文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚ーブルース149 Jukeboy Bonner

2021年08月29日 | わたしのレコード棚
 ジュークボーイ・ボナー(Jukeboy Bonner)は、本名ウェルダン・フィリップ・ボナー(Weldon Philip Bonner)。1932年3月22日テキサス州ベルヴィル(Bellville)に生まれ、1978年6月28日同州ヒューストンで亡くなっている。日本ではほとんど知られていないブルースマンだが、演奏実績はあり、録音も少なくない。
 この人は器用な人で、ギターやヴォーカルはもちろんのこと、ハーモニカやドラムスまで演奏出来た。時に、一人でそれらをこなして、ワンマンバンドで演奏したという。ギターは、12歳の頃から独学で習得し、若い頃からジュークジョイントで演奏していたので「ジュークボーイ」というニックネームが付いたと言われる。1948年、ヒューストンのラジオ局KLEEのコンテストで優勝し、その後はブルースクラブやハウスパーティでも演奏した。
 1954年にカリフォルニアに移り「IRMA」というレーベルに吹き込みをしたが、これはリリースされなかった。3年後には再びテキサスに戻り、1963年に胃潰瘍で手術を受け、胃の半分ほどを切ったという。’63年と言えば、公民権運動が高まりワシントン大行進があった頃だ。その頃のアメリカ南部で、黒人の胃の手術は稀有なことだったろう。何しろ、黒人の受け入れを拒否する病院、あるいはホテルも多かった頃だ。保険制度の無いアメリカでは、かなりな出費もかかることになる。資料によると、この人はヒューストンの養鶏場で働いていたとあり、あるいは生活は安定していたのかもしれない。
 1967年以降は、アーホーリーなどに録音。大きなブルースフェスティヴァルに出たり、ヨーロッパツアーに参加したりしている。酒飲みだったのか、肝硬変により46歳の若さで亡くなっている。


 1972年頃の録音で、GNPクレシェンドというレーベルのLP10015。SONETというスウェーデンのレーベルが原盤。ライナーノーツは、サミュエル・チャータース。
 ジャケットの写真では、ハーモニカをホルダーにかけて構えている。このように、ギターを弾きながらハーモニカを演奏する人は多いが、ボナーのすごいのは喉を使ってビブラートをかけてハープを吹けるところだ。それがまた、ごく自然に聞こえ、まるでハーピストが別にいるようにさえ感じる。そして、言葉も豊富だ。写真ではエレキギターをかまえているが、音を聞いた感じでは録音にアコースティックギターを使っているようだ。さらに、その内の数曲は12弦のようにも聞こえる。ボナーはワンマンバンドで演奏できたというが、残念ながらこのアルバムでは、ドラムスなどの打楽器は入っていない。


 アレックス・ムーアのLPのジャケット裏にある、1969年のヨーロッパツアー時の写真。
 後方左から、アール・フッカー、クリーヴランド・シェニエ、マジックサム、キャーリー・ベル、ジョン・ジャクソン、ロバート St ジュディ。そして下段、左端で跪いて横顔しか見えないがジューク・ボーイ・ボナー、続いてクリフトン・シェニエ、マック・トンプソン、中腰で微笑んでいるのがアレックス・ムーア。素晴らしいメンバー、と言うほかはない。

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電子書籍サービスを使ってみて

2021年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 このブログの8/5にも書いたが、千葉市の図書館が電子書籍サービスを7月末から始め、図書館の利用者登録をしていれば使えるようになった。

 そこで、このところ試しに色々と検索して、すこしパソコン上で読書してみている。当初は、本を画像にしたものを閲覧出来るようにしている、と考えていたが、むしろ文字情報(テキスト)としてデータ化されているものの方が多いようだ。アマゾンで配信している電子書籍kindle(キンドル)などは、すでに200万冊を超えているようだが、データとしても販売しているものは、それを買えばよいだけの話になる。必然的に、新刊や再版された本が電子書籍サービスのデータベースに多く加わることになる。読み上げサ-ビスに関しても、人の声ではなくコンピューターにより合成された音声になり、男性か女性の声を選べる。機械的な声になるので、味気ないとは言えるが、無いよりははるかに良い。文字の大きさ、コントラスト、シャープネス、反転など、かなり自由に変えられる。画像データでは、読み上げ機能は使えないし、文字の大きさ変更なども限度がある。ちなみに、「リフロー」と表示されているのが文字の表示方法をかなり変更でき、「フィックス」となっているのが固定されているものらしい。「フィックス」というのが、画像やあるいは古いタイプのデータらしいが、詳しいことは分からない。

