文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚―ブルース45、Barbecue Bob(Robert Hicks)

2018年01月30日 | わたしのレコード棚
 バーベキュー・ボブことロバート・ヒックスも、アトランタのブルースシーンを語る上で欠かせないミュージシャンの一人だ。
 生まれは、1902年9月ジョージア州ウォールナットグローブ(Walnut Grove)。アトランタに出たのは、1923~4年頃らしい。ニックネームの「バーベキュー」は、その当時働いていた店の名が「ティットウェルズ・バーベキュー」だったことに由来しているという。ギターを習ったのは実兄のチャーリー・ヒックス(Charlie Hicks)からで、1918年頃にはヒックス兄弟は一緒に地元で演奏していたという。初レコーディングをしたのは、1927年3月、アトランタでのこと。肺結核で亡くなったのは1931年10月ジョージア州リソニア(Lithonia)。まだ、29歳だった。その亡くなるまでの4年余りの間に、70曲近くを録音している。
 演奏スタイルは、素朴で音程の良いヴォーカルとしっかりしたリズム、洗練された感じのする音使いだ。12弦ギターを使ったブルースマンの中で、楽器そのものの持つ独自のトーンを引き出す能力という点では、この人が秀でている。早世したのが惜しまれる。彼の兄チャーリーは、弟の死後酒に溺れ、1956年に殺人罪で投獄され、1963年に63歳で獄中で亡くなったという。


YazooのCD『Chocolate To The Bone』。代表曲20曲を選んだ名盤。


RBFのLP15。アトランタで活躍したブルースマン8人の演奏を収めたオムニバス盤。編集と解説はサミュエル・チャータースで、歌詞カードもついている。ジャケットの写真は、バーベキュー・ボブ。これも名盤。

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深沢七郎著『笛吹川』2011年講談社文芸文庫

2018年01月26日 | 本と雑誌
 深沢七郎が73歳で亡くなったのは1987年。なので、すでに30年以上の歳月が流れたことになる。その存在を知らぬ人も多くなったことだろう。
 わたしは学生時代に『楢山節考』を読んで、最後の場面で涙が止まらなかった事を今でも鮮明に覚えている。1970年代の終わり頃だったと記憶している。その『楢山節考』が、第1回の「中央公論新人賞」を受賞したのが1956年。深沢七郎が42歳の時のこと。そして、この『笛吹川』が中央公論社から刊行されたのが、1958年。今回、図書館から借りて読んだのは2011年講談社文芸文庫から復刻されたものになる。



 武田信玄の誕生から勝頼の死ぬまで、激動の時代に翻弄される笛吹川沿いに暮らすある農家6世代を描いた小説。深沢七郎は、現在の山梨県笛吹市出身なので、自らの郷里を舞台に設定した作品、ということになるだろう。
 良い小説を読んでいると、時間の流れがゆっくりしてくるように感じる。これを読んでいる時、舟で川を下っていて急流を過ぎ川幅が広いところに出た時に似た感覚をおぼえた。時間をかけて書かれた作品とは、そういうものなのだ。手作業の大切さを、改めて実感させてくれた。便利な道具を使う時には、それが本当に必要なものなのか、立ち止まって考えたい。

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わたしのレコード棚―ブルース44、Curley Weaver

2018年01月22日 | わたしのレコード棚
 カーリー・ウィーバーは、「わたしのレコード棚―ブルース43」で取り上げたウィリー・マクテル、あるいはバーベキュー・ボブの演奏を支えた伴奏者―バックアップギタリスト―というイメージが強い。が、しっかりした実力があり、ジョージアのブルースシーンを語る上では欠かせないギターリストの一人だ。



 生まれは1906年3月、亡くなったのは1962年9月で、ともにジョージア州コヴィントン(Covington)。アトランタに出て、演奏活動を始めたのは、1925年頃だったらしい。個人的に共演している上の二人の他に、“The Georgia Browns”及び“The Georgia Cotton Pickers”というバンドの一員としてもギターやヴォーカルで参加している。“The Georgia Browns”は、ギター・ヴォーカルにフレッド・マクミューレン(Fred McMullen)、ハーモニカにバディ・モス(Buddy Moss)など。“The Georgia Cotton Pickers”は、ギター・ヴォーカルのバーベキュー・ボブ、やはりハーモニカにバディ・モス。

