温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

羅東森林鉄道・土場駅跡の保存車両

2013年04月29日 | 台湾
※今回の記事に温泉は登場しませんのであしからず

前回取り上げた「鳩之澤温泉」へ向かう途中の土場地区には広い路側帯があり、そこには小さな鉄道車両や駅舎の跡が保存されていました。鉄ちゃんの血が少なからず流れている私としては、これらを見過ごすわけにはいきません。車をとめてちょっと見学してみることにしました(地図

 
屋根に「土場車站」と掲げられている木造の駅舎(復元)前には、アスファルト舗装されたヤード跡が広がっていました。ここにはかつて幾条もの線路が伸びていたのでしょう。
鳩之澤温泉を擁する自然の宝庫太平山はかつて林業が非常に盛んであり、このエリアから切り出される木材を沿岸部へ運搬するため、日本統治時代にナローゲージの森林鉄道が敷設されました。敗戦により日本が台湾から撤退した後は台湾政府の林務局がこれらの鉄道を所轄し、引き続き運営を続けてきました。太平山エリアにはいくつもの路線があったようですが、特にここ土場から台鉄の羅東駅を結ぶ区間は「羅東森林鉄道」と呼ばれており、1921年に既設の発電所建設用軌道を買収の上で他区間の着工を開始、1924年に全線が開通し、1926年からは旅客営業も行うようになったんだそうです。


 
ラッチの脇には「林鉄土場車站歴史展示館」という表札が掛かっていますが、残念ながら扉は施錠されていたため中に入ることはできませんでした。ガラス越しに中を覗いてみると、館内には出札窓口と思しき構造物があり、その上には当時の写真が掲示されていましたが、歴史館と称するする割にはガランとしていて展示物が少なすぎる気がします。また本格的な開業には及んでいないのかな。
この森林鉄道は地域の重要な物流手段として長年に及び活躍してきたのですが、1977年に発生した台風の影響により一部区間が不通となり、その後は旅客数も減少していったため、1979年に廃止されてしまいました。


 
道路を挟んだ反対側には「羅東森林鉄道」を疾走した車両たちが静態保存されていました。
小さな蒸気機関車の後ろには可愛らしい客車と木材を積んだ貨車が連結されているのですが、SLの蒸気溜めには、何と日本車両製造株式会社(以下日車)のロゴが燦然と輝いているではありませんか! 最近では台鉄の最新型「普悠瑪列車」が日車の豊川工場で製造されていますが、以前から日車の車両が台湾で活躍していたんですね。



SL前に設置された説明プレートによると、この15トンのSLは15両連結の貨車で70立米の木材を牽引することができたんだそうです。


 
SLの後ろに並んでいるのは青い車体のディーゼルカーでして、1971年にレジャー需要を見込んだ旅客輸送を目的として、日本から輸入されたものなんだそうです。SLより軽快に走るこのディーゼルカーは「中華号特快車」と命名され、列車専任のアテンダントも乗務していたんだとか。
しかし上述のように1979年に路線が廃止されてしまうと、この車両は同じく林務局が運営している台湾きっての観光名所「阿里山森林鉄道」へ活躍の場を移し、1990年頃に現役を引退した後、2006年にこの場へ戻ってきたんだそうです。
ディーゼルカーは背中合わせで2両ペアの編成となっており、SL側はDPC2という型式です。側面窓下には「羅東往開(羅東行)」のサボが掲げられていました。


 
こちらは反対側の車両で型式はDPC1。DPC2の正面屋根周りが角張っていて切妻的な構造をしているのに対し、こちらは丸みを帯びていていかにも鉄道車両の正面らしい形状になっています。この顔、どこかで見たことあるなぁ…と記憶を辿っていったら、北陸鉄道の「しらさぎ」新潟交通モハ10形などとに似ていることに気づきました。いずれも「中華号」ディーゼルカーとともに日車で製造されているんですね。似ていて当然なはずです。
またこの車両は正面下半分を占める大きなラジエーターが特徴的ですね。2面並んだの網目のうち片方(上画像の車両ですと右側)には円筒形の物が接続されているので、これはおそらく冷却ファンなのでしょう。



DPC2と同じく「羅東往開」のサボが掲示されており、その下には車体からはみ出さんばかりに大きな躯体のエンジンがぶら下がっていました。


 
SLと同じくこのディーゼルカーも日車で製造されたものなんですね。台車枠には日車のロゴがはっきりと浮かび上がっていました。この台車がロッド式である点もなかなか興味深いところです。ディーゼルカーでロッド駆動はあまりお目にかかれませんし、日本でも(SL以外の)現役車両ですと津軽鉄道でストーブ列車を引っ張っているDD35型機関車くらいしか思い当たりませんが、ナローゲージという特殊事情や当時の変速機の技術などの理由により、1台車で2軸駆動を行おうとするとロッド式を採用する他なかったのでしょうね。


森林鉄道が全盛期だったころはこの土場駅から先にもトロッコ用の線路が伸びており、太平山で伐採された木材の搬出のために活躍していたのですが、「羅東森林鉄道」廃止後も太平山の山中には一部の鉄軌道が残されており、近年になって太平山~茂興間が観光鉄道として復活して、ディーゼル機関車がトロッコを引いて走っているんだそうです。事前にそのことを知ってれば私も体験乗車していたのですが、残念ながら知ったのは帰国後でしたので、現在のトロッコに関する画像は一枚もご紹介できません。

台湾の鉄道に関して詳しく取り上げている「くろがねのみち」というブログによれば、宜蘭県政府が「羅東森林鉄道」の復活を計画しているんだそうです。
 ・「くろがねのみち」宜蘭県政府が羅東森林鉄道復活を計画
復活といってもかつての線路敷は道路に姿を変えていますし、今更改めて鉄道を敷設するとなれば莫大な費用がかかりますから、実現までにはかなり高いハードルがたちはだかっているかと思いますが、宜蘭県政府がどのようにして計画を実践させてゆこうとしているのか、ちょっと楽しみです。温泉めぐりという観点で言えば、旧森林鉄道沿線の宜蘭県内陸部には魅力的な温泉が点在しているにもかかわらず、公共交通が極めて貧相であるため、路線バスなどでアクセスしにくく、旅行者が当地で温泉めぐりをするならば今回の私のようにレンタカーを手配するか、あるいは宜蘭などからタクシーをチャーターする他ありません。台糖が各地で復活されているトロッコ列車「五分車」はそれぞれで人気を博しているようですから(拙ブログの記事「烏樹林」「新営」「橋頭」などをご参照あれ)、当地でも鉄道が復活したら利便性が高まるのみならず、当地の大きな観光の目玉にもなりうるでしょうね。

コメント
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