文化逍遥。

良質な文化の紹介。

2016年ノルウェー映画『ヒトラーに屈しなかった国王』

2017年12月28日 | 映画
 12/25(月)、千葉劇場にて。原題『KONGENS NEI(王の拒否)』。英題『The King's Choice(王の選択)』。監督は、エリック・ポッペ。1940年4月9日からの3日間、ナチスに攻め込まれたノルウェーの苦悩を描き、緊迫感に溢れる作品となっている。



 どうも、わたしは世界史は不勉強で、特に北欧の国々のことは殆ど知識を持ち合わせていない。その意味では、この映画は第二次世界大戦という難しい時期に、ナチスに侵略された小国の苦悩を描き、実録フィルムも挿入されていて、わたしの様なものにとっては多少なりともその理解に役立てるものとなっている。
 主人公のノルウェー国王ホーコン7世(1872‐1957)は、1905年にノルウェーがスウェーデンとの同君連合を解消して独立し、国民投票によりノルウェー国王に即位した、という人物。つまりは、議会の決定を承認する形式だけの国の象徴として隣国から来た人であり、平時なら、内閣の決定に拒否することはない立場にある人なのだ。しかしドイツ軍が迫りつつある非常時にあたり、内閣総辞職にも、そしてドイツ公使の提案にもノー(ノルウェー語でNEI)を言う選択をせざるをえなくなり・・・。

千葉劇場さんへ、今年も良い映画を多く上映してくれて、ありがとうございました。
いつも観客は少ないけど、来年もがんばって優れた作品を選んで上映して下さい。

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2016年カナダ映画『彼女が目覚めるその日まで』

2017年12月24日 | 映画
 12/21(木)、千葉劇場にて。実話を基にした映画で、原作は当事者のスザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)著『Brain On Fire:My Month Of Madness』。監督はジェラルド・パレット。



 映画の原題は、著作と同じく『Brain On Fire』。直訳すると「炎に焼かれる脳」となるが、これは映画の中では、紆余曲折の末に病の原因にたどり着いた医師が発する言葉で「(自己免疫疾患による)脳炎」の意味である。

 21歳になったスザンナ・キャハランは、ニューヨーク・ポスト紙で働き始めた活発な女性で、今は別々の家庭を持つ両親とも恋人ともうまくやっている。しかし、徐々に行動に異変が表れはじめ、時に激しい痙攣を起こし錯乱状態に陥ってゆく。様々な検査を受けるが異常は見つからない。最終的には、精神病院への転院が検討されるが・・・。

 この映画、家族の支えを中心とする愛情の物語としてみれば邦題の『彼女が目覚めるその日まで』ということになるかもしれない。が、ストレートな観方というか、素直に観れば、現代医療の抱える深刻な問題を突いた作品といえる。手順通りの検査をして異常が見つからなければ「正常」と判断を下される。それでも、本人は苦しみ、体は動かなくなってゆく。しかし、医者達は決まった手順以上のことはしようとはしない。程度の差はあれ、日本でも同じ状況だ。そこを中心的テーマとして観てこそ、この映画『Brain On Fire』の価値が認められるのではないか、と感じた。

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千葉市の貝塚―みつわ台付近

2017年12月21日 | 考古・エッセイ
 このところ寒くて、今年から始めた自転車による貝塚めぐりにも行っていなかったが、この日12/19日は比較的暖かかったので、近いところにある貝塚を巡ってきた。なにしろ、確認されたいるだけで市内には100ヵ所ほども貝塚がある。全国では1600あまりと言われているので、6%位が少なくとも千葉市内に集中していることになる。おそらく、本格的に調査すればさらに増えるだろう。いたるところで古い貝が出てくるので、あたり前になってしまい、その歴史的な重要性が見落とされてしまっているような気がする。ちなみに、千葉県に範囲を広げると、500ヶ所を超えると言われており、全体の3分の1近くになる。

 さて今回は、千葉市みつわ台という所にある「東寺山貝塚」と、源町にある「廿五里(つうへいじ)貝塚」に行ってきた。千葉市内の中心部にある我が家からは自転車で20~25分くらい。


「東寺山貝塚」。縄文中期から後期の遺跡。現在は鹿島神社と、この裏にある公園になっている。


境内に、落ち葉を焚くために掘られたらしい穴があり、ちょうど貝の層が見えていた。写真では見にくいが、底にあるのが葉っぱで、中間に貝の層が観察できる。


貝の層のあたりを拡大したもの。円で囲んだあたりがそれ。仮に普通の民家で、たまたま家の庭を掘ってみたらこんな貝殻が出てきても、歴史的な遺跡とはだれも思わないだろうなあ。前に住んでた人が、穴掘ってゴミを捨てたんだろう、てなもんだ。しかし、よく見ると、貝殻はかなり整然と置かれている。「再生」を願い、祈り、土に帰されたのだろう。そう考えると、貝塚を神社や公園にするのは良いのかもしれない。祈りの場とし、時に子どもたちの遊ぶ声が聞こえることにより、命が繋がっていることを魂が感じ取れる場になる。


神社の裏手、この奥が公園になっている。よく見ると、小石などに混ざって貝殻が見つけられる。


見つけた貝殻を、落ち葉に載せて撮影してみた。小さな巻貝が、千葉市で出土する中では最も多い「キサゴ」。これで、直径12~3ミリ位だろうか。ほかに、アサリらしい貝の破片もあった。貝塚には埋葬された遺体も出土するが、このキサゴが敷き詰められた上に遺体が置かれ、さらにその上にもキサゴが置かれている例もあるという。ここからも、縄文の人々にとって貝は神聖なものであったことが推測される。



こちらは、東寺山貝塚から300メートルほど離れたところにある「廿五里(つうへいじ)貝塚」。「廿五里」と書いて、「つうへいじ」と読ませるが、普通の人は読めない。もちろん、わたしも読めなかった。いわれを調べてみたが、結局は誰にもわからないらしい。周辺は「殿山ガーデン」という乗馬などができる施設で、勝手に入ることはできない。それにしても、貝塚の上を駐車場にするとは・・現代人の病理としかいいようがない。


市の設置した案内板。案内板を立てるだけでなく、せめて畳一枚程でもいいから貝の層が観察できるようにしておいてもらいたいものだ。


古くなっていて読みづらいが、ここは正確には「廿五里南貝塚」で、ここから100メートルほどの所に「廿五里北貝塚」があるらしい。今は、畑になっているらしいが、今回は見つけられなかった。

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2017年フランス映画『ルージュの手紙』

2017年12月16日 | 映画
 12/14(木)、千葉劇場にて。



 監督・脚本は、マルタン・プロヴォ。原題は『Sage femme(助産婦)』。この映画には、主だったストーリーはない。ただ、二人の女性と、それらを取り巻く人々や自然が、ひたすら丁寧に描かれている。佳作、と言って良い。

 助産婦として地道に働きながら一人息子を育てるクレール(カトリーヌ・フロ)。時に、危険な出産や死産に立ち会い、休日にはセーヌ川の河川敷で野菜や花を無農薬で栽培する日々を送っている。そんな中、亡き父のかつての連れ合いベアトリス(カトリーヌ・ドヌーブ)が30年の時を経て連絡してくる。彼女は癌を患い、人生最後の時を迎えようとしていたのだった。当初は、父を苦しめたベアトリスを拒否するクレールだったが・・・。

 映画の最後に近く、クレールが勤めていた産院が閉鎖される前日、28年前に彼女が取り上げ、自ら献血して救った赤子だった女性が急な出産で助けを求めてやってくる。繋がってゆく命の美しさを、出産や農作業を通して映像化する、心にくいばかりだ。2009年に神保町の岩波ホールで同監督の『セラフィーヌの庭』という作品を観たことがある。やはり、佳作と言ってよい作品だった。こういう作品を若い人に観てもらいたい、と感じた。

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わたしのレコード棚―ブルース42、Sylvester Weaver

2017年12月11日 | わたしのレコード棚
 Sylvester Weaver(シルベスター・ウィーバー)は、1896年ケンタッキー州ルイヴィルに生まれ、1960年に同地で亡くなっている。この人に関しては、手元に資料が少なく、なかなか詳しいことが今までわからなかった。というのも、ブルースというカテゴリーよりもっと多様な音楽を演奏出来る技術を持った人なので、ブルース関係の資料には載らない傾向にあることがある。実際、代表曲とも言える『Guitar Rag』などをコピーしてみると、スケール(音階)がブルーノートではなく、メジャー、つまりドレミ音階だ。
 しかし、前回の12/6に紹介したジャス・オブレヒト著『Early Blues-The first stars of blues guitar』にかなり詳しい記述があり、今回は主に、それを参照して書き進めることにする。