 そんなこんなで、我が家にある音源のなかにカーリー・ウィーバーの入っているものはけっこう多いが、単独で録音されたものは1曲しかない。それは、P-vineから出ている4枚組CD『The Story Of Pre-war Blues』に入っている「No No Blues」という曲。低音弦をはじき返す強いリズムと、それに絡むスライド奏法の高音弦側のバランスが素晴らしい1曲だ。これだけの実力がある人だったら、もっと単独での録音を多く残して欲しかった。この「No No Blues」、CDの解説には1933年のニューヨーク録音となっているが、他の資料には1928年に録音してローカル・ヒットになった、ともある。あるいは、別テイクがあったのかもしれない。

 カーリー・ウィーバーの最後の録音は、1949年にウィリー・マクテルと「リーガル」というレーベルに吹きこんだ物らしい。が、残念ながらそれは手元にはない。彼は、1950年頃から視力を失いはじめ、亡くなった1962年には、完全に失明していたという。

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2002年フランス映画『僕のスィング』

2018年01月19日 | 映画
 今週15日に千葉劇場で『永遠のジャンゴ』を観て、その関連で、所有していたDVDの『僕のスィング』(2002年フランス映画)を観なおしていた。
 内容は、ギターを買い求めにジプシー居留地に行き、さらにそこで出会ったギターリストにギターを習い始めた少年と、スィングという名のジプシーの娘のひと夏の淡い恋を描いた作品。この映画では、本物のミュージシャンが出演し、ほぼ全編でアフターレコーディングなどの吹き替え無しに制作されている。ジプシーの音楽はもちろん、パーティーで演奏されるアラブ系の音楽や、アイリッシュな旋律を想わせる子守唄など、すぐれた演奏および映像が見られる。



 監督・脚本は、トニー・ガトリフ。ギタリスト役にチャボロ・シュミット。骨董品を扱う商人役にジャンゴ・ラインハルトの遠縁に当たるというマンディーノ・ラインハルト、その他当時のヨーロッパの実力のあるミュージシャンが多数出演している。尚、映像特典として、映画の公開記念で来日したチャボロ・シュミットやマンディーノ・ラインハルトらの加わったカルテットの演奏が4曲入っていて、これも聞きごたえがある。

 チャボロ・シュミットは、2004年にも自分の一族を引き連れて来日している。わたしは、その時の九段会館での公演を聴いている。なかなか、みごとな演奏だった。あれから14年たち、チャボロ・シュミットも既に60歳代半ばになるが、今年の夏に来日公演が予定されている。ヨーロッパのジャズに興味のある人は、聴いておいて損はないと思われる。

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2017年フランス映画『永遠のジャンゴ』

2018年01月16日 | 映画
 1/15(月)千葉劇場にて。原題は『Django』。監督・脚本は、エチエンヌ・コマール。主演、レダ・カテブ。楽曲のレコーディングを担当したのは、ローゼンバーグ・トリオ。


 1943年、ドイツ占領下のフランス・パリ。映画は、森の中で演奏するジプシーが虐殺されるシーンに続き、すでに演奏開始時間は過ぎているのにセーヌ川で釣りをしているギターリスト、ジャンゴ・ラインハルトの姿で始まる。マネージャーに引き戻され、やっとコンサート会場に入るジャンゴ。やがて始まる演奏に、観客は引き込まれてゆく。その中にはドイツ軍将校もいて、彼はドイツでの演奏を半ば強制的に企画し、ジャンゴに押しつけてくるが・・・。

 ジャンゴ・ラインハルトは、ヨーロッパのジャズシーンを語る上で欠かせない人で、今では世界的なギタリスト達から尊敬を受けているミュージシャンの一人だ。ギターで演奏する時、難しいことのひとつに、楽器との一体感を得ることがある。この点で彼は傑出していた。録音を聴いても、ギターがまるで体の一部であるかのような演奏だ。一方で、その性格は、良く言えば奔放、悪く言えばいいかげん、だったようだ。映画にも博打で有り金を全てすってしまうシーンがあったが、現実もそうだったらしい。手元の資料には、それがためにバンドのメンバーに給料をきちんと払わなかったことも多かった、とある。そんなジャンゴの悪癖により、特に弟でギタリストのジョセフは一時期嫌気がさして、彼から離れていたこともあったという。
 映画のようにドイツ軍が、ジャンゴ・ラインハルトに演奏させようとしたことが史実としてあったのかどうかは、手元の資料からは確認できない。あくまで、わたし個人の見解だが、モーツァルトやベートーベンの音楽を自民族の優位性として喧伝し、ドイツ国内はもとより占領地のオーケストラからユダヤ人演奏家などを排斥したドイツ軍が、ジプシーの音楽家を評価して自国に連れていこうしたとは考えにくい。むしろこの映画は。ナチスの少数民族に対する差別と圧迫をテーマにした作品として観た方が良いのではないか、と感じた。



