファンレターを出し、野呂から原稿用紙に書かれた返事をもらったことがあるのだが、そこには青いインクののびやかな文字で「君はまだ若いから、目と歯の丈夫なうちにもっとたくさんの本を読んだ方がいい」みたいな助言が書かれていた。

  「野呂邦暢の最初の本『十一月 水晶』から『諫早菖蒲日記』までを読んだ人なら全員が賛成するはずだが、この作家のいちばんの美質として、何より先に読者が感じ取れるものは詩情である。万年筆のキャップをはずし、原稿用紙にたった一行でも文を書けばそれが詩になる。野呂邦暢はそういう魔法を身につけた作家だった。(中略)
  でも、何かが変わりつつある。あえて言えば、野呂邦暢はここから、初期の作品に溢れんばかりにあった詩情を押さえ込もうとしているように見える。(中略)なぜそんなもったいないことをするのか、理由は野呂邦暢本人に聞かなければわからない。もしかしたら、作家はもっと先の未来を見据えて、この『愛についてのデッサン』に取り組んだのかもしれない。この小説の文章を散文の職人に徹して書くことで、何か未来の大きな目標への第一歩を踏み出していたのかもしれない。(中略)あと十年、寿命があればその成果がいま目の前にあったかもしれない。
  すべては想像である。現実には、もうどんな質問も彼にぶつけてみることはできない。(中略)野呂邦暢は一九八〇年五月七日、四十二歳でこの世を去った。その翌年、若い僕は自分で小説を書き出し、五十歳を越えようとするいまも書き続けている。つまりとっくに野呂邦暢の亡くなったときの年齢を追い越している。四十二歳という年齢を、自分が遙かむかし通ってきた地点として振り返ることだけができる。敬愛する作家の解説に、最初から最後まで年齢のこと、というより私事を書き連ねるのは、むろんためらいもあるのだが、何よりもまず私事として彼の小説、彼の死が僕の前にあるからである。ひとりの同業者、小説を書く人間としてではなく、現実に目も歯も衰えるまで長生きしてしまった三十年前のひとりの若者として、この作家の小説をいまも読み、また彼の死をどう惜しんでも惜しみきれないからである。」(253-256頁)

  『愛についてのデッサン』は、古本屋を営んでいた父親が急性心不全でなくなり、家業を継ぐことになった青年佐古俊介を主人公とする成長の物語で、「佐古俊介の旅」という副題が付いている。主人公の職業が古本屋というだけで惹かれるものがある。そのうち読むからね。

7月25日(火) 曇り一時雨

2006-07-26 02:53:20 | Weblog
  火曜日は会議の日。午前10時から社会学専修の教室会議。午後1時からカリキュラム委員会。午後3時から(ただし私は前の会議が押して1時間の遅刻)現代人間論系運営準備委員会。午後5時からもう1つ会議。それが終わったのが午後6時半。予定していたよりも30分オーバーである。自宅に「いまから帰ります」と電話して、大学を出る。今日の夕食の献立は広島風お好み焼きと昨日から決まっていて、広島風お好み焼きは私の担当と昔から決まっているのである。午後7時半、帰宅。「ただいま~」と玄関を上がると、1階の住人である母が迎えに出て来て、「おかえりなさい」と言うのかと思ったら「ああ、お腹減った」と言った。普段は母は自分で料理を作って6時半頃には夕食を終えているので、今日は一緒に食べようというので1時間も待たされているのだ。2階で「お父さん帰ってきたよ~」という子どもたちの声が聞こえる。私は冷蔵庫からチオビタドリンクを1本取り出し、それを一息に飲んで、ただちに鉄板の前に立った。着替えをしている時間はない。ズボンが汚れるといけないからと、母が後ろからエプロンを掛けてくれる。最初は豚肉である。同時に2枚焼き、一枚は二等分して娘と息子に。もう一枚は三等分して母と妻と自分用である。しかし自分用のものを食べている暇はない。次の2枚を焼き始める。今度は牛肉である。生地が見えないほど惜しげもなく牛肉を敷きつめる(広島風の特徴はまず生地をクレープ状に焼いてからその上に肉やキャベツを載せるところにある)。これほど贅沢なお好み焼きはちょっと外では食べられまい。途中で一度ひっくり返すのだが、その直後のしばしの時間が私に許された食事時間である。1枚目(豚肉)を食べる。う、うまい。しかしゆっくり味わっている暇はない。2枚目(牛肉)を全員に切り分けなくてはならない。そして3枚目を焼き始める。むきエビと舞茸。同時並行で鉄板の空いた場所を使って牛肉と豚肉を砂糖醤油で焼いて、熱々を食べる。お好み焼きはおたふくソースとマヨネーズ味一辺倒なので、口直しの意味がある。4枚目は、これで最後ということで、変わり種の豚肉とキムチ。ああ、喰った、喰った。みんなお腹一杯である。鉄板は熱いうちに汚れを拭いて片付ける。デザートは葡萄。一服してから、風呂に入る。

