新竹県の竹東からクネクネとした山道を走ること40~50分。ワインディングの運転に飽きてきたころ、ようやく山奥の仙境である清泉温泉に到着しました。ここへ至るまでは見通しが悪く険しい地形の連続だったのですが、標識に従っていままで来た道を左へ逸れて清泉地区に入った途端、すり鉢状に凹んで開けた地形が目の前に広がったので、あまりに急な展開にビックリしてハンドルを切り損ねそうになりました。
盆地地形の中央には一筋の川が流れており、竹東から伸びている道や駐車場は川の左岸に位置しているのですが、目的地である温泉は川の右岸にありますので、駐車場に車を止めて吊り橋で対岸へ渡ります。山奥だというのに広いスペースが確保されている駐車場には意表を突かれました。
原住民を象った大きな石像が吊り橋のワイヤーを引っ張っているように見えますが、よく見るとワイヤーはアンカーレイジに直結しており、石像の手には少しも掠っていません。仕事しているフリをして、サボっているのかな。
橋を渡っていると対岸からは子どもたちの溌剌とした声が響いていたのですが、それもそのはず、橋のすぐ傍には小学校があり、校庭では生徒達が元気いっぱいに遊んでいました。日本でこんな山奥にある学校あらば、生徒数は数人足らずというところが殆どでしょうけれど、こちらの国民小学には過疎という概念を忘れさせてくれるほど多くの生徒が通っているようでした。
橋を挟んで小学校の反対側が温泉です。こちらでは日帰り入浴とお食事の利用ができますが宿泊営業は行なっていないようです。一方、当地には民宿も数軒営業していますが、どこも温泉は引いておらず、温泉に入れるのはこの施設のみなんだそうです。入口には小さな扁額が提げられているものの、全体としては草臥れた雰囲気を漂わせており、どことなく鄙びた感じがします。
受付に座る原住民の女性に料金を支払って奥へ進みます。お風呂は貸切風呂(550元)と大浴場(大衆池・150元)のいずれかを選べるのですが、大きなお風呂でノビノビしたかった私は後者を選択しました。なお館内では食事も可能なんだそうですよ。
館内の壁には原住民の分布図と共に、民族衣装のかわいらしいイラストが描かれていました。
通路の壁に掲示されている張り紙には豆知識(小常識)として、当地は日本統治時代に「井上温泉」と呼ばれており、その当時は警察が利用していたことが説明されています。なお、その隣のイラストで案内されているように、大浴場を利用の際は水着と水泳帽の着用が求められます。
入浴ゾーン入口で構えるレセプションを左に曲がると貸切風呂、右手に進むと大衆池(大浴場)です。今回は大浴場を利用するので右へ進みます。靴を脱いで一歩入るとすぐにスパゾーンが広がっていました。
男女別のシャワー室に入って水着に着替えます。シャワーはお湯の出がいまいちで、バルブを開けて1分以上経ったところで、ようやく温かいお湯が出てきましたが、勢いは弱いままでした。シャワーから出てくるお湯はおそらく源泉だと思われます。
各浴槽は食堂やロビーの階下に設けられており、川に面して岩風呂風の大きな浴槽が据えられています(それと並んでいる小さな槽は水風呂です)。岩組みの湯口からお湯が大量に注がれており、プールサイドからドバドバ排湯されていました。デジタル温度計によれば湯加減は39℃とのことで、実際にいつまでも浸かっていられる心地良い温度でした。台湾ではおなじみの沖撃浴(打たせ湯)もありますよ。いずれも一応は露天風呂であり、川を望む爽快なロケーションなのですが、完全に建物に内包されており、天井は低く、しかも鋼材の柱や天井材が剥き出しなので、昭和後期に建てられたマンションのガレージみたいな薄暗さや圧迫感がせっかくの開放感を台無しにしているような気がしてなりません。
上述の圧迫感のあるスパの隣には日本庭園のような空間にもあり、半分ほどを東屋で屋根掛けされた岩風呂も設けられていました。こちらは日本の和風旅館の露天風呂を意識したような造りとなっており、浴槽の傍らには「清泉温泉」と篆刻された石碑も立てられています。
この岩風呂は約5人サイズで、石組みの湯口から源泉が注がれており、40~41℃という日本人好みの湯加減になっています。こちらでも同様に川を目の前に眺めて湯浴みできますが、開放感ははるかに勝っていたため、今回の利用において私はこちらのお風呂ばかりに入っていました。周囲のテラスにはデッキチェアーが置かれ、先客の夫婦がお茶を持ち込んでのんびり寛いでいらっしゃいました。台湾の温泉施設にありがちなBGMは流れていないので、余計な音楽に邪魔されること無く清流のせせらぎと小鳥の囀りを耳にすることができます。
