文化逍遥。

良質な文化の紹介。

2015年アメリカ映画『白い帽子の女』

2016年09月30日 | 映画
 9/29、例によって木曜メンズデイの千葉劇場にて。



 原題は『By The Sea(海辺にて)』。
 2度の流産を経て子どもを産めないことに苦しみ、心に傷を負い、精神的に不安定になった妻。その妻を愛しながらも対応に苦しみ、酒に逃げる夫。二人は関係を築き直す場として、南フランスのマルタ島を訪れるが、ホテルの隣室には新婚旅行の若い夫婦が宿泊して・・・。

 映画は、夫婦の心情を、地中海の青さと島のゆったりと流れる時間の中でじっくりと描いてゆく。近頃のアメリカ映画と言えば、派手なアクションとCGなど特殊撮影で観客を動員するしか能が無いのかと思っていたが、こんな映画が作れるんだなあ、と感心した。と、思いきや、どうも監督・制作・主演のアンジェリーナ・ジョリー・ピット、劇中でも夫役で制作のブラッド・ピット夫妻が自腹を切って作った、云わば自主制作の映画らしい。やっぱ、そうだよなあ。
 考えようによっては、ハリウッドのスター夫妻が映画人としての意地を見せた作品とも言える。その意味では、あっぱれ。

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若倉雅登著『高津川』2012年青志社刊

2016年09月23日 | 本と雑誌
最近読んだ本の中から、印象に残った一冊。




 著者は1949年生まれの医師で、医療関係の著作も多い。同じ著者による、今年2月に刊行された『茅花(つばな)流しの診療所』を図書館で借りて読み、良く出来た小説だったのでこちらも読みたくなった。この本、何故か図書館には無くて、仕方ないのでアマゾンで探したところ新刊本は品切れ。古本で安く出ていたものを購入した。届いた本はピカピカで、読まれた形跡は無かった。最近そういうことが多い。流通の過程でこぼれ落ちた本が特価本として出回ることもあるが、近頃はネットに流れているのだろうか。あるいは、買っても読まずに売ってしまう人が多いのか。いずれにしろ、本を取り巻く状況が悪い方に変化しているようだ。

 さて、本の内容。「医療小説」ということで、『高津川』は明治期に実在した右田アサという女性眼科医を題材にとった小説。『茅花(つばな)流しの診療所』は、やはり明治期に19歳で医師となった尾崎マサノという女医の生涯を描いている。差別と偏見に立ち向かわなければ女性が医師になれなかった明治期。そんな時代に生きた二人の女性医師を描いた「史実をもとにしたフィクション」と言えるだろう。二人とも夭逝しており、女性としての幸は薄かったようだ。にもかかわらず読後感が良いのは、主人公を暖かく見守るように描かれているからだろう。

 お茶の水、ニコライ堂の坂の下にある「井上眼科病院」。JRお茶の水駅の聖橋口を出て数分、小川町方向のカワセ楽器に向かって坂を下りていく時いつも通る道筋にある。夏目漱石が通ったこともある古い病院であることは知っていたが、日本の眼科病院の嚆矢であり、眼科医の育成に貢献した程の医院だとは『高津川』を読むまで知らなかった。著者は、そこの名誉院長でもある。身近な所に、歴史は隠れているものだ。

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山本(曻地)三郎著『しいのみ学園』2009年改訂復刻KATI出版

2016年09月17日 | 本と雑誌
 2013年に107歳で亡くなった曻地三郎氏の代表的著作『しいのみ学園』。山本は旧姓で、この本の初版は1954年。図書館で借りてすでに読んでいるが、今回、改訂復刻版がネットで安く出ていたので、それを買って読み直した。



 著者の曻地三郎先生は、医学・哲学・教育学そして文学博士であり、自身の長男と次男が小児麻痺を患ったことから開園した「しいのみ学園」の園長を長く勤められ、障害児の可能性を信じ、研究・実践活動を続けた世界的にも有名な教育者で、晩年にはテレビ出演も多かった。
 この本は1955年に香川京子主演で映画化もされ、昭和30年代のベストセラーになったという。その後、続編が書かれ、正・続を合わせた再編集版が出て、さらにその後の子どもたちの消息をまとめた『しいのみの子供たち』が1979年に出ている。しかし一過性の人気に終わったのか、再編集して文庫化され再販される、ということもなく、残念ながら現在では古本として辛うじて入手出来る程度だ。

