文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚ーブルース167 Frank Floyd

2024年12月17日 | わたしのレコード棚
 フランク・フロイド(Frank Floyd)は、1908年10月11日にミシシッピー州Toccopola生まれの、白人ブルースマン。亡くなったのは、1984年8月7日オハイオ州Blanchesterだった。

 一般的な認識として、ブルースは、奴隷として連れてこられた黒人達がアフリカ起源の音楽を基にアメリカで生まれたたもの、ということだろう。が、ごく初期に録音されたブルースを聴くと、マウンテンミュージックと言われるようなアイルランド移民が持ち込んだ音楽にかなり近いものを感じる。わたし個人としては、アフリカ起源の音楽とアイルランド起源の音楽が相互に影響し合って生まれた、と認識している。その後枝分かれし、一方はブルースに、もう一方はジミー・ロジャースを代表とするヒルビリーと呼ばれるような音楽になりカントリーソングやフォークソングになってゆく。
 ブルース好きな人と話していると、時にカントリー音楽を揶揄する人もいる。が、個人的には認識の誤りを感じるし、歴史的な録音を聴いていないな、とも感じる。ルイジアナ出身の黒人ブルースマン、ヒューディー・レッドベターなどは、「Goodnight Irene」の様なマウンテンミュージックに近いレパートリーを持っていた人だったのだ。


 Memphis International RecordsというレーベルのCD『The Missing Link』DOT0201。この人は、別名「ハーモニカ・フランク Harmonica Frank」とも呼ばれ、ヴォーカル・ギターだけでなくハーモニカ演奏にも長けた人だった。

 今の感覚からいうと、ブルースよりも民衆の音楽という意味でのフォーク・ソングに近く、ウッディ・ガスリーを彷彿とさせる曲もある。多くは自作曲で、1979年5月頃のメンフィスでのライブやスタジオでの録音を編集して、17曲を収録している。バラッド( ballads)と呼ばれる物語性を持った曲もある。日本民謡の「口説き節(くどきぶし)」にあたるが、現代の音楽に比べて、とても言葉が豊かだなあ、と感じる。
 「ミッシング・リンク Missing Link」というのは聞きなれない言葉だ。少し調べてみたところ、連鎖しているはずの部分が欠如していること、らしく、遺伝学などで使われるらしい。あるいは、音楽の歴史を知る上で当然存在しているはずのものなのに、欠けているかのように知られずに来たミュージシャン、という思いが込められているのかもしれない。「ブルースは黒人のもの」という先入観なしに聴いてみたい録音である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのレコード棚ーブルース166 Robert Cray

2024年12月10日 | わたしのレコード棚
 ロバート・クレイ(Robert Cray)は、1953年8月1日ジョージア州コロンバスに生まれ、生後11ヶ月で軍人だった父親の転勤のため西部ワシントン州タコマへ移住したという。彼の音楽はブルース・ソウルという枠から出て、自由奔放さを感じるが、あるいは西海岸の都市で成長期を過ごしたことに遠因があるのかもしれない。1974年に自己のバンドを結成。アルバート・コリンズのバックなども務めている。今年2024年で71歳ということになるが、すでにブルースの殿堂入りを果たしており、現役の優れたギタリスト・ヴォーカリストである。ギタリストとしての評価が高いので、どうしてもギターのテクニックが注目されがちだが、彼のヴォーカルは音程が安定しており、ファルセットを効果的に使う技術は高く、表現力豊かだ。音楽的な才能に恵まれた人なので、これからも元気に活躍してもらいたい。


 わたしは、ロバート・クレイの演奏を2度聞いている。1度めは、1984年にジョン・リー・フッカー共に来日公演した時で、東京芝の郵便貯金会館だった。この時がクレイの初来日。ブルース界期待の若手だったクレイは31歳で、前座という触れ込みだった。が、下のチケットを見て分かるように、フッカーのバックを務めた「The Coast To Coast Bluesband」との共演、だった。当時、ネームヴァリューがあまりにも違うので、「大物ブルースマン」ジョン・リー・フッカーの陰に隠れたような扱い方をされたのかもしれいが、けっして若手の未熟な演奏ではなく、むしろすでに完成された音楽、に近かった。後に、クレイはフッカーのアルバム『The Healer』(1989年)及び『Mr. Lucky』(1991年)にも参加している。



 2度めは、1987年にエリック・クラプトンと共に来日し、日本武道館での公演だった。この時は、自分のバンドを率いての演奏だったが、ほぼ満員の武道館はほとんどがロックファンで埋め尽くされていたように感じた。先入観というのは恐ろしいもので、偉大なロックミュージシャンの前座くらいにしか思っていない者には、どんなに良い演奏をしても「良い前座」という捉え方しかされなかったようだ。もっとも、それが修行になって、後の演奏活動の肥やしになれば、それはそれで良いのかもしれない。



 2012年にビクターエンタテイメントから出たCDで、VICP75083『Nothing But Love』。タイトルが示すように、全体にソウルに近い洒落た音作りになっている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加曾利貝塚の秋、2024/11/28

2024年12月03日 | 考古・エッセイ
 12月も近い11/28(木)、我が家から自転車で25分程のところにある加曾利貝塚に行ってきた。気温は18度ほどで、自転車でゆっくり走るにはちょうど良い気候。紅葉も多少、風に舞う落ち葉が美しい。


 国の特別史跡に指定されてから、かなり整備されて樹木の手入れなども行き届いているように感じる。発掘調査も再開されて、貴重な石剣なども出ている。千葉市には加曾利貝塚を入れて、国史跡の貝塚が5か所あり、他にも大小合わせて120か所の貝塚が確認されている。考古ファンの中には「貝塚銀座」と呼ぶ人もいると聞く。土偶など貴重な遺物が、千葉市内のあちらこちらに埋まっていることは、ほぼ間違いない。時間がかかっても良いので、保存対策と発掘調査を進めてもらいたい。


 中央奥に、復元された縄文時代の竪穴住居。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする