文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚ーブルース140 Ransom Knowling

2021年06月28日 | わたしのレコード棚
 戦前から戦後にかけて、シカゴブルースを陰で支え続けた一人のベーシストがいた。名前を、ランサム・ノウリング(Ransom Knowling)という。ビッグ・ビル・ブルーンジーの録音などで、目立たないがしっかりとしたリズムと音程で全体の構成を支え続けた。単独のアルバムなどは無く、あくまでセッションマンだったので注目度は低く、CDの解説などでも取り上げられることは、ほとんどない。が、わたしは、シカゴブルースの隆盛に貢献した一人として評価されるべき人だと思っている。
 彼に関する資料は少ないが、最近は、ウィキペディアでわずかながら知ることが出来るようになってきた。それによると、生まれは、1912年6月24日ルイジアナ州ニューオリンズ。亡くなったのは、1967年10月22日シカゴだった。
 1930年頃、というから20歳前後から地元ニューオリンズのジャズバンドに参加して演奏していたという。そして、1930年代の終わりころにシカゴへ出たらしい。あくまでも「縁の下の力持ち」的な役割を担い続けた人だったようだ。演奏に派手さはないが、安心してバックを任せられるベーシストだったのだ。いそうで居ないのが、そういった地味だがしっかりとバッキングを務めてくれるミュージシャンだ。

  この人の写真は、我が家にあるLPやCD のジャケットなどには無い。なので、インターネットで探してみたのだが、そこでも見つからなかった。唯一、ポール・トリンカ著『ブルースの肖像』(1996年シンコ-・ミュージック刊)P73に、1964年ロンドンで撮影されたツアー時のバスの社内と思われる写真があった。撮影者は、ヴァル・ウィルマー(Val Wilmer)となっている。著作権を侵害しない程度に切り取って下に載せておく。


 写真向かって右、サングラスと帽子の人がランサム・ノウリング。左で、こちらを見て微笑んでいる人がブラウニー・マギー。さらに右後方、帽子を冠って、顔の右半分だけ写っているのがマディー・ウォータース。

 本来が、セッションマンなので、色々なミュージシャンとの録音を残している。全てを取り上げているとキリがないので、下にわたしの好きなLPを1枚だけとりあげておく。

 オーストリアのWOLFレーベルのLP002。ハーモニカのジャズ・ジラムのLPで、1938年から49年までの15曲を収録している。この中で、ノウリングは、1945年の2曲(この時のギタリストはビッグ・ビル・ブルーンジー)、1946年の1曲、1949年の4曲、などでベースを弾いている。録音地はいずれもシカゴ。

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わたしのレコード棚ーブルース139 James Cotton

2021年06月24日 | わたしのレコード棚
 シカゴブルースを支えたハーピスト・ヴォーカリストの一人で、後に癌を患いながらも長く演奏を続けたジェームス・コットン。この人に関しては何度も来日しているし、残された音源も多く、多くの人が語っている。わたしも2度ほど生の演奏に接しているで、その思い出などを簡潔に書いておくことにしたい。
 生まれは、1935年7月1日ミシシッピ州Tumica。少年期にKFFAラジオのブルース番組「キング・ビスケット・タイム」を聞いてアーカンソー州ヘレナまで行き、サニーボーイ・ウィリアムソン2(ライス・ミラー)に直接ブルースハープを教えてもらったりした、という。その後は、1950年頃にメンフィスへ出て、18歳でサンレコードからデビュー。1955年頃にシカゴへ出て、リトルウォルターの後任ハーピストとしてマディー・ウォータースのバンドに参加。その後は、ブルースという枠にとらわれない活動をして、様々な音楽シーンで才能を発揮した。1990年代半ばに喉頭がんを患い声を失いつつも演奏を続け、2017年3月16日にテキサス州オースチンで81歳で亡くなった。


