文化逍遥。

良質な文化の紹介。

『死の島』福永武彦著、2013/3、講談社文芸文庫

2014年05月31日 | 本と雑誌
昨年、講談社文芸文庫より再刊された福永武彦の『死の島』上下二冊。この小説は1971年に上梓されているが、長く入手が困難だったもの。

文庫にも関わらず1冊1900円という単行本並みの値段で気軽には買えないし、けっして読みやすい本ではない。
それでも、これは価値のある作品だ、と思った

Sinosima1_0001

Sinosima1_0002


戦後の混乱の中で、深い傷を負った人間たちの魂の彷徨。
すぐれた構成力と絶妙な心理描写。

まるで、自らの血をインクにして書かれたような小説だ。

小説に限らず、作品を完成させるということは少なからず作者は血を流すものなのかもしれない。
しかし、傷を癒しながら時間をかけて完成させていくことが大切と思うが、どうだろう。
命を削って作品を完成させることは、現実をえぐる事は出来るかもしれないが、それを受け取る者に想像力を与えてくれないような気がする。命を縮めるように作り続けるより、作品を完成させる者も又受け取る者にも命を育むような本質を持った時間を与える。理想論かもしれないが、方向性としてはそれが肝要と思う。

ともあれ、このような作品が再び世に出て手に入りやすくなることは喜ばしい限りだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草

2014年05月24日 | まち歩き
5月23日、浅草を歩いてきた。
JR浅草橋で降り、ぶらぶらと北へ、目的もなく歩いて行く。

Torigoe2
鳥越神社。浅草橋から北へ7~8分歩いたところにある。
江戸期には浅草寺に劣らぬ参拝者を数えていたというが、今は御覧のとうり静かな時が流れている。
実は、この神社は歴史的にとても重要なところなのだが、それについては今は書かない。

この後、浅草寺に回ったが、修学旅行の子供や外国人旅行者で汗が掛かりそうな賑わい。
なので、写真は撮らずに隅田川へ。

P5230008
水上バスと東武線の鉄橋。


P5230009
言問橋。

P5230015
隅田川の遊歩道。
この左側奥が、昔、吉原(正確には新吉原)があったところ。

P5230017
歩行者専用の桜橋。上から見るとアルファベットのX形をしている。

P5230020
桜橋から見たスカイツリー。人気の観光スポットだが、どう見ても美しい姿には見えない。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外房海岸

2014年05月17日 | 旅行記
父祖の地である外房のいすみ市に行ってきた。
除籍の謄本を取りに行ったのだが、随分久しぶりで、前回行ったのがいつだったか覚えていないくらい。

せっかく来たのだからと、海岸の岬に上り、少し写真を撮ってきた。
撮影は5月13日午後。

Ohara1
奥に見えるのは、太東岬。岬の向こうは九十九里海岸。

Ohara11
こちらは、房総半島の南側。

Ohara13
けっこう切り立った断崖が続き、小規模だがリアス式の海岸が続く。
千葉県といっても、ここまで来ると自然が豊かで別世界。サザエやアワビ、伊勢海老などが上がる。

Ohara14
大原漁港。昨年から、月に一度の朝市が開かれていて、けっこう賑わっているらしい。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『家族と迎える「平穏死」』石飛幸三著、2014/4廣済堂出版

2014年05月10日 | 本と雑誌
前回紹介した石飛先生と長尾先生の本をもっと読みたくなって、最近出たものを2冊買って読んだ。
内容は、先の2冊と重複しているところも多く、どちらかを読めばよいと思われる。


Img


Img_0001
こちらは、長尾和弘医師の『「平穏死」という親孝行』2013/2、アース・スター・エンターテイメント。

この2冊に強調されていることを要約すると、「親の穏やかな死を阻害しているのは、多く子供や親類である」ということになる。言葉を換えれば、死が避けられない以上自然に任せることが最善の選択になる時が来る、ということだろう。しかし、身近な人の死期が近づいた時、それを受け入れられないのが人情というものかもしれないし、その気持ちはよくわかる。

一方で、石飛先生や長尾先生のような「看取りの専門医」とも言える人は、現状ではほとんどいない。その時を見極めるのは、医療関係者ではない家族にはとても難しい。つまりは、延命治療が死をむかえるまで必要と思い込んでいる医療関係者には治療をやめる選択はできないのであり、現状では家族がその時を判断して「もう止めてください、あとは緩和ケアだけお願いします」と言わなければならい。
医師がまだ治療を続けているのに、中止してくれ、とはなかなか言えない。たとえ言えたとしても、医師の方針と合わない選択をすれば、家族は心を残してしまうものなのだ。

誰もが死を免れない。いつかは必ず自分の事になる。

延命治療をいつ止めるべきなのかを的確に判断できて患者の家族としっかり話し合える、そんな専門家が増えることを願ってやまない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする