文化逍遥。

良質な文化の紹介。

川村記念美術館―「フェリーチェ・ベアトの写真」展

2017年09月27日 | アート・文化
 9/24(日)、友人夫妻の車に便乗して、川村記念美術館に行ってきた。常設の展示に加え、開催中の展覧会は「フェリーチェ・ベアトの写真」。


 川村記念美術館は、千葉県佐倉市にある自然環境に恵まれた私設の美術館。我が家のある千葉市からは車を使うと30分程で着くが、電車だと、JRまたは京成の佐倉駅から無料送迎バスで20~25分くらい。交通の便は良いとは言えないが、広い敷地で館内の展示スペースにもゆとりがあり、贅沢な施設だ。



 フェリーチェ・ベアト(1834-1909)という人は、わたしも知らなかったが、リーフレットの資料によると、幕末の1863年に来日し横浜を拠点に日本各地の風景や風俗を撮影し1884年に離日、とある。今回の展示は、同館が所蔵している作品180点などが中心。150年ほど前の写真がこれほど鮮明に残っていること自体が驚きだったが、露出やアングルの取り方に卓越したものを感じ、正直言って感動を禁じ得なかった。時間と手間をかけた作品だなあ、と感じいった次第。誘ってくれた、友人夫妻に感謝したい。

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千葉ポートスクエア

2017年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
 9/23(土)夕方、秋風の中、自転車をゆっくり走らせて千葉市の人工海浜ポートスクエアまで行ってきた。下の2枚は、携帯で撮影。液晶画面が消えてきている古い「ガラ携」だが、けっこうがんばってくれている。


 ここまで、自転車で20分くらい。子どもの頃は、ハゼ釣りに来たものだった。今は、釣り人もまばら。あまり、魚もいないのか。


 写真右に見えているのは、千葉ポートタワー。展望室から、晴れた日には、北に筑波山も見えるらしい。

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2016年スウェーデン映画『サーミの血』

2017年09月23日 | 映画
 9/22(金)、千葉劇場にて。悲しい映画だった。



 監督・脚本アマンダ・シャーネル。言語は南サーミ語、スウェーデン語。時代設定は1930年代。北欧ラップランド地方に暮らす先住民族サーミ人を描いた映画。
 劇中、サーミ人達は背の高いスウェーデン人達には「ラップ人」と呼ばれ、劣等民族として人類学上の研究対象にされている。そんな差別的状況の中で、主人公のエレ・マリャは、先住民族向けの寄宿舎を一人抜け出し都市を目指す。自らのバックボーンである民族服を焼き捨て、名前もクリスチィーヌと称し、必死にスウェーデン文化の中に入り込もうとしてゆくが・・・。
 主人公のエレ・マリャを演じたのは、レーネ=セシリア・スパルロクというノルウェーに暮らすサーミ人で、実際にトナカイの放牧に従事しているという。興味深かったのは「ヨイク」といわれるサーミの民族音楽だった。日本のアイヌの歌「ウポポ」にも似た、素朴な旋律と即興性を持った歌は北欧の深い森の中に響き渡る。が、パーティー会場でスウェーデン人達に無理やり歌わされたエレ・マリャのヨイクは、力を失い、けっして響き渡ることはなかったのだった。

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水野忠興著『秋の蝉』(2017年近代文芸社刊)、『ようこそ心療内科へ』(2002年近代文芸社刊)

2017年09月19日 | 本と雑誌
 最近、図書館から借りて読んだ本の中から、同じ著者による二冊。



 著者は、1942年生まれの心療内科医。この本は「自伝」で、書き上げたのは平成6年(1994年)というから、すでに23年たっている。フロッピーに保存されていたものを、今年になって上梓するはこびになったという。
 戦後に、複雑な家庭で少年期から青春期を過ごし、中学生で新聞配達をし、後、横浜国大で経済学を専攻、さらに横浜市大で医学を学んだという。つまり、二つの大学をでて、最終的に医師になった波乱に富む半生が描かれている。読み物としてとても面白かった。
 副題に―砂の器はだれが書いたか―とある。この人の叔父にあたる人に、庄野誠一という作家・編集者がいて、その人についてかなりページを割き詳しく語られている。内容は、どこまで真実か今となっては確認することもできないが、興味深いことに、松本清張の『砂の器』を実質的に書いたのは、その庄野誠一だった、というのだ。本文中には「ブラックライター」という表現を使っているが、普通に言う「ゴーストライター」ではなくて大まかな筋書きなどは元の作家によるところのアシスタントに近いものだったのかもしれない。漫画家などで、ほとんどの作画をアシスタントに任せるのに近かった可能性がある。あえて言えば、影に隠れた「シャドーライター」とでも云うようなものだったのか。膨大な著作を出版する人気作家ともなると読者の知らない所で陰に隠れてルール違反に限りなく近い事が行われているのかもしれない。そう言われてみると、『砂の器』は、他の作品とは文体が微妙に異なる気もする。また『砂の器』は映画化もされているが、基本的なプロットが小説とはかなり差異がある。よく原作者がOKを出したものだ、と感じたものだったが、そのあたりに、遠因があるのかもしれない。