 文学部の学生として文庫本を常に携行して青春時代を過ごしたものにとっては、パソコンで読書することに少なからず抵抗はある。が、紙の消費がほぼ無くなり、印刷にかかるエネルギーも節約できるので、電気を使って読書することが一概にエネルギーの浪費をしている、とは言えないだろう。「時代の恩恵」のひとつと思って、利用させて貰うことにしたい。

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わたしのレコード棚ーブルース148 Hound Dog Taylor

2021年08月22日 | わたしのレコード棚
 ハウンド・ドッグ・テイラー(Hound Dog Taylor)は、本名セオドア・ルーズベルト・テイラー(Theodore Roosevelt Taylor)。1917年4月12日にミシシッピ州ナッチェス(Natchez)で生まれ、1975年12月17日にシカゴで亡くなっている。ハウス・ロッカーズ(The House Rockers)を率いて、エレキギターでスライド奏法によるエッジの効いたオーバードライブに近いサウンドと、あまりうまいとは言えないが特徴のある声でロックに近いノリで歌うブルースマンだった。
 ハウス・ロッカーズは、テイラーの他に、ギターのブリューワー・フィリップス(Brewer Phillips)、ドラムスのテッド・ハーヴェイ(Ted Harvey)の二人。テイラーの音楽は、あくまでこの2人と共に作り上げられている。ラフな音のようにも聞こえるが、3人の演奏はコントロールされており、リズムのアクセントポイントは一致している。この二人がいなければ、おそらくテイラーはただの場末のギタリストに過ぎなかっただろう。それほど、息が合っているように聴こえる。
 バンドの中にベースはいないが、ブリューワー・フィリップスが巧みにベースラインを弾いて全体を引き締めている。わたしの聞いた限りでは、フィリップスはギターの調弦を全体に1音下げているようだ。少なくとも低音弦側は下げていると感じる。テイラーの演奏はオープンDが多いので、それに合わせるためにも6弦をDに落とすと演奏しやすいこともあるだろう。
 一口にブルースと言っても、ブルースマンにより微妙にリズムアクセントの位置が異なるものだ。その微妙なズレが自然な揺らぎとなり、味わいともなるのだが、時には乱雑で収拾のつかない音楽に陥ってしまうことにもなる。まあ、それはそれとして、1917年の生まれなのにテイラーの音楽は今聞いても後のハードロックに通じるようで、新鮮味があるものに聞こえる。マディ・ウォータースが1915年生まれなので、テイラーとほぼ同世代。しかし、残された録音で比較するとアンプの使い方などに、時代を先取りしていたものを感じる。ちなみに、エルモア・ジェイムスの曲を多く取り上げているのでフォロワーのようにいわれることもあるテイラーだが、エルモアは1918年生まれなのでテイラーの方が1歳年上だ。ただエルモアは1963年に45歳で亡くなっており、テイラーが本格的なアルバムを出した1971年までにエルモアのナンバーを自分なりのスタイルに組み込んでいった、というところだろう。


 アリゲーター原盤のLP、AL4701で、日本ではアトラスレーベルから歌詞カードなどが付いてLA23-3015として出ていた。1971年と1973年のシカゴ録音10曲。下の画像はジャケット裏面。後述するブルース・イグロアによるLP内の解説によると、テイラーの使っているギターは「日本製超安物」で、スライドバーは「キッチンのイスの足で作ったもの」だったという。写真だけでギターの判別はできないが、テスコのようにも見える。

 写真のように、テイラーはいつも座って演奏し、ブリューワー・フィリップスは立って動きながら演奏していたという。


 同じくアリゲーター原盤のLP、AL4704。アトラスLA23-3003、高地明氏の解説が付いている。その解説には「・・恐らく1973年の終わり頃にレコーディングされた、テイラーのセカンドアルバム・・」とある。

 同裏面。1975年にテイラーが58歳でガンにより亡くなった後のハウス・ロッカーズのメンバー2人は、それぞれシカゴのブルースシーンでセッションマンとして活動した。若い頃メンフィス・ミニーにギターを教わった事もあるというセカンドギターのブリューワー・フィリップスは1999年8月30日74歳で、ドラムスのテッド・ハーヴェイは2016年10月6日85歳で、共にシカゴで亡くなっている。

