9/27(月)、千葉劇場にて。コロナウィルス感染症第5波もどうやらピークアウトし、今月いっぱいで緊急事態宣言も解除になりそうだ。まだまだ油断はできないが、感染対策をしっかりした上で少しずつ活動してゆきたい。というわけで、久々に映画を見に行ってきた。
ボスニア戦争末期、実際に起こったジェノサイド(虐殺事件)を基に、国連平和維持軍の通訳として働く主人公アイダの苦悩を描いた作品。アイダは、紛争前は学校の教師であり、二人の青年の母であり、校長を務める夫を持つ妻でもある。1995年7月11日、国連軍の空爆計画を示した最後通牒を無視して、セルビア軍はボスニア東部の町「スレブレニツァ」に進行し、住民の中からボスニア軍の戦闘員とおぼしき男達を集めて虐殺してゆく・・・。
この作品はヨーロッパ各国の合作で、制作国は以下のとおり。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、オーストリア、ルーマニア、オランダ、ドイツ、ポーランド、フランス、ノルウェー、トルコ。言語は、ボスニア語、セルビア語、そして国連軍が話すのが英語。監督はヤスミラ・ジュバニッチで、このブログでも2011年に紹介した『サラエボ、希望の街角』の他に、『サラエボの花』などボスニア紛争をテーマにしたすぐれた作品を制作している。監督自身、10代の頃にこの紛争を経験しているという。
セルビア軍の兵士の中には、アイダのかつて教え子もいる。映画の終わり頃、紛争が終わって雪の日に自宅マンションに戻るアイダが映し出される。しかし、そこには他の家族がすでに住み着いている。「部屋を開けてちょうだい」というアイダに、胸にセルビア正教の十字架を下げた主婦は「まだ危険ですよ」と言う。「失うものは何もないわ」と、アイダ。全編に深い苦しみと緊張が漂い、観る者に生き続けることの意味を問いかける、そんな作品。
ボスニア戦争末期、実際に起こったジェノサイド(虐殺事件)を基に、国連平和維持軍の通訳として働く主人公アイダの苦悩を描いた作品。アイダは、紛争前は学校の教師であり、二人の青年の母であり、校長を務める夫を持つ妻でもある。1995年7月11日、国連軍の空爆計画を示した最後通牒を無視して、セルビア軍はボスニア東部の町「スレブレニツァ」に進行し、住民の中からボスニア軍の戦闘員とおぼしき男達を集めて虐殺してゆく・・・。
この作品はヨーロッパ各国の合作で、制作国は以下のとおり。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、オーストリア、ルーマニア、オランダ、ドイツ、ポーランド、フランス、ノルウェー、トルコ。言語は、ボスニア語、セルビア語、そして国連軍が話すのが英語。監督はヤスミラ・ジュバニッチで、このブログでも2011年に紹介した『サラエボ、希望の街角』の他に、『サラエボの花』などボスニア紛争をテーマにしたすぐれた作品を制作している。監督自身、10代の頃にこの紛争を経験しているという。
セルビア軍の兵士の中には、アイダのかつて教え子もいる。映画の終わり頃、紛争が終わって雪の日に自宅マンションに戻るアイダが映し出される。しかし、そこには他の家族がすでに住み着いている。「部屋を開けてちょうだい」というアイダに、胸にセルビア正教の十字架を下げた主婦は「まだ危険ですよ」と言う。「失うものは何もないわ」と、アイダ。全編に深い苦しみと緊張が漂い、観る者に生き続けることの意味を問いかける、そんな作品。