 子どもというのは、環境によっては残酷になったり温厚になったりする。それだけに、背中を見られている大人は日々の言動に留意すべきなのだ。この本を読むと、それを痛切に感じる。また、心を閉じていた障がいを持った子供が心を開いてゆく描写は、何度読んでも感動する。著者のマヒを負った長男の方は1976年に39歳で、次男の方は2002年にそれぞれ亡くなっている。学園の運営を手伝っていた長女の方も2003年に他界されており、それに先立ち1996年に奥さまも他界されている。家族全てを失いながらも、笑顔と活動力を失わず、100歳を超えても研究と公演活動に励まれた。私財を投げうって障がいを持つ子どもの教育に挺身することだけでも並大抵のことではないのに、家族を失った後も地道な活動を続ける。これには、実にどうも、頭が下がる思いだ。

 わたしがギターを学ぶ時もっともお手本した人はブラウニー・マギーという人だが、この人は子どもの頃小児麻痺にかかり足が少し不自由な人だったという。それにめげずに独自のギタースタイルを生み出し息の長い演奏活動を続けた。さらには、7月の相模原の事件、あってはならない障害者殺傷事件に対するネット上の肯定的な反応が多かったことを鑑み、あらためてこの本を多くの人に手に取ってもらい「人の持つ可能性」について知ってもらいたいと考えている。

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鰯雲

2016年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
 残暑は続くが、日の出は遅く、日の入りは早くなり、徐々に秋の気配がただよい始めた。


昨日9/10夕方、散歩中に携帯で撮影した「いわし雲」(「うろこ雲」あるいは「さば雲」ともいう巻積雲)。上層に冷たい空気が入ってくると出来やすいらしく、魚の鱗のように見えることからこの名があるという。この雲を見ると、秋だなあ、と思う。


 鬼怒川堤防が決壊し、茨城県常総市で大きな被害が出て10日で一年になる。いまだに、避難生活を強いられ生活の再建が進まない人達もいる。
今年も、春には九州で地震の被害が、さらには夏の台風10号などで東北や北海道で大きな水害の被害が出ている。被災して避難生活を強いられる中で、もっとも困難に直面するのは、高齢者・障がい者などハンデキャップを持った人やその家族だ。自分も、母の介護をした経験から、その困難さは少なからず想像できる。実際、体育館などの避難所では、食料の配布で列に並べない人には配給されない、というようなことも報道されている。
 これから将来に向けて、国・県・市さらには民間の垣根を越えた連携のもと、根本的に対策を見直す必要があるだろう。我が家のすぐ近くに老朽化した7階建て126戸ほどの公務員住宅が今は無人となり、封鎖されたまま取り壊しを待っている。おそらく、全国に同じような建物があるのだろう。そういった「空室」を災害時の緊急避難所として整備しておき、避難所などでは生活に困る人を順次受け入れれば多くの人が助かるに違いない。異常気象は、これからも「想定外」の災害を生じさせることになるだろう。それに備える対策費は、安心を買える、と思えば安いものだと思う。

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真継伸彦著『無明』

2016年09月05日 | 本と雑誌
 先月亡くなった真継伸彦氏の小説『無明』(1970年河出書房刊)を図書館から借りてきて読んだ。応仁の乱後の混乱の中、若い僧心源の苦悶と、そこから生ずる実存的問いを投げかける物語。

「・・・一切の情念を切りつくし、無情に徹してはじめて、私は無明の束縛を突破し、真の私、明なる無明に成りうるのではないか。」(p136)

 すでに半世紀近く前の小説で、現在の歴史認識と少しズレがある、と思われる記述もあるが、小説としては良い作品と思った。代表作といわれ第2回(1963年) 文藝賞受賞作である『鮫』も読んでみたくなった。

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