まずは、アルバート・コリンズの話から。『十字路の彼方へ』(ジャス・オブレヒト著、1999年リットーミュージック刊)P498より。
「私の会ったアコースティック・プレーヤーで一番年齢が高かった人はリル・サン・ジャクソンだった。私がまだ小さい頃彼に会った。彼とライトニンはよく一緒にいたよ。一度会ったことがあるんだ。」
有名なプレーヤーの陰に隠れ、知名度も低い。が、音楽史的には重要な役割を果たしていたミュージシャンがいる。今回の、リル・サン・ジャクソンもそんな一人と云えるだろう。また、カントリーブルースの方では、ほとんどのプレーヤーは「セミプロ」だったが、中には運良く録音を残せた人もいた。やはり、リル・サン・ジャクソンもそんな一人だった。
本名は、メルヴィン・ジャクソン(Melvin Jackson)。テキサスの人で、生まれは1916/8/17、亡くなったのはダラスで1976/5/30だった。 音楽的には、やはりテキサスのブルースだが、ミシシッピーやルイジアナのカントリー・ブルースの要素を感じ取れる。器用で研究熱心な人だったようだ。戦争に取られていた時期もあるようだが、1948年にはR&B部門でかなりの売り上げを記録した『Freedom Train Blues』というヒットもあったという。1954年に自動車事故にあって音楽活動からは手を引いていたが、1960年に再びARHOOLIEレーベルにギター一本で録音している。我が家にあるのはそのLPになる。
ARHOOLIEのLPでF1004。写真を見てのとおり、普段は車の修理工だった。「Louise Blues」ほか15曲を収録。
このLPを聴きなおして、改めてブルースの詩について感じたことがあった。蛇足だが、それを書いておく。
ブルースの詩は、特定の限定された地域でのみ共有されていたような、特殊なものは少ない。もちろん、レッド・ベターの「Pick a bale of cotton」などの綿花摘みなどの労働を歌ったものや、「Midnight Special」などの囚人歌と言えるものもある。しかし全体的にみれば、人種を超えた共通のテーマ、つまり普遍性を持ったテーマが多数、と言えるだろう。
たしかに、奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられたのは歴史的事実で、それらの特殊な事情あるいは被差別的な生活環境の中から生まれてきた音楽ではある。が、個々の歌詞をみてみると、大切な人との生別あるいは死別、恋人や友人の裏切り、旅、そして性のこと、などといったものがほとんどで、けっして理解しづらい特殊な状況を歌ってはいないし、言葉も理解しやすいものが多い。それを、アメリカの黒人たちの置かれた特殊な環境から一方的に理解しよううとするのは、逆に偏った理解になるように思える。むしろ、辛く苦しい生活環境の中で、感情を共有できる音作りがされていることを大切にすべきではないだろうか。
わたしも還暦まで生きて、やっと音楽の持つ普遍性が分かるようになってきたように感じる。言葉を換えれば、若い頃は字面だけの理解で演奏していたように今は感じている。長い日々を経て感じ取ったものが込められたブルース、あるいはフォークソングを、今やっとまともに演奏出来る、そんな歳月を経ているようにも感じる。つまりは、これからなのだが、あとは自分次第だ。せいぜい、摂生して練習に励みたい。