 CHESS原盤のLP1449で、国内からP-VainがPLP-814として発売したもの。マディーウォータース・バンドが1960年7月3日に、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した際のライブ盤。ジェームス・コットンのハーモニカ、パット・ヘアのギター、オーティス・スパンのピアノ、アンドリュー・スティーブンソンのベース、フランシス・クレイのドラムス。今となっては伝説のライブとも言え、コットンが存在感を示した記念すべき1枚でもある。解説は、髙地明氏。


 東京の神保町にある日本教育会館ホールで、1985年12月13日に行われた「ザ・ジェームス・コットン・バンド」の公演の半券。
 コットンは、この時50歳。ブルースナンバーが多かったが、ブルースという枠を超えたライブだった印象が強い。ブルースファンの中には、それが物足りないと感じた人もいたかもしれない。が、わたしは、ジャンルはどうあれ良い音楽であればそれで良い、と思っている。
 この時の招へい元であるブルースインターアクジョンズの髙地明氏は、ロード・マネジャーとして各地の公演に同行し、後に著書『ブルース決定版(1994年音楽之友社刊)』の中で次のように語っている。「・・ぼくがこれまで実際に接したブルースマンの中でも、ジェームス・コットンはとてつもなく豪放で意欲的な”ブルース馬鹿”であった。素晴らしくファンキーな人柄だった。・・」(P52)


 TELARCレーベルのCD83497 。1999年9月、メイン州ポートランドでの録音。ギターはリコ・マクファーランド、ピアノにデヴィッド・マックスウェル。この時すでに喉頭がんにより声を失いつつあり、コットン自らは振り絞るような声でヴォーカルを数曲とっている。他に、ダリル・ニューリッチという人が、2曲ヴォーカルで加わっている。ブルースファンとしては、どんなに悪声でも「コットンの最後の歌声」とも言える録音で貴重なものなのだが、ブルースに馴染みの薄い人には「何だこりゃ」と感じるかもしれない。なので、ロックやソウルが好きな人は下のCDをお薦めする。


 同じくTELARCレーベルのCD83550。こちらは2001年6月の録音で、やはりメイン州ポートランドでの録音。この時すでにコットンは、声を失っていたようで、ココ・テイラーやケニー・ニールなど9人のヴォーカリストを迎えて、自らはハーモニカに徹している。


 CD83497のジャケット裏の写真。手にしているハーモニカは、10穴のブルースハープではなく、ボタンを押して半音階が出せる音域の広いクロマッチック・ハーモニカだ。上の2枚のCDで、コットンは主にこのクロマッチック・ハーモニカを使っていて、それにより音楽性の高い演奏になっている。
 この人も音楽大学などで教育を受けていれば、ジャンルを超えて、例えばジャズやクラッシックのミュージシャンとも共演できる世界的なプレーヤーになっていただろう。

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大賀ハス、2021/6/20

2021年06月21日 | まち歩き
 梅雨時に咲く、千葉公園の古代ハス。発見者の名前を取って「大賀ハス」と呼ばれている。
 撮影は、6/20(日)午後。朝早くに開花するので、本当はせめて午前中の早い時間に撮影するとよいのだが、かなり人が多く密になる。なので、人が少ない時に行っている。







 こちらは、千葉公園に隣接する競輪場に建設中のドーム競技場。建物外側の工事は、ほぼ終わっているようだが、中はまだ時間がかかるようだ。競輪だけでなく様々なイベントを開催できる多目的ホールになるようだが、それまでにコロナ禍は終息しているだろうか。

