文化逍遥。

良質な文化の紹介。

2015年中国映画『山河ノスタルジア』

2016年05月28日 | 映画
 5/26(木)、メンズデイの千葉劇場にて。



 監督はジャ・ジャンクー、音楽やプロデュースは日本人で、制作にもオフィス北野などが入っているので中国・日本・フランスの共同制作となっている。

 小学校教師を務める女性タオ、炭鉱夫として地道に働くリャンズー、投資で成功する男ジンシェンの3人の幼なじみ。映画は過去―現在―未来の設定になっていて、最初は1999年、3人の故郷である山西省汾陽から始まる。リーフレットの写真に写っているのは「汾水(または汾河)」という黄河の支流で、中国の春秋時代には「晋」という国があったところだ。実は、この映画を観ようと思った動機の一つに中国の地方の風景を見たいことがあった。その意味では、宮城谷昌光の小説『重耳』『介子推』などの舞台となった国の映像を見られたので良かった。城塞や古い塔なども出てきて、宮城谷文学や史記に興味がある人には、映像だけでも観る価値があると思われる。

 次に、物語りは2014年に飛ぶ。投資家ジンシェンと結婚したタオは子供を産んでいたがその後離婚、別居していた一人息子ダオラーと父の死を機に再会することになる。しかし、上海に長く暮らす息子とは言葉も通じにくく、苛立つタオ。そしてさらに近未来の2025年、炭鉱で長く働いたリャンズーは肺を病み、故郷へ戻ってくるが治療に要する金も無い。米ドルに因んだ名を持つダオラーは父と共に移住した先のオーストラリアで青年となり、経済的には豊かだが、中国語を忘れ、自らの姓名にすら誇りを持てないアイデンティティーの崩壊に苦しんでいる・・・。
 カメラは、時代に翻弄される三者三様の生活を追う。この映画、パンフでは「絆」を強調しているが、むしろ中国のみならず現代文明の矛盾を描いているように思った。結局は誰も心が満たされず、あるものは貧困の中で、又ある者は見せかけの豊かさの中で、失意の中に沈んでゆく。
 ラストシーンでタオは冒頭シーンと同じダンスを、再び、一人城外の雪が降る荒野で踊る。それは、まるで失ったものを取り戻す「あがき」にも似て寒々しく、虚しい。

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『緑はよみがえる』2014年イタリア映画

2016年05月23日 | 映画
 5/21(土)岩波ホール。監督・脚本はエルマンノ・オルミ。音楽はパオロ・フレスによるバンドネオン。



 1917年冬、第一次世界大戦末期、イタリア・アルプスの雪に覆われた最前線の塹壕での一夜。前進しようとすれば狙撃兵に狙われ、絶え間なく照明弾があげられて砲撃は正確さが増してゆく。そんな状況の中で、兵士は自問するように問いかける。それは、監督自身の観る者へ向けたメッセージでもあり、遺言でもあるかのようだ。

 人が人を許せないのなら、「ひと」とはいったい何なのか。

 戦争によって焼かれた樹木の緑はやがてよみがえるだろう。そのとき、かつて過酷な戦いがあった事は忘れ去られてしまうのだろうか。

76分の短めの映画だが、装飾を切り捨てた映像とセリフにより、観る者にはその問いの重さが増すようにも感じられる。
 第二次世界大戦時、ナチス・ドイツからの迫害を逃れようと多くの人がヨーロッパ・アルプスを越えた。そして今また、中東からの難民が逆方向から同じ山々を越えている。山脈の美しさとは裏腹の現実。あえて、この地を選んだ映画は、過去と今とを映し出す。

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小林照幸著『死の貝』1998年、文芸春秋社刊

2016年05月19日 | 本と雑誌
 書名からすると貝の話のように思われるが、本の内容は寄生虫の話である。
わたしが小学校低学年の頃(昭和30年代後半)までは、学校で寄生虫の検査が定期的に行われていたものだった。具体的には、検便や朝起きた時に肛門にシールを張って寄生虫の卵があるかを確認するもので、卵が見つかった場合は駆虫薬いわゆる「虫くだし」を飲んで回虫などを駆除した。その後、水洗トイレや下水道の普及などにより昭和40年代に入るとほとんど寄生虫の感染は無くなったようだ。

