文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚ーブルース108 Napoleon Strickland

2020年10月29日 | わたしのレコード棚
 ナポレオン・ストゥリックランド(Napoleon Strickland)は、ミシシッピー州のデルタ地方東部コモ(Como)の近くで、生涯農民として暮らし、その中でアフリカから伝承された音楽を続けた人だった。ブルースファンの間では知る人は少なく、ブルース関連の解説書などでも取り上げられることはほとんど無い。が、わたしは、ブルースという音楽を語るうえでは、とても重要なミュージシャンの一人、と考えている。

 生まれは、1919年10月1日。亡くなったのは2001年7月21日だった。ヴォーカルの他、演奏した楽器は多く、ギター、ドラムなどパーカッション、ブルースハープ、ディドリー・ボウ(didley bow=板に針金を1本張っただけの楽器)、そして日本の篠笛に似た横笛のファイフ(fife)など。特に、ファイフは、自分で作ることから演奏までするという技術の持ち主だった。またハーモニカの演奏にも優れ、残されている録音を聴くと、都市へ出てブルース・バンドに入ればプロとして十分に活躍できたのではないか、と感じるほどだ。


 TESTAMENTレーベルのCD5017『Travering Through The Jungle』。ストゥリックランドの1969年から1970年にかけての演奏、5曲を収録。すぐれたギタリストであり研究家でもあるデヴィッド・エヴァンスがフィールド録音したもの。CDのサブタイトルにあるように、ファイフと複数のドラムによる演奏を中心に収められており、ストゥリックランドはヴォーカルとファイフを演奏している。


 VESTAPOLレーベルのヴィデオ『The Land Where The Blues Began』。写真上で、ファイフ&ドラムバンドでファイフを吹いているのがストリックランド。その左の小さい写真はジャック・オーウェンス、下はアラン・ローマックス。
 下の2枚は、このヴィデオからの映像をデジカメで撮影したもの。

 ディドリー・ボウを演奏しているところ。写真でストリックランドは左手にコップを持ち、スライドバーの代わりにしている。この様にスライド奏法で弾くことも多く、右端に見えているビンなどを琴柱(ことじ)のように使い張力を変化させることで音程を調整し、さらにビンに共鳴器の役目もさせる。

 こちらは、ファイフを手作りしているところ。




 上の二枚は、1986年に行われたミシシッピー・ブルース・フェスで、ハミー・ニクソンとハーモニカ合戦をした時の映像。ハミー・ニクソンは、スリーピー・ジョン・エステスと共に来日したこともある優れたハーピストだが、ストリックランドは勝るとも劣らない演奏をしている。

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新車

2020年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 と言っても、自転車の話。ちょっとしたサイクリングなどに使うために、長年ドロップハンドルの自転車を使ってきた。が、かなり前傾姿勢になるので、腰への負担がきつくなり、また視界が狭くなることもあって、安全性の面からも買い換えることにした。



 ブリジストンのCYLVA F24というタイプ。ハンドルのところでギヤを変えられることも、安全性ということではかなり重要に感じる。さて値段は・・というと、本体と、オプションで泥除けと前籠をつけ、さらにサドルを好みのものに換えてもらって、税込み6万円ほど。オプションの部品は純正ではないものを付けてもらったので安くなった。地元の古い自転車屋さんで買ったので、色々と機転をきかせてくれたのだった。全体的な品質から考えると、かなり安い。部品等はほとんどが中国製で、コロナの影響で今年の春には品不足になった、とのことだった。

 約40年ほど使ったドロップハンドルの自転車は、自転車屋さんの方で欲しい人がいたら譲り渡してくれるということだ。幸いに、我が家の近くには大学や高校が多く、学校に自転車部もあり必要としている学生もいるだろう、とのことだった。なにせ40年もたっているので、経年により金属部分の疲労・劣化もあるだろうが、そのあたりは専門家がチェックして、必要ならば部品交換等もアドバイスしてくれるだろう。長年使った道具がゴミにならずに済むのはうれしいことだ。


 こちらが、古い自転車。2018年、こてはし貝塚に行った時に撮影した写真。大切に使ってくれる人のところにいくことを願って・・長年の使用に耐えてくれてありがとう、ご苦労様でした。

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わたしのレコード棚ーブルース107 George "Bullet" Williams

2020年10月22日 | わたしのレコード棚
  前回に続き、すぐれたアラバマのハーモニカ奏者をもう一人。ジョージ ”ブレット” ウィリアムス(George "Bullet" Williams)について書いておこう。彼については、生没年など、詳しいことは分かっていない。今回このブログを書くために、改めてインターネットや自宅にある資料を調べ直してみたのだが、結局、1928年にシカゴで5曲を残したことくらいしか確認できなかった。



