文化逍遥。

良質な文化の紹介。

国立演芸場中席2024/1/19

2024年01月23日 | 落語
 1/19(金)、国立演芸場寄席に行ってきた。三宅坂の国立劇場は建て替え中なので、当分は近くのホールを借りての公演になる。この日は、四ツ谷駅から歩いて7~8分のところにある「紀尾井小ホール」で行われた。金原亭一門を中心にした、落語協会の噺家さんたちが出演。力のある噺家さんたちがずらりと並び、皆、気迫のこもった口演だった。


 主な演目を書いておく。春風亭柳朝『源平盛衰記』、金原亭世之介『堪忍袋』、金原亭馬治『片棒』、柳亭燕路『笠碁』、そして金原亭馬生は『芝浜』。『芝浜』は、下げが大晦日の設定なので1月に掛かることは稀だが、この日の馬生は除夜の鐘が鳴るという設定にして、正月に掛けても不自然ではないように工夫されていた。
 ずいぶん寄席に通ってきたが、この日のように力の入った古典落語が次から次へと掛けられた日は記憶にない。通常の寄席の公演と言うよりも「名人会」と言った方が合っている感じで、聴きごたえがあり、何か力を貰えた感じだった。年初から大きな災害に見舞われ、あるいは、聴く人を通じて元気づけようという気持ちが噺にこもったのかもしれない。


 余談ーこの日の真打金原亭馬生は十一代目。先代の十代目金原亭馬生は、五代目古今亭志ん生の息子で、古今亭志ん朝の兄、女優の池波志乃さんのお父さん。なので、池波志乃さんは志ん生のお孫さん、ということになる。先だって、無形重要文化財保持者(人間国宝)になった五街道雲助も先代馬生の弟子で、馬生や世之介の「兄弟子」になる。
 プログラムに「ホームランたにし」と見える。以前「ホームラン」という漫才コンビがあり、間合いが巧みで、わたしも好きなコンビだった。が、残念なことに、片方のカンタロウさんという方が2年ほど前に亡くなり、今は残った方が「ホームランたにし」としてピン芸人で活動しているとのこと。小野ヤスシの弟子ということだが、浅草芸人の伝統的な話術を感じさせてくれる数少ない芸人さんなので、まだまだこれからも頑張ってほしい。

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国立演芸場2023年1月中席

2023年01月20日 | 落語
 1/16(月)三宅坂の国立演芸場、1月の中席。コロナ感染症が流行してから電車に乗るのも控えていたので、東京へ出るのも久々。コロナ感染症は現在も第8波が襲来中で、医療は逼迫している。なので、十分に注意し、警戒すべきであることに変わりはない。が、すでに3年が過ぎ、文化・芸術活動においても、これ以上中断するのは悪い影響が大きくなりそうだ。特に若い人達は、学校に行って議論したり、あるいは会社での研修活動などが、これ以上停まると社会全体に悪影響を及ぼしかねない。そんな訳で、わたしもワクチンを打ち、状況を見ながら無理のない範囲で活動領域を少しづつ広げていくことにした。

 現在の国立劇場の建物は、今年10月に解体が始まり、建物が分かれている大劇場・小劇場そして演芸場を統合し一つの建物に入れるという。2030年頃のこけら落としを予定していると聞く。今の建物も愛着があるので、個人的には解体せずに補強工事などで継続して使って欲しいとは感じる。それに、工事期間が7年ほどにもなり、その間公演が全く出来なくなるのも不便だ。
 まあ、それはそれとして、この日は落語芸術協会の実力のある中堅・ベテランが揃い、客は多くなかったが皆熱演して、正月公演にふさわしいものだった。やっぱり、落語は生が良い。

 特に印象深かったのは、中入り休憩後の後半に出演した三笑亭可龍、音曲の檜山うめ吉、そして真打の三遊亭笑遊(しょうゆう)。それぞれに、基礎がしっかり出来た実力のある芸人さんだ。三笑亭可龍は、40代半ばというから中堅といったところか。この日の出し物は、間抜けな泥棒が起こすひと騒動を描いた古典落語『締め込み』。演じ分けが見事で、仕草もうまい。このまま続けて研鑽して行けば、三笑亭可楽の名跡を継げるだろう。檜山うめ吉はすでにベテランに近いが、糸の伸びやすい三味線の音のコントロールが見事。この日の下座のレベルも高かった。三遊亭笑遊のこの日の出し物は『蝦蟇(がま)の油』。すでに70歳を超えたベテランだが良い味わいで、今が噺家として最も良い時かもしれない。