7月24日(月) 雨

2006-07-25 02:04:21 | Weblog
  午前9時半に予約してある歯科に行って歯石の除去をしてもらう。偶然、妻も同じ時間帯に予約をしていて、やはり歯石の除去をしていた。妻は今日一回で歯石の除去が済んだが、私は右上の奥歯だけしか終わらなかった。数回に分けて行いますとのこと。どうも歯石の溜まり具合に決定的な差があるらしい。それと、歯石とは別に、レントゲン写真を見ながら医師から指摘されたことだが、歯茎の中に金属片が1つあるとのこと。実は同じ指摘をずっと昔、30歳代の頃にも別の歯科で受けたことがあるのだ。なんでしょうね、こころあたりはありますか、と聞かれたので、「実は、散弾銃で撃たれたことがあって、その破片が残っているのだと思います」と答えたというのは嘘で、「さあ、わかりません」と答えると、医師が言うには、小さい頃に歯に金属を詰める治療をして、しかしその歯は抜けずに歯茎の中に埋没してしまって、歯の部分は長年の間に溶けて吸収され、金属の部分だけが残ったのではないか、とのことだった。う~ん、85へぇ。
  早稲田祭2006の関連企画「サイエンスカフェ」の世話役のKさんからメールが来て、7月29日、30日のオープンキャンパスの期間に「早稲田リンクス」が早稲田周辺の飲食店を借りて受験生との懇談会を企画しているので出演してもらえませんかと行ってきたので、当日は文学部キャンパスで文化構想学部の現代人間論系の出店で受験生の相談を受ける仕事があるので無理ですと断りのメールを返したら、再びメールが来て、実は、夏休みにキャンプを企画しているのですが参加していただけませんか、先生の身体には最大限配慮をいたしますのでと書かれていた。キャンプファイヤーとか、フィールドワーク(?)とかやるらしい。もしかしたら「ぐるぐるナインティナイン」みたいにクワガタ採りなんかもやるのかもしれない。ごめんなさい、学期中はできるだけの協力はいたしますが、夏休み中は原稿書きに没頭したいので、勘弁して下さいと返信する。夏休み突入まであと1週間。梅雨明けとどちらが先だろうか。

7月23日(日) 薄曇り

2006-07-24 13:13:25 | Weblog
  午後、「やぶ久」で遅めの昼食(すき焼きうどん)をとってから、シャノアールに行ったら混雑していたので、ひさしぶりにルノアールに行ってみた。シャノアールで290円のブレンドコーヒーがルノアールでは480円である。その分美味しいかというとそういうことはない。では、この差額分のメリットはどこにあるかというと、(シャノアールに比べてルノアールは)第一に、店内がゆったりしている。椅子も硬い木製のものではなくソファで長居に適している。第二に、コーヒーを飲み終えると日本茶が出てくる。「どうぞごゆっくりなさってくださいね」と言われている感じがする(シャノアールも長居しやすいが、それは放って置かれる結果である)。第三に、店員の立ち居振る舞いに訓練の跡を感じる。つまりプロっぽい。
  「せきしろ」という変わったペンネームの作家がいて、『去年ルノアールで』(マガジンハウス)という本を出している。アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバードで』(1960年)をもじっているのであろうが、倉本聰脚本のTVドラマ『昨日、悲別(かなしべつ)で』(1984年)を思い出す人もいるかもしれない(若い人はどっちも知らないと思われ…黒板純の口調で)。ルノアールに通う日々の中で書かれたエッセー集である。帯に「無気力文学の金字塔」と印刷され、南海キャンディーズの山里亮太が「『シートン動物記』以来久しぶりに僕のこころをワシ掴みにしてくれる本に出会いました」というコメントを寄せている。他にも5人ほどコメントを寄せているが、山ちゃん以外は私の知らない人ばかりである。あとがき「二〇〇五年の終わりに」で、著者はこう書いている。

  「2005年、森夫婦が離婚した。この本の冒頭であれほど仲のよかった二人を、時が引き裂いてしまった。(中略)
   そしてもう一つ大きく変わったこと。それは私が通い詰めていたルノアールの支店が閉店したことだ。
   そこにルノアールがあることは永遠だと思っていた。何か根拠があるわけではないが、私はそう信じていた。閉店した店舗に立ち入り禁止の札を見るまで、私は納得しなかった。
   しかし、時は容赦なく物事を変えていく。それが日常というものだ。
   だが、変わらないものもある。
   今、私はこの原稿をルノアールで書いている。通っていた店舗とは違う店だ。わざわざ電車に乗って、ルノアールへ通っている。
   時の流れに抗うように、私は今日もルノアールにいる。」(203-204頁)

