文化逍遥。

良質な文化の紹介。

貝塚町までポタリング

2017年11月30日 | 考古・エッセイ
 昨日11/29日(水)は、穏やかな晴天で、気温も19度ほど。自転車に乗って、ゆっくりと走るには最適な気候で、今年も寒くなる前に、と思って千葉市内の貝塚町まで行ってきた。



 荒屋敷貝塚。このブログ10/6でも取り上げたが、その時には雑草がはびこっている状態だった。さすがに、国指定の史跡なので今はきれいに草刈りされ、紅葉も見られる。この辺りは高台で、中世10世紀頃には城があったとも言われている。歴史的にはとても重要な所だ。それを、わたしも含めて、地域住民がちゃんと認識しているのか、というと、残念ながら甚だ心もとない。逆に、ここや加曾利の保存に尽力してくれた人達は偉かった。感謝して、御礼申し上げたい。
 この後、周辺の小さな貝塚を探して少し走ってみたが、なかなか見つけられなかった。案内板や柵などをきちんと整備して、もう少し見つけやすくして地域ぐるみで保存と整備に心掛けたい。

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帚木 蓬生著『水神』(2009年新潮社刊)

2017年11月24日 | 本と雑誌
 最近、図書館から借りて読んだ本から一冊。

 図書館といえば、先日、館内の視聴覚コーナーの横を歩いていた時の話。「ちょっと、お兄さん・・」という声、近くを見渡してもわたし以外には誰もいない。思わず声の方に振り返ると、「これの使い方知らない?」と訊かれた。DVDの再生機器の使い方が分らなかったらしい。歳の頃なら70位の女性だったが、まさか還暦にもなって「お兄さん」と呼び止められるとは思わなかった。おどろいたねえ、どうも。もっとも、年齢差を考えれば不思議ではないかもしれないが、世の中高齢化してるんだなあ、と、肌で感じた次第。どっかのタレントみたく、今から子どもでも作ってみるか。もっとも、相手にしてくれる妙齢の女性がいれば、の話だが・・まあ無理だな。


 さて、本題。著者の帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)氏は、1947年福岡県小郡市生まれ、東京大学文学部仏文科卒、九州大学医学部卒で、小説家でもあり精神科の医師でもある。わたしは氏の小説を読むのは今回が初めてになる。



 『水神』は、上・下二冊の長編書き下ろし時代小説。設定は1660年代の筑後久留米藩(有馬家)で、筑後川の近くに位置するも高い台地にあるため水利に苦しむ村々の庄屋五人が堰を作り水を引くまでの苦難の物語。と、言ってしまえばプロットは単純で地味な話だが、時代考証にかなり具体性があり、当時の庶民生活が生き生きと描かれ、その空気までもが伝わってくるようだ。全体に、善人ばかりが出てくる様な気もするが、そこはまあ、小説ということで楽しみたい。同じ著者の、他の著作も読んでみたくなった。「天は二物を与えず」ともいうが、世の中には、才能に恵まれた人がいるものだ。実に、どうも恨めしい、じゃなかった羨ましい。

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日本海

2017年11月20日 | 旅行記
 11/18(土)から11/19(日)にかけて、所用があり佐渡島に一泊で行ってきた。
あいにくの空模様で、日本海は荒れ気味だった。18日に、新潟港から行く時は高速船ジェットホイルを利用して佐渡の両津港まで1時間ほどの船旅だったが、帰りは波が高くジェットホイルは欠航。やむなくフェリーに乗り2時間半程の船旅。まあ、フェリーの方が運賃は2等なら半額以下なので、安上がりではあった。

 写真は、19日、帰りのフェリーのデッキから携帯で撮影。光が足らず、揺れれているので、ちょっと不鮮明。


両津港の桟橋。右側に係留されているのがジェットホイル。船体が小さいので、波が3メートル以上になると欠航になるそうだ。ちなみに、フェリーは6メートルの波で欠航になるらしい。


両津港。


同じく両津港から。曇っているが、後方に佐渡の山々がなんとか見えている。


こちらは、新潟港に近づいてから撮影したもの。写真でも確認できるように、かなり浪は高かったが予想した程は揺れず、心配した船酔いもしなかった。日本海側の工業地帯が、遠くに見えている。

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わたしのレコード棚―ブルース41、Lil Son Jackson

2017年11月14日 | わたしのレコード棚
 まずは、アルバート・コリンズの話から。『十字路の彼方へ』(ジャス・オブレヒト著、1999年リットーミュージック刊)P498より。
「私の会ったアコースティック・プレーヤーで一番年齢が高かった人はリル・サン・ジャクソンだった。私がまだ小さい頃彼に会った。彼とライトニンはよく一緒にいたよ。一度会ったことがあるんだ。」


 有名なプレーヤーの陰に隠れ、知名度も低い。が、音楽史的には重要な役割を果たしていたミュージシャンがいる。今回の、リル・サン・ジャクソンもそんな一人と云えるだろう。また、カントリーブルースの方では、ほとんどのプレーヤーは「セミプロ」だったが、中には運良く録音を残せた人もいた。やはり、リル・サン・ジャクソンもそんな一人だった。
 本名は、メルヴィン・ジャクソン(Melvin Jackson)。テキサスの人で、生まれは1916/8/17、亡くなったのはダラスで1976/5/30だった。 音楽的には、やはりテキサスのブルースだが、ミシシッピーやルイジアナのカントリー・ブルースの要素を感じ取れる。器用で研究熱心な人だったようだ。戦争に取られていた時期もあるようだが、1948年にはR&B部門でかなりの売り上げを記録した『Freedom Train Blues』というヒットもあったという。1954年に自動車事故にあって音楽活動からは手を引いていたが、1960年に再びARHOOLIEレーベルにギター一本で録音している。我が家にあるのはそのLPになる。