 そしてもう一人、ハウス・ロッカーズを語る上で忘れることが出来ない人がいる。それは、アリゲーター(Alligator)レーベルの設立者であるブルース・イグロア(Bruce Iglauer)である。

 日本では、キングレコードから出た2枚組CDで、KICP2394/5。1971年から1991年までのアリゲーターに録音された様々なミュージシャンの代表曲を20周年記念盤として発売されたもの。全35曲を収録。この中にイグノアが1991年1月に書いた「アリゲーター物語」と題する小冊子(鈴木啓志訳)が解説を兼ねて入っている。以下に、簡単な要約を載せておく。
『・・田舎者の一人の白人の少年がシンシナティの郊外からやってきてハウンド・ドッグ・テイラー、ブリューワー・フィリップス、テッド・ハーヴェイの3人を聞き、「よしレコーディングしなきゃ」と思い立った時こそ、フローレンスでアリゲーター・レコードが出来た時といっていいのかもしれない。・・私は彼らを愛し、レーベルを始めた。・・』。文中の「フローレンス」とは、シカゴのサウスサイドにあったブルースクラブの名前。イグノアは1947年ミシガン州生まれなので、アリゲーター設立時には20代半ばだった事になる。

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千葉市の感染状況

2021年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日8/18(水)、ここ千葉県の感染者数は1692人で過去最多。依然として、増加傾向は止まらない状況が続いている。
 ステイホームして1日も早いピークアウトと緊急事態宣言の解除を願っているのだが、その兆しすら見えず、宣言の延長と対象地域の拡大が決まった。先週、千葉県下では60代の男性2人が自宅療養中に亡くなっているのも確認されている。入院先が見つからず、自宅で待機している間に容態が急変したらしい。わたしと同年代の人のことで、身につまされる。

⊡以下東京新聞より抜粋
 「千葉県は17日、新型コロナウイルスに感染していた2人が自宅待機中に死亡していたと発表した。
 1人は60代男性で今月上旬に検査で陽性が判明。県が9日から入院先を探していたが、13日に自宅で倒れているのが見つかり、搬送先で死亡が確認された。もう1人は60代男性で10日に感染が判明。自宅待機中の12日朝、死亡が確認された。」8/18

 そして、千葉市の感染状況も深刻度を増してきている。

⊡以下gooニュースより
千葉市消防局では、先週1週間で、コロナ患者の救急搬送の半分近くは、搬送先が見つからず、中には、88回受け入れを断られたケースもありました。
千葉市消防局救急課・新濱秀樹課長補佐
「(受け入れを断られるのが)50回以上っていうのも、ほぼ1日1件ずつくらい見られる形になっていて、毎日が本当に1年に1回あるかないかの状況」8/18

⊡以下ER(救急救命)の医師のテレビインタビューより
「このままでは(コロナにより)自宅や路上で人が死ぬのは日常的な事になる。」

 つまり、道で倒れている人がいても、近寄り「どうしました、大丈夫ですか」と声をかけることはすでに迂闊で危険なことになっている。この国の為政者や官僚達が、これほど危機管理が出来ないとは思わなかった。

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緊急事態宣言下でも・・

2021年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
 コロナ感染者数増加中。ここ千葉県内では昨日14日(土)、過去最多となる1272人の新型コロナウイルスへの感染が確認された。他に、埼玉や神奈川でも過去最多を確認して、1都3県で1万人を超える感染者数だった。そして、ここ数日の大雨。九州北部では、降り始めからの雨量が1000ミリ、つまり1メートルを超えたところもある。今日は、関東でも大雨警報が出て、一部の地域では土砂崩れが発生している。

 東京都のモニタリング会議で専門家は、「制御不能」「自分の身は自分で守ってください」とコメント。要は、お手上げ状態。「コロナ感染したら、自然に治るか死ぬか、どちらかです」ということだろう。まあ、たまたま病院に入れた人はラッキー、という状況になっている。なので、自分だけは大丈夫、という正常値バイアスは幻想にすぎない、と認識すべきではある。
 普通なら認可されないような副反応があるワクチンを覚悟して打っても変異株には効力が弱く、イギリスの専門家は「集団免疫の獲得は困難」と言っている。貧しい国には未だにワクチンは届かないのに、一部の国では3回目のブースター接種を始めている。WHOは、広くワクチン接種を世界に広めなければコロナウィルスは次々と変異し、いつまで経ってもパンデミックは終わらない、と警告している。