  前回と同じくWOLFレーベルのLP、WSE127。写真は、ジェイバード・コールマン。この中にそのシカゴでの録音5曲が入っている。残された音源が少ないので、あまり詳しいことは書けないが、音のコントロールに優れたハーピストだったことは間違いなさそうだ。「トレインもの」と、ブルースファンの間では言っている汽車の音をハーモニカでシュミレートした曲を演奏するハーピストは多い。フォークのウッディ・ガスリーなども味わい深いトレインものを残している。が、わたしの知る限りでは、このジョージ ”ブレット” ウィリアムスのトレインもの「Frisco Leaving Birmingham」がもっとも胸を打つ演奏だ。わずかな音の使い回しまで、非常によくコントロールされ、聴くものを郷愁の世界にまで引き込む完成度がある。もっと多くの録音を残してもらいたかったブルースマンの一人だ。ちなみに、 ”ブレット” ("Bullet)は芸名あるいは愛称だろうが、原義は「弾丸」。弾丸のように音を繰り出す演奏をするからか、あるいは、トレインものを得意としたことから考えると「弾丸列車」を意味するのかもしれない。

 この人について、サミュエル・チャータースの『ブルースの本(小林宏明訳、1980年晶文社刊)』P49に興味深いことが書かれているので、以下に引用しておく。
「ブッカ(・ホワイト)は、1933年にナンシー・バコーニーという女性と結婚し、・・・(中略)妻の叔父もブルースシンガーでジョージ ”ブレット” ウィリアムスといい、1928年にパラマウントでレコーディングしたことのあるアーチストだった。」

 ブルースシンガーとなっているが、おそらく、ここに語られているのはハーピストのジョージ ”ブレット” ウィリアムスのことと考えていいだろう。ただし、残された録音の中にはヴォーカルをとっているものは無いので、多少の疑問は残る。ブッカ・ホワイトは、言うまでもないが、ミシシッピーを代表するブルースマンの一人。録音年や、この本の記述から推測すると、ウィリアムスの生年は1900年前後だろうか。生地は、おそらくはアラバマだったろう。ブッカ・ホワイトはB・B・キングとも縁戚関係にあったという話もあるし、ブルースマン達の親類関係を調べてみると結構面白いし、当時でもかなり広い地域での婚姻などがあったことがうかがえる。

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わたしのレコード棚ーブルース106 Jaybird Coleman

2020年10月19日 | わたしのレコード棚
 ヴォーカルとハーモニカのジェイバード・コールマン(Jaybird Coleman)は、本名バール・コールマン(Burl Coleman)。1896年5月20日にアラバマ州ゲインズビル(Gainesville)で生まれ、1950年6月28日に同州タスケジー(Tuskegee)で亡くなっている。ハーモニカ演奏者としては、もっとも初期に録音し活躍した人である。一音一音を大切にしたハーモニカとヴォーカルが、素朴さと相まって、当時のアラバマのブルースシーンを彷彿とさせてくれる。


 オーストリアのWOLFレーベルのLP、WSE127。写真は、コールマン。


 同LP裏面。

 1927年アラバマ州バーミンガムでの録音8曲と、1930年アトランタでの2曲を収録。コールマン名での録音は、この10曲で全てらしい。他にも、可能性としてコールマンではないか、ということで挙げられている曲が含まれている。それは、Frank Palmesという名で1929年にシカゴで録音された2曲と、1927年にバーミンガムで録音されたBertha Rossという女性ヴォーカルのバックで演奏しているBessemer Blues Pickersというグループの一員としてハーモニカを吹いているのがコールマンではないか、というもの。
 録音を聴くと、力強いヴォーカルとシンプルなハーモニカだ。資料を当たってみると、この人は単にアラバマの限定された地域で演奏活動をしていたわけではなく、南部をかなり広く回っていた「バーミンガム・ミンストレルズ」の一員としても活躍していたらしい。人を集められる技術と音量を持ち、ある意味ヴォードヴィルの要素を併せ持っていたのかもしれない。そんな風に考えて写真を見ると、きちんとネクタイを締めて、旅回りの芸人らしい笑顔を作っているようにも見える。彼の両親はシェアクロッパー(土地に縛られた農夫)だったと言われているので、「土地」の拘束から逃れるために何でもこなそうとしたのかもしれない。
 上のLP裏面の解説や、複数の資料が指摘しているが、ジェイバード・コールマンはKKK(クー・クラックス・クラン)にも受けが良く、そこでもかなり稼いでいたともいう。KKKというと、白人至上主義の団体で、黒人を排斥して時にリンチするような人達という印象が強いが、日本に紹介されているようなものと実態が異なるのか、一口にKKKと言っても地域により性格が異なるのか。あるいは、公民権運動以前のKKKは、団体そのものの性格も違っていたのかもしれない。さらに、考えたく無いことだが、コールマンの芸の中には白人を喜ばせるものがあったのか。呪縛から逃れるためならそのくらいのことはやるのが芸人のしたたかさだ。今となっては、本当のところは誰にもわからない。

