文化逍遥。

良質な文化の紹介。

またまた緊急事態宣言

2021年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日7/28(水)のコロナ感染者数は、1都3県で合計5600人ほどで過去最多を更新した。さらに、東京へ通勤している人も多い茨城県を含めれば6000人に近く、全国の6割ほどにもなる。結局のところ、人口が密集している都市部から地方にじわりじわりと疫病は広がっていく。この状況を受けて、ここ千葉県の知事は「これから一気に(感染者は)増加していく。これは始まりにすぎない」と報道陣に強調、千葉県は28日の対策本部会議で宣言発令を政府に要請すると決めた。

 すでに、東京周辺の3県には宣言に準じた「まん延防止等重点措置」が出ているが、更なる規制がかかることになる。8月のブルース・セッションの開催も絶望的だ。今年に入ってから、一度もない。こんな時こそしっかり練習して、底力をつけておく絶好の機会なのだ。が、演奏する機会がいつになるか見通せないとやはり身が入らない、というのが正直なところ。今は、辛うじて時短で営業しているライブハウスも、宣言が出れば休業に追い込まれるだろう。

 文化を担ってきた多くの人達が困窮している。それが現実だ。せめて、医療崩壊せずにこの「第5波」で収束に向かうことを、願わずにいられない。

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わたしのレコード棚ーブルース144 Professor Longhair

2021年07月26日 | わたしのレコード棚
 ルイジアナのピアニスト・ヴォーカリストと言えば、まず思い浮かべるのがこの人プロフェッサー・ロングヘア―(Professor Longhair)。芸名を直訳すれば「長髪教授」となるだろうが、本名はHenry Roeland Byrd。生まれは1918年12月19日ルイジアナ州ボガルーサ(Bogalusa)で、亡くなったのは1980年1月30日同州ニューオリンズだった。若い頃は本名を覚えてもらえず、かなりの長髪だったためか「ロングヘア」というニックネームで呼ばれ、それをそのまま芸名にしたらしい。
 LPやCDの解説等を参照してまとめると、生後すぐにニューオリンズへ移動し、その後は一時期ボクシングの選手をしたりしたが、ニューオリンズで様々なミュージシャンと影響を受けあいながら自分の音楽を作り上げていった。例により、戦後は不遇な時期を過ごしギャンブラーなどをしていたとも言うが、ブルース・リヴァイバルで人気が再び出て、各地のコンサートやフェスティヴァルに出演した。

 ニューオリンズと言えば、やはりボクサーをしていたピアニストのチャンピオン・ジャック・デュプリーを思い浮かべるが、二人は共に活動をしていたこともあるという。その後、デュプリーはヨーロッパに拠点を移し、リロイ・カーなどシカゴのピアニストに影響を受けた演奏をしている。それに比べロングヘアーは、ルイジアナで生涯を過ごし、「ファンクビート」と呼ばれるようなラテン系のノリを持った演奏で聴衆を沸かせた。
 ルイジアナと言えばもとはフランス領で、ルイ14世にちなんだ地名。地理的にも、カリブ海やラテン諸国にも関係が深く、フランス文化と黒人文化、ラテン系文化が融合している。その融合を「Gumboガンボ」と言っている。ガンボというのは、本来、いろいろなスパイスを混ぜ込んだルイジアナのスープのことで、沖縄の「チャンプルー」という言葉が近いかもしれない。広く「ごちゃ混ぜ」という意味でも使われる。
 音楽的にも、Zydeco(ザディコ又はザイディコ)やCajun(ケイジャン)といった独特のものがある。ロングヘアも、それらを巧みに取り込んでいて、ブルースという枠にとどまらない、多様性を持ったミュージシャンだった。それについて、ロバート・サンテリは『The Big Book Of Blues』P334プロフェッサー・ロングヘア―の項で、次のように書いている「‥a spicy rhythmic gumbo of blues, jazz, calypso, ragtime, and zydeco, ‥(ブルース、ジャズ、カリプソ、ラグタイム、そしてザディコなどというリズムのスパイスを混ぜ込んだガンボ)」。さすがにうまいことを言うもんだ。