 今月いっぱいの予定だった緊急事態宣言の延長は避けられないだろう。そんなわけで、多くが休業している千葉市内のライブハウス等は、いつになったら再開できるか目途が立たない。歴史的に見れば、疫病で滅んだ文明は見当たらない。おそらく、数年後には新薬と安全性の高い有効なワクチンが出来て、コロナウィルス感染症も収束に向かうだろう。が、その頃自分は70歳近くになることになる。それまで、健康を維持して良い演奏が出来るだろうか。不安だが、それでも練習を続けたい。

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わたしのレコード棚ーブルース147 Memphis Slim

2021年08月11日 | わたしのレコード棚
 ピアニスト・ヴォーカリストのメンフィス・スリム(Memphis Slim)は、1915年9月分3日にテネシー州メンフィスで生まれ、1988年2月24日にフランスのパリで亡くなっている。1940年にOkehレーベルに録音した際にピーター・チャットマン(Peter Chatman)の名を使ったので、下のLPライナーノーツや複数の資料で、本名をピーター・チャットマン(Peter Chatman)としている。しかし、この名は本来彼の父の名で、ジョン・レン・チャットマン(John Len Chatman)が戸籍上の本名らしい。彼の父は、ピアノはもちろんギターも弾き、ジュークジョイントの経営もしていたという。なので、敬愛するこの父の名を録音時などで使ったらしい。

 余談だが、チャットマン(Chatman)というファミリーネーム(姓)からは、どうしてもミシシッピー・シークスの主な構成員だったチャットマンファミリーを思い浮かべる。あるいは、何らかの血縁があるのだろうか。いくつかの資料を当たってみたが、その点は分からなかった。

 スリムはメンフィスで生まれ育っているので、時にビールストリートにあったクラブなどで働き、そこでプレイしていたピアニスト達の演奏スタイルを見聞きして習得していったらしい。シカゴに出たのは、1939年頃のことというから、20代半ばだった事になる。シカゴでは、すぐにレコーディングの機会に恵まれ、すでに述べたようにピーター・チャットマンの名でOkehレーベルに吹き込む。その後は、ビッグ・ビル・ブルーンジーの相棒だったピアニストのジョッシュ・アルタイマー(Josh Altheimer)が1940年に亡くなったので、そのあとを受け継ぎメンフィス・スリムの名で1944年頃までブルーンジーと活動している。

 名曲『Everyday I Have The Blues』を書いたのは1955年で、1962年にはパリに移住する。’62年に「American Folk Blues Festival」ツアーの1員としてヨーロッパを訪れており、ヨーロッパでもピアニストとして生きていけると感じたらしい。事実、ヨーロッパでもパリを拠点に演奏・録音を続け、1988年にパリで亡くなっている。

 我が家にはスリムの写真が無かったので、ネットから拝借してきた1枚。

 スリムはセッションマンとして様々な録音に参加しているので、バッキングをつとめているレコードが我が家には多い。が、主たるヴォーカルを取っているものは結構少ない。以下に、その中から主だったものを載せておこう。


 ソニーレコードから出ていたCD、5679。このオムニバスCDの中に、ピーター・チャットマン&ヒズ・ウォッシュボード・バンド名義で1940年シカゴ録音の「Diggin' My Potatoes No.2」という曲が入っている。Okeh原盤で、スリムはピアノとヴォーカルで、ウォッシュボードはウォッシュボード・サム。これが、最初の録音と思われる。解説はデイビット・エヴァンスで、国内盤なので歌詞や対訳も付いている。曲名を直訳すれば「ジャガイモ掘り」となるだろうが、性的な意味が隠された隠語だろう。


 これが、1962年のヨーロッパツアー「American Folk Blues Festival '62」時、ハンブルグでのライブ録音LP。ドイツのレーベルLR RECORDSの42.017。Tボーン・ウォーカーのバッキングやウィリー・ディクソンとの息の合ったデュエットが聴きどころ。


 ウィリー・ディクソンの項でも紹介したBluesvilleレーベルのLP1003。ヴォーカルをとっているのは全てジャケット写真のディクソンで、スリムはバックでピアノを弾くことに徹している。ジャケットには詳しいレコーディング・データは書かれていないが、他の資料では1960年頃にシカゴで録音されたものとしている。つまりヨーロッパ移住の数年前に録音されたもの、となる。けっこう繊細さを持った演奏で、それがヨーロッパでは受け入れられていったのかもしれない。

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わたしのレコード棚ーブルース146 BLUE LADIES

2021年08月09日 | わたしのレコード棚
 ブルースの隠れた名盤を1枚紹介しておこう。オーストリアのDOCUMENTレーベルのCD 5327『BLUE LADIES 1934-1941』。



 女性ボーカリスト6人が、1934年から1941年までに録音した曲を集めたオムニバスCDになる。その頃に、シカゴのクラブなどで歌っていた女性達の中から、「ARC」「ヴォキャリオン」「ブルーバード」といったレーベルのスカウトたちの目に留まった女性ヴォーカリストに、実力のある演奏者をバックを付けて録音したものと思われる。時代はヨーロッパでナチスドイツが台頭してきた頃から世界大戦にまで戦火が広がる頃で、当時のシカゴのミュージック・シーンを感じ取れる貴重な録音と言える。

CDに入っているのは以下の6人で、インターネット等でも調べてみたが、いずれも詳しい事跡は分からない。
◎アイリーン・サンダース(Irene Sanders)、1934年10月シカゴ録音3曲。
◎ステラ・ジョンソン(Stella Jhonson)、1936年9月シカゴ録音2曲・同10月1曲。
◎ロレイン・ウォルトン(Lorraine Walton)、1938年2月シカゴ録音2曲、同年3月イリノイ州オーロラ録音4曲。
◎ハッティー・ボルテン(Hattie Bolten)、1938年5月シカゴ録音5曲。
◎ミニー・マシューズ(Minnie Mathes)、1938年9月シカゴ録音3曲。
◎カンザス・ケイティー(Kansas Katie)、1941年12月シカゴ録音4曲。

 副題では「The Complete Recorded Works ・・」となっているので、これらが現在確認できる、彼女たちの残した全ての録音になると思われる。いずれも、ブルースのコード進行に沿った曲をアレンジして歌っている。
 ギターのビッグ・ビル・ブルーンジーやジョージ・バーンズ、ピアノのブラック・ボブやブラインド・ジョン・デイヴィスさらにはメンフィス・スリムなど、いずれも当時シカゴで演奏していたトップミュージシャンがバックを務めている。バッキングを聴くだけでも、かなり聴きごたえがあり、楽器を演奏する者にとっては勉強にもなる。特にブルーンジーは、ブルースのセッションにおける「お手本」とも言うべき演奏を聴かせてくれている。シンプルだが、気負いのない演奏は素晴らしい。

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千葉市の電子書籍サービス

2021年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
 千葉市の図書館が、7/30からデジタル化した本をパソコンやスマートフォンで読める配信サービスを開始した。千葉市内に住所か勤務先のある人なら、利用者カードを登録をすれば誰でも使える。
 まだ8000冊程度だが、図書館に行く必要がないのでコロナ対策にもなるし、字の小さな文庫本などもパソコンの画面では大きくなって読める。一部の本は、読み上げサービス付きなので、すかっり目が弱った自分には助かる。ただし、読み上げを聞くのと自分で読むのでは、印象にかなりの差異が生じることは否めない。それでも、内容を知ることが出来るのはありがたい。

 おそらく、専用のスキャナーで読み取り、それをアップロードするという作業を繰り返しているのだろう。自分も同じ作業をしたことがあるので、その大変さはよく分かっている。1日に数千頁の読み込みを行ったこともあるが、スキャンもれが無いようにページを追いながらの作業は神経を使うし、楽な仕事ではない。さらに、読み取った後も、撮り漏れやブレ等が無いか検査する必要もある。

 電子書籍の利用にも本と同じように制限があり、一人が一度に借りられるのは2冊までで、期間は2週間。利用されている本は、その間、他の人は読めない仕組みになっている。おそらくこれは、著作権保護のためだろう。2週間が過ぎると自動的に返却され、アクセス出来なくなる。その間に読み終わらなかった場合は、もう一度借りることになるが、予約が入っている場合は予約者が優先になる。

 出来れば、全ての蔵書をデジタルで見られるように、あるいは聞けるようにしてもらえるとありがたい。

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わたしのレコード棚ーブルース145 Eddie Boyd