ARHOOLIEのLPでF1004。写真を見てのとおり、普段は車の修理工だった。「Louise Blues」ほか15曲を収録。

 このLPを聴きなおして、改めてブルースの詩について感じたことがあった。蛇足だが、それを書いておく。

 ブルースの詩は、特定の限定された地域でのみ共有されていたような、特殊なものは少ない。もちろん、レッド・ベターの「Pick a bale of cotton」などの綿花摘みなどの労働を歌ったものや、「Midnight Special」などの囚人歌と言えるものもある。しかし全体的にみれば、人種を超えた共通のテーマ、つまり普遍性を持ったテーマが多数、と言えるだろう。
 たしかに、奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられたのは歴史的事実で、それらの特殊な事情あるいは被差別的な生活環境の中から生まれてきた音楽ではある。が、個々の歌詞をみてみると、大切な人との生別あるいは死別、恋人や友人の裏切り、旅、そして性のこと、などといったものがほとんどで、けっして理解しづらい特殊な状況を歌ってはいないし、言葉も理解しやすいものが多い。それを、アメリカの黒人たちの置かれた特殊な環境から一方的に理解しよううとするのは、逆に偏った理解になるように思える。むしろ、辛く苦しい生活環境の中で、感情を共有できる音作りがされていることを大切にすべきではないだろうか。
 わたしも還暦まで生きて、やっと音楽の持つ普遍性が分かるようになってきたように感じる。言葉を換えれば、若い頃は字面だけの理解で演奏していたように今は感じている。長い日々を経て感じ取ったものが込められたブルース、あるいはフォークソングを、今やっとまともに演奏出来る、そんな歳月を経ているようにも感じる。つまりは、これからなのだが、あとは自分次第だ。せいぜい、摂生して練習に励みたい。

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秋の海

2017年11月10日 | まち歩き
 すでに立冬は過ぎたが、自転車に乗って街並みを眺めながらゆっくりと走らせるには良い季節だ。「ここも変ったなあ」などと独りごちながらキコキコと漕いで、11/10午前、千葉市の稲毛海岸まで行ってきた。我が家から、30分ほどで着く。


東京湾の、南の方向。逆光になっているが、千葉県の東京湾岸に位置する工業地帯が見える。お世辞にも、風光明媚とは言えないが、海を渡る風が心地よかった。


こちらは、西側で対岸は神奈川県、川崎あたりになるだろうか。


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スティーブン・エモット著『世界がもし100億人になったなら』(2013、マガジンハウス刊)

2017年11月05日 | 本と雑誌
 最近、図書館から借りて読んだ本の中からの一冊。著者は、オックスフォード大学などの計算科学及び計算生物学の専門家。



 標題を見れば、大よその内容は察しが付く。が、正確な数字で危機に満ちた将来像を予測されると、やはり怖くなる。そして、それは今のままでは、ほぼ確実にやってくる。次の、あるいは次の次の世代が、確実に蒙らなければならない、破壊された環境に対する負担。それは「社会的コスト」ともいわれるが、これから生まれてくる子供達は、負の遺産を背負って生まれてくるようなものなのだ。なんとか、化石燃料や金属、さらには水などを異常に消費する文明を止める手だてを講じる必要があるが、現状では危機感があまりに乏しい。
 わたしは、個人的には太陽光や風力などによる発電、つまり「再生可能エネルギー」を有効に拡大利用できる科学技術に一縷の望みがあると考えていた。しかし、この本によると、太陽光パネルや畜電池の製造に必要な金属・レアアースを採掘することは環境に対する負荷の方が大きく、太陽光パネルの製造に欠かせない三フッ化窒素は極めて強力な温室効果ガスだという。悲観せざるを得ない、と暗い気持にもなる本だが、多くに人に読んでもらい、共に未来の環境について考えたい。

「・・・今のままのペースで子どもが生まれ続ければ、今世紀末までに世界の人口は100億人になるどころではありません。

280億人になります。・・・

よほどの馬鹿でないかぎり、地球が支えられえる人口には限度があることは否定しないでしょう。問題は、それが70億(現在の人口)なのか100億なのか、280億なのか、ということです。もう限度を超えている、とわたしは思います。それも大きく超えていると。

今わたしたちが置かれた状況は変えられます。科学技術の力で切り抜けることはおそらく無理だとしても、わたしたちの行動を根本から変えることによって。

しかし、それが起こっている様子も、これから起ころうとしている様子もありません。わたしたちはこれからも、たぶん何も変わらないでしょう。・・・」
(本文P195~より抜粋) 

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11/1夜、NHK・FMより『サヴァール・トリオ』

2017年11月03日 | 音楽
 11/1夜、NHK・FMの「ベスト・オブ・クラシック」で放送された『サヴァール・トリオ』の古楽演奏は良かった。今年9月14日に東京・王子ホールでの演奏会を収録したライブで、メンバーと担当楽器は以下のとおり。
 ジョルディ・サヴァール (トレブル・ヴィオール&リラ・ヴィオール)、アンドルー・ローレンス=キング(アイリッシュ・ハープ&プサルテリ)、フランク・マグワイアー(ボラーン[バウロン])。
 わたしも古楽器については詳しいわけではないが、ヴィオールというのはチェロに近いような、アメリカ式に云えば中型のフィドル属になるようなもののようだ。ボラーン[バウロン]は、アイルランドの打楽器で、左手で張力を変えることにより音程を変えられるもの。演奏されたのはヨーロッパ各地の古謡が中心だった。現代の楽器のように、正確なピッチ(音程)を求めるものではなく、ある意味即興性もあり、スリリングとも感じられる演奏で、適度な「ゆらぎ」が心地よかった。いつか、生の演奏を聴いてみたい。

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