 アトランティックレ-ベル原盤7225で、国内盤はワーナーパイオニアから出ていた4582。1949年と1953年の、初期の録音13曲を収録。故中村とうよう氏の解説が付いている。アトランティックは、後にレイ・チャールズで成功するが、ニューヨークを拠点としたR&B中心のレーベルだ。その為か、このアルバムも、どちらかと言うとブルースやブギウギを前面に出しているように感じられる。バックのホーンやドラムスも好演していて、聴きやすく、好盤と言える。


 FUELというレーベルのCD302 061 1742。下の画像は、CDの裏面。

 ライブ盤で、1976年ニューオリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティヴァルからのライブ収録14曲。50代後半の頃の演奏ということになり、亡くなる4年ほど前だが、聴衆を引き込む力は健在。この日は選曲なども自由に出来たようで、バックのパーカッションやベースとの息もあっていて、聴いているとルイジアナのバイユー(湿地帯)にいるような気になってくる。ここに、ドクター・ジョンなどに影響を与えたとも言われる、ルイジアナピアノの原型がある。
 1曲目は「Tipitana」となっているが、これはロングヘアの代表曲のひとつでローカルヒットした「Tipitina」の誤りと思われる。3曲目の「Jambalaya」は、ハンク・ウィリアムスのヒット曲。さらに、最後の曲「Bald Head(禿げ頭)」というのは、自分のことではなく、ロングヘアが昔付き合っていたガール・フレンドのことらしい。その彼女もミュージシャンで、ステージに上がる時に照明の当たり方で髪が光り、客席から「Bald Head(禿げー)」と声が掛かったという。それが為にか、彼女はロングヘアの前から姿を消したという。

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ラファエル・アギーレ、ギター・リサイタル(FMより)

2021年07月22日 | 音楽
 7/19(月)夜、NHK・FM「ベスト・オブ・クラシック」で放送されたラファエル・アギーレ(Rafael Aquirre)というスペインのギタリストの演奏を聴いた。2020年2月4日に、東京の浜離宮朝日ホールで行われたリサイタルをライブ収録された音源。

 実に素晴らしい演奏で、正直言って、驚いた。1984年生まれというから、30代半ばということになる。その若さで、クラシックはもちろん、フラメンコの伝統的な曲を深いところで理解して弾きこなしている。高度なテクニックを駆使していても、楽に弾いているように感じさえする。つまり、あくまで曲のテーマを自分なりに深いところで理解して、技巧は表現の手段でしかない演奏。それは、ごく限られた優れた演奏者にしか出来ない「至難の業」とも言えるのだ。

 ちなみに、この日演奏されたフラメンコの曲は、サビーカスの『オレー・ミ・カディス』、パコ・デ・ルシアの『月に映えて(グラナイーナス)』など。クラシックの曲ではアルベニスやタレガの作品などで、スペインに関連した曲が多くプログラムに入れられていた。

 スペインのみならず世界的にも、「これからのギター界を背負う逸材」と感じた。あえて難を言えば、全体に少し力が入っている感じはする。しかし、若さを考えれば気になるほどではない。彼のお父さんはギター製作家であるらしく、この日使われたギターは彼の父が作ったフラメンコ・クラシック両用のものという。トップ材はシダー、バックとサイドはインディアン・ローズ、という。

 どんなに優れたミュージシャンでも、時には壁に当たり、音に苦しむものだ。これを「音苦(おんく)」と言っているが、どんな時にも自分や先人を信じて、必要以上に音に苦しむことなく大成して欲しい、と願わずにいられない。


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わたしのレコード棚ーブルース143 Roosevelt Sykes

2021年07月19日 | わたしのレコード棚
 ピアノとヴォーカルのルーズベルト・サイクス(Roosevelt Sykes)は、1906年1月31日にアーカンソー州エルマー(Elmar)で生まれ、1983年7月17日にニューオリンズで亡くなっている。ただ、一部の資料では没年を1984年としているものもある。

