文化逍遥。

良質な文化の紹介。

素朴な信仰

2021年04月29日 | まち歩き
 相変わらず、自転車でポタリングする日々。その中で4月26日午後、大変珍しいものに出会った。


 千葉市若葉区の某所。興味本位で見に行く人がいるといけないので、あえて詳しい場所は書かない。
 木製で、1メートルはゆうに超える大きさがある。「原始的な自然崇拝」ともいえるが、神聖なものとして捉えられていることは間違いない。腐食などはしていないので、さほど古いものとは思われない。おそらく、この地域の人達によって受け継がれて、古くなると作り替えられて来たものと推測される。

 地方によっては今でも、五穀豊穣や子孫の繫栄、さらには旅の安全などを祈願して古い街道筋などに祀られているのだが、まさか千葉市内でこういうものに出会えるとは思ってもみなかった。今では住宅街の真ん中になっているが、おそらく、この辺り周辺が歴史あるところで、昔は重要な街道筋だったのではないだろうか。近くには、八幡神を祀った古い社もある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉市都川

2021年04月26日 | まち歩き
 コロナ禍は続き、1都2府と兵庫県に三度目の緊急事態宣言。千葉県は「まんえん防止等緊急措置」を東京への通勤圏に限り発令している。ブルースセッションを開催しているライブハウス「ライト」も休業しており、いつになったら再開できるのか目途は立たない。

 まあ、あせっても仕方ないので、相変わらず自転車で密を避けてブラブラと走っている。下の写真は、千葉市を流れる「都川(みやこがわ)」。4/24(土)午後にスマホで撮影。


 写真左手奥に小高い丘があり、そこに鎌倉期に千葉氏の拠点だった千葉城がある。現在では、コンクリート造りの天守閣が建てられていて、博物館になっている。ちなみに、鎌倉期の城は平城だったと言われている。写真奥が下流方向で、遠くに見えるタワーマンションの辺りは繫華街になる。

 この川は昔から水運の中心で、川に沿って道があり家が立ち並んでいるのは、わたしの勝手な想像だが、この辺りで荷物の上げ下ろしなどが行われていた名残だろう。さらに縄文期まで時代をさかのぼれば、加曾利貝塚はじめこの川の上流に位置する多数の貝塚に貝を運んだ中心的ルートとも言える。そう考えると1万年以上、この川は人々の暮らしを支えていたことになる。ここに来ると、人々が汗して働いていた様子が見えてくるようで、わたしの好きな場所のひとつだ。

 往時をしのび想像力を働かせて、ゆっくり町を経めぐっていると、飽きることはない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉外房海岸、2021/4/20

2021年04月22日 | 旅行記
 今月2日に続き、友人に車で外房に連れて行ってもらった。気温は20度少しで、雲一つない快晴。コロナ感染防止のためのマスクは外せないが、新鮮な空気に触れ、自粛で沈みがちな精神状態も上向いた気がする。写真は、スマホで撮影。


 太東岬より南の方向


 勝浦の八幡岬より北側の方向。遠くに見えているのは、勝浦灯台。この辺りの海の色は素晴らしい。


 同じく南側の方向。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのレコード棚ーブルース129 Willie Guy Rainey

2021年04月19日 | わたしのレコード棚
 ウィリー・ガイ・レイニー(Willie Guy Rainey)は、1901年にアラバマ州Calhounで生まれ、1983年8月23日にジョージア州College Parkで亡くなっている。この人に関しては、資料が少ないので、あまり詳しい事は分からない。若い頃はアトランタ近郊の町のストリートやパーティーで演奏することもあったらしいが、70歳を過ぎた頃からブルースフェスティヴァルなどに出て、音楽で収入を得られるようになったと言われている。



 SOUTHLANDレーベルのLP、SLP7。1978年頃に録音されたと思われる11曲を収録。
 ヴォーカルのほか、エレキギターやアコースティックギター、さらにピアノなども弾きこなしている。そのスタイルは結構多様で、イーストコースト・ブルースの他にも、ミシシッピー・シークスの曲などもアレンジして自分のものにしている。歌は、あまりうまいとは言えないが、独特の味わいも感じられる。もっとも、この時77歳になっているので、それを想えばむしろ立派な演奏と言えるだろう。あやかりたいものだ。さらに、この内の2曲はバンド編成で、ハーモニカ、ベース、ドラムスが加わって、なかなかご機嫌なサウンドになっている。


 同LP裏面。ライナーの解説は、ジョージ・ミッチェル。それによると、本人はマ・レイニーの親戚(Third cousin)と主張していた、という。が、マ・レイニーの「レイニー」は結婚相手の名前だし、これは、にわかには信じがたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのレコード棚ーブルース128 Ma Rainey

2021年04月15日 | わたしのレコード棚
 「クラシックブルース」と言われる音楽ジャンルがある。基本的にはブルースのコード進行なのだが、クラシック音楽の手法を取り入れて、マイナーに転調したり、小説数を工夫したりしてメロディアスに仕上げ、主にショービジネスの世界で広まった。

 マ・レイニー(Ma Rainey)ことGertrude Pridgettは、そんなブルースの女性ヴォーカリストだった。生まれは1886年4月26日ジョージア州コロンバス(Columbus)、亡くなったのは1939年12月22日で、やはり生地だった。10代後半でウィル・レイニー(Will Rainey)と結婚し、以降マ・レイニーとしてミンストレルショーやテントショーで南部や中西部を回ったという。そんな中で、8歳ほど年下の若いベッシー・スミスと出会い、共に旅回りしたりしたらしい。つまり、20世紀初頭に旅回りのショービジネスの世界で生きていたわけだ。ハンディー(W.C.Handy)が「セントルイスブルース」を作曲したと言われるのが1914年なので、マ・レイニーは、クラシックブルースの嚆矢とも言える女性ヴォーカリストと言っても良いのではないだろうか。録音は、1923年12月にはパラマウントに行っている。
 マ・レイニーが亡くなったおよそ半年後の1940年6月、メンフィス・ミニーは『マ・レイニー(Okeh原盤 05811)』という追悼曲を録音している。後の女性ヴォーカリストに与えた影響は大きい人だった。


 MILESTONEレーベル2001。FANTAZYレコードのジャズ向けのレーベルなので、主に管楽器やピアノをバックにしたものを中心に12曲を収録。1924年から1927年までのシカゴでの録音。すでに、100年近く前の演奏、ということになる。録音されたものでは彼女の声量が十分に伝わってこないが、マ・レイニーが旅回りしていた初期の頃は拡声用のマイクなどというものはまだ無く、全てが生音で演奏されたいた。当然、ヴォーカリストも自分の声だけでバックバンドに負けないだけの声を出していたわけだ。聞き及ぶところマ・レイニーは後になってマイクが普及しても、それを使うことを恥としていた、という。すごいもんだ。


 国内盤P-VainのCD、3752。「P-ヴァインーブルースの巨人」シリーズの12で、選曲・編集・解説は佐々木健一氏。1995年に発売された雑誌『ブルース&ソウル・レコーズ』NO.7にわたしがCD評を書いたので、その時に支給されたもの。上のLPと重複している曲もあるが、こちらには、タンパ・レッドのスライドギターやパパ・チャーリー・ジャクソンのギターバンジョーをバックにしたブルース色の強い曲も入っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉ポートパーク2021/4/10

2021年04月12日 | まち歩き
 4/10午後、自転車で千葉ポートパークへ。密を避けて運動するには、軽いサイクリングがもってこいだ。


 中央右に見えている塔は、ポートタワー。この辺りは埋め立て地なので、手前の海岸は人工海浜。写真右側にかなり広い芝生の公園(ポートパーク)が広がっている。ここまで、我が家からゆっくり走って25分くらい。

 花粉もピークを超えたので、自転車で走るには気候的にも楽になってきた。後は、コロナウィルスの感染が収まるのを期待したいが、変異株という新たな驚異が迫り、長い自粛のトンネルは光が見えない。わたしはアレルギー体質なので、ワクチン接種は無理そうだ。最後は「自己判断」ということになる。もっとも、すでに仕事はリタイヤしているので、通勤もないし、特に困ることはない。音楽活動が出来ないのが辛いが、わたしが演奏しなくても特に困る人はいない。なので、今は日々の練習に励み、体力をつけて、時を待つことにしたい。


 こちらは千葉港で、稲毛・幕張の方向。詳しいことは知らないが「千葉港」と一口に言っても、かなり広い範囲を含むらしい。なので、この写真で見えるのは、ごく一部、ということになる。この日は土曜日ということもあり、家族連れも多く、岸壁から釣りをしている人もけっこういた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのレコード棚ーブルース127 Robert Nighthawk

2021年04月08日 | わたしのレコード棚
 ロバート・ナイトホーク(Robert Nighthawk)は、本名ロバート・リー・マッカラム(Robert Lee McCullum)。1909年11月30日にアーカンソー州ヘレナで生まれ、1967年11月5日に同地で亡くなっている。ただし、資料によっては1967年の10月に没としているものもある。わたしのレコード棚ーブルース126で取り上げたヒューストン・スタックハウスの従兄弟ともいわれている。
 この人も音楽的才能に恵まれていた人で、第二次世界大戦以前はロバート・リー・マッコイ名で主にハーモニカを演奏して、ギターもベースも弾けた。スライド奏法は、後にヒューストン・スタックハウスから教わったらしい。


 ソニーレコードのCDで、SRCD5679。「Big Jo and His Washboard Band」でハーモニカ(ロバート・リー・マッコイ名)を担当、1940年録音の4曲を収録。このバンドのビッグ・ジョー(Big Jo)とはジョー・マッコイ(Jo McCoy)のことである。


 同CD内にある写真。若い頃のもののようだ。


 ARHOOLIEレーベルのCD402。ヒューストン・スタックハウスが4曲入っており、ナイトホークはバックでベースやギターを弾いている。


 スタックハウスと共に録音したTESTAMENTレーベルのLP2215。ヴォーカルとエレキギターで、シカゴで1964年5月の3曲、同10月の6曲。さらに、1967年8月のミシシッピー州Dundeeの録音ではスタックハウスのバックでギターを弾いている。そして、この1967年の秋に急死する。
 1964年5月シカゴ録音では、ハーモニカがリトル・ウォルター(Little Walter Jacobs)で、Jonny Youngがギターでバッキングしているトリオ演奏になっている。さらに、同年10月では、ハーモニカがJohn Wrencherに変わっている。
 ここで聴けるナイトホークの演奏は、スライド奏法でも指弾きでも、完全にシカゴブルースのサウンドになっている。スタックハウスがあくまでトミー・ジョンソンの曲を中心に演奏したのとは、その点ではかなり異なっている。レコード会社からの要請もあったのかもしれないが、ナイトホークは自分なりの演奏を試みていたようにも感じられる。
 ナイトホークの演奏を手本にして練習に励んだロックのギターリストも多いらしい。また1964年に、シカゴのマックスウェル・ストリートでライブ収録された『Live On Maxwell Street 1964』は、ライブ盤の傑作と評価するブルースファンも多い。残念ながら、今は入手しにくく我が家にも無い。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉外房海岸、2021/4/2

2021年04月05日 | 旅行記
 4月2日(金)、友人が車で外房に連れて行ってくれた。


 千葉県勝浦市守屋海岸。曇り空だったので、水墨画のような写真になったが、それもまた良いように感じる。ここまで、千葉市の我が家から、1時間半くらいで着ける。


 同鵜原海岸。岬の向こうが鵜原理想郷で、ウィキペディアには「日本の作家、俳人、洋画家として有名である、三島由紀夫、篠田悌二郎、与謝野晶子、石井柏亭、辻永、中村研一、耳野卯三郎などが訪れている。当地には篠田悌二郎などの歌碑、詩碑が立つ」と、ある。

 外房も、ここまで来るとリアス式海岸になり、砂も白く、御宿海岸が舞台とされる童謡「月の砂漠」を想い起こされる世界になる。澄んだ空気が胸の奥まで入り、なにか生き返ったような気分になる。誘ってくれた友人に感謝。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのレコード棚ーブルース126 Houston Stackhouse

2021年04月01日 | わたしのレコード棚
 ギター・ヴォーカルのヒューストン・スタックハウス(Houston Stackhouse)は、1910年9月28日にミシシッピー州Wessonで生まれ、1980年9月23日にアーカンソー州ヘレナ(Helena)で亡くなっている。
 ギターはトミー・ジョンソンに直接学んだといわれ、1920年代の終わりころにはジョンソンと共にジャクソンあたりのパーティーなどを共に演奏して回ったという。1940年代中頃にヘレナに移動して、「キングビスケット・タイム」というKFFA局のラジオ番組でハーモニカのサニーボーイ・ウィリアムソン#2(ライス・ミラー)などと演奏する仕事を続けた。1950年頃にはシカゴへ出たが、その後、再びミシシッピーやアーカンソーに戻り演奏・録音したりしている。我が家にあるのは、1960年代以降の録音となる。


 TESTAMENTレーベルのLP2215。1967年8月にミシシッピー州Dundeeで録音したもので、スタックハウスは4曲入っている。ここで演奏しているのもトミー・ジョンソンの曲が多く、ギターはエレキだが、スタイルは完全にジョンソンのものだ。バックでギターを弾いているのは、ロバート・ナイトホークで従兄弟ともいわれている。ナイトホークに関しては、ページを改めて書くことにしたい。ドラムスはジェームス‟ペック”カーティス。


 ARHOOLIEレーベルのLP1014。1960年代にジョージ・ミッチェルがミシシッピーで現地録音したものを編集したレコード。有名無名なブルースマン、12曲を収録。

 同LP裏面。写真の一番下、2人の内右がスタックハウスで、左側でドラムスを叩いているのがジェームス‟ペック”カーティス。カーティスもスタックハウスと共にKFFA局のラジオ番組の仕事をしており、このLPに「The Death Of Sonny Boy Williamson(サニーボーイ・ウィリアムソンの死)」というドラムスをたたきながらの語りを入れている。「キングビスケット・タイム」という放送はブルースの歴史の上で重要な番組で、ほぼ毎日午後の決まった時間に放送されて、ブルースマン達の修練と安定した収入を得る場になっていた。ロバート・ロックウッド・ジュニヤーなども参加していたこともあり、ファンの間では伝説のラジオ番組だ。


 上のLPと同じARHOOLIEのCD402。スタックハウスは4曲入っていて、LPに入りきらなかった曲をこちらに入れたようだ。


 YAZOOのヴィデオ505『Good Morning Blues』より。使っているギターは、エピフォンのカジノだろうか。アンプとの相性もあるだろうが、低音が不足気味で安っぽい音に聞こえる。が、それが妙に田舎のブルースっぽく、スタックハウスの少しファルセットがかかった声と相まって独特の雰囲気を醸し出している。当時のエピフォンは、けっして安物ではないが、ギターは値段が高ければ良い、というものではないのだった。何より、それを使うプレーヤーとの「相性」というものが大切。


 VESTAPOLレーベルのヴィデオ13016『Legends Of Country Blues Guitar』より、1972年頃の映像。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする