文化逍遥。

良質な文化の紹介。

千葉市美術館コレクション選 特集 田中一村と千葉

2024年10月29日 | アート・文化
10/25(金)、 千葉駅から歩いて15分程のところにある「千葉市美術館」に行ってきた。

 現在、上野の東京都美術館で大規模な田中一村展が開かれており、主な作品はそちらで展示されているが、こちら千葉市美術館でも、それに合わせて小規模な展覧会を開いている。

 田中一村(いっそん)は戦前から戦後にかけて20年間ほど千葉市内に住み暮らし、その後奄美大島に移住して独特の作風を確立した画家だった。今回の千葉市美術館での展示では、千葉にいた頃に世話になった人たちに贈った色紙など個人蔵のものなどが中心。中でも、千葉寺付近の昔日の光景が描かれたものが心に残った。陰影と、奥行きの深いものが多い。東京都美術館に比べれば小規模な展示だが、入場料は300円だし、それなりの感動を得られる。ちなみに、わたしの様に65歳以上の千葉県民は、身分証などで確認できれば無料。うれしいような、寂しいような、複雑な気分。でもまあ、家から歩いて行ける所に美術館や図書館があることを感謝することにしたい。

下は、千葉市美術館のリーフレットとHPよりの引用。





『千葉市美術館コレクション選 特集 田中一村と千葉(~12/1)
「特集 田中一村と千葉」では、千葉市美術館収蔵作品に、近年の新出作品、初公開作品を交えて特集するほか、一昨年行った《椿図屏風》《アダンの海辺》等作品の光学調査の成果をご紹介するパネル展示も行います。」』

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風のオブジェ、千葉県立美術館「テオ・ヤンセン展」

2023年11月21日 | アート・文化
 11/19(日)小春日和の午後、自転車で千葉県立美術館で開催中の「テオ・ヤンセン展」に行ってきた。このような企画展が開催されていることを知らなかったのだが、ありがたいことに古い友人が知らせてくれた。ヤンセンはオランダの人で、1948年生まれ。元々は物理学者で、後に画家に転向、プラスチックで造形され風力で動く「ストランドビースト(砂浜の生命体)」を考案し、今に至っている。

 館内の展示品等は撮影可で、SNSで発信して下さい、との案内もあり撮影してみた。








人の大きさと比べてみると、オブジェの大きさが実感できるだろう。

 やはり、これは電力などのエネルギーに依存する現代文明に対するアンチテーゼなのだろう。あるいは風力や太陽光による発電にも、設置や維持にかかるコストが大きく、またレアアース・レアメタルといった鉱物資源を採掘する必要もあり、研究者によっては全体のエネルギーの消耗度は変わらないとも言われている。

 風車の国から来た「風のオブジェ」と名付けたい。

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千葉市美術館、無縁寺心澄(むえんじ しんちょう)展

2023年03月28日 | アート・文化
 20日(月),千葉市美術館で開かれていた無縁寺心澄の展覧会に行ってきた。無縁寺心澄の本名は、藤井茂樹。1905年に千葉市で生まれ、1945年に亡くなっている。戦前の千葉市の原風景を描き続けた画家だった。1926(大正15/昭和元)年に川端画学校を卒業し、主に水彩やテンペラ画を制作、第9回帝国美術院展覧会第2部(洋画)に初入選、画学校卒業後三年ばかりの間は東京の図案会社に勤務し、退職後は制作に取り組む他、36年に千葉県美術協会の設立に参加、運営に尽力した、という。学校教育にも講師として助力し、言わば、千葉市の美術界全体の向上に寄与した人物だったようだ。戦前の軍国教育の中で美術家が活動する上で、あるいは、かなり困難をともなったのではないか、と想像される。


 わたしは戦後12年ほどしての生まれなので、戦火にあう前の千葉市については知らないが、子どもの頃の町並みには戦前の面影が残っていたように感じる。今回の展覧会では、陰の濃い作品が多く、人々が寄り添って暮らしていたころのことが偲ばれた。無名の作家のためか、入場は無料だった。有名無名にかかわらず、良いものを観る目を持ちたい。


 「妙見様のサーカス」1937-40年頃。「妙見様」とは、今の千葉神社のことだろう。戦前は、千葉神社の境内でサーカスがかかったのだろうか。ちなみに、「妙見」は北極星のことで、コンパスなどない時代には北極星が進路を決める指標となっていたので信仰の対象になっている。北極星は別名「北辰」ともいわれ、千葉氏も崇拝した。剣道の「北辰一刀流」は千葉周作によるが、そこに由来するらしい。


 「医大尖煙突」1931-35年頃。今の千葉大学医学部附属病院だろう。戦前は、千葉医大だった。


 「機関庫の昼」1930年。実は、この作品が観たいがために足を運んだ。機関庫は現在の千葉駅付近にあった蒸気機関車の車両基地で、主に機関車の切り換えや整備などをする為の施設だった。わたしの家は戦後この近くにあり、駅の移転にともない我が家も移転したのだった。この絵の建物などは戦災で焼けているだろうが、「昼」という時間にもかかわらず陰の多い暗い絵になっている。現在では照明が多く、この様な暗さを感じる場は少なくなっている。陰と陽、そのバランスが崩れた時、人の心も崩壊してゆくような気がする。

 余談だが、同時期には、南画の田中一村が千葉市内に暮らしていた。千葉にいた頃の一村の作品も個人的には好きだが、後に奄美大島に移り住み評価の高い多くの作品を残している。

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亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)展

2023年02月22日 | アート・文化
 先週のことになるが、「亜欧堂田善」の企画展が開催されている千葉市美術館に行ってきた。JR千葉駅から徒歩で15分位のところにあり、我が家からも自転車で15分ほど。浮世絵を中心に充実した所蔵品を持ち、設備も充実している。
 NHKの「日曜美術館」などで取り上げられたこともあり、けっこう混雑していた。かく言うわたしも、テレビを見て行きたくなったひとり。この企画展は、2/26まで。


 以下は、美術館のホームページからの引用。
 『江戸時代後期に活躍した洋風画家、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん・1748〜1822)は、現在の福島県須賀川市に生まれ、47歳の時に白河藩主松平定信の命を受け、腐食銅版画技法を習得した遅咲きの画人です。
主君の庇護のもとで試行錯誤を重ねた田善は、ついに当時最高峰の技術を身につけ、日本初の銅版画による解剖図『医範提鋼内象銅版図』や、幕府が初めて公刊した世界地図『新訂万国全図』など、大きな仕事を次々に手掛けていきます。
一方で、西洋版画の図様を両国の花火に取り入れた《二州橋夏夜図》や、深い静寂と抒情を湛える《品川月夜図》など最先端の西洋画法と斬新な視点による江戸名所シリーズや、《浅間山図屏風》(重要文化財)に代表される肉筆の油彩画にも意欲的に取り組み、洋風画史上に輝く傑作を多く世に送り出しました。
首都圏では実に17年ぶりの回顧展となる本展では、現在知られる銅版画約140点を網羅的に紹介するとともに、肉筆の洋風画の代表作、谷文晁・司馬江漢・鍬形蕙斎といった同時代絵師の作品、田善の参照した西洋版画や弟子の作品まで、約250点を一堂に集め、謎に包まれたその画業を改めて検証します。』


 最も印象に残ったのが、この「両国図(絹本油彩)」。大きさは、縦が30センチ位で、横幅が1メートル位だったように思う。中央の大きい2人は、力士だという。ここが現在のJR両国駅あたりだとすると、奥が下流方向で、橋の左側は本所・深川方面、右奥側が神田の方向になるのだろうか。油絵の具なども当時は手に入らないので、自分で試行錯誤の上の手作りだったという。陰影を巧みに使った、奥の深い描写は見事。
 細密な銅版画も良かったが、小さいものが多く、原版もちょっと見づらい感じだった。

 それにしても、50歳近くなってから見出され、更なる修行をして画業を完遂するというのは素晴らしい。当時は江戸後期、50歳にもなれば孫がいて隠居するというのが普通だろう。それを、自らを試行錯誤の中に置き、修練を続けるというのは尊敬に値する。その才能を見逃さなかった松平定信もやはり称賛すべきだろう。

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市原湖畔美術館

2019年11月29日 | アート・文化
 11/26(火)、友人夫妻の車に便乗して千葉県市原市の高滝湖畔にある「市原湖畔美術館」に行ってきた。「民俗学者・宮本常一に学ぶ」という企画展が来年1月13日まで行われている。宮本常一(1907-1981)は山口県周防大島出身の民俗学者で、日本全国を徒歩で回り、膨大な資料を残した。著作も多く、特に、今は岩波文庫に入れられている『忘れられた日本人』は、日本の民俗学の遺産、と言ってもいい作品だろう。わたしが最初に読んだのは30年以上前だが、長年探していたものに出会えた、そんな気がしたものだった。




 展示内容は、直筆のノートや宮本が使ったカメラなど興味深いものも多かったが、正直言って物足りない気もした。特に写真に関しては、撮影枚数が10万枚を超えるとも云われ、大版に引き伸ばしたものが多数見られると期待していたのだが、実際の展示は少ない気がした。でも、まあ、死後40年近くたってこのような企画展示が行われたことは意義があるのではないかとも思う。


 「高滝湖」。ここは、ダムの建設により出来た「ダム湖」。先月10月25日に台風21号が東海上を進んだ際の大雨の時は、この湖の水位も上昇し「緊急放流」が行われる、との報道もなされたが最終的にはそれも回避された。写真手前に流木のようなものが写っているが、おそらく、大雨の時に上流から流れてきたものと思われる。美術館前庭より撮影。

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国立科学博物館「古代アンデス文明展」

2018年02月17日 | アート・文化
 2/16(金)、上野の国立科学博物館に行ってきた。昨年の10月21日からやっている「古代アンデス文明展」。見たいと思って、東京に行くついでがあれば寄ろうと思っていた。が、なかなか行く機会が無く、今月の18日で終わるので、ついに腰を上げた。平日にもかかわらず、上野駅の公園口はすごい人波。文化会館前には、パンダの「入場整理券の本日分は終了しました」などと書かれた掲示板を掲げた人が立っていたりで、あーパンダ人気か、などと思いながら進んでいくと科学博物館もかなりな混雑。やはり、もう少し早く来るべきだった・・と後悔先に立たず。
 展示は、充実していて見応えがあったが、いかんせん見学者が多すぎ。人の頭を見に行ったようなもんだ。たまに空いてる展示があって、じっくり見ていると人がどんどんとぶつかってくる。見学者の中には、スマホをかざして写真撮影に熱中して他の人が目に入らないマナーの悪い人も多かった。
 むしろ、常設展示の恐竜の骨格などの方がじっくり見られて良かった。まあ、それで良しとしよう。






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川村記念美術館―「フェリーチェ・ベアトの写真」展

2017年09月27日 | アート・文化
 9/24(日)、友人夫妻の車に便乗して、川村記念美術館に行ってきた。常設の展示に加え、開催中の展覧会は「フェリーチェ・ベアトの写真」。


 川村記念美術館は、千葉県佐倉市にある自然環境に恵まれた私設の美術館。我が家のある千葉市からは車を使うと30分程で着くが、電車だと、JRまたは京成の佐倉駅から無料送迎バスで20~25分くらい。交通の便は良いとは言えないが、広い敷地で館内の展示スペースにもゆとりがあり、贅沢な施設だ。