 育ったのはアーカンソー州のヘレナ近郊で、15歳の頃からバレルハウス・スタイルのブルースをピアノで弾いたという。その後、ミズーリ州セントルイスに行き、そこでピアニストのセントルイス・ジミー・オーデン (St. Louis Jimmy Oden) に出会う。オーデンは、後にブルースのスタンダードとなる「Goin' Down Slow」の作曲者となる人で、1903年生まれ。サイクスとは歳も近く、二人は意気投合したようで、共にセントルイスを拠点としてクラブやハウスパーティなどで演奏したらしい。その後、1940年頃にはシカゴに進出し、二人は共にシカゴブルースを支えるブルースマンとなっていった。しかし、サイクスの演奏スタイルは、ある意味ではモダンなジャズにも近く、洒落たクラブの演奏には重宝されたようだが、戦後主流となっていったエレキギターを使ったモダンブルースには合わなかったようだ。その為か、彼は1954年頃にはシカゴを離れ、ジャズの本拠地のひとつとも言えるニューオリンズに移動し、時にはメンフィスやセントルイスなどにも行き、そこのクラブなどで広いレパートリーを生かして演奏を続けたようだ。

 サイクスの録音歴は長く、1929年頃にはニューヨークへ赴き、オーケー・レコード で吹き込みを行なっている。その後もデッカ・レコードや、ブルーバード・レコードと契約。他にも芸名というか変名を使って、様々なレーベルに吹き込みをしている。これは、レコード会社と契約をすると他のレーベルでは録音できなかったためで、サイクスが使った変名は、イージー・パパ・ジョンソン (Easy Papa Johnson)、ドビー・ブラッグ (Dobby Bragg)、ウィリー・ケリー (Willie Kelly) などだった。1960年代のブルースリヴァイバルでサイクスも見直され、彼にも再び録音の機会が訪れ、ヨーロッパツアーなどにも参加している。下2枚目に取り上げたストーリーヴィル・レコード (Storyville Records)のLPは、そのようにしてしてヨーロッパで録音された一枚だ。


 このブログでもすでに紹介したウォルター・デイビス(Vo)のLP、OT1213。1930年6月12日オハイオ州シンシナティのホテルでの録音3曲、及び1933年8月のシカゴ録音12曲などで、サイクスはウィリー・ケリーの名前でピアノを弾ていて、これが我が家にある彼の最も古い録音になる。


 ドイツのSTORYVILLEレーベルのLP6.23706AG。1966年10月コペンハーゲンでの録音。代表曲「44Blues」や、ブギウギナンバーなどを含む12曲を収録。
 この人のピアノは左手のタッチが抜群だ。ピアノの最低音部は左手小指で弾くことになるが、普通のピアニストでは出来ない、と感じるほどの安定感と繊細さを持っている。ブルースファンには、今一つ評価されていないが、力のあるヴォーカルと相俟ってブルースピアノの歴史の上で重要なプレーヤーの一人と、わたしは考えている。

 以下3枚の写真は、YAZOOレーベルのヴィデオ506『Out Of The Blacks Into The Blues』から、テレビ画面をデジカメで撮ったもの。撮影された年代は特定できないが、ニューオリンズのクラブで撮られていて、かなり歳を取っているようにも見えるので、シカゴを離れてからかなり後のものと思われる。演奏の合間に、ニューヨークへ録音に行ったときのことなどを語っていて、酒場の雰囲気を盛り上げるエンターテイナーとしての側面も窺(うかが)える貴重な映像。







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引き続き「まん延防止重点措置」

2021年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
 東京の緊急事態宣言が8/22まで延長になり、それに伴い周辺三県の「まん延防止重点措置」も延長され、ここ千葉市も引き続き自粛生活が続いている。

 それにしても、コロナ感染者数は減少しない。それどころか、昨日7/14の東京発表の感染者数は1149人で、すでに第4波を超える。今回が、4度目の緊急事態宣言になるが、これで最後の宣言になることを願うばかりだ。ライブハウスが休業していて自分の演奏活動が出来ない事もあるが、これ以上の自粛は社会全体でに深刻な影響が及ぶ。

 わたしは長く認知症の母を介護したので、介護を終えた今でも「認知症の人と家族の会」の会員になっている。毎月送られてくる会報を読んでいると、自粛下での認知症の人や介護している人達の深刻な状況が、そこに浮かび上がっている。例えば、介護施設に通えないことで人との関わりが失われ認知機能の低下が顕著になったり、家族の負担が大きくなることで疲労が蓄積し、それが時に暴言にまで至り、本人も介護者も苦悩している。これは、あくまでも1例で、弱い者へかかる負担をこれ以上長引かせるのは「限界」なのではないか、と感じる。感染症の中で、なにを「不要不急」とすべきなのか、それを真剣に考えたい。



