さて、『砂の器』。
この小説が出たのは昭和36年で、時代設定も昭和30年台中頃だから、わたしが幼少の頃の話ということになる。
戦後の荒廃から高度経済成長へと時代が急速に変化している頃だ。
各家庭には白黒テレビが普及し始め、東京には高速道路や新幹線の建設が始まろうとしていた。
時代の変わり目。
それに伴って価値観も大きく変わり、古いものはダメで新しいものは何でもいい、という風潮があった。
「前近代的」と言われ、一顧だにされず切り捨てられていくものたち。
逆に、「話題性」さえあればもてはやされる軽薄な文化。
今回読み返してみて、そういった風潮に対する危惧と警鐘がこの作品にはあるように感じた。
殺されるのは宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』を地で行くような「前近代的」な人物で、顔もわからなくなるほどの残忍な殺し方をするのは「前衛芸術家」だった。
基礎の弱い文化はやがて崩れ落ちてしまう。
「砂で出来た器」のように。
推理小説として謎解きのストーリーが巧みに出来ているので、ドラマ化されるとどうしてもサスペンスの部分が強調されてしまいがちだ。が、この作品の背後には作者の深い「憂慮」が込められているように思われる。
この小説が出たのは昭和36年で、時代設定も昭和30年台中頃だから、わたしが幼少の頃の話ということになる。
戦後の荒廃から高度経済成長へと時代が急速に変化している頃だ。
各家庭には白黒テレビが普及し始め、東京には高速道路や新幹線の建設が始まろうとしていた。
時代の変わり目。
それに伴って価値観も大きく変わり、古いものはダメで新しいものは何でもいい、という風潮があった。
「前近代的」と言われ、一顧だにされず切り捨てられていくものたち。
逆に、「話題性」さえあればもてはやされる軽薄な文化。
今回読み返してみて、そういった風潮に対する危惧と警鐘がこの作品にはあるように感じた。
殺されるのは宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』を地で行くような「前近代的」な人物で、顔もわからなくなるほどの残忍な殺し方をするのは「前衛芸術家」だった。
基礎の弱い文化はやがて崩れ落ちてしまう。
「砂で出来た器」のように。
推理小説として謎解きのストーリーが巧みに出来ているので、ドラマ化されるとどうしてもサスペンスの部分が強調されてしまいがちだ。が、この作品の背後には作者の深い「憂慮」が込められているように思われる。