2021年08月02日 | わたしのレコード棚
 今ではブルースのスタンダードになっていて、多くのブルースマンが取り上げる『Five Long Years』という曲がある。1952年にR&B部門ヒットチャートで1位になったが、それを作ったのがピアノとヴォーカルのエディ・ボイド(Eddie Boyd)だった。
 生まれは、1914年11月25日ミシシッピ州クラークスデイル。1936年というから、22歳の頃にメンフィスに移動。ピアノは独学で習得し、5年間ほどメンフィスのクラブなどでプレイした後、1941年にシカゴへ出た。シカゴでは、ジョニー・シャインズ、サニーボーイ・ウィリアムソン#1、さらにはマディ・ウォータースなどと共演を重ねた。1965年にアメリカン・フォークブルース・フェスシバルでヨーロッパツアーに参加。そこでの待遇が良かったためか、1960年代後半にヨーロッパに移住する。当初はパリに住んでいたが、1971年にフィンランドのヘルシンキに移り、そこで1994年7月13日に亡くなっている。

 ヨーロッパではピアニストの需要があったらしく、ブルース系のピアニストでヨーロッパに移住した人は少なくない。メンフィス・スリムは、1962年にパリに移住し、その地で1988年に亡くなっている。さらに、チャンピオン・ジャック・デュプリーはヨーロッパに移住し、ドイツのハノーヴァーで1992年に亡くなっている。スリムは1915年生まれで、ボイドとほぼ同い年。デュプリーは1909年生まれなので、ボイドより5歳ほど年長だが、同世代と言えるだろう。その世代の過ごしたアメリカは、たとえ北部のシカゴでも、黒人の生活する環境は厳しいものであったことを、これらのブルースマン達のヨーロッパ移住は物語っている。


 カリフォルニアのGNP CrescendoというレーベルのLPでGNPS-10020。原盤はスウェーデンのSonetというレーベルから1976年頃に出たものらしい。レコーディングデータは書かれていないが、「ヨーロッパ・スタジオ」録音と記載されているおり、別の資料には1973年の録音と記載されている。プロデューサー及びライナーノーツはサミュエル・チャータース。バンド形式の録音で、ギター、ハーモニカ、テナーサックス、ベース、ドラムス、などが加わっている。特に、ギターとハーモニカそしてバック・ヴォーカルをつとめているPeps Perssonという人が好サポートしている。


 サニーボーイ・ウィリアムソン#1のCDで、DOCUMENTレーベルの5059。1947年シカゴでの録音4曲でボイドがピアノを担当している。ここでボイドは、ジャズの雰囲気を持った、なかなかにモダンなピアノを弾いている。それが、サニーボーイ・ウィリアムソン#1のストレートなブルースハープとうまく絡み合い、アコースティックなモダンブルースを作り上げている。ウィリアムソンは、この翌年1948年6月に暴漢に襲われて亡くなっている。なので、この録音くらいがアコースティックな響きを尊重した最後のシカゴブルース、とも言える。これ以降は、エッジのきいたエレキギターが前面に出てくるようになり、ハーピストもハーモニカにマイクを付けて手に持ちアンプリファイドするのが標準になってゆく。ウィリアムソンはクラブでの演奏終了後、帰宅途中に殺されたが、その日はボイドが共演しており、仲間が無残な殺され方をしたのを目の当たりにしたらしい。上のLP解説の中で、この事件の20年後にボイドがヨーロッパに移住したのは、共にプレイした仲間が不条理な死に方をしたのを目にしたのが一因ではないか、とチャータースは指摘している。


 VANGUARDレーベルの2枚組CDで、1960年代に行われたニューポート・フォークフェスティヴァルからのライブ録音。ここでボイドは1曲だけだが、ベースのウィリー・ディクソンと共に『Five Long Years』を演奏している。ディクソンはその実力を存分に発揮し、息の合った演奏になっていて、わたしの好きな録音。歌詞の一部を拙訳を付けて載せておこう。

I got a job in a steel mill chucking steel like a slave(製鋼所で仕事を見つけ、奴隷のように鉄を叩き続けた)
For five long years ever Friday(5年もの間、週末に・・)
I went straight home with all my money(稼いだ金を持って、真っ直ぐ家に帰った)

I worked five long years for one woman (一人の女のために 5年も働いたんだぜ)
And she had the nerve to put me out (それでも あいつは癇癪おこして 俺を追い出しやがった)

 ちなみにボイドはシカゴへ出てきた頃、音楽だけでは生活できず、実際に製鋼所で働いていたという。あるいは、この歌詞に近いことが、ボイドかあるいは彼の周辺に現実にあったのかもしれない。良い音楽は、現実の中から生まれるものだ。

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