 フェリーチェ・ベアト(1834-1909)という人は、わたしも知らなかったが、リーフレットの資料によると、幕末の1863年に来日し横浜を拠点に日本各地の風景や風俗を撮影し1884年に離日、とある。今回の展示は、同館が所蔵している作品180点などが中心。150年ほど前の写真がこれほど鮮明に残っていること自体が驚きだったが、露出やアングルの取り方に卓越したものを感じ、正直言って感動を禁じ得なかった。時間と手間をかけた作品だなあ、と感じいった次第。誘ってくれた、友人夫妻に感謝したい。

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千葉市美術館所蔵浮世絵名品展

2017年02月19日 | アート・文化
 2/17(金)、千葉市中央区役所に所用があり出かけたので、同じ建物の上階にある市立美術館に寄った。
 千葉市美術館は、江戸期の浮世絵などを中心に所蔵しており、今回の展示はその中から「春を寿(ことほ)ぐ」というテーマに因んだ作品が選ばれている。中でも葛飾北斎の有名な作品「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」や、東洲斎写楽の「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」は、迫力があった。



 江戸の当時、量産された多色刷り木版画は、鑑賞するためというよりも襖の破れた部分の上に糊で貼ったりして使ったらしい。云わば、主に補修のために使う目的で買い求められたらしい。それゆえ、完全な形で今に残るものは数も少ない、ということになる。しかし、襖に「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」などの木版画を貼って暮らしていたとは、なんという贅沢。うらやましい限りだ。

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市原湖畔美術館[ワンロード|現代アボリジニ・アートの世界]

2016年12月16日 | アート・文化
13日の火曜日、「ワンロード|現代アボリジニ・アートの世界」開催中の市原湖畔美術館に出かけてきた。


左側の建物が美術館。高滝湖畔に位置しており、環境はいい。中央に高く見えるのは房総地方で使われていた古いタイプの揚水機で、展望台を兼ねてオブジェといして展示されている。土・日などは揚水機の運転もあるという。今回の展示はNHKのアート・シーンで紹介されたこともあってか、平日にも関わらずけっこう人が多かった。併設のレストランは、昼時であったので7割ほど席が埋まっていた。一方、自分はというと、コンビニで買ってきたおにぎりを湖の寒風に吹かれながら一人頬張ったのだった。


湖上にもオブジェがある。






 2008年に、六本木にある国立新美術館でエミール・ウングワレーというアボリジニの女性アーチストの作品を見て感動したことがあり、それ以来アボリジニ・アートに興味を持っていた。今回は、様々なアボリジニのアーチストの作品を集めた展示になっている。独自の世界観、独自の色彩、深い精神性に魂が揺さぶられる思いだった。アボリジニのアーチスト達は、誰かに認められるためでなく、ましてやカネのためでもなく、ただ内なる声に従って描いたのだ。
 立地を考えると行くのに時間はかかるが、それを勘案しても見るだけの価値はある展示だと思う。

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千葉市美術館『ふたつの柱―江戸絵画/現代美術をめぐる』

2016年06月15日 | アート・文化
 千葉市の中央区役所7階8階にある市立美術館に行ってきた。





 今は、同館所蔵の江戸期の絵画・版画と現代美術の展示。入場料200円は安い。
特に江戸絵画は良かったなあ。若い頃はあまり魅力を感じなかったが、今見ると大胆な中にも繊細さがあり、線の1本1本に魂が込められているようで引き込まれた。団扇なども展示されていたが、江戸期の庶民は今では美術館に展示されているようなものを普段の生活の場で使っていたのだから、ある意味贅沢だ。版画などは襖の補修に使われることも多かったらしい。量は少なくても人の手が掛かった物があることは、精神の安定に寄与する部分が多いように思うが、どうだろう。

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『人形劇―三国志』

2012年06月14日 | アート・文化
図書館からDVDを借りてきて『人形劇―三国志』を観ていた。

NHKで1982年の10月から1984年の3月まで放映されていたものなので、もう30年近くも前になる。が、いま観ても少しも色褪せていない。劉備玄徳の英雄譚になってしまっているのが少し残念だが、それはまあ子供向け番組だったので仕方ないか。とても30年前に作られたものとは感じない。むしろ、新鮮な感じさえする。

人形担当の川本喜八郎(1925-2010)という人は、今更ながら才能の豊かな人だった。改めてそう思った。もちろん、声の出演をした人達や撮影・美術・演出など様々な人たちがそれぞれにいい仕事をしようと心がけなければこんな完成度の高い作品には仕上がらない。
ひとつには、アナログの良さがあるように思われる。後から修正できるデジタルではこんな作品は出来なかったろう。
気持ちを合わせて、時にやり直しながら、時間をかけて、手作業で組み立ててゆく。そこに現れるほのかな「あたたかさ」と「ゆらぎ」。

そういえば以前、名映画カメラマン宮川一夫(1908-1999)氏が、『無法松の一生』で撮影を担当した際に思い出のシーンで多重露光をした時のことをテレビのインタビューで語っていた事を思い出した。綿密な打ち合わせと、手書きのクロノグラフなどで一回で決めたという。ほとんど神業だ。わたしなども長年文書をフィルムにする仕事をしてきたが、それでさえもなかなか一回の撮影で仕上がらずに撮り直すことも多いのだ。

デジタル技術を否定する気は毛頭ない。しかし、アナログ技術を時代遅れとして切り捨ててしまうことには深い危惧を覚える。


随分以前に読んだ新聞の記事だったか、川本喜八郎氏はこの作品の話が来る10年前からすでに曹操などの人形の制作を始めていた、という話を読んだことがある。
良い仕事をする人に共通することだが、利益にとらわれず自分のすべきことをしっかりと考えてそれを形にしてゆく、といった行動様式があるようだ。見習いたいものである。




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古代ギリシャ展―於「国立西洋美術館」

2011年08月19日 | アート・文化
 昨日8/18は仕事が午前中で終わったので、午後から上野の国立西洋美術館で行われている『大英博物館―古代ギリシャ展』に行ってきた。この日、東京都心の最高気温は36.1度。体温とほぼ同じ気温の中では樹陰に居ても汗が滴り落ちてくる。いやー、すごい暑さでした。しかし、そのせいか思ったより展覧会場の人は少なめで、入場制限もなく落ち着いて観ることが出来た。

Greece

 展示は、おもに紀元前の壺や大理石の彫像など。とにかく、ものすごい技術力。日本でいえば、縄文後期から弥生時代の初期の頃にこんな作品が生み出されていたなんて驚く他は無い。西洋文明の源泉と言われるのも納得できる。それほどに、完成度の高い作品ばかりだ。同時に、ある種の危うさも感じた。完璧なものは、時と共に崩れ落ちてゆくのが定めだ。
ギリシャの完成された作品群の中にいて、中国の史記にある話を何の脈絡もなしに思いだした。
土で作られた人形と木彫りの人形の対話。
木彫りの人形が土の人形に言う
「おまえなんか雨が降れば、くずれて泥になり大地に溶け込んでしまうぞ。」
土の人形が言い返す
「おう、おれはもともと土から生まれたんだ、くずれれば生まれた所に帰るだけだ。おまえなんか、雨が降ればどこまで流されて止まるのか、それさえもわからないぞ。」
これは、孟嘗君が秦に行こうとした時に客が諌めたときの話だが、木彫りの人形を高度な道具あるは技術と読み替えてみることも出来るだろう。
不完全なものは、ある意味で柔軟性と再生しやすいという利点がある。未完成の魅力と言ってもいい。完成度の高いものほど実用からは遠く、流されやすい。何事もほどほどがいい。ただし、どこで程を区切るのかは簡単ではない。

