千葉県北西部、旧下総の国府があったあたり、今の市川市北西部を少し歩いてきた。
撮影は7/19(土)。
京成電車の「国府台」という駅で降りて、江戸川へ。ここまで、歩いて5~6分。
こちらは下流方向。京成の鉄橋が見えている。
上流方向。対岸は東京都江戸川区。
さらに2.5Kmほど上流(北側)には、葛飾区の柴又帝釈天や「矢切の渡し」がある。
江戸期以前は今の隅田川までが「下総」で、今でも「両国」という地名にその名残がある。
その昔、治水に手がつけられていない頃は、今の江戸川と隅田川に挟まれた地域は湿地帯で人の通行が困難だったという。そのため昔は、京都などから東北地方に行くには三浦海岸から船で房総半島に渡るルートが一般的だったらしい。鎌倉期には、千葉氏をはじめ有力な御家人が房総地方に多かったが、鎌倉に出向くにはほとんどが船を使っていたと考えられる。
江戸川河川敷から歩いて15分ほどの所にある弘法寺に上がる石段。
この左手に、真間の手児奈の伝説で有名な『手児奈霊堂』がある。この日は、ほおずき市が開かれていて屋台が出て人も多く撮影は遠慮した。
弘法寺山門。行基による創建ともいわれている古刹。
市川市の真間5丁目公園にある郭沫若記念館 。市川市須和田にあった旧宅を移築・復元したもの。郭沫若は戦前、10年ほど市川に住んでいたという。
下総国分寺。創建時は法隆寺伽藍を模していたと言うが、何度かの火災の後現在の姿になったらしい。
すこし高台にあるこのあたりが、奈良・平安の頃は下総における政治文化の中心地ということになる。
同寺の境内。
撮影は7/19(土)。
京成電車の「国府台」という駅で降りて、江戸川へ。ここまで、歩いて5~6分。
こちらは下流方向。京成の鉄橋が見えている。
上流方向。対岸は東京都江戸川区。
さらに2.5Kmほど上流(北側)には、葛飾区の柴又帝釈天や「矢切の渡し」がある。
江戸期以前は今の隅田川までが「下総」で、今でも「両国」という地名にその名残がある。
その昔、治水に手がつけられていない頃は、今の江戸川と隅田川に挟まれた地域は湿地帯で人の通行が困難だったという。そのため昔は、京都などから東北地方に行くには三浦海岸から船で房総半島に渡るルートが一般的だったらしい。鎌倉期には、千葉氏をはじめ有力な御家人が房総地方に多かったが、鎌倉に出向くにはほとんどが船を使っていたと考えられる。
江戸川河川敷から歩いて15分ほどの所にある弘法寺に上がる石段。
この左手に、真間の手児奈の伝説で有名な『手児奈霊堂』がある。この日は、ほおずき市が開かれていて屋台が出て人も多く撮影は遠慮した。
弘法寺山門。行基による創建ともいわれている古刹。
市川市の真間5丁目公園にある郭沫若記念館 。市川市須和田にあった旧宅を移築・復元したもの。郭沫若は戦前、10年ほど市川に住んでいたという。
下総国分寺。創建時は法隆寺伽藍を模していたと言うが、何度かの火災の後現在の姿になったらしい。
すこし高台にあるこのあたりが、奈良・平安の頃は下総における政治文化の中心地ということになる。
同寺の境内。