肝心のお湯に関してですが、見た目はほぼ無色透明無味無臭に近いのですが、よく見ると細かく千切れた膜のような浮遊物が無数に舞っているため僅かに黄色っぽく濁って見え、また鼻や舌に神経を集中させると砂消しゴムのような匂いや味、重曹味、そして石灰感が得られるようでした。しかしながら浴感にはあまり特徴が無く、シャキっとした鮮度感も弱かったため、こうした体感から推測するに、しっかりとした量のお湯を切り欠けより溢れ出させていたものの、ある程度の循環や加水などは行われているように思われます。
今回は川風で涼みながら開放感を楽しみたかったので大浴場を利用したのですが、貸切風呂でしたら利用の都度お湯を張り替えますから、開放感などは期待出来ませんが、もしかしたらお湯の質は大浴場よりはるかに良いかもしれませんね。
お風呂から上がるとちょうどお昼時でしたので、吊り橋で駐車場側に戻り、河原の広場にお店を開いていた屋台でランチをとることに。グリルの上では青竹の筒が焼かれていますが、これは竹筒飯といって、中にお米が詰まっています。
人参菜という青物の炒め物、猪肉と苦瓜のスープ、そして上の画像にある竹筒飯を注文しました。いずれもとっても美味でしたよ。葉物が多いのですが、普段私は野菜不足の食生活を送っているので、寧ろこのぐらい葉物を充実させた方が自分の体のために良かったのでした。おかげでしばらくは腸が絶好調でした。
竹東駅より新竹客運バスの清泉行き(5630番)で終点下車
新竹県五峰郷桃山村清泉254-1 地図
03-585-6037
ホームページ
9:00~18:00(休日は~22:00)
150元
ロッカー(20元有料)・ドライヤーあり
私の好み:★★
●(おまけ)張学良故居
清泉の駐車場が広く整備されているのは、温泉などの利用客を見込んでいる他、吊り橋のすぐそば、駐車場の一角に建つ「張学良故居」への訪問客のためでもあるのです。1945年の日本敗戦後に中国では国共内戦が起こり、その結果として国民党は台湾へ逃れてきますが、同じタイミングで張学良も台湾へ移され、以後彼は1980年代後半まで軟禁状態におかれます。この清泉温泉は張学良が長年に渡って幽閉されていた土地であり、その当時の住まいが「張学良故居」なのであります。元々は橋の北側に建てられていたのですが、以前に当地を襲った台風による土石流のため、当時の写真をもとにして今の位置に再建(再現)され、西安事件の72年目にあたる2008年12月12日に記念館としてオープンしたんだそうです。なお開館時間は9:00~17:00で無料です。
再現とはいえ元々は日本建築(台湾総督府勤行報国青年隊新竹訓練所)だったので、廊下を歩いていると日本に戻ったかのような錯覚に陥りました。台湾の方が日本の伝統建築を再現しようとすると、木材の違いやニスの塗りすぎなどによって、色の濃淡差がはっきりしすぎてしまったり妙にテカテカしちゃったりと、日本人からすると違和感を覚えざるを得ない点がしばしば見受けられますが、こちらではそのような違和感は最低限に抑えられていました。障子の代わりにスリガラスが使われているのは管理上仕方ないところでしょう。
畳敷きの居間には小さなテーブル、そして椅子に腰掛けながら読書する張学良の像が置かれており、往事の姿が再現されていました。テーブルの上には本人が愛用していたカメラやラジオが並べられています。こんな山奥に幽閉されてから蒋介石が死去して行動の自由が許されるまで、この部屋でじっと耐えていたんですね。
張学良と蒋介石の関係を語る上で欠かせないのが西安事件ですね。館内にはそれについての説明パネルが掲示されており、事件の概要や経過が解説されているのですが、文章とともに載せられている当時の写真の一枚に、不敵な笑みを浮かべている宋美齢(蒋介石夫人)が写っており、それを見つけた私は軽く身震いしてしまいました。
また張学良が1937年以降に幽閉された場所を示した大きな地図も興味深く、これによれば彼は西安事件を理由に逮捕された後に特赦を受けたものの、自由な身にはなれず延々と軟禁状態におかれ続けるわけですが、単に幽閉されるだけではなく、浙江省を起点にして安徽省・湖南省・貴州省・四川省と、台湾に移されるまでは中国各地を転々とさせられていたことが図説されていました。
張学良の歴史を知ることは、単に中国近現代史のひとつの側面を追うのみならず、当然ながら日本の歴史を振り返ることにもつながります。日本統治時代には「井上温泉」と称されていた当地で、中国や日本の権力者たちに翻弄され続けた一人の男の人生を学んだひと時は、今を生きる日本人として意義深いものがありました。