 ここ千葉市も、まん延防止等重点措置が引き続き出ていて、ブルース・セッションなどは今年に入ってから一度も開催出来ていない。一方で、東京の緊急事態宣言は解除になって今日6/21からは、まん延防止等重点措置に変わった。規制は少し緩和されたが、感染者数は下げ止まり、リバウンド傾向になっている。周辺の県から東京に通勤などで移動する人は1日に300万人、とも言われている。なので、東京の感染者数が減少しなければ周辺の県も対策を講じないわけにはいかないのだ。
 改めて言うのも憚られるが、感染拡大防止を優先させなければ、イギリスなどでの変異株の感染状況を見ると、たとえワクチン接種が進んでもなおパンデミックは終息しないだろう。個人的にはスポーツ観戦にはあまり興味が無いこともあって、この時期にオリンピックを開催することは全く理解できない。が、本当に怖いのは、経済が回復してきた時の悪性インフレだ。わたしは経済学者ではないが、金融緩和でだぶついた20兆円とも言われる大量の金が一気に市場に流れ込めば、おそらく物価は高騰し、経済は混乱するだろう。すでに、一部の食料品は値上がりし始めているし、株価はバブル傾向だ。生活必需品が急に値上がりすれば、自分も含めて、生活に困窮する人が増大するかもしれない。そうならないための方策を今から真剣に考えておく必要があると感じるが、どうだろうか・・。

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わたしのレコード棚ーブルース138 Sam Collins

2021年06月17日 | わたしのレコード棚
 サム・コリンズ(Sam Collins)は、情緒に富んだスライドギターと少しファルセットが掛かったヴォーカルでCrying Sam Collins(泣きのサム・コリンズ)とも呼ばれる。また、1920年代から30年代にかけて複数のレーベルに録音を残しており、その為か別名を使っている。ジム・フォスター(Jim Foster)、あるいはソルティー・ドッグ・サム、という芸名がそれだ。その割には、写真は1枚も残っておらず、詳しい資料も乏しい。下のCDの解説によると、リサーチャーのゲイル・ディーン・ウォードロウという人の調査で、生まれは1887年8月11日ルイジアナ州、亡くなったのは1949年10月20日シカゴだったという。ロバート・サンテリ著『The Big Book Of Blues』も同じ説だ。

 同様に『The Big Book Of Blues』やCDの解説などを参照すると、育ったのはミシシッピ州のマッコム(McComb)という所で、そこでミュージシャンとしての修行を重ねて音楽で稼げるようになっていったらしい。時には、キング・ソロモン・ヒルと共に演奏をすることもあったという。その後、1930年代にシカゴへ移動したらしい。


 国内盤P-VainのCD、PCD2431。「キング・オブ・ザ・ブルース」シリーズ11。解説は、小出斉氏。1927年から1931年までのカントリー・ブルース22曲を収録。ただし、1927年12月のリッチモンドでの録音2曲では、コリンズはギター演奏だけで、ヴォーカルはJhon D Foxとなっている。

 演奏スタイルは結構多様で、スライド奏法ではテキサス風のナイフスライドの影響が感じられ、「Midnight Special」のようなルイジアナのレッド・ベター風の曲もあるかと思えば、ゴスペルナンバーも歌い上げている。結構、器用で研究熱心なひとだったのではないだろうか。せめて、写真の1枚くらいは残して欲しかった。

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わたしのレコード棚ーブルース137 Papa Harvey Hull

2021年06月14日 | わたしのレコード棚
 ヴォーカリストのパパ・ハーヴェイ・ハル(Papa Harvey Hull)に関しても、詳しいことはわかっていない。インターネットでも検索してみたが、具体的で詳しい資料は出てこなかった。

 
 イギリスのMATCHBOXというレーベルのLPでMSE201『Country Blues - The First Generation. Papa Harvey Hull & Long Cleve Reed, Richard "Rabbit" Brown. Complete Recordings』。A面が「パパ・ハーヴェイ・ハル&ロング・クリーブ・リード」の6曲で、ライナーノーツにはシカゴで1927年頃の録音となっている。B面には、すでにこのブログでも取り上げたリチャード・ブラウンの5曲を収録している。解説は、ポール・オリバーが書いている。
 ハルはバンドでの演奏で、パパ・ハーヴェイ・ハルのヴォーカル、ロング・クリーブ・リード(Long Cleve Reed)のヴォーカルとハミング及びギター、ウィルソン(Wilson)のギター、という編成でクレジットされている。

 演奏を聴く限りでは、3人でミンストレルショーやメディシンショー、さらにはハウスパーティーなどで活動していたと推測される。YAZOOの2015『Before
The Blues』というオムニバスCDの解説には、「They may have been from around Carroll County Mississippi(おそらく、彼らはミシシッピーのキャロール郡あたりから来ていたのではないか)」とある。1927年という録音年から考えると、3人とも1900年前後の生まれと推測される。

 残された曲には8小節ブルースをアレンジしたものや、軽快なリズムに載せて歌われているものもある。その中でも「France Blues(フランス・ブルース)」はオムニバスCDなどに入ることが多く、歌詞にはサン・ハウスの「My Black Mama」や「Death Letter Blues」、あるいはスキップ・ジェームスの「Special Rider Blues」とほぼ同じフレーズを使っている所がある。ただし、メロディーやリズムは別物で、重いテーマとは逆に、軽快で聴きやすい曲になっている。この曲が何故「フランス・ブルース」というのかはわからない。あくまでわたしの推測だが、周辺の人々を集める―すなわち集客のために路上等で歌う際の奇抜な曲名とアレンジだったのではないだろうか。

 オムニバスLPのOJL-2にデイヴィッド・エヴァンスらが聞き取った歌詞が付いているので、参考までに、フランス・ブルースの歌詞を最初から3スタンザほどを下に書いておく。

Have you ever took a trip, babe, on the Mobile Line?
Hey, Lord, mama, mama, hey Lord, papa, papa, hollering, 'bout the the Mobile Line.
That's the road to ride, baby, to ease your trouble in mind.

Well, I got a letter, babe, that's the way it read.
Hey, Lord, mama, mama, hey Lord, papa, papa, hollering 'bout the the way it read.
Come home, come home, babe, the girl you love is dead.

Well, I packed my suitcase, bundled up my clothes.
Hey, Lord, mama, mama, hey Lord, papa, papa, hollering 'bout bundled up my clothes.
When I got there, she was laying on the cooling board.

この歌詞の中のthe Mobile Lineとは、ミシシッピーからアラバマ州に向かう鉄道を意味しているようだ。

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わたしのレコード棚ーブルース136 Hambone Willie Newbern

2021年06月10日 | わたしのレコード棚
 ギターとヴォーカルのハムボーン・ウィリー・ニューバーン(Hambone Willie Newbern)に関しても、詳しい事跡はわかっていない。CDの解説などによると、生まれたのは1899年頃。亡くなったのは1947年頃で、どこかの刑務所内で喧嘩に巻き込まれたとも言われている。ただウィキペディアによると、リサーチャーのボブ・イーグル(Bob Eagle)らの調査・研究では1965年にメンフィスの自宅で亡くなった、とある。


 P-VainのCD『キング・オブ・ザ・ブルース4』。写真のミシシッピー・ジョン・ハートがメインだが、ニューバーンの1929年3月にジョージア州アトランタで録音された6曲が入っている。曲の進行は、ラグタイム系のものもある。しかし、何と言ってもこの人の名が残っているのは「Roll And Tumble Blues」を最初に録音した人としてだろう。この曲は、ブルースファンなら一度は耳にするもので、歌詞を変え、曲名を変え、様々なブルースマンが取り上げている。中でも、マディー・ウォータースの「Rolling & Tumbling」はかなりヒットし、今でもブルースのスタンダードのひとつになっている。ちなみに、古いところでは、ガーフィールド・エイカースが「Dough Roller Blues」という「Roll And Tumble Blues」に近い曲を録音したのが1930年2月メンフィスでだった。おそらく、メンフィス辺りで歌い継がれていたブルースだったと推測される。

 ニューバーンはスリーピー・ジョン・エステスにギターを教えた、という逸話も残っている。中山義雄氏によるCD解説には、エステスやヤンク・レイチェルと行動を共にしていたこともあるという。同じくエステスの話では、その頃ニューバーンはテネシー州のブラウンズヴィルの住人だったという。リサーチャーの調査ではメンフィスで亡くなったというし、エステスはメンフィスの人だし、あるいはニューバーンも主にメンフィス周辺で活動した人だったのかもしれない。