 いつの間にか、わたしも65歳以上のシルバー料金1600円で入場出来る年齢になった。まあ、死ぬまで学ぶ気持ちを持ち続けるつもりなので、学生割引と思って受け入れたい。それにしても運賃が値上がりして、それがきつい。最寄りの西千葉から東京までJRで片道650円。そこから、地下鉄などを使うと合計800円を超える。つまり往復の交通費で、演芸場の入場料を超えてしまうことになる。こちらもシルバー割引してもらいたが・・無理だろうなあ。

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国立演芸場中席2021/11/16

2021年11月21日 | 落語
 コロナの第6波が来るまでの間隙を衝いて寄席に行ってきた。前回行ったのが、2020年の1月だったので、ほぼ2年振り。奇しくも、前回と同じ真打だった。

 時節柄、客は少なくソーシャル・ディスタンスは十分。出演者もいつもより少なめで、早めに終演するように設定されていた。それでも、芸人さん達は、客の前で芸を披露することが出来るのを喜んでいるようだった。
 真打は三笑亭茶楽。この人は、とび抜けてうまい人ではないが、芸に対する姿勢は真っすぐで好感が持てる。この日に掛けたのは「芝浜」。古典落語の人情噺の名作で、数ある落語の下げ(落ち)の中でも、この「芝浜」の下げは抜きん出た傑作。私の父はアルコール依存症で早死にしたので、「芝浜」の下げは、何度聞いても感動する。この噺は、大晦日が下げにつながる。なので、年末に掛かることが多く、この日のように秋の紅葉の時期にかかるのは珍しい。本格的な人情噺が聴けるとは思っていなかったので、何か得した気分になった。現実的には、この噺のようにうまくはいかない事はわかっている。ある意味「夢物語」にすぎない。それでも「一縷の望み」を噺に託したい気持ちがある。

 それにしても、芸人さん達には苦難の時代が続く。感染症だけでなく、聴く耳を持った客がどんどんと居なくなってゆく。柳家小三治もすでに亡く、古典落語の神髄を語ることで客を呼べる噺家も、古い言葉を説明なしで理解できる客も減る一方だ。そんな中でも、古典に精進する若手も確かに存在する。今は、地道な稽古と目立たぬ活動が求められる時だろう。が、それは困難を多く伴う道になる。わたしにできるのは、たまに寄席に行くくらいで、それがもどかしい。


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国立演芸場中席

2020年01月14日 | 落語
 1/12(土)、三宅坂の国立演芸場中席に行ってきた。寄席に行ったのも、久しぶりだった。前座から、真打まで約3時間半、たっぷりと聴いてきた。



 この日は、代演が多かった。柳好の代わりに桂歌蔵、神田紅の代わりに神田阿久鯉 。そして、文治はインフルエンザということで中席は全休で、代演は桂南なん。
 芸の世界では、「うまい人が適当に演るより、下手な人が一生懸命に演る方が面白い」、とも言われる。この日は、それを実感。誤解なきように強調しておくが、この日の出演者は、けっして下手な芸人さんたちではなく、中堅どころで、基礎ができている人がほとんどだ。しかし、普段テレビなどの出演がほとんど無い芸人さんばかりで、むしろそれが「チャレンジ精神」というか挑戦者としての初心を忘れていない芸人の心意気を感じさせてくれた。寄席に出る15分~20分のためにひたすら稽古し、気を入れて高座を勤める。その気迫が伝わってきて、何やら寄席芸に触れた喜びを感じた一日だった。

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落語・講談二人会

2019年10月15日 | 落語
 台風19号が来る前日の10/11(木)、わたしは千葉市生涯学習センター2階のホールで午後2時半より行われた「落語・講談二人会」に行っていた。台風の被害は、日を追うごとに増え続けている。新聞の記事等によると、15日朝現在で、被害状況は以下のとおり。11県で死者56人、行方不明者16人。各地で決壊した堤防は調査の結果、7県の37河川52カ所に上っている。流域が広く水に漬かり、住宅の床上浸水が1975棟、床下浸水は1729棟停電や断水も各地で続いている。
 被災者の生活への影響は長期化しそうで、国難と言っても過言ではない状況になっている。こんなときにこそ、本当の芸を持った芸人たちが活躍して欲しいのだが、テレビでは「タレント」と呼ばれる人達がはしゃいでいるばかりだ。


 さて、千葉市生涯学習センターのホールは300席ほどの大きさだが、台風が近づいていた為か客の入りは6割ほど。ゆったりした感じで聴けた。



 出演は、落語が三遊亭円馬、講談が神田松鯉(しょうり)。ベテラン二人が交互に休憩をはさんで2席ずつ、たっぷり聴かせてくれた。こういった口演は多く下座さんは伴わず、録音したもので出囃子を済ますことが多いのだが、この日はリーフレット右下にあるように「稲葉千秋社中」がみごとな出囃子を聴かせてくれたし、前座さんもなかなかの熱演だった。当日券で2500円だが、予約してあったので2000円で入れた。久々に、話芸を交通費も時間もかからない自宅近くでゆっくり味わえて随分得した気分になった。ここで、このような会が開催されたのは三遊亭円馬が千葉でマニア向けの「落語教室」の教師を務めている関係らしい。従って、会場の受付や整理などはその教室で指導を受けている生徒さん達が勤めていたようだ。観客もその関連の人が多かったようで、演者もリラックスして語っていた。

 出し物は、三遊亭円馬が「時そば」と「お見立て」。
 神田松鯉が、源平盛衰記より「那須与一」と「河内山宗春」。

 円馬に関しては、テレビで見たことがあるが実際の高座を聴くのは初めてだった。テレビでは、さほどうまい人だとは思わなかったが、時間制限の無いホールでの落語では、十分な間合いが取れる為か、仕草もうまく実に味わいがありうまい人だなあ、と感じた。
 松鯉は何度も高座に接している。「人間国宝」の指定を受け、ますます熟練の話芸に磨きがかかった感じ。本来、このような地方でのささやかな口演では、「手抜き」とまではいかずとも、軽く流したりする人も多いものだが、この人に関しては「手抜き」を感じたことがない。そこがすごいところでもあり、見習いたいところでもある。

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五街道雲助『双蝶々』

2019年08月27日 | 落語
 やっと、朝晩に涼風が吹くようになってきた。夏バテ気味。

 前回と同じく、近くの図書館で借りた落語のDVDで、五街道雲助の『双蝶々(ふたつちょうちょう)』。この人は、十代目金原亭馬生の弟子で、前回の桃月庵白酒の師匠に当たる人。1948年生まれというから、私よりほぼ一回り上になり、ことし71歳。DVD収録は2008年2月、ビクター落語界より。この頃、桃月庵白酒と共に「親子会」と称して長演の落語をかけていたようだ。



 『双蝶々』はいわゆる芝居噺の大ネタで、このDVDでも通しで1時間40分ほど。ただし、全体を3部に分けた時の「長屋」「権九郎殺し」を65分程で一度高座を下り。その後「雪の子別れ」を33分程で演じられている。芝居噺だけに、しぐさも細やかさと大胆さが求められ、相当の気力と体力がなければ出来ない噺だ。この時雲助師匠60歳のはずだが、見た目も若々しく無駄のない噺ぶりは、みごと、という他ない。おそらく、この映像は、後の噺家さん達のお手本になるのではないだろうか。

 笑えるところのほとんど無い、重いテーマの長い噺だが、古典落語のひとつの「極」がここにある。「寄席」では、テレビのバラエティー番組の延長の様なことをやっていると思っている人達に、このようなDVDを一度見てもらいたいものだ。認識が変ることだろう。ただし、平日の寄席では、出演者各人の時間が割り当てられており、『双蝶々』のような長演はまずかからない。かかったとしても、前半部分を端折って「雪の子別れ」が真打ちでかかるくらいだ。本格的な長い噺を聴くには、落語会や独演会に足を運ぶ必要がある。

