文化逍遥。

良質な文化の紹介。

アナログ機器ーオープンテープデッキ

2021年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
 若い頃からアナログの音が好きで、30年ほども前からになるが、当時すでに入手しにくかったオープンテープデッキを購入して録音していた。
 しかし、すでにデッキ自体の製造はとっくに終了しており、修理も簡単には出来ず、テープも海外で細々と生産されてはいるものの非常に高価だ。そろそろオープンテープも潮時かな、と思い、コロナ自粛のステイホームの間に以前録音したテープを編集し、CDRに落とす作業をしている。


 TEAC(TASCAM)の「33-2」という2トラックレコーダー。
 テープスピードは19センチと38センチ、リールは7号と10号が使える。写真は10号リールを装着しているところ。
 左に写っているギターケースに比べれば分かると思うが、大きくて、その上20キロもあり、重い。ヘッドにテープの汚れが付くので、こまめに掃除する必要があるし、再生や巻き戻しにも手間がかかる。それでも、この機器が音響の専門家を魅了するのは、その音質の良さゆえだ。デジタル機器はノイズが少なく便利で扱いやすいが、音に「ふくよかさ」が欠ける。言葉を換えれば、「冷たい音」になってしまう。あえて例えれば、デジタル機器で収録されたテレビドラマを見るのと、映画館でフィルムのアナログ画像を見るのとの違い、のようなものと言える。

 若い頃のように、多くの道具を持ちそれを日々手入れして使いこなす、それが難しくなってきた。残念だが、本当に必要なものを残し、身の回りを少しずつ整理して身軽になる必要がある・・そんな年齢になった。焦らず、必要とされている所へ愛用の道具が伝わるように心がけたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのレコード棚ーブルース153 Sonny Boy Williamson Ⅱ

2021年11月25日 | わたしのレコード棚
 「サニーボーイ・ウィリアムソン」を名乗るブルースハープ(10穴ハーモニカ)とヴォーカルを演奏するブルースマンは二人いる。一人は既にこのブログでも取り上げたが、戦前から戦後にかけてシカゴで活躍し多くの録音を残したジョン・リー・ウィリアムソンで、1948年にシカゴで暴漢に襲われ30代半ばで亡くなっている。もう一人は、今回取り上げる南部で活動したライス・ミラー(Rice Miller)と呼ばれることが多いサニーボーイ・ウィリアムソンだ。一般には、ジョン・リー・ウィリアムソンが「サニーボーイ・ウィリアムソン#1」で、ライス・ミラーを「サニーボーイ・ウィリアムソン#2」と区別して呼んでいる。ライス・ミラーは、先に人気が出た#1にあやかって勝手に名前をいただいた、という説が有力だ。が、ロバート・パーマー著『ディープ・ブルース(1992年JICC出版局)』p290には、「ミラーは、自分が‟唯一のサニー・ボーイ”であり、自分より少なくとも15歳は年下のジョン・リー・ウィリアムソンは‟サニー・ボーイ”の名前を自分から盗用して、一九三七年にシカゴへ移っていったと、死ぬ日まで力説していた。」とある。今となっては真偽は分からないが、ここでは取りあえず、一般的に認知されている呼び方を採り、ライス・ミラーの方を「サニーボーイ・ウィリアムソン#2」として先に進めることにしよう。

 閑話休題・・以前、セッションに来てブルースハープを吹いていた若い人に「パーピストでは誰が好き?」と聞いたらサニーボーイ・ウィリアムソンとの答えだった。なので、「#1か#2、どっち」かと尋ねたら、#1の存在そのものを知らなかった。今では、「サニーボーイ・ウィリアムソン」と言えば#2の方で、ジョン・リー・ウィリアムソンの存在は忘れられようとしているようだ。しかし「好いプレーヤーになりたかったら歴史的な名演奏を聴き込まないとダメだろう」と、言いたい・・・けど、「うるさいジジイ」がいると思われて来なくなると困るので、我慢している。

