文化逍遥。

良質な文化の紹介。

千葉市の貝塚―園生(そんのう)貝塚~千葉山遺跡

2018年04月27日 | 考古・エッセイ
 4/26(木)午後、気温23度ほど。自転車で走るには良い気候で、花粉も少なくなってきた。今回行ったのは、我が家から自転車で15分程の所にある「園生(そんのう)貝塚」と、そこから500メートル程のところにある「千葉山遺跡」。


ひっそりとたたずむ園生貝塚の石碑。地元でも知る人は少ないが、ここも加曾利貝塚に劣らぬ貴重な遺跡で、径は130メートルと云われ周辺にも他の貝塚があるといわれている。


今は写真のように立ち入りが出来ないが、取りあえず保存樹林となっている。水系としては、この台地の下を流れる「草野水路」という細流がある。現在は「草野水路」などと、味気ない名前で呼ばれているが、昔は「小仲代川」と云われていたらしい。その川を利用して貝などの海の幸を舟で運び生活していたと考えられている。


写真奥に見えているのは千葉都市モノレール「穴川」駅。



こちらは、園生貝塚から500メートル程の所にある中世の遺跡「千葉山」。千葉氏の歴代の墓があった所とも云われ、高台になっているところから千葉氏の軍事的な重要拠点のひとつだったのではないかと感じた。




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わたしのレコード棚―ブルース51、Elmore James

2018年04月23日 | わたしのレコード棚
 エルモア・ジェイムス、生まれは1918年ミシシッピー州リッチモンド(キャントン説有り)、亡くなったのは1963年シカゴだった。
 アコースティックギターに独特のピックアップを装着し改造したエレキギターを駆使したスライド奏法での演奏は、独特の音色を持ち、演奏パターンがほぼ同じ曲が続いても飽きない。そこが、この人の不思議というか、すごいところ。そして、何よりよく通る歌声がすばらしい。天性のものだったのか、あるいは修得したのか、今のようにヴォイストレナーなどどいう人もいなかったろうし、やはり生まれつきの声の良さと自然な発声が出来た人だったのだろう。羨ましい限りだ。しかし、それがためか、心臓に過度の負担がかかったようで、45歳で急死している。

 以下は、すべてアナログLPレコード。


PHX334。録音年やバックを務めたメンバーは不詳だが、初期の録音と思われる。リズムにタメが効いていて、個人的には好きな一枚。


このジャケットの写真で、けっこう話題になったヴィクターVIP5004M。1953~'56年の14曲で、メンバーはテナーサックスのJ・T Brown、ドラムスにOdie Payne、ピアノにJonny Jonesなど。


P-ヴァインのPLP-823。ジョン・ブリムとのカップリングLP。


同じくP-ヴァインからの国内版LP3枚組。1959~'63、つまり後期の録音。わたしは、この中の3枚目に収録されている1962年の終わり頃から亡くなった年の1963年初頭に行われたセッションが、シンプルな構成でとても好きだ。その時のメンバーは、ピアノにJohnny'Big Moose'Walter、ベースとドラムスはunknown(不詳)、となっている。

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2017年ドイツ映画『女はニ度決断する』

2018年04月20日 | 映画
 4/19(木)、千葉劇場にて。監督・脚本は、ファティ・アキン。主演は、ダイアン・クルーガー。ドイツ語。午後2時40分からの上映だったが、千葉劇場はけっこう混んでいた、半分ほどの入りか。





 英題は『In The Fade』で、意訳して「薄れゆく光の中で」といったところか。実際に起きた事件を参考にして作られた映画だという。
 混乱する中東などからの移民を受け入れる政策を取るドイツ。主人公の女性カティアは、トルコからの移民でクルド人男性ヌーリと結婚し、子どもも生まれる。その子ロッコが8歳になる時、ネオナチによるテロにより夫と子どもを同時に失ってしまう。カティア自身の目撃証言などにより犯人は逮捕されるが、証拠不十分で無罪になってしまう。そして、彼女はある決断をするが・・・。

 ダイアン・クルーガーの演技は凄味があった。特にラスト近く、追い詰められ非情な決断を迫られたとき、海岸にいた小鳥セキレイを見る時の表情、そして事件以来精神的ショックで止まっていた月経が再び来た時の表情は秀逸。俳優というのは、すごいもんだ。テーマも映像も、重い映画だ。が、観る価値のある作品、と思った。

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わたしのレコード棚―ブルース50、Fred McDowell

2018年04月17日 | わたしのレコード棚
 フレッド・マクドウェル(Fred McDowell)は、1904年1月12日テネシー州のロスヴィル(Rossville)という所で生まれ、1972年7月3日にメンフィスで亡くなっている。この人が民族音楽研究家のアラン・ローマックスに見いだされたのが1959年で、55歳の時の事。さらに、アーホーリーというレーベルのクリス・シュトラッハウィツ(Chris Strachwitz)がミシシッピー州のコモにあったマクドウェルの家で最初の録音をしたのが1964年で、この時すでに60歳になっていたことになる。もちろん、それ以前にも地元で農業のかたわら演奏活動はしていたというが、遅咲きのブルースマンと言えるだろう。
 ある意味、フレッド・マクドウェルもミシシッピーブルースを代表するミュージシャンの一人、と言える。これを聴くと「ミシシッピーブルースだあ」と、強く感じさせてくれる一人だ。学校の音楽の時間に習うようなクラッシック音楽からみれば、やってはいけないことを、ほぼ全てやっている。音は歪み、コードワークはバラバラ、ボトルネックから絞り出される音は西洋音楽の基本的な音使いから外れている。それでも、ここにあるのは、優れた音楽と云える。言葉も音も生き生きとしている。後の、ロック・ミュージックに与えた影響も大きい。特に、言葉が自然に音に乗って出ているのがすばらしい。譜面に起こされた音符や言葉を見ながらの演奏では、けっして出来ないパフォーマンスがここにある。

 以下の写真は全てアナログLP。


Arhoolieレーベルの1046。1965・1969年にカリフォルニアでバンドが付いて録音されたもの。バックに付いたバンドは、おそらく即製のものだろうが、けっこう自然に音が合っている。コード進行が、かなり感情的に変るのだが、うまく付いていっている。


TestamentのT-2219。1966年、ミシシッピーのゴスペルグループとシカゴ録音で録音したもの。


MilestoneのMSP-93003。1966年、カリフォルニア大学での録音。


イギリスのRed Lightnin'レーベルのRL0053。1969年、ロンドンのメイフェアー・ホテルという所でのライブ録音。1曲で白人の女性ブルース歌手ジョ・アン・ケリーがヴォーカルをとっている。


BiographのBLP-12017。カップリングLPで、B面はファリー・ルイス。1969年2月、ミシシッピー州コモのマクドウェルの家で録音したもの。




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2017年アメリカ映画『ワンダーストラック Wonder Struck』

2018年04月13日 | 映画
 4/10(火)、千葉劇場にて。監督は、ドット・ヘインズ。原作・脚本は、ブライアン・セルズニック。





 「Wonder Struck」、少し意訳して「不思議な出会い」とでもなろうか。
 映像は、1927年に設定されたモノクロと、50年後の1977年に設定されたカラーのものが交互に入れ替わるように続き、耳の聞こえない世界を音楽を流し続けることで静けさと孤独を表現してゆく。主人公の、1927年時の少女、そして1977年時の少年は、共に聞こえない世界にいるのだった。そして二人は、ついにニューヨークのある書店で出会うことになり、少年は自らの出自を知ることになる・・・。
 やはり、映画は、静かに語りかけてくれる作品がいいなあ。気持ちがゆったりとなる、そんな時を与えてくれる佳作。

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わたしのレコード棚―ブルース49、T-Bone Walker