 こちらは本物のジャンゴ・ラインハルトの写真。
 生まれは、1910年2月23日、ベルギーのシャルルロワにあったジプシー・キャラバンの居留地。本名はジャン・バプテスト・ラインハルト。家は芸人一家で、父はヴァイオリン弾き、母は歌手で踊り手でもあり、諸国を回り演奏して生活の糧を得ていたという。1927年幌馬車の火災に巻き込まれ、左半身に火傷を負い、左手の小指と薬指が委縮したままになる。写真を見ても、まがったままの左手の小指と薬指、さらに左手の甲に火傷のあとが見える。映画の中では、ほぼ2本の指で弾いているように演じられていたが、写真を良く見ると左手の親指も使って押弦しているのがわかる。
1950年以降は音楽的インスピレーションを失ったのか、演奏をしなくなり、1953年5月16日に43歳で亡くなっている。

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NHKスペシャル取材班『母親に、死んで欲しい』2017年新潮社刊

2018年01月13日 | 本と雑誌
 最近、図書館から借りて読んだ本から。



 本書は、2016年7月3日に放送されたNHKスペシャル『私は家族を殺した~“介護殺人”当事者たちの告白~』をベースにディレクター、記者が書き下ろし、昨年10月に出たドキュメンタリー。題名を読めば、内容はほぼ察しがつくだろう。
 わたしも、認知症だった母の介護を約15年続け、2014年に自宅で看とった。その間、介護自体を辛いとか、苦しいとか感じたことはなかった。しかし、人格が変ってゆく母にどう対応して良いのか、さらには周囲の無理解、そこには苦しんだ。一時期は、軽い精神安定剤を飲んでやり過ごすこともあった。今思えば、一番つらかったのは患者本人で、自分が自分でなくなってゆく不安に常に苛まれているのが認知症なのだった。「認知症の人と家族の会」の会報や、認知症患者本人であるクリスティーン・ブライデンの著作などを読み、知識としては持っていても、それを実感し自らの介護に生かしてゆくことは容易ではなかった。それでも母の場合は、まれに「ありがと」と言ってくれたので、その一言でわたしは救われたのだった。逆にいえば、その言葉が無ければ、この本の「当事者」になっていた可能性はあった、と今も思う。

 本文中の、ある介護施設長の言葉を引用しておく。
「国は在宅介護を進めているけど、施設のヘルパーでも手に余る人を、素人の家族が朝から晩まで介護することは、精神的に大変なことなんです。自分の身内だからできるでしょうというが、それは違う。認知症で昔と変ってしまった家族を受け入れることは難しいんです」(p70)

 高齢化が進み、けっして他人事ではないのは明白だ。統計によると、昨年の5月時点で、介護を必要としている人は634万人。介護のために離職している人は、年間10万人以上いるという。政府は、介護離職をなくす、と言っているが今のところ掛け声だけに終始している。介護施設でのトラブルも多い。大切な家族を安心してあずけられる施設は少ないのが現実だ。このままでは、間違いなく社会全体がジリ貧になる。
 スマホなどIT技術がさらに進み、孤立する介護者の一助になることを期待したい。が、今のところ現実はそうはなっていない様に見える。多くの人に、読んでもらいたい一冊。

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千葉市の貝塚ー花輪貝塚

2018年01月10日 | 考古・エッセイ
 1/9(火)、風は強かったが暖かかったので、自転車で墓参に行き、その帰りに花輪貝塚に行ってきた。千葉市の加曾利町という所にあり、加曾利貝塚から1Kメートル程のところに位置している。




国指定の史跡だが、私有地なので勝手に入れない。加曾利貝塚と比べても、規模も保存状態も引けを取らない史跡にみえたので、国か自治体が買い取って、しっかり整備して欲しい、と感じた。


千葉の貝塚の特徴として、海から内陸に数キロの所で、少し高台になっていて、近くに川があり舟を使って貝を運べるところに位置していることがある。ここも例外ではなく、この近くに今は細い流れになっているが、川があり、このような高台にある。おそらく、水害などの自然災害を避けるために、そのような場所を選んだのだろう。縄文期、このような貝塚を中心に集落が形成され、谷を超えて近くの他の集落と婚姻関係などで交流していたのかもしれない。そんな想像をめぐらすと、今は住宅地になっているところも違った光景が見えてくるようで、興味が尽きない。

