文化逍遥。

良質な文化の紹介。

古代ギリシャ展―於「国立西洋美術館」

2011年08月19日 | アート・文化
 昨日8/18は仕事が午前中で終わったので、午後から上野の国立西洋美術館で行われている『大英博物館―古代ギリシャ展』に行ってきた。この日、東京都心の最高気温は36.1度。体温とほぼ同じ気温の中では樹陰に居ても汗が滴り落ちてくる。いやー、すごい暑さでした。しかし、そのせいか思ったより展覧会場の人は少なめで、入場制限もなく落ち着いて観ることが出来た。

Greece

 展示は、おもに紀元前の壺や大理石の彫像など。とにかく、ものすごい技術力。日本でいえば、縄文後期から弥生時代の初期の頃にこんな作品が生み出されていたなんて驚く他は無い。西洋文明の源泉と言われるのも納得できる。それほどに、完成度の高い作品ばかりだ。同時に、ある種の危うさも感じた。完璧なものは、時と共に崩れ落ちてゆくのが定めだ。
ギリシャの完成された作品群の中にいて、中国の史記にある話を何の脈絡もなしに思いだした。
土で作られた人形と木彫りの人形の対話。
木彫りの人形が土の人形に言う
「おまえなんか雨が降れば、くずれて泥になり大地に溶け込んでしまうぞ。」
土の人形が言い返す
「おう、おれはもともと土から生まれたんだ、くずれれば生まれた所に帰るだけだ。おまえなんか、雨が降ればどこまで流されて止まるのか、それさえもわからないぞ。」
これは、孟嘗君が秦に行こうとした時に客が諌めたときの話だが、木彫りの人形を高度な道具あるは技術と読み替えてみることも出来るだろう。
不完全なものは、ある意味で柔軟性と再生しやすいという利点がある。未完成の魅力と言ってもいい。完成度の高いものほど実用からは遠く、流されやすい。何事もほどほどがいい。ただし、どこで程を区切るのかは簡単ではない。

 それにしても、ギリシャの国宝とも言えるこれらの多くの作品(一部はイタリアの作品)は、どのように流れて大英博物館に行き着いたのだろうか。


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