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桃月庵白酒、落語二席

2019年08月23日 | 落語
 このところ、東京の寄席まで行くのもしんどいので、近くの図書館から落語のDVDを借りて楽しんでいた。



 桃月庵白酒の「松曳き」と「山崎屋」の二席。2008年9月のビクター落語界からの収録なので、少し古いが白酒40歳の充実した高座だ。

 若い頃からけっこう落語に親しんできて、最近感じることがある。噺家には、芸人としての人生の中で3度ほど山があるようだ。1度目は噺家になりたての頃で、各人の師匠の話し方そのままに語ることが出来る時。これは、多く入門したての頃で、この時は聴いていても「若いのにけっこう上手いなあ」と感じる。この山を超えた人達は「二つ目」に昇進するようだ。しかし、山の次には谷があり、師匠のコピーから自分なりに噺を昇華し、独自色が出て完全に自分の芸になるまで試行錯誤に苦しむ期間が来る。これを超えた人達は「真打ち」と呼ばれるようになり、独り立ちして活動できるようになる。これが、2度目の山。この2度の山を超えられずに、かなりの人達が廃業するのだろう。
 そして3度目の山は、長い芸人生活の最後に近く、その人の人間性がそのままに出るような芸に至る時。「名人」と呼ばれる人たちだが、ここに至るのはごくわずかな人達だ。また、世間では名人と言われた人の中でも、実際に高座を聴いてがっかりしたことも少なくない。これは、客を呼ぶために意図的に「名人」にされた、あるいは自ら評判を作り上げた噺家もいるということだ。
 まあ、それはそれとして、古典でも新作でも、なかなか現代の生活に慣れた人達には理解できないことも多い。聴く方にかなりな想像力が必要だからだ。ITの発展と共に「便利さ」を得ることで、失われたものも多い。それは、一言でいえばやはり「想像力」。「言霊」と言ってもいい。落語の中に「心の豊かさ」を込められる、そんな噺家さんが増えれば良いと思う。

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蝶花楼馬楽師匠を悼んで

2019年03月22日 | 落語
 七代目蝶花楼馬楽師匠が13日に亡くなった。71歳だった。69年に六代目馬楽に入門。83年に真打ち昇進、91年に馬楽を襲名した。

 噺の中に余計な「くすぐり」などは入れない、どちらかというと目立たぬ芸風だった。が、聴くものをしっかり引きつけて、ほんのりした暖かさが胸に残る伝統的な噺家さんだった。毎年2月に、国立演芸場で行われていた「鹿芝居(噺家芝居のシャレ)」の中心的役割を担うひとりで、わたしも高座を何度か聴かせてもらった。派手さは無いので、テレビなどには不向きな芸だったが、個人的には好きな噺家さんのひとりだった。
 



 2017年2月、国立演芸場中席プログラム。この時、馬楽師匠は『時そば』を掛けたが、逸品だった。この翌年(2018年)でも同じ『時そば』だった。師匠の得意噺だったようだ。この噺は、寄席ではよく掛かり、落語ファンならずとも知る人の多い噺。なので、他の噺家さんのものもかなり聴いたが、特に印象に残っているのは、馬楽師匠のものだ。仕草も抜群で、江戸庶民の生活を彷彿とさせてくれた。