 ジェイバード・コールマンの人気は1940年代初めころには衰え、ブルースシーンから消えてゆく。彼は、1950年に癌で亡くなったという。

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2020年アメリカ映画『オン・ザ・ロック』

2020年10月15日 | 映画
 10/12(月)、千葉劇場にて。監督・脚本は、ソフィア・コッポラ。原題は、『On The Rocks』。





 ニューヨークに暮らすローラ(ラシダ・ジョーンズ)は、ライターであり、妻であり、二人の幼い娘の母でもある。その周辺で起こる些細な出来事を、ユーモアを織り込んで時に風刺を混ぜてコメディー調に描いた約90分の小品。
 この作品、意図してか否かは分からないが、ニューヨークで暮らすアッパーミドル(中流階級の上位層)の生活とそこから生ずる精神的不安が表現されている。ローラの夫ディーン(マーロン・ウェイアンズ)は黒人で且つ有能なビジネスマン、父フェリックス(ビル・マーレイ)は裕福な絵画商で運転手付きの高級車に乗り高級クラブで食事をとっているプレイボーイ。忙しい夫に疑念を持ち、母を捨てた父と共に夫の行動を追いかけ、メキシコにまで行くことになる。が、夫の浮気相手と思っていたフィオナは、同性愛者で夫はすでに帰宅の途についていたのだった。

 ここに描かれているアメリカは、近年の報道に観られる「分断」とは遠く、生活に困っているような者は現れず、最後は高級時計を夫から誕生日プレゼントされ、ハッピーエンド。多くの登場人物が話す英語は、スラングなどはほぼ無く、きれいな発音だった。監督のソフィア・コッポラは、フランシス・フォード・コッポラの娘でニューヨーク生まれ、デザイナーでもあるという。自分が生まれ育った町への愛着もあるのか、ニューヨークという町が美しく映し出されている。逆に言えば、汚いところは映っていない。これも、アメリカという多様な国の一面なのかもしれない、と感じた。。

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抗体検査キット

2020年10月12日 | 健康・病気
 8月中旬から咽頭痛(のどの痛み)があり、かかりつけ医に電話で相談したところ、発熱や味覚障害が無ければPCR検査の対象外、ということで抗炎症剤と抗生剤が出た。しかし、新型コロナウィルスに感染している可能性もゼロではなく、他人に感染させたくないので、この二ヵ月ほどは念の為「自己隔離」していた。戸建に一人暮らしなので、外出は必要最低限、というわけだ。セッションにも参加できず、予約してあった歯科のクリーニングもキャンセル、友人に会うことも出来ない。まあ、地元で映画を観たりするのは飛沫を飛ばすわけではないので、マスクをして、端の方でなるべくソーシャル・ディスタンスをとって静かに観賞したりはした。それでも、けっこう不便でストレスもたまる。

 なので、検査をして、感染の有無ををハッキリさせたい・・と思い、色々とネットで調べてみた。自費でのPCR検査になると安いところでも2万円くらいだ。近頃は、宅配便を使っての検査で15000円(税別)というところもある。それでも、高い。さらに調べてゆくと、自分で出来る「新型コロナウィルス抗体検査キット」というものが、送料・税込みで3630円で入手できることが分かったので、購入することにした。

 あくまで簡易的に検査するキットで、医療者が感染の有無を確認して保証してくれるものではない。これで、陽性反応が出たら保健所等に連絡する必要がある、と注意書きにもある。



 要するに、指に針を刺して採血し、それをサンプル穴に落として希釈液を加えて反応を見る、というもの。ピンク色のものが特殊な針。



 陽性反応が出た場合は、線が2~3本出てくる。


 これが、わたしの結果。もっと薄いと思ったが、けっこうハッキリ線が出る。IgM抗体・IgG抗体、共に陰性。これで安心、という訳ではないが、活動範囲を戻す指針にはなる。特に、歯科や耳鼻科の受診に行けるので、多少は安心。しかし、引き続き感染防止に留意して行動していくことにしよう。
 それにしても懸念のある人には、もっと安く、あるいは無料で、確実に検査できる体制を整える必要がある、と感じる。特に、医療・福祉に携わる人達は、こまめに検査して早期に発見し、感染の拡大を止めることが肝要だ。報道によると、ソフトバンクが各ショップで2000円ほどでPCR検査を出来るようにする、とも聞く。無いよりは良いが、これも医療機関が陰性を保証するものではない。