 「認知症の人と家族の会」の会報『ぽ~れぽ~れ』千葉県支部版2021年6月号の表紙。全国版と併せて、毎月郵送されてくる。ちなみに「ぽ~れぽ~れ」とは、スワヒリ語で「ゆっくり・やさしく・おだやかに」の意味という。この会の会員及び賛助会員は、医療関係者や行政の専門家も多く、単なる介護者の通信ではない。図書館で置いてあるところもあるので、見つけたら手に取ってほしいものである。
 表紙の俳句と俳画を23年余に渡りボランティアで担当されたのは、増渕三良という方。見てわかるとおり、趣味の域を超えた作品。それもそのはずで、川端龍子門下で日本画を学び、青龍展に4回入選されているそうだ。わたしも、その作品に毎号感心し、又楽しみにもしていた。しかし訃報がこの号に載り、残念ながら5月22日に100歳で亡くなられた、という。
 困難を背負う者に自分の作品を惜しげなく提供する・・言葉の真の意味で「文化人」というのは、こういう人のことを言うのだろう。100歳まで創作意欲を失わず、死と共に創作を終える。そんな人生こそ、理想の極、と言える。

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わたしのレコード棚ーブルース142 James "Son" Thomas

2021年07月12日 | わたしのレコード棚
 ジェームス ‟サン” トーマス(James "Son" Thomas)は、1926年10月14日ミシシッピ州イーデン(Eden)に生まれ、1993年6月26日に同州グリーンヴィル(Greenville)で亡くなっている。エレキギターを使っても、カントリーブルースの香りを残す、個性の強いブルースマンだった。
 この人はミシシッピー北部で暮らしていたようだが、若い頃はあまり注目されることはなかったようだ。それが、1960年代のブルースリヴァイバルの中で、ウィリアム・フェリス(William Ferris)というリサーチャーに1967年に見出され、その後ヨーロッパに何度もツアーするなど、世界的な演奏活動をした。40歳を過ぎて、本格的な演奏活動をした、ということになる。また、この人は造形作家でもあり、エール大学やワシントンD.Cでも塑像などの個展を開くなどしている。


 P-VainのCD2179。原盤は、ドイツのレーベルと思われる。1982年のドイツでのライブや、1980年のミシシッピーでの録音を編集してある、10トラック11曲(1トラックはメドレー)を収録。カントリーブルースのプレーヤーは、なかなかモダンブルースの曲をレパートリーに入れないものだが、この人はけっこう巧みに自分のものにして、したたかにギターを演奏し、歌っている。そこが、特筆すべきところ。


 かなり以前に、雑誌「プレイボーイ」の日本版でブルースの特集をした時に載った写真。気に入ったので、これだけ切り抜いて保存してあったもの。アコースティックギターを構えて、ポーズをとった姿が、この人らしさを表している。

 以下の写真2枚は、CBSのドキュメント番組「ブルースの故郷を訪ねて」よりの映像をデジカメで撮ったもの。1980年代に撮影されたと思われる。1990年頃、深夜に民放で放送されたものをヴィデオに撮ったように思うが、記憶があやふやで定かではない。字幕が付いていて、トーマスの話によると、彼は幼い頃貧しく、学用品を買うために写真後方に写っていいるような塑像などを作り地元イーデンの白人に売っていた、という。



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土石流災害

2021年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム
 静岡県熱海市で3日に起きた土石流災害から5日が過ぎ、今日で6日目になるになる。依然として、多くの人の行方が分かっておらず、2次災害の危険のある中で救出作業が続けられている。今日は、中国地方で大雨による被害が出ている。併せて、お見舞い申し上げたい。

 個人的な話になるが、仕事で最初に出張に行ったのが熱海だった。思えば40年ほども前にもなるが、長い地方回りの仕事を続けていった出発点となったところだ。地元の人達は皆親切で、思い出深いところでもある。
 東京から熱海駅までは、新幹線で50分ほど。そして、意外と知られていないが、熱海港から伊豆大島までフェリー航路があり、50分ほどでつないでいる。船酔いしやすい人は、東京の竹芝桟橋からではなく、熱海からフェリーに乗るのが時間的に短くて済むのでお薦めだ。

