文化逍遥。

良質な文化の紹介。

上総亀山2024/11/24

2024年11月26日 | 旅行記
 11月24日(月)、JR久留里線の終着駅、上総亀山に行ってきた。紅葉で有名な亀山湖があるので、この時期だけ運転本数を増やしている。

 今年の猛暑で、樹々の色づきは今ひとつ、という感じだった。湖の周辺を2時間ほど歩いたが、途中道に迷ったりして、ハイキングコースの目印がちょっと少ない印象だった。コンビニなどないので、行くときには水や食べ物など、それなりの準備をしておくと安心だ。


JR上総亀山駅。千葉から2時間ほど。


無人駅で、スイカなども使えない。乗車する時には「乗車証明書」を機械から打ち出して、それを降車駅で見せて精算する。周辺には、飲み物の自動販売機などもない。


亀山湖。


小櫃川をダムで堰き止めた人造湖。


亀山ダム。

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磯田道史著『無私の日本人』2015/6/10文藝春秋 刊

2024年11月19日 | 本と雑誌
 テレビでもお馴染みの歴史学者磯田道史氏の著書『無私の日本人』を図書館から借りて読んだ。丁寧に史料にあたって、それを平易な文章で小説に仕上げており、読後に満足感が得られた。

 内容は、三話に分かれており、江戸中期から後期、明治にかけて実在した人々を時代背景とともに物語ってゆく。第一話は穀田屋十三郎で、伊達藩仙台近くの貧しい宿場町吉岡に生まれた商人。第二話は中根東里で、江戸時代を通じて空前絶後の詩才の持ち主ながら、栄達を求めず、極貧のうちに村儒者として死す。第三話は大田垣蓮月で、津藩家老の娘として京都の花街に生まれながらも家庭に恵まれず、一流の歌人であったにもかかわらず、尼僧として京都郊外に庵をむすび貧しい者の世話をした。
 それぞれが、私利私欲にとらわれることなく、貧しい生活にあえぐ人々のために「無私」の活動をした人達。わたしは知らなかったが、この作品の中の穀田屋十三郎の話は2016年5月に『殿、利息でござる!』として映画化されており、その原作でもある。

 武士の時代であった江戸期の「民生」については、なかなか理解しにくい。今の戸籍簿にあたる「人別帳」は寺の管轄で、寺は戸籍役場でもあり、婚姻や生死に関わる記録・管理は僧侶がになっていた。そのあたりまでは分かるのだが、さらに、庶民の教育や福祉といった、今の厚生労働省や文部科学省の仕事は誰が担っていたのだろう。それが、ずっと疑問だったが、この本を読んで少し理解できたように感じた。早い話が、篤志家達に頼っていた、ようだ。ボランティア活動の様なもので、他人の困難を自分のこととして世話をする人達が確かにいて、その方たちが本来幕府がなすべきことを代わりに担っていたらしい。あるいは、そのあたりが江戸という時代の抱えた大きな矛盾だったのかもしれない。


こちらは、ネットから借用した画像。

こちらが、わたしが図書館から借りて読んだ大活字本。


 閑話休題ーわたしが社会人になったのは昭和の50年代だったが、その頃「株式会社」というのは社員のために存在する、という社会通念が残っていたように思う。社員の生活が第一で、株主に配る配当金は「おこぼれ」と言っては言い過ぎかもしれないが、後回しだった。投資家の多くが、良い会社だから配当は少なくても投資しよう、としていた。それが、いつの間にかアメリカから来た株主優先の社会通念に変化してしまった。株式会社は、投資した株主に利益を還元するために存在するもので、従業員はそのための手段にすぎなくなった。「新資本主義」とも言われるが、金を投資という名で動かしてゆくことが最優先されている。バブル期のころだが、仕事の先の社長が証券会社に勤める友人から「金を転がせばいくらでも儲かるのに、何で汗して働いてんだ?」と、言われたという。IT技術の進歩は、さらにそれを加速し、生産するよりも、資金運用することに重点を置く社会になってしまった。汗して何かを作る人間よりも、パソコンの前で投機する者の方に金が集まってゆく。特に問題なのは、外国為替市場における差額レートを利用したFXと言われる取引だ。本来は、労働者に配分されるべき利益が吸い取られてゆく。これで、人心が荒廃しない訳がない。多くの人がその点を危惧しているが、悲しいことに人は目先の利に惹かれてしまう。「トリクルダウン」など夢のまた夢。格差は広がり、アルバイト感覚で犯罪に走る若者が増える一方だ。このままでは「負のスパイラル」に陥るように思えてならない。「無私」の精神から遠くなってゆくばかり。あるいは、悲観が過ぎるかもしれず、杞憂なのかもしれない。自分でも、過度な心配、であれば良いと思っている。

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わたしのレコード棚ーブルース165'Doctor' Isaiah Ross

