9時、起床。夕食の残りもので朝食。
母と息子と三人で墓参りに出かける。お寺で妹夫婦と合流。おそらく我家はまめに墓参りに行く方ではないかと思う。春と秋の彼岸。盆と暮れと正月。春のお施餓鬼、秋のお十夜。年に7回だ。その度にお寺にいくばくかの付け届けをする。模範的な檀家である。しかし、義務感から墓参りをしているわけではない。寺の最寄り駅は鶯谷で蒲田からは京浜東北線一本で行け、寺がある下谷界隈は昔の東京の面影が残るよいところである。お寺という空間とそこを流れる時間も好きだし、縁側でご住職の一家の方たちと話をするのも好きである。今日も父の眠る墓の前で、この一年を振り返り、来年も私たち一家を見守ってくださいと手を合わせた。
墓参りをすませ、上野広小路の「今半」で昼食をとる。メニューの中で一番安いすき焼弁当(1500円)を注文。昨日、「吉野家」の牛丼(並)を食べたばかりであるが、すき焼は好物なので問題なし(ただし「吉野家」→「今半」という順序であることが肝心)。すき焼弁当といっても、仕出し用の箱に入ったお弁当ではなく、ちゃんとあたたかいすき焼が運ばれてくる。ご飯のお替りは無料で、私は二回お替りをした。最後に肉汁のたっぷり入った卵かけご飯で〆るのが中居さんも勧める「ああ、美味しかった」の食べ方である。決してお行儀が悪いなんて考えて躊躇することなかれ。私はもしかしたらすき焼そのものよりも、この最後の卵かけご飯が食べたくてすき焼弁当を注文しているのかもしれない。
「うさぎや」でお土産にどらやき、うさぎまんじゅう、喜作最中を購入。お土産とは別にバラでどらやきを2つ購入し、店を出て、その場で食べる(みんなにも分けてあげる)。これもまた行儀が悪いと考えて躊躇することなかれ。作りたての暖かいどら焼きほど美味しいものはないのである。同じ「うさぎや」でも、日本橋の「うさぎや」のどらやきと違って、二枚のどらやきの縁が貝のようにぴったり合わさって閉じているのが見た目の特徴である。味の方は甲乙付け難く、好みの問題と思う。
母と妹の買物に付き合ってから、御徒町の駅から電車に乗って、帰る。