 シルベスター・ウィーバーは、1923年11月にニューヨークで最初の録音をしている。なので、おそらく最も早い時期に録音したミュージシャンの一人と思われる。オブレヒトによれば、「ウィーバーはブルースのインストゥルメンタル曲を録音した最初のギタリスト」(前掲著P23)という。当時、録音に使われた機材も原始的なもので、大きなラッパのような集音機に向かって演奏し、蝋管に振動を刻み込むようなものだったろう。話は少しそれるが、現在のような高性能マイクが発明される以前の録音では、楽器の音や人の歌声の大きさのバランスを取るのにさぞ苦労したに違いない。つまり、ギター弾き語りなどでは歌声が大きすぎる様な人はギターなどの楽器の音が小さくなってしまうし、逆の場合は楽器の音が大きくて歌声が聞き取りにくくなってしまう。実際の生演奏では力がある人でも、録音された物ではぱっとせず、逆に生演奏では迫力に欠ける人でも録音してみるとけっこう良かったりする。
 ウィーバーは、録音に向けたバランス感覚を持っていた人だった、と想像できる。


 DOCUMENTのCD、DOCD-5112。1923―1927年の録音22曲を収録。ギターソロの他、自身のヴォーカルやサラ・マーチン(Sara Martin)という女性ヴォーカリストのバックを勤めた録音が聴ける。サラ・マーチンは、当時すでにクラブなどで活躍するスターとしての地位を確立していた人だという。ウィーバーのギター演奏は、バッキングに回った時を含めて垢ぬけて無駄のないものに聴こえる。当時としては、かなりモダンに聞こえたものだろう。

 VESTAPOLレーベルのヴィデオ13037。箱に写っているのが、サラ・マーチンとシルベスター・ウィーバー。ただし、音や映像は収録されていない。

 1927年以後、ウィーバーはギターそのものをほとんど弾かなかくなったらしい。その理由はわからない。1943年に再婚した妻ドロシーは、「一度として夫が演奏するのを聴いたことはない」(前傾著P37)と言い張った、という。彼は、ルイヴィルのスモークタウンという所で、運転手兼執事として仕事を続け、その地域で彼は敬愛されていた、という。おそらく、音楽的名声よりも周囲の人々や自分の生活を大切にした人だったのではないだろうか。1960年4月4日、舌癌により亡くなっている。

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『9人のギタリスト』ジャス・オブレヒト著、飯野友幸訳(2016年リットーミュージック刊)

2017年12月06日 | 本と雑誌
 さすがに、これは買いました。原題は『Early Blues-The first stars of blues guitar』。自分なりに訳してみると「初期のブルース(録音最初期のブルースギターのスター達)」というほどになるだろうか。



 邦題は、『ロバート・ジョンソンより前にブルース・ギターを物にした9人のギタリスト』となっているが、原題とあまりに意味合いが離れていて、正直困惑している。だいたい、本の中にロバート・ジョンソンのことなどほとんど出てこない。時期的な目安にはなるが、誤解もまねきやすいだろう。おそらく、ロックファンをターゲットにした販売戦略なのだろうが、仮にわたしが著者だったらこんな訳の題はけっして認めない。
 まあ、それは置くとして、内容は非常に詳細で時系列にそった記述はわかりやすい。この本の主役たちは、すでにこのブログでもほとんど紹介済みだが(わたしの「レコード棚」参照)、この本を読んで新たに知ったことも多かった。
 かなり、マニアックな本だが、ブルース、あるいはその歴史に興味のある人にはお奨めな良書、と言える。

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2016年スペイン映画『J:ビヨンド・フラメンコ』

2017年12月03日 | 映画
 12/1(金)、千葉劇場にて。監督・脚本・美術はカルロス・サウラ。



 邦題の『J:ビヨンド・フラメンコ』は、英題の『J:Beyond Flamenco』をそのまま使ったようだ。直訳すれば「フラメンコを超えて」とでもなろうか。原題は『Jota(ホタ)』で、邦題および英題の最初の「J:」は、原題の頭文字をとったらしい。
 わたしの乏しい知識では、フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方の音楽で、北部カタルーニャなどは趣が異なるスペイン民謡などがある、程度だった。この映画は、カタルーニャ州の隣で内陸部側に位置するアラゴン州に伝わる民族舞踊音楽「ホタ」をテーマにしている。そしてそこは、カルロス・サウラ監督の生まれ故郷でもあるという。

 映画自体は、踊り手や音楽家たちを追っているが、これは厳密には「ドキュメンタリー」ではない。あくまで、監督が光とアングルを決めて制作された優れた映像作品だ。まるで、出演者が自由にパフォーマンスしているようにも見えるし、スペイン内戦時代の映像を組み込むなど、歴史的な映像を入れ込むこともなされている。そこが、この監督の非凡なところと言えるのだろう。ただ、その非凡さゆえにか、効果過剰というか、技術の使い過ぎ、とも思える場面も多かった。もう少し、踊り手や音楽家たちの裏側というか、汗している姿を見せてくれた方が自然であったようにも感じた。

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