2018年04月10日 | わたしのレコード棚
 およそ「ブルース」と言っても、地方に残る民俗音楽的な要素の強い「カントリーブルース」と、都市部で演奏されたモダンな「シティブルース」あるいは「アーバンブルース」と呼ばれるものでは、テーマも音の使い方もかなり違うものだ。カントリーブルースをコピーし続けているわたしとしては、共感を持てる都市部のブルースは正直言って多くはない。その中でも、やはりティーボーン・ウォーカーは、ブルースマンというよりは、ミュージシャンとして尊敬している一人といえる。本名はアーロン・ウォーカー。T-Boneというあだ名は、若い頃「チボー(かわいい坊や)」と云われていたのが訛ったらしい。生まれは1910年5月28日、テキサス州リンデン。亡くなったのは1975年3月17日、ロスアンジェルスだった。
 二歳の頃にはダラスに移り、1920~1923年頃にはブラインド・レモン・ジェファーソンと親しみギターを教わったり、時に盲目のジェファーソンのサポートをする様なこともあったらしい。そして、1930年代半ばには西海岸のロサンジェルスで活動するようになっている。多くのモダンブルースマン達が、南部から北部のシカゴへと移動したのとは異なっており、そのあたりがティーボーン・ウォーカーが独特なサウンドを作りえた要因かもしれない。実際、エレクトリック・ジャズギターの元祖ともいえるチャーリー・クリスチャンとも親交があったというし、相互に影響し合っていたと思われる。


東芝EMIから出ているCD。1942年から1947年の録音14曲。名盤。


MCAのLP1366。1968年録音の10曲。少し、ホーンの音がフューチャーされ過ぎている感あり。この写真のように、ギターを立って弾く時は、ほとんど真横に構えていたようだ。


発売当時は西ドイツのレーベルBFX(Bear Family Record)から出ていたLP15277。1966~'70の15曲を収録。晩年に近くのものだが、なぜか、録音時の音合わせあるいは打ち合わせ、に近いものも収録されていて興味深く、わたしはこのLPをもっとも気に入っている。構えているのは、ギブソンのバーニーケッセルというジャズのギターリストの名を冠したギターで、かなりエアー感に満ちた音質になっている。ティーボーン・ウォーカーは、他の都市ブルースマンに比べアコースティックな音を好んだようで、そのあたりもわたしが共感を持てる要因のひとつになっている。
 ジャケット写真をよく見ると、後ろにオルガンのキイボードが見えている。この人は、ギターだけでなく、ピアノも巧みに弾き、実際に下のLPではピアノでのバッキングも務めている。あるいは、ギターでの先進的なコードの使い方あるいはヴォイシング(音の重ね方)は、ピアノを弾くことから生まれてきたのかもしれない。1970年頃から胃腸病に侵されていたらしい。そのためか、写真はやつれているようにも見える。1974年には演奏活動を止め、翌年に肺炎で亡くなったという。衰弱して誤嚥性肺炎を起こしたのだろうか。


やはり、西ドイツのレーベルLRからのLP42017。1962年10月18日、ヨーロッパツアー時のハンブルグでのライブ録音。この時、ツアーに参加したのは、ベースのウィリー・ディクソン、ドラムスのジャンプ・ジャクソン、ピアノのメンフィス・スリム、他には、ジョン・リー・フッカー、サニー・テリー、ブラウニー・マギー、など。ティーボーン・ウォーカーがヴォーカルを取っているのは2曲だが、バックでギターを弾いたり、ピアノを弾いたりしている。音の入れ方が絶妙で、無駄が無い。聴きごたえのある録音。

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ライブハウスRINGO

2018年04月08日 | ライブ
 昨夜(4/7)は、千葉駅から歩いて10分程の所にある「RINGO(リンゴ)」というライブハウスに行き、ブルース・セッションを聴いてきた。毎月、第一土曜に行われている恒例のライブ。我が家の近くにある「ルイジアナギター」という主に中古のギターを扱っているショップの店長さんがホストを務めている。店長さんは、様々な人達と共演している実力のある人で、なかなかご機嫌なサウンドを聴かせてくれた。バックアップするドラムスとベースも店の方から依頼した演奏家でリズムが安定していた。わたしは、前半の1時間半ほどを聴いて帰ってきたが、参加されていた人達(ギター、キイボード、ハーモニカ、ヴォーカルなど)も皆さんかなりな腕前。久々にブルースのライブに接することが出来て良かった。ただ、昨年痛めた耳の具合がまだ十分に回復していないので、左には耳栓をしなければならず、その点が残念。家から近くて気軽に行けるし、また行きたい、と思っている。