 余談だが、『時そば』は江戸時代の民俗あるいは庶民の経済を知る上で、かなり助けになる。かけ蕎麦に簡単な具が入ったものが16文とされているので、今の「立ち食いそば」の「たぬき」や「きつね」が350円位なのと同じくらいの値段と考えてもいいだろう。その比較で1文がだいたい20円位と推測出来る。1両は、江戸期を通じて変動があったものの4000文位だったので、そこから計算するとおよそ8万円。1分(いちぶ)は、1両の4分の1なので1000文で約2万円。1朱(いっしゅ)は、1分の4分の1なので250文で約5千円。当時は、流通に掛かる費用も現在とはかなり異なるので、一概には比較できないが、江戸期の貨幣価値を知る上での一助にはなるだろう。落語は、歴史を理解する上での生きた証言を内に含んでいると言えるのだ。さらに、噺に出てくる「四つ時」は、およそ今の夜の10時、「九つ」は午前〇時になる。そこを理解したうえで『時そば』を聴くと、さらに味わいが増す。ただし、そんな夜の遅い時間に蕎麦屋が外を歩いていたのかは疑問が残る。江戸期、町々には木戸があって夜間は閉まるし、基本的に日没後は早くに就寝し、夜明前から起き出すのが当時の生活だったろう。と、まあ、そんな時代考証を素人なりにしてみるのも落語ファンの楽しみのひとつ。落語を、単なる「笑い話」と軽く考えるのは、もったいない事なのだ。

 伝統的な噺を、余計な演出を入れずにやって客を引き付ける。そんな本物の落語家が、また一人いなくなった。寂しい限りだ・・合掌・・

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第423回国立名人会

2018年11月25日 | 落語
 冬めいてきた11/24(土)、三宅坂の国立演芸場へ行ってきた。この日は、上方落語の桂福団治がトリをとった。他に、立川流から二人、浪曲が一人、など。国立演芸場が主催する公演なので、協会を超えて芸人さんが出演する。そこが、まあ、ここの名人会の良いところ、というか魅力でもある。



 福団治師匠は、さすがの熟練芸。実は、師匠には申し訳ないが、この日を逃すともう聴く機会も無いかもしれない、と思ってチケットを予約したのだった。この日、さらに印象に残ったのは浪曲の三味線を弾く「曲師」の方。伊丹秀敏という芸歴70年を超えるベテランという人らしいが、ここしかない、という絶妙のタイミングで安定した音が入り、撥さばきも卓越。ひとつの芸の極致。正直言って感動した。あやかりたい、と思った。
 休日の永田町周辺は人が少なくて、まるでゴーストタウンのよう。あまり行きたくない街なのだが、お金と時間をかけてもこの日の芸が聴けて良かった、と実感した一日だった。

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国立演芸場5月名人会

2018年05月23日 | 落語
 5/19(土)、第417回国立名人会を聴いてきた。いつもは、午後1時から始まるのだが、この日は珍しく6時開演の夜席だった。



 名人会となると、やはり観客も落語好きな人が集まる。皆、古い言葉や江戸の風俗をある程度知っている人がほとんどだ。なので、演者も今は死語となっている言葉に対する説明などもせず、ある意味安心して噺に入れるようだ。当然、雰囲気も一般の寄席の時とは変る。団体客もいないし、わたしのように一人で聴きにきている人も多いようだった。演者の持ち時間も普段より長く、一人当たり20~30分位で、最後の真打は40分程の長演になる。
 聴きたかったのは、やはり五街道雲助の『淀五郎』。この人は、地味な芸風でテレビ出演なども少ないが、端正な語り口は古典落語ファンを十分に満足させてくれる。ちなみに、この日2人目に出た隅田川馬石は、五街道雲助の弟子。一門には変わった名が多いが、雲助師匠は十代目金原亭馬生の門下で、その十代目の父であり師匠であるのが五代目古今亭志ん生。その志ん生という人は借金取りから逃れるために芸名を何度も変えたらしい。その志ん生が使った中の芸名を今五街道雲助一門が使っている、ということらしい。本来は、この雲助師匠あたりが馬生の名跡を継ぐべきだったろうが、本人が固辞したと聞いている。わざと、落語家らしからぬ名で本格的な古典落語をじっくり聴かせるというのも、また良いのかもしれない。ある意味、本当に古典を聴きたい人が来るようになる。ただし、それには本当の実力が無ければ出来ないことだ。

 「淀五郎」という演目は、古典落語の中の芝居噺でもあり人情話でもある。数ある芝居噺のなかでも、わたしが特に好きな演目だ。演じ分けが難しく、並みの噺家では噺がつくれない。この日の『淀五郎』、出来も良く最後まで緊迫感があった。千葉から東京までわざわざ夜出かけただけの価値があった高座だった。