 こちらは、2002年の刊行だが、実質的には書かれたのは『秋の蝉』よりも後になる。「メディカルエッセイ」とあるように、日本医事新報に掲載された随筆を中心にして、一般読者向けに専門用語などを平易な言葉に換えて編集されている。読みやすく、医療の現場からの警告、とも感じられる話が多く興味深い。また、これからの超高齢化社会に向けて「心の準備」にもなりそうだ。遠くない日に、生きていれば確実に、自分も高齢者の一員になるのだから。

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2017年、秋色

2017年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム
 9月も中旬。携帯で少し秋の景色を撮影した。


 彼岸花(ヒガンバナ、またの名マンジュシャゲ)。9/13の夕方、千葉公園にて撮影。光が足らず、すこしブレ気味か。


 9/14午前に撮影。千葉市の寺山町という所で、8/14に、このブログに載せた田んぼの写真の道路を挟んだ向かい側。稲架(はさ)に刈り取った稲を掛け、乾燥させている様子。最近は農家に乾燥機があり、機械乾燥が普通になったので、このような風景は逆に地方ではなかなか見られない。新潟で農業をしている友人にかつて聞いた事があるが、刈り取った稲を自然乾燥されるのは手間もかかり、腰にもかなりな負担がかかる、そうだ。が、味は、自然乾燥させたほうがやはりぐっと良くなるという。おそらく、自家用分で機械を使わずに作っているのだろう。少し、分けてもらいたいくらいだ。

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2016年アメリカ映画『Paterson(パターソン)』

2017年09月10日 | 映画
 9/8(金)、千葉劇場にて。
 特段、これといったストーリーの無い映画。アメリカ映画というと派手なアクションやCGを駆使した娯楽大作というイメージが強いが、この映画はそれらの対極に位置する作品だった。




 監督・脚本はジム・ジャームッシュ。
 アメリカ東部ニュージャージー州の地方都市パターソンに生まれ、今もそこに暮らす土地と同じ名前を持つ主人公パターソン(アダム・ドライバー)。彼は平凡なバスの運転手で、最愛の妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と愛犬マーヴィンと質素に暮らしている。一方で、パターソンは、何気ない日常の中で、心に写った光景を小さなノートに書き留める優れた詩人でもあった。この作品は、そんな彼の一週間を、多様な側面を見せる町や人の表情を丹念に切り取ってゆく。そこに浮かび上がってくるのは、日常の中に隠れた非日常。あるいは安穏で静かな暮らしが、いかに危うさの上に成り立っているのか、という日常の中に潜む特異性。

 身近な知人達のトラブル、バスの故障、妻の副業に関わる時間、愛犬のイタズラ・・・そして妻と夜を過ごすベッドの横にはパターソンが軍隊に居た頃の写真が額に入って立てられている。米軍のことは良くわからないが、写真の制服を見ると、所属していたのは海軍か海兵隊のようだ。決して感情的にならない温和な詩人パターソンも、かつては人間性を失なう事によってしか務まらない場所にいたのだった。
 ラストシーン、愛犬に詩のノートを食い破られたパターソンが意気消沈して滝を眺める。そこに一人の旅人(永瀬正敏)が表れ、パターソン(地名)出身の詩人の話をして、帰り際、パターソンに小さなノートを渡す。白紙のページをパラパラとめくると、そこには新たな詩が生まれ、再び創作意欲が湧き出してくるのだった。

