宮城県の鳴子から北上するとやがて鬼首温泉郷に辿りつきますが、ここからさらに山奥へ入るとガレが広がる噴煙地帯、いわゆる地獄が点在しています。これらのなかで最も大きな片山地獄は全域が地熱発電所の敷地になっていて立ち入ることが禁じられていますが、その東に位置する荒湯地獄は観光地として一般にも開かれています。
しかし冬期は鬼首から水神峠を経て荒湯地獄に至る鬼首山麓高原道路が封鎖されてしまうために、そう易々と行くことができません。私が訪れた3月中旬は、東京でこそ春の息吹きが芽生え始めているものの、東北ではまだまだ冬の真っ只中、鬼首山麓高原道路も封鎖されたままだったので、道路入り口のバリケードを目の前にして荒湯地獄へ行くことを諦めかけていました。しかし地図をよく見ると、鬼首の南にある神滝温泉付近から一本の道が荒湯地獄に程近い国見峠付近へ向かって伸びてることに気づいたので、一か八か、この道を走ってみることにしました。
国道を曲がってその林道に入るとたちまちダートになり、ドライバー泣かせの羊腸の小径が延々と続きます。あっという間に元の色がわからなくなるほど車体は泥だらけ。しかし穴ぼこの多い悪路ではあるものの雪はほとんどなく、途中バリケードが設置されているでもなく、しばらく走るうちに無事国見峠の手前、県道249号線との合流点まで到達することができました。ここまで来れば後は楽勝。発電所へのアクセス路だけあってその合流点からは舗装されており、俄然運転が楽になります。すぐに荒湯地獄へ辿り着きました。視界の前方には噴煙を上げるガレが広がっています。
地獄の前で行く手を阻む雪原
しかし世の中そう甘くはない。冬季は誰も訪れない荒湯地獄は一面雪野原。春が近づき量は減っているものの、道路から噴煙地帯までの100~200メートルほどの隔たりには膝下まで隠れる積雪があります。誰かが足を踏み入れた形跡はなく、ただひたすら厚い雪が地面を覆い、私の行く手を阻んでいるのです。せっかくここまで来たのに引き返すのは悔やまれる。人は困難に立ち向かう程、それを克服したくなるものです。嫌と言われるほど好意を寄せたくなるのが男の性というものです。どうせガレに近づけば地熱で雪は融けているはずだ、そこへ辿り着くまでの我慢だと言い聞かせ、スニーカーにジーンズという東京での普段着のまま、雪原に侵入。靴の中に雪が入って難渋しながら、あたかも雪上を跳ねるウサギのようにぴょんぴょんジャンプして距離をかせぎ、遂にガレ地帯へ到達。草木が一本も生えない荒涼とした景色の中、硫黄の匂いが辺り一面に漂い、至る所に硫黄が結晶した黄色い塊が見え、ふつふつと音を立てながら熱湯が湧き出して湯の沢をつくりだしていました。
音をたてて煮えたぎる熱湯
噴出口で析出して黄色く結晶化した硫黄
さてここへ来た目的はこうした地熱の力が露わとなっている景色を見ることではなく、あくまで温泉に入ること。幾条もの小さな湯の沢が集まってひとつの川をつくり谷底へと落ちてゆくのですが、その途中で先人がこさえた湯溜があるという情報を仕入れていたので、それを探すべく緩やかなV字谷に沿って川を下ってゆくと、滝のように川が落ちてゆくところでいくつかの湯溜を見つけました。ガレの石を詰めた土嚢を積んで作られた湯溜まりで、なかなかしっかりとしています。浴槽の底からは塩ビのパイプも突き出ており、パイプを塞ぐ土嚢を退かすことによって湯量を調節できるようになっていて、なかなか本格的です。ここからさらに滝を下ると、小さな湯溜がいくつかあり、そこでも入浴できそうでした。どの湯溜に入るか迷いましたが、最も上流寄りの湯溜は熱すぎて入れず、滝下の湯溜群は適温であるものの入浴するにはちょっと小さかったので、湯船大きさや湯温から判断して、上流から2つ目の湯溜まりに入ることにしました。
このV字谷に沿って川下へ移動
川が滝になって流れ落ちる途中や、落ち切った下に湯溜があります
沢を流れるお湯は無色透明ですが、それが溜まると細かい泥が対流するためか緑白色に濁り、黄白い湯花がたくさん舞っています。やや熱めで長湯することはできませんが、酸性硫黄泉ならではの体にガツンとくる力強さと包み込むような優しさを兼ね備えたお湯で、湯面からはふわっと明礬の匂いが漂い、口に含むと酸っぱさが際立ちます(苦みや渋みはあまり感じられず酸味だけが強く印象に残りました)。強い酸性ですから、お湯の付いた手で目をこすると沁みて痛いのでご注意を。
大空の下で雄大な自然に囲まれて、湯の沢が流れ落ちる飛沫の音を耳にしながら、誰にも邪魔されず地中から湧いたばかりのお湯に浸かると、この上ない爽快感が得られます。とりわけ今回は苦労して辿り着いたので感慨もひとしおです。上述のようにいくつも湯溜があるので、いろんな湯溜を渡り歩いて自分の好みを見つけてみるのも面白いでしょう。私も誰もいないのをいいことに、全裸のまま沢をウロチョロして、いくつもの湯船を楽しみました。冬季以外は比較的容易に到達することができるので、野湯初心者でも気軽にワイルドな温泉を楽しむことができるでしょう。
ただし、一帯は人を死に至らしめる硫化水素ガス発生地帯であり、気流の状態によっては有毒ガス濃度が高まって人体に危険を及ぼす可能性があります。また熊の目撃情報もあります。噴煙地帯では足元によく注意しないと高熱箇所に足を踏み入れ火傷を負う危険性もあります。安全面については自己責任で、くれぐれも気をつけて楽しんでください。
それにしても、必死になって行きたがるのは地獄ではなく極楽であるのが普通ですが、車を泥だらけにし、全身雪にまみれてまでして地獄を目指すなんて、私はちょっと尋常な精神ではないですね。
私が入ったのは写真中央の湯溜(手前は熱すぎて入れず)
滝の下にはこんな湯溜もいくつかあって適温でした
酸性硫黄泉
宮城県大崎市鳴子温泉鬼首
地図
野湯につき24時間・無料ですが、全てにおいて自己責任で。
私の好み:★★★