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国立演芸場2月中席

2018年02月14日 | 落語
 2/12(月)、久々に三宅坂にある国立演芸場に行ってきた。2月の中席(11日から20日までの興行)は、毎年恒例の「鹿芝居」。これは、噺家芝居のシャレで、要は落語家が役者になって芝居をするもの。やっているメンバーは、ほぼ毎年同じ顔ぶれだ。



 仲入りの休憩前までは落語で、後半に芝居となる。落語の方は皆、大ネタは掛けずに、比較的軽い噺をしていた。良かったのは蝶花楼馬楽の「時そば」。お馴染みの演目だが、さすがはベテラン、仕草もうまく演じ分けも見事。話の内容が分かっていても、しっかりと受ける。それが本当の実力というものなのだろう。「真打ち」と呼ばれるようになっても、そこまで行ける噺家さんは残念だが少ない。
 後半の鹿芝居。今年は、古典落語の大ネタ『子別れ』。仲入り前の馬生が上をやっておいて、芝居で中・下が演じられた。場面が4回変わり、そのたびに幕が閉まるので、ちょっとたるむ。でも、まあね、噺家さん達の努力を買いたい。入場料2100円のライブだしね。


こちらは、演芸場1階にある「演芸資料展示室」で3月24日まで展示のリーフレット。噺家さんの色紙などを展示している。昔の名人の筆跡が見られて、興味深かった。特に三遊亭歌笑や5代目古今亭今輔の台本は、創意工夫の跡が滲み出ているようだった。三遊亭歌笑は、戦後すぐに創作落語で人気が出たが、1950年に進駐軍のジープにはねられて亡くなっている。まだ32歳だった。目の悪い人だったので字を書くのも難儀したようで、お世辞にもうまい字とは言えない。それでも、一生懸命に書かれた「純情詩集」の台本は感動すら覚えた。

こちらは、上のリーフレット裏面。クリックすると拡大できる。

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国立演芸場4月中席

2017年04月12日 | 落語
 11日(火)、三宅坂の国立演芸場4月中席に行ってきた。



 真打ち(最後に出る意)は、桂歌丸師匠で演目は『中村仲蔵』。芝居噺の大ネタだが、おそらく、これが最後になりそうなので雨の中を出かけて行った。落語好きな人は出演者の顔ぶれを見ると分かるかもしれないが、落語芸術協会の人気・実力を兼ね備えたメンバーが並んでいる。10日間の興行中に歌丸師匠の体力が続かなくなった時を見越して代演が務まる実力者を揃えたようだ。かく言う自分も、あえて初日を選び予約しておいたのだった。
 高座は、というとすでに鼻からの酸素吸入が欠かせない状態になった姿は痛々しく、45分程の長演の後半は声がかすれ気味で、明らかに体力の限界だった。聞いていて、中ほどで切るのではないかと、心配したほどだった。それでも噺のテンポは落とさず、下げまで持っていくところはプロとしての責任を果たそうとする心意気が感じられた。後に続く若い噺家さん達に、芸人のあるべき姿を見せようとしたのかもしれない。

 ごくろうさまでした、と言いたい。

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国立演芸場2月中席

2017年02月23日 | 落語
 2/20(月)、三宅坂の国立演芸場へ行ってきた。



 前半は落語で、蝶花楼馬楽は『時そば』、林家正雀は『紙入れ』、金原亭馬生は『稽古家』。さすがベテラン陣、落とし所を心得た話しぶり。この中席では漫才など色ものの芸人さんが出ていないので、金原亭世之介と古今亭菊春は二人で漫才をこなしていた。中入りの休憩をはさんで後半は「鹿芝居」。これは、「噺家芝居」の洒落。要は、座興と云うか余興というか、本来の芸の他に客に楽しんで貰うためのものだろう。年に一回、ここ国立演芸場で芝居好きな噺家さん達が集まって行われているようだ。今回は、古典落語の『らくだ』を題材として、『たらちね』の要素を加えて昔の長屋の様子をおもしろ可笑しく仕上げたもの。一見、ふざけているだけのようにも見えるが、計算された舞台づくりがなされ、芸達者が集まればこそ出来る芝居だ。入場料はいつも通りで、税込2100円。歌舞伎などに比べれば、舞台装置や裏方の人数は違うものの、それでもかなり割安。庶民が気安く楽しめるお芝居で、10日間11回(夜席1回)の興行は全て満席だったというし、これからも続けてほしい、と思った。