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千葉競輪ドーム、2020/10

2020年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム
 さすがに、10月に入って朝晩はだいぶ気温が下がるようになってきた。エアコンを入れずに就眠できるので、ほっと一安心、といったところ。ここ数日は、台風14号の影響で雨模様。北からの冷たい風も入って気温もさらに低め。



 我が家から歩いて数分のところにある千葉競輪場。現在建て替え中で、このブログでも、何回か写真を撮って載せてきた。上の写真は、10月5日に撮ったもの。夏を超え、作業もはかどってきたのか大分形が出来てきた。写真では、大きさまでは分からないが、東京ドームと大きさを比較すると、あくまで主観だが半分くらいな感じだ。手前に写り込んでいるのは、市営の千葉公園プール。今年の夏は新型コロナの影響で、開いている期間が短かった。

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ロールアップピアノ

2020年10月05日 | 楽器・エッセイ
 以前から欲しかった「ロールアップピアノ」というものを買った。その名のとおりで、クルクルと巻いてしまえる。主に、「ヴォイシング」を学ぶためだ。まあ早い話が、音と音とをどの様にぶつけるか、ということだが、それを勉強するにはやはり鍵盤が一番だ。ピアノやオルガンは場所を取りすぎるし、ピアニカでは鍵盤数が少なすぎる。そこで、場所を取らず、ある程度の鍵盤数があるという、言わば矛盾を解決できているのがロールアップピアノ、というわけだ。すでに発売されてから、ずいぶんと経つが、価格も下がり機能も充実してきたのでヨドバシカメラで6500円ほどで買い求めた。10パーセントのポイントも付いてくるので、実質6000円ほどだが、USB充電コンセントは別売。


 「smaly」というメーカーの製品で、鍵盤数は61。音色数は128で、リズムパターンも128。デモ曲は45。正直言って、そんなには要らないし、「拍手」だとか「鉄砲音」なんてのもあるが、そんなの使う人がいるのかねえ。それよりも、鍵盤のタッチが今一つ鈍いので、基本構造にお金をかけて欲しかった。まあ、それでも値段を考えれば、仕方ないげどね。あくまで、携帯に便利な練習用の機材、と考えた方が良い。若い頃、仕事で地方を回り、ビジネスホテルを泊まり歩いた。あの頃、こういうものがあったら、夜ホテルでヘッドホンを使って練習できたので良かったなあ。その頃だったら、おそらく数万円出してでも買ってた。


 こちらは、巻いた状態。88鍵のタイプもあるようだが、このくらいでちょうど良い感じ。仮に、上達出来たらキイボードかエレピにしたいところ。が、起き場所がないなあ。

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2018年アメリカ映画『行き止まりの世界に生まれて』

2020年10月01日 | 映画
 9/28(木)、千葉劇場にて。原題は、『Minding The Gap』。「Gap」は日本語でも「ギャップ」と言うが、「割れ目」が原義。ここは差別や格差などの広い意味で「溝」を意味しているのだろう。「Mind」は「気にする」が原義で、ここは「避けられぬ苦しい思い」のようなものか。あえて、自分なりに意訳してみると「深き溝に囲まれて」といった感じ。





 イリノイ州ロックフォード。ラストベルト(Rust Belt)と呼ばれる「かつての繁栄も消え、今は錆びついた」北部の町。そこに暮らす3人の少年。黒人のキアー、白人のザック、そしてアジア系のビン。それぞれに家庭環境に問題を抱え、閉塞した社会の中で出口を見つけられず苦しんでいる。そんな中でも、3人はスケートボードに打ち込むことで、互いの相違を超え絆を深めてゆくが・・・。
 監督は3人の中の一人ビン・リューで、彼が少年の頃から撮りためた映像を編集して一つの作品にしたもの。つまり、この作品は、簡易的なカメラで撮影された映像を編集したドキュメンタリー映画、ということになる。おそらく、かなりな時間撮影された映像を90分ほどに編集してある作品。なので、その編集される中である程度の「作為」が入り込んでいるのは仕方がない。それを考え併せても、この作品は観る価値がある、と感じた。イリノイ州といえば、シカゴがあってモダンブルースの本場だ。街の風景とかに興味もあって、観に行ったのだが、それにしても「これ程さびれているのか、まるでゴーストタウンだ」と驚きを禁じ得なかった。
 少年たちが大人になるにつけ、抱えていた心の歪みと向き合わざるを得なくなる状況は見ていて辛かった。が、これはおそらく、日本でもいずれ、いやすでに発生している困難なのだ。子供たちは、確かなアイデンティティーを得られず、苦しみ続けなければならない。個人的には、その一因は過度なデジタル化にあると思っている。便利さの代償として、心の豊かさを失ってしまった。いつの時代も、年寄りは若者を嘆くものなのかもしれないが、現在を作ったのは年配者たちな訳だから、自分にもその責任の一端はあるのだ。今は、静かに見守っていくしかない。

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