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ピックアップ交換

2018年04月05日 | ギター
 かなり以前に、ESPにカスタムオーダーしたマホガニーのテレキャスター。どうも、鳴りがいまいちなのでピックアップを交換した。


交換前の写真。マグネッチックPUはリンディー・フレーリンのP-90。このPUは、基本的にシングルコイルなので、ノイズが多いのは宿命。ノイズも音質の一部と考えればいいのだが、わたしのように一人での弾き語りでは、場所によりノイズを多く拾うような時はやはり気になるものだ。さらに、ブリッジにはゴトーのピエゾ・ピックアップがついている。このピエゾ・ピックアップは、出力が弱く箱鳴りもいまひとつ。弦振動をボディに伝えづらいようだ。


まず、2月にピエゾをLRバックスに交換。取り付けるには、加工が必要なのでESPに持ち込んでやってもらった。マグネットの方は、以前から所有していたジョー・バーデンに自分で交換。ノイズはかなり軽減されたし、箱鳴りも、音質的にも納得できるようになった。もともと、材が良いギターなので、ピックアップさえ相性の良いものをつけられれば音は良い。少し重いが、弾きやすいし、それなりのお金はかかったが改造して良かったと実感している。マグネッチックPUの孔がP-90に合わせてあるので、このままでは少し見栄えがよくない。エスカッションを使おうかとも思ったが、ネジ穴の位置が悪く、うまく締まりそうにない。そこで、隙間を薄いプラスチィックで塞ぐことにした。


仕上がった写真。プラスチィックのカヴァーは、貼って剥がせるテープでとめてあるので、高さを調節するときはいつでも取り外すことが出来る。

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花見川サイクリングコース、2018年桜の季節

2018年04月02日 | まち歩き
 前回の続き。

 3/31(土)午前、自転車に乗って犢橋(こてはし)貝塚から花見川サイクリングコースへ。花粉症だが、あまり気にし過ぎて外に出ないと運動不足になる。この日は、気温が18度ほど。風も穏やか、桜も満開で、自転車に乗って走るのには最適な気候だ。撮影地点は、花見川区役所近く。


こちらは、上流方向。カミツキガメが多い事で有名になった印旛沼に至る。


こちらは、下流方向。東京湾に至る。

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千葉市の貝塚―犢橋(こてはし)貝塚

2018年04月02日 | 考古・エッセイ
 3/31(土)、気候も良いので自転車に乗って出かけた。この日は、久々にスポーツタイプの自転車を使った。2015年暮れに椎間板ヘルニアを患い、それ以来腰を痛めるのが怖くてスポーツタイプの自転車に乗るのは控えていた。が、最近はかなり良くなってきたので少しずつ使ってみることにした。この日は、花見川サイクリングコースまで行ったが、その途中にある国の指定史跡である犢橋(こてはし)貝塚に寄った。


昨年、新たに自転車を買った時に、これを処分しようかと思った。しかし、長年乗りなれた自転車をまだ使えるのに捨てるのは忍びなく、結局ブレーキ系統などを整備点検してもらっておいたのだった。やはり、少し長い距離を走るにはこのタイプが楽だ。体の力を無理なく車輪に伝えてくれ、自然に前に出る感じがする。ちゃんと整備していればまだまだ使えそうだし、捨てなくて良かった。ちなみに、後ろの籠には水筒やカメラなどを入れている。






この貝塚は、今は公園として整備されている。ここは、花見川から数百メートルの所にあり、少し高台の大地に位置している。千葉市の他の貝塚とは水系が異なるが、川を使って舟で貝を運んだと考えられることや、少し高台に位置している点は共通している。ちょうど桜も満開。

 この後、花見川サイクリングコースに向ったが、それについてはページを改めて書くことにしよう。

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