 今回の土石流災害が発生したのはJRの熱海駅より少し南の網代地区になる。地形的には町の背後に伊豆の山々が迫るのは、伊豆半島の共通した特徴であり、日本各地に多く存在する、災害が発生しやすい特徴を持った地域でもある。今回の土石流災害では、上流付近で「盛り土」がされていたことによる影響が指摘されている。建設残土だったらしいが、異常な降水量と共に、経済開発の負の遺産が土石流となって降りかかってきた、とも言える。

 最近、SDGsという「持続可能な社会」を目指すというコンセプトも広まってきた。もう一度、安心して暮らせる社会とはどういう価値観に基づくものであるのか、それを考え直してみたい。

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わたしのレコード棚ーブルース141 George Barns

2021年07月05日 | わたしのレコード棚
 ジョージ・バーンズ(George Barns)は、どちらかと言うとジャズのギターリストだが、初期のシカゴブルースの録音でエレクトリック・ギターを最初に使った人であり、ブルースファンとしては忘れることのできないミュージシャンの一人である。

 生まれは1921年7月17日シカゴ、亡くなったのは、1977年9月5日カリフォルニア州コンコルド(Concord)だった。父親がギタリストだったということで、9歳でアコースティックギターを手にしていたらしい。また兄が電気に詳しい人だったらしく、手作りのピックアップを作りアンプリファイドできるエレキギターを与えてくれたという。それがバーンズが10歳の頃のことというから、1931年頃にはすでにエレキギターを手にしていた事になる。そして、1938年3月にはビッグ・ビル・ブルーンジーなどと、エレキギターで録音に参加している。その時16歳だった事になる。その際、使用していたギターがどのようなものだったのかは確認できない。が、チャーリー・クリスチャンがギブソンのES-150を使って録音したのと同じ頃か、あるいはそれより少し早い可能性もある。
 まあ、それはそれとして、16歳でブルーンジーのギターと絶妙のタイミングでセッションできる素晴らしいミュージシャンだったことが重要なことだ。ブルースファンにも、もっと注目してほしい人と感じる。


 インターネットで見つけた写真。かなり年を取ってからのもののようだ。この人は当初黒人ギタリストと思われていたらしいが、実は白人で、戦後は主にスウィングジャスの世界で自らのバンドを組んで演奏したり、スタジオミュージシャンを務めていたらしい。今は、ユーチューブでそのプレイを見ることも出来る。


 ランサム・ノウリングのところでも紹介したが、オーストリアのWOLFレーベルのLP002。ハーモニカのジャズ・ジラムのLPで、1938年から49年までの15曲を収録している。この中で、1938年3月14日イリノイ州オーロラ(Aurora)でビッグ・ビル・ブルーンジーらとジラムのバック2曲をエレキギターで務めている。資料によっては、これがエレキギターを使った最初の録音、としているものもある。そのこと自体は、さして重要なこととは思えないが、ブルースのセッションだった事は意味深いことに感じる。

 しかし、この時、本当に16歳だったのかねえ?録音を聴く限り、ベテラン・ギタリストにしか思えない。この後、主にジャスの世界などでセッションマンとして生きていたようだが、本来ならばもっと注目されてしかるべき人だったように感じる。もし、彼が黒人でヴォーカルを取れる人だったら、また違った人生を歩んだのかもしれない。

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またまた、詐欺メール

2021年07月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 以前にも、「楽天」を装ったメールが来たことを書いたが、今度は「アマゾン」を装ってフィッシング詐欺メールが来た。これで、都合3回目だ。
 下は、そのメールをコピペしたもの。巧みな文面で心理的な焦りを生じさせ、リンクが張ってある赤字の所をクリックさせるように仕向けている。そして、そこをクリックすると偽サイトに繋がってしまう。
 このようなメールが来たら、必ずアマゾンの公式ページからログインして、自分のアカウントを確認することが重要。けっして、メールのリンクをクリックしない事。もし、クリックしたとしてもカード情報などを入力しない事が肝要。
 まあ、落ち着いて考えれば、別にアマゾンのアカウントが停止されても、生活する上で困ることは特にないのだ。


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