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国立演芸場12月中席

2016年12月22日 | 落語
12/17(土)、久々に寄席に行ってきた。


 三宅坂にある国立演芸場の中席。

 この日、新作落語の三遊亭白鳥は休演で少し残念だったが、中入り前の三遊亭歌司は『蜘蛛駕籠』、真打ちの柳家さん喬は『幾代餅』で、古典落語を堪能出来た。客席は、全体に6割程度の入り。最近は落語ブームとも言われるが、テレビに出ているようなタレント化した噺家さんの人気のようで、本格的な古典落語を聴かせる地味だが実力のある噺家さんはあまり人気が無いようだ。
 今回、音楽パフォーマンスの「のだゆき」さんという若い女性には感心させられた。ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)やリコーダーを使ったヴォードビルに近いもので、限られた楽器でも表現力のあるしっかりした演奏だった。リコーダーの演奏では、大きさの異なる2本を同時に吹くのだが、それぞれを片手で持っているので限られた音した出せないのに楽器の性質を引き出せるような編曲をしていた。おそらく、クラシックの音楽理論を学んだ人なのだろう、と思い少し調べてみたら東京音楽大学大学院修了ということだった。寄席の芸は大衆芸能として低く見られることもあるかもしれないが、音楽の豊かさを聴く人に伝えるのはホールでも寄席でも全く関係ない。むしろ、普段生演奏に接することの少ない人達に生きた音を届けられることは、ホールでのコンサートよりも意味があるとも言える。最近では下座さんにも音大出の人がいて新たな芸風を吹き込んでいるようだし、彼女のように寄席の芸を底上げしていけるような芸人さんがもっと増えると良い、と願っている。

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柳亭市馬の『お神酒徳利』

2016年11月23日 | 落語
 20日(日)の午前4時からTBSテレビで放映された柳亭市馬の落語『お神酒徳利』は良かった。
TBSは古典落語の研究・育成に昔から力を入れていて、三宅坂にある国立劇場の小劇場で「落語研究会」という名で定期的に公演活動を行っている。普段寄席などでは聴くことが出来ない噺をたっぷり時間をかけて聴かせてくれるので、古典落語のファンさらに噺家にとっては貴重な「場」となっている。わたしも東京まで通勤していた頃には仕事帰りに寄ったこともあるが、最近はなかなか行く事が出来ないのが残念だ。この公演会のテレビでの放映は月に一度くらい日曜の未明にあり、注意していないと見逃してしまう。良い内容なので、せめてもう少し良い時間帯に放映してもらいたいものだ。さて20日の『お神酒徳利』、噺の細かい設定や内容は書いていると切りが無いので、やめておく。が、市馬のこの日の演じ分け・間合いの取り方は絶品だった。40分ほどの長演だが、引き込まれるので長さを感じず、録画してあったのを3回ほど繰り返し観なおした。あのくらいの出来なら、時間と金をかけても東京まで聴きに行きたかったなあ。また、機会があったら行こうっと。それにしても、『お神酒徳利』の下げは、今まで気づかなかったがいいなあ。稲荷神に助けてもらって難を切り抜ける設定だが、最後は身近なおかみさんに「かかあ大明神」と感謝する。ここに落語の真髄と言えるものがあるような気がした。


 昨日22日(火)は朝6時頃地震があり、ここ千葉市でも震度4を記録した。その時わたしはまだ布団の中だったが、揺れ方が東日本大震災の時を想わせる大きめの横揺れだった。すぐに、津波注意報・警報が出たので太平洋沿岸部では早朝から非難された方も多かったようだ。その後の津波で、東北沿岸部では漁業施設などにかなりな被害が出たという。人的な災害はほとんど無かったようだが、被災された方にはお見舞い申し上げたい。


秋の写真、前回の続きを一枚。イチョウの色付きが例年に比べ鮮やかさに欠けるように感じる。撮影は、22日午後の千葉公園。


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