  有限会社花見煎餅が喫茶部門を独立させて日本橋にルノアールの一号店を開店したのは、1964年10月である。東京オリンピックの開幕にタイミングを合わせたのであろう。私が日頃一番よく利用するシャノアールの設立も同じ頃(1965年5月)である。コーヒー一杯分の値段と考えるといささか高い料金を払って、一定の時間と空間を手に入れるというライフスタイル(それは当時の日本人には贅沢な行為に見えたはずだし、だからこそ一種の憧れでもあった)がその頃からサラリーマンやOL(当時はBGと言ったっけ)に浸透し始めたのである。高度経済成長がもたらした「豊かな生活」の断片である。
  時は流れ、いま、ルノアールにはレトロな雰囲気が漂っている。スターバッスやエクセルシオールに代表される新興勢力に完全に主流の座を奪われてしまった。いつだったか、大学の卒業生と蒲田駅で待ち合わせたときに、スタバがあることにびっくりしていたが、蒲田だってスタバくらいはあるのである。しかし私はまだ一度も蒲田のスタバに入ったことはない。一言で言うと、スタバ(タイプの喫茶店)というのは、一見お洒落に見えるかも知れないが、私からすると「貧乏くさい」のである。第一に、椅子が硬くテーブル(個人空間)が狭い。ルノアールのテーブルは基本が4人客用で、たとえ1人客であっても遠慮することなくそこを占有することができる。椅子の座面も低いのでゆったり感がある。こぢんまりしているのはよいが、ちまちましているのはいやである。第二に、セルフサービスである。もちろんルノアールでは(これはシャノアールも同じ)店員が席まで注文を取りに来て、注文したものを運んでくる。新興勢力はこの分の人件費をカットするためにセルフサービスにしているわけだが、手ぶらで店に入るときはまだしも(しかしそういうときはまずない)、片手に荷物を持ちながら、片手でコーヒーとお冷やの載ったトレーを持って座るべき席をさがしてウロウロするというのは、危なっかしいし、見た目にも難民キャンプを彷彿とさせる(私だけか?)。とにかく「セルフサービス」(それってサービスじゃないだろ!)は貧乏くさいのである。貧乏はしかたないとして、貧乏くさいのはいやである。夜、NHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~」(25日の深夜に再放送する)を観て、改めてそう思った。そこに登場した人々は貧乏だが、貧乏くさくはなかった。

          
                 たそがれのルノアール

7月22日(土) 曇り

2006-07-23 02:23:27 | Weblog
  目が覚めたら9時半だった。合宿の疲れが残っているのだろう。朝食をとってから、メールを何通か出す。演習の学生たちには「読書のすすめ」について。夏休みの宿題ではなく、あくまでも読書の「すすめ」である。演習はグループ研究を中心に進めているが、観察であれ、実験であれ、アンケート調査であれ、そうやって収集したデータの解釈というのが研究のハイライトであり、このときどれくらい社会学的な概念や理論を援用できるかが勝負である。そうした概念や理論はあれこれの授業と個人的な読書を通して身につけるものであるが、大方の学生は授業の課題をこなすのに精一杯で(サークルやアルバイトに時間とエネルギーを使い果たしてしまっているということもある)、個人的な読書量が不十分である。夏休みはそれを挽回する絶好の機会である。ここで読まなければ一体いつ読むのかという話である。読書は習慣である。時間があろうとなかろうと習慣としての読書を身につけている人間は読書をする。いや、読書をせずにはいられない。一種の病気であり、中毒である。大学、とりわけ文学部はそうした患者の収容施設である。ただし病気や中毒を治すための施設ではなく、それを正統化し権威づける施設である。寺山修司が『書を捨てよ、町に出よう』(芳賀書店)を出したのは1967年だった。その頃の学生たちは誰でも捨てるべき本を手に持っていたのだろう。いまなら「ケータイを捨てよ」と言うようなものだ。アナクロニズムと言われようとも、「読書のすすめ」は文学部の教師の仕事である。演習では、(1)グローバルな水準、(2)現代日本社会の水準、(3)日常生活の水準、という3つの水準で社会学的思考を鍛えることを目標にしている。夏休みの「読書のすすめ」もこの3つの水準に対応する形で3冊の新書を紹介した。

 (1)佐伯啓思『「欲望」と資本主義』(講談社現代新書)
 (2)堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書)
 (3)石井政之『肉体不平等』(平凡社新書)

これに加えて、もう1冊、ものの見方・考え方の技法を説いたものとして、
 
 (4)松岡正剛『知の編集術』(講談社現代新書)あるいは同じ著者の『知の編集工学』(朝日文庫)

4日あれば読めます。

          
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