 この本で取り上げているのは「日本住血吸虫」という人や家畜など多くの動物の血管に住み着く寄生虫で、その発見から撲滅に至るまでのルポルタージュと言える。日本住血吸虫は、感染すると腹が膨れ、あるいは成長を阻害し、時に死に至らしめるという恐ろしい寄生虫で、地方によってはかなり深刻な被害が出たという。そして、その寄生虫の孵化から幼虫―成虫に至る過程で、「宮入(みやいり)貝」という数ミリの小さな貝が中間宿主であることを発見するに至るまでの様々な医学者・衛生学者の血のにじむような苦労を資料に基づき小説風に完成させているので、深刻な内容のわりには読みやすい。時代としては、大正時代の話なので、わたしの父母の生まれた頃だ。それほど昔の話ではない。
 今では、農作業で命を落とすような病気にかかる危険性はほぼ無くなったろうが、父や母の生まれた頃にこんな恐ろしい寄生虫が田んぼや湿地に居て、命の危険と隣り合わせで作業していた事は驚きだ。そして、それは特効薬の開発や貝の駆除により終息するつい最近まで続いていたのだ。『死の貝』という書名からすると貝自体が危険なもののようだが、マラリヤにおける蚊のように吸血したりするものではなく、あくまで寄生虫の生育過程で必要な宿主になる貝というだけだ。その点を注意しておきたい。ホタルの幼虫の餌にもなることから、宮入貝を駆除したことがホタルの生息数が減った一因であるとも言われている。

 中国や東南アジアでは、今なお日本住血吸虫による感染が続いているらしい。セルカリアと呼ばれる肉眼では見えないほど小さな幼虫は、水のある所にいて皮膚を介して体内に侵入し、その後太い血管内で雌雄が合体、膨大な数の卵を産むという。われわれ都会に住む者は豊かな農村風景に心癒されるものだが、そんな甘い感傷を嘲笑うかのような危険性が自然の中には潜んでいるものであることを、この本は教えてくれる。

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柳澤桂子著『患者の孤独―心の通う医師を求めて』2003年草思社刊

2016年05月14日 | 本と雑誌
 著者の柳澤桂子氏は、1938年生まれの生命科学者。1969年に現代の医学では原因不明の病に侵され、一時は寝た切り状態で水も食餌も摂れず、IVH(中心静脈栄養)で延命するにいたり、本人も「過剰医療」との認識およびその苦しみからIVHを外す決断にまで至る。が、家族の反対もあり治療を続行。その後、効き目のある薬に出会い床を離れることが出来、多くの著作などを通じてその経緯を語っておられる。1999年に、NHKの「ドキュメント日本」というテレビ番組で『いのち再び~生命科学者・柳澤桂子』として取り上げられたこともあり、わたしもそれを見ていたので今回図書館から借りてきて読んでみたのだった。
 
 病院であらゆる検査をしても異常が見つからない時、医者は病気と認めず精神科に回そうとする。しかし、精神・神経科でも異常なしとされれば・・・結局医師達は匙を投げてしまう。それでも、様々な苦しい症状に襲われ続ける患者は、なにに頼りどう対処すれば良いのか、つかむ藁さえ無く、ドクター・ショッピングを繰り返さざるを得ない。現代の医学で分からないからといって病気と認識できないのは、医師として、あるいは人として問題があるだろう。「寒心に堪えない」という言葉があるが、この本を読んで現在の医療の現場についてそう表現せざるを得ない。著者は、それでもかなり言葉を選び、慎重な表現で自己の経験を語っているが、行間に滲む苦しみ・焦り・悔しさは隠しようもない。科学者であるがゆえの苦しみもあったろうが、それゆえの冷静な対処も出来たことは幸いだったと思われる。さらに、少数の限られた医師が誠実に対応し、かなりの回復を得たことは読む方としても救われる思いがした。

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土器の写真

2016年05月10日 | 考古・エッセイ
 前回、5月5日に行ってきた松戸市立博物館のつづき。

 幸田貝塚出土の土器たちをガラス越しに撮ったのだが、ガラスの反射があり光も不足して、なかなかうまくいかなかった。でもまあ、せっかく撮ってきたので載せておくことにした。これら土器の形状を「稚拙」と見る人とは友達になりたくない。





















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松戸市立博物館

2016年05月06日 | 考古・エッセイ
 千葉でも夏日となった5/5、松戸市立博物館に出かけてきた。
博物館は、JR武蔵野線の新八柱駅又は新京成線の八柱駅から歩いて15分程の「21世紀の森と広場」という自然公園の中にある。今は、同館が所蔵している松戸市北部に位置する幸田(こうで)貝塚の土器などを中心に6/12まで特別展示している。会場は入場無料。常設の展示は300円。その常設展も見たが、太古の世界から現代の団地に至るまで、簡素だが分かりやすく展示されている。芸能に関する独立した展示もあり、虚無僧などの解説やその僧たちが使った尺八の展示が興味深かった。





撮影可との事だったので撮ってみたが、やはりガラスの反射があってうまくいかなかった。
縄文前期の土器たち。素朴で形が実にいい。「自然な揺らぎ」とでも言おうか、見飽きぬ美しさ。まるで土器から風が吹いてくるようだ。他人に見せることなど全く念頭に無く、いわば、自然への捧げものを作る気持ちで作陶したのだろう。


博物館下の遊歩道。気温は高かったが湿度は低く、樹木の中を歩くのは気持ち良かった。


大きな池もある。子供の日だったので、親子連れが多かった。

 この日は総武線から西船橋で乗り換えて武蔵野線を利用したが、スムースに乗り換えられて西千葉から40分ほどで新八柱に着いた。武蔵野線は、京葉線に直結されて本数も多くなり、以前に比べてずっと便利になっている。駅から「21世紀の森と広場」までの道も、桜の街路樹が整備されていて歩きやすかった。

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額田勲著『孤独死―被災地神戸で考える人間の復興』1999年岩波書店

2016年05月03日 | 本と雑誌
 熊本で地震が発生してから半月が過ぎた。家屋の全・半壊合わせて5000棟とも言われている。住む家を失い、現在避難所にいる人達は、これからアパートや仮設住宅などに住まうことになるだろう。
 今回読んだのは、1995年の阪神淡路大震災後の仮設住宅で医療に当たった医師の著述になる本。東日本大震災でも、仮設住宅におけるアルコール依存など深刻な問題を抱えて亡くなった人も多かったと報道されていた。この本は、仮設住宅における病気そして死に向き合った現場の声とも言えるが、その「現場」の深刻さには愕然とさせられた。災害などで目の前で大切な人を失うこと、あるいは貧困がいかにその人の心に大きな負担をかけるのか、「自分が死ぬべきだった」、「生きている価値の無い自分が生き残ってしまった」と自らを責める中で、心は病みそして体も病んでいった人達も多かったのだ。それは他人事では無い。いつ、自分自身や周囲の人が専門家によるサポートでさえも受け付けない状態になるかもしれない。その時どう対処すべきなのか、無力ながら、このような本を読む中で考えておくのも無駄ではないだろう。
 
 首都直下地震が起きるのも時間の問題と言われている。今回の九州の地震では市役所などが損壊して立ち入りできない市町村も出ている。その後の報道機関の調査では、関東でも20%程の庁舎が震度7程度の地震で危険とでている。そんな状況下、2020年開催予定のオリンピックに浮かれている首都東京で直下地震に襲われたらどうなるか・・・おそらく被害が大きいだけでなく、行政機能が停滞し、最悪の場合、餓死者が出かねない。「他人事」と思っていることは、自滅の道を行くことになる。

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