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わたしのレコード棚ーブルース135 Richard "Rabbit" Brown

2021年06月07日 | わたしのレコード棚
 リチャード‟ラビット”ブラウン(Richard "Rabbit" Brown)に関しても、詳しいことはわかっていない。ウィキペディアによると、1880年頃の生まれで、1937年頃に亡くなったらしい。主にルイジアナ州のニューオリンズなどでソングスターとして音楽活動をしていたという。ニックネームの"Rabbit"(うさぎ)は、体が小さい人だったことで、ついたらしい。
 音楽的には、ブルースというより民俗音楽という意味での「フォークソング」に近い。あるいは、ブルースという形式が確立する以前の「プリ・ブルース」とも言える。個人的には、アイリッシュ音楽のリズムの取り方に近いものも感じる。

 1927年3月に、ルイジアナ州で6曲をヴィクターがフィールドレコーディングしている。その内の1曲は発売されず行方不明になっているので、現在聴くことが出来るのは5曲だけだ。


 国内盤P-VainのCD『キング・オブ・ザ・ブルース4』でジャケットの写真に写っているミシシッピー・ジョン・ハートがメインだが、ブラウンの5曲とハムボン・ウィリー・ニューバーンの6曲も入っている。わたしも知らなかったのだが、ウィキペディアによると、ブラウンの「James Alley Blues」はボブ・ディランがカヴァーしている、とある。

 タイタニック号の沈没を歌った「Sinking Of The Titanic」という時事的な曲もあり、情報源が少なかった時代にミュージシャンが歌詞の中でニュースを発信して、ある種のメディアとしての役割を担っていたことを物語っている。日本でも、津軽民謡の「鈴木主水(もんど)」なども、まだメディアが乏しかった時代に、それと似た役割を負っていたのだった。

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詐欺メールに注意

2021年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム
 このところ、楽天やアマゾンを装ったメールが届くようになった。一見して本物と見まがうばかりの出来栄えで、思わず連絡先をクリックしてしまそうになる。しかし、それをやると偽サイトに入り込み、個人情報など入力すると盗み取られてしまう。仮にカ-ド情報を入力したら、最悪の場合、金銭的被害が出る。それにしても、メールのアドレスを何処から知り得るのだろう。ホームページを閉鎖してもう1年近くになるし、楽天などから流出しているのか。その可能性はゼロではないと思われる。

 わたしは、不審に思い楽天のホームページからログインしてみたら、やはり詐欺メールに対する注意喚起があった。それによると、メールに掲載されている電話番号で確認する方法が良い、とのことだった。確かに、詐欺メールには連絡先として090-で始まる番号が載っていた。カード会社のコールセンターに、090で始まる番号でつながるはずはないのだった。メールには日本語として不自然な部分もある。以下、詐欺メールの一部分をコピーして貼り付けておく。

 『本メールはお客様によるお楽天アカウントのご更新が必要な場合にお知らせする

(・・・・様)
お客様の注文と楽天アカウントを停止させていただいております。請求先住所が変更されたなど、理由で発生する可能性があります。アカウントにログインして画面の指示に従うことで、アカウントの停止状態を解除していただけます。
下記にあるタブをクリックしていただき、注文情報をご確認または変更。』

この文面の下に、楽天カードのロゴマークがあり、そこをクリックすると偽サイトに繋がるようになっている。くれぐれも注意したい。


 話は変わるが、緊急事態宣言の延長に伴い、千葉市に出ている「まん延防止措置」も6/20まで延長された。なので、ライブハウス「ライト」も引き続き休業。いつになったらブルース・セッションが再開できるのか先は見通せない。が、その日がいつかは来ることを信じて前向きな気持ちで生活したい。

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