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わたしのレコード棚―ブルース43、Blind Willie McTell

2018年01月06日 | わたしのレコード棚
 合衆国東部、特にジョージア州のブルースマンは12弦ギターを弾く人が多い。その中でも代表的と言えるのが、今回のブラインド・ウィリー・マクテル(Blind Willie McTell)だ。この人は、盲目でありながら街の案内をしたという伝説の持ち主で、実際に特殊な能力を持っていたらしい。これは、現在ではエコー・ロケーションと呼ばれるもので、2011年12月にNHKテレビで特集され、翌25日付のこのブログでも取り上げておいたので、興味のある人はこちらを参照して欲しい。また、その特殊能力についてジャス・オブレヒト著『9人のギタリスト』p139に最初の妻ケイトの話が載っており、とても興味深いので、少し長いが引用しておく。
『彼は自分の世界では目が見えると感じていました。わたしたちが自分の世界で見えると感じるように。髪がどのくらい長いか、わたしの肌が何色か、言うこともできました。そして、彼に近づき、話しかければ、それが黒人なのか、白人なのか、言い当てられました。しかも、背がどのくらい高いか、背が低いかどうかも――ただ声を聞くだけでわかったのです。また、太った人間か、やせた人間かどうかも。驚くべき人です。行きたいところは、どこでも行けました。杖を持っていて、その音に合わせて「チ、チ、チ、チ」と言うのです。それで、何かにぶつかることもありませんでした。彼が言うには。近づいた物に音がぶつかり、それをどう避けたらいいのかわかったのだそうです。』

 生まれは資料によって異なるが、1901年ジョージア州トムスン(Thompson)というのが今では有力になっている。亡くなったのは、1959年8月19日で、同州のミレッジヴィル州立病院で脳出血のためという。

 わたしも12弦ギターを所有しているが、なかなか思いどおりに弾きこなせない。特に3~6コースは、オクターブでチューニングするのだが、ダウンで弾いた時とアップで弾いた時とではトーン(音色)が変わってしまう。その点、ウィリー・マクテルの音のコントロールは抜群で、この人の演奏を聴くと「この人を超える12弦ギタリストはもう出ないだろう」というのが実感だ。


ソニーレコードの2枚組CD。初期の1929~'33にコロンビアなどに残した41曲を収録。何曲かで、やはりジョージアのギターの名手カーリー・ウィーバーがバッキングを務めていて、それも聞きごたえがある。1930年4月17日、アトランタでの録音の3日後、コロンビアはブラインド・ウィリー・ジョンソンをアトランタの同じ場所で録音している。この時、マクテルがウィリー・ジョンソンのセッションにも参加したという資料もあるようだが、実際にはそれは残っていないようだ。もし、その録音があれば、ジャンルを超えた音楽史上の遺産であることは疑いない。ただ、この後二人のウィリーは知り合いになり、共にツアーに出たのは間違いないらしい。実際、スライドを使ったゴスペル曲ではウィリー・ジョンソンのつよい影響が感じられる。


MCAのLP1368。1935年4月のセッションで、当時の奥さんケイトがセカンドヴォーカルを5曲でつけている。


ブルースヴィルのLP1040.1956年9月、アトランタでの録音。これが最後の録音らしい。

 ウィリー・マクテルの親戚筋にはミュージシャンが多く、ジョージア・トム・ドーシー、バディ・モス、バーベキュー・ボブとその兄弟のチャーリー・リンカーンなどがいる。次回以降、これらのプレーヤー達も取り上げていきたい。
 

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2018年元旦風景

2018年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 こちら南関の元日は、晴れて風なく、穏やか。午後、千葉公園の風景を切り取るように撮影してきた。


冬枯れ。樹はプラタナス。


公園内、弁天池に今年も渡ってきたカモの仲間キンクロハジロ。


ユリカモメ。


中央の一回り大きいのはセグロカモメ。


アオサギ。

 年々渡ってくる冬鳥の種類が少なくなっている様な気がする。以前は普通に見られたホシハジロやコガモの姿も見ることが出来なかった。理由はわからないが、環境の変化によるものか、あるいは鳥にもテリトリーのようなものがあって棲み分けているのか。ここに猛禽類は見当たらないが、カラスなどは小さい鳥を襲う事もあるらしいし、いろいろ鳥にも事情があるのだろうなあ・・皆生きてゆくのは大変ですね。

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