 それにしても、ギリシャの国宝とも言えるこれらの多くの作品(一部はイタリアの作品)は、どのように流れて大英博物館に行き着いたのだろうか。


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古代メキシコの土偶と日本の埴輪

2010年11月19日 | アート・文化
 どうしてこうも土偶や埴輪がたまらなく好きかねえ。具体的にどこにその魅力があるのかは自分でもよくわからないが、便利な道具が無かった時代の遺物には不思議な力があるような気もする。やはり、現代人には想像もつかないような時間をかけて作られたものには力が宿るということなのかもしれない。今日は、仕事がなかったので二つの展覧会に行ってきた。
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 午前中は池袋のサンシャインシティーで開かれている古代メキシコのオルメカ文明展へ。仮面はヒスイ製。金属を持たなかった人たちがどうやって硬い石を成形したのか今でも謎らしい。土偶などは日本のものととても似ているので親近感を覚えた。およそ2万年前にベーリング海峡を渡ったモンゴロイドの人びとが築いた文明ということで、根っこの部分は近いものがあるのかもしれない。平日なためか人が少なくゆっくり見られたがのは幸いだった。
 それにしても、池袋の街中に大きな音で流されている質の低い音楽はどうにかならないものだろうか。平日の午前中に歩いていても頭が痛くなってくるのだから、週末の夜などどうなってしまうのか考えただけでもぞっとする。
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 こちらは、駿河台の明治大学構内にある博物館。茨城の霞ヶ浦北部から出土した埴輪及び副葬品の特別展。展示設備はいいし、常設展も含めて展示品も充実しているし、入場料はやすいし(¥300)、案内の人は親切だし、博物館の名に恥じない充実した内容で驚いた。われわれの学生時代、もう30年も前になるが、大学は閉鎖的な場だった。各大学は、貴重な資料や書物をもっと広く公開すべきとかねがね思っていたので明治大学の姿勢には感心されられた。受験者数が最も多いのが明治大学という理由が頷ける気がした。


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東京国立博物館 「誕生!中国文明」

2010年07月10日 | アート・文化
 梅雨の晴れ間の7月8日、上野の博物館に行ってきた。写真は平成館。
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 宮城谷昌光さんの中国を舞台にした歴史小説が好きなので、中国最初の王朝と言われる「夏」の遺跡と考えられている所から出土した遺物を含む現在の河南省からの出土品をぜひ見たいと思って母の介護の合間を縫って出かけて行った。夏休み前の平日とあって、すいてて良かった。展覧会で周りを気にせずにゆっくり見られたのは久々だ。それにしても、中国文明というのはすごいもんだ。おもわず震えがきちゃいますよ。4000年前、ろくな道具もない時代のものとはとても思えないものばかり。逆に、夏や商の時代、庶民はどんな暮らしをしていたのだろうか。資源や道具のない時代に後世に残るすぐれたものを作ることが出来るということは、膨大な労力を費やして成し遂げられたとしか考えられない。それを担ったのは名もない職人たちだったろう。そしてその多くは、最後には王の死とともに殉死させられていったに違いない。
 そんなことを思いつつ写真向かって右側の方で展示されている日本の考古展に入って行った。素朴。特に縄文期の遺物は、飾り気が少なく清楚とも言える質朴さがある。特にここの埴輪の収集はすばらしい。40年以上前になるが、小学生のころ母に連れられて京成線に乗り、今は無くなった「博物館前」という駅に降り、今は表敬館と言っている建物のらせん階段を上がったところに展示してあった埴輪に出逢って以来その素朴な造形に心惹かれている。とくに、国宝に指定されている武人の埴輪はいつ見ても感動する。今回は、出土地である群馬県に里帰り中で会えなかったが、埴輪は人と比べてあまり年を取らないのでまた会える時もあるだろう。
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  こちらは、平成館とともに平成11年に開館した「法隆寺宝物館」。あまり知られていないようだが、上野に奈良の法隆寺の宝物300点余りがある。現在の建物が出来る前は設備が悪かったため開館するのは週に一度(たしか木曜日)だけで、しかも雨が降ると湿度が上がるという理由で閉館だった。大学生時代になんとか一度だけ入った記憶があるだけである。今は、月曜などの閉館日以外は開館しているので便利になった。




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