 偶然の中の必然。日本風に言えば「縁」。静かな語りかけ。こういうの好きだなあ。ほんのりとした暖かさが胸に残る。2時間ほどの作品だが、引き込まれたので時間が短く感じた。エンドロールを注視していたら、作中で朗読される詩などは現代アメリカの詩人ロン・パジェット(Ron Padgett、1942~)という人が担当し、舞台芸術にもかなりの手間と人が関わっているらしいことが推察できた。わたしが観たアメリカ映画の中でも非常に優れた作品、と言える。

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わたしのレコード棚―ブルース39、Papa Charlie Jackson

2017年09月06日 | わたしのレコード棚
 パパ・チャーリー・ジャクソンは、6弦のバンジョーを使うブルースマン。


 バイオグラフのLP、BLP-12042。1925―28年、シカゴでパラマウントに吹き込んだ14曲を収録。

 生まれは、1890年頃ニューオリンズと云われている。亡くなったのは、1938年頃シカゴだったらしい。要するに、正確なところはわかっていない。使っているのはギター・バンジョーというもので、写真では見にくいが5弦のバンジョーとは異なり、弦の配列はギターと同じく低音弦から順になっている。5弦バンジョーは、最高音(普通はG音)が一番上、と云うか、握った時に左手の親指に近い方にくる。写真をよく見ると、ピックガードのようなものも写っている。この楽器を使って録音したのは、他にゲーリー・デイヴィスなどがいるが、楽器の特性を生かして本格的に使いこなしているのはこのパパ・チャーリー・ジャクソンのみ、と云えるのではないだろうか。

 かなり広い範囲で活動したらしく、マ・レイニーと録音(下のCD)しているし、ブラインド・ブレイクとも演奏活動を共にしていたらしい。要は、ギター・バンジョーという音量がある楽器を駆使してエンターテイナーとして生きた人だった。1930年代は、シカゴで街角やクラブ、パーティーなどで演奏し、一部の資料によるとビッグ・ビル・ブルーンジーにギターを教えた事もあるという。演奏スタイルは、かなり多様性に富んでいて、楽器の特性を利用してのカット奏法など、ギターブルースでは出せない雰囲気を醸し出している。アメリカでの初期ショービジネスの音を今に伝える貴重な録音と云えるだろう。


 P-ヴァインのCD『Ma Rainey』。わたしが『ブルース&ソウル レコーズ』にレヴューを書いたので、その時にP-ヴァインから貰ったもの。この中に、1928年頃シカゴの録音で、マ・レイニーとパパ・チャーリー・ジャクソンの掛け合いのデュエット「Ma And Pa Poorhouse Blues」が入っている。

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2016年スペイン映画『パッション・フラメンコ』

2017年09月01日 | 映画
 8/31(木)、千葉劇場にて。
救急搬送されてから、ちょうど1週間。映画を観に行けるほどに回復したことを喜ぶべきか、たいした病気でもなかったのに救急車を呼んだことを恥じ入るべきか。う~ん、結果だけで判断するのはこの際止めておこう。歳をとると、後遺症が残るのが怖くなるもので、自立した生活を少しでも長く続けられるように心配が先に立つ。また、あの日(8/25)は日中35度ほどの気温で、昼間、掛かり付け医の所まで歩いていくのもしんどかった。その意味では、空調の利いた寝台が備えてある救急車は安心感がある。今回は、そのありがたさが身に沁みた。タクシー代わりに使う人も居ると聞くが、本当に必要な時に頼みたいものである。

 さて、本題。



 原題は『Sara Baras Todas Las Voces』。監督は、ラファ・モレス、ペペ・アンドレウ。現代のフラメンコ界を代表する踊り手の一人サラ・バラスの世界ツアーを様子を追ったドキュメンタリー。早くて正確なステップ、切れのあるするどい回転、見事な踊りをカメラは捉えている。ただ、ひとつのカットが短すぎる気がした。長くても20秒くらい、10を数える間に目まぐるしくカットが変り、めまい持ちの身としては目が回る感じがして、正直言って見づらかった。
 さらに、比較してはいけないかもしれないが、1993年に東京で見たクリスティーナ・オヨスと比べると、表現しているものが根本的なところで異なる様に思えた。どちらが良いか、という問題では無いが、オヨスは「動の中の静」を奥深いところで見せてくれた気がする。しかし、映像と、実際に見たものとでは違うので、この比較は意味が無いかもしれない。

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