2024年11月12日 | わたしのレコード棚
 ’ドクター’アイザイヤー・ロス('Doctor' Isaiah Ross)は、1925年10月21日ミシシッピー州Tunicaに生まれ、1993年5月28日にミシガン州Chevroletで亡くなっている。ネイティブ・アメリカンの血を引くともいわれている。

 下はP-ヴァインから出ていたLPレコードで、PLP352『Memphis Breakdown』。ヴォーカル・ハーモニカ・ギターで「Chicago Breake Down」など14曲を収録。1952から1954年にSUNレーベルに録音された若い頃の録音。’ドクター’ロスは、ギターを弾いて歌い、さらにハーモニカを吹いたりドラムを足で打ち鳴らし演奏できる「ワンマンバンド」プレーヤーでもあるが、このLPではドラムスやピアノなどのメンバーが入っている。この録音は、後のロックに影響を及ぼし、エリック・クラプトンなどもコピーしている。


ジャケット写真の様に、ロスは左利き。表題『Memphis Breakdown』のとおり、ヒル・カントリー・ブルースとも言われるメンフィスのビートが彼の音楽を特徴づけている。



LP盤内のSUNのロゴマーク。SUNレーベルは当時エルビス・プレスリーが在籍していたことでも知られている。



 こちらは、1993年1月10日にミシガン州フリント(Flint)公共図書館で行われたライブ演奏の貴重な映像を収録したビデオテープ。「The Last Concert」と表題されており、亡くなる4ヶ月ほど前の演奏になる。発売は「Back Alley Blues Productions」となっている。フリントは、同州の大都市デトロイトから100キロほど離れたところで、ロスは死後この地に埋葬された、と解説にある。おそらく、地元の文化を紹介するために図書館が企画した演奏会だろう。
 以下の3枚は、ビデオ映像をデジカメで撮ったもの。





 バスドラムやハイハットを踏み鳴らしながらのワンマンバンド演奏。図書館だけあって、後方に書架が見えている。ブルースの映像としては珍しく貴重。
 LPで聴ける若い頃の演奏に比べ、かなり繊細さを感じる演奏で、特にハ-モニカは郷愁さえ感じる音色だ。加齢による衰弱は否めないが、死ぬ4ヶ月ほど前にこれだけの演奏が出来ることに尊敬の念を禁じ得ない。ミュージシャンの端くれとしては、こうありたい、と感じる。

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久留里城2024/11/1

2024年11月05日 | 旅行記
 11/1(金)、思い立って房総半島の中央部を走るJR久留里線に乗ってきた。


千葉駅から40分程のJR木更津駅。左奥に止まっているのが内房線で、奥が千葉・東京方向。ここから右端に止まっている久留里線のディーゼル列車に乗り換えてゆく。こちらも写真奥の方向に向い、この先で線路は右方向に曲がり、内陸に向かってゆく。


JR久留里駅。田園地帯をゆっくりと走り、木更津から50分程。多くの列車が、ここを終点として、折り返しの上りの列車になる。が、終着駅はこの先写真左奥方向に進んで「上総亀山」になる。終着まで行く列車は、日に数本しかない。この久留里線のほとんどは無人駅だが、ここは駅員さんが常駐している。観光地でもあり。駅とその周辺なかなかきれいだ。
 久留里線はJRの中でもかなりな赤字路線で、いずれ廃線の憂き目に合いそう。なので、一度乗ってみたいと思い、出かけることにしたのだった。今回は、ダイヤの都合でここ久留里まで。もう少しすると紅葉の季節なので、近いうちにもう一度出かけて上総亀山まで行き、駅から歩いても行けるという人造湖の亀山湖で紅葉でも見たいと思っている。


せっかく来たので、戦国時代の里見氏の根拠地でもあった久留里城までハイキング。ここは名水の里としても知られ、写真の様に町の所々で湧き水が飲めるようになっている。遠くから汲みに来る人も多いようだ。この日は、気温22度ほどで、歩いていると少し汗ばむ陽気。試しに飲んでみると、のどの渇きもあって、冷たくてわずかな甘みを感じ「うまい」。こんな水に恵まれた土地に暮らす人は贅沢だ、と思った。「この辺りにスタジオ兼別荘でもあればいいなあ」と、夢見たのだった。


お城に上るのに舗装された緩やかな道もあるが、昔日の武士の思いを感じようと、古い登城道を行くことにした。足場は悪く、かなり急な登りで、息を切らして進んだ。裃姿の武士とすれ違いそうな錯覚に陥る。道幅が狭いのは、敵の侵入を食い止めるためだろう。




上の2枚は、天守近くの曲輪(くるわ)から房総の山々を撮影。少し、靄っていたが何とか遠くまで見渡すことができた。ここまでくると空気がきれいで、時間の流れもゆったりとしている。なんとなく、体が喜んでいるようだ。


久留里城。駅から歩いて40分程。昭和に再建された建物で展望施設があるようだが、今は入れなくなっている。少し下った所に入場無料の資料館があり、鎧兜・具足・古文書などが展示されている。


城に向かう途中にある歴史について書かれた案内。

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