 さて、そのサニーボーイ・ウィリアムソン(#2) Sonny Boy WilliamsonⅡだが、生年について多くの説があり特定できない。ヨーロッパツアーの時、 Sonny Boy Williamson名でのパスポートに1909/4/7と書かれていたらしく、それを採る解説書もある。が、実際はそれよりかなり前だったという説が有力だ。下のLP裏面のポール・オリバーによる解説は1899/12/5で、生地はミシシッピ州グレンドーラ(Glendora)としている。また、P-VINEのCDの小出斉氏による解説は1897/12/5で場所はやはりグレンドーラとしている。いずれにしろ、ウィリアムソン#2の方が#1よりもかなり年上だったことは間違いなさそうだ。亡くなったのは、1965年5月25日アーカンソー州ヘレナだった。
 このウィリアムソン#2は、ライス・ミラー(Rice Miller)というのもニックネームで、本名はアレック・ミラー(Aleck Miller)だった説が有力だ。それにしても、パスポートに芸名やいい加減にサバを読んだ歳を記載できるものなのかねえ。その辺りが、不可解なところ。

 この人を紹介する上で忘れることが出来ないのは、キングビスケット・タイム(Kingbiscuit Time)というヘレナのラジオ局KFFAで1941年から放送された番組だ。月曜から金曜の昼12時15分から15分間、自分のバンドをバックに生演奏を放送した。当時、南部ではかなりな人気番組で、「キングビスケット」という小麦粉?の商品もかなり売れたという。人気があった割には録音をしたのは遅く、1951年にそのキングビスケット・タイムで演奏した自分のバンドを率いて「トランペット」というローカルのレーベルに行ったのが最初だ。下のLPがその時のもので、アーホーリー・レーベルから再発されたARHOOLIE2020。


 サニーボーイは、この時すでに50歳は過ぎていたことになるが、声に張りがあり、自分のバンドとの息も合って、ハーモニカ・ブルースの歴史的録音と言える。特に、ギタ-のウィリー・ウィルキンス(Willie Wilkins)はジャズの要素を取り込んで巧みに演奏しており、聴きごたえがある。ジャケット写真のマイクの前に置かれている小麦粉袋が「キングビスケット」。


 ジャケット裏面。左上の写真に写っているのは、ギターがヒューストン・スタックハウスでドラムスがペック・カーチス。1965年にサニーボーイが亡くなる少し前のものだという。晩年のキングビスケット・タイムのバンドメンバーということになり、放送は25年近く続いたことになる。

 主な活動場所をシカゴに移した時期もあったが、サニーボーイは南部で長く演奏した人だった。が、その演奏スタイルはモダンで、後のシカゴブルースのハーピスト達に与えた影響は、シカゴで活躍したジョン・リー・ウィリアムソンよりも大きいように感じられる。特に、ハーモニカにヴォーカルを絡めるタイミングは絶妙で、好き嫌いは別にして素朴な感じがする#1よりもバンド演奏には向いていたスタイルと言えるかもしれない。


 こちらは、P-VINEのCD1604『ダウン・アンド・アウト・ブルース』。チェッカー・レーベルに残した、1955年から1963年の24曲を収録。当時、シカゴで活躍したブルースマン達をバックにした演奏は、上のLP とは違った味わいがあり、聴きごたえ十分。特に、ロバート・ロックウッド・ジュニアとの絡みは素晴らしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場中席2021/11/16

2021年11月21日 | 落語
 コロナの第6波が来るまでの間隙を衝いて寄席に行ってきた。前回行ったのが、2020年の1月だったので、ほぼ2年振り。奇しくも、前回と同じ真打だった。

 時節柄、客は少なくソーシャル・ディスタンスは十分。出演者もいつもより少なめで、早めに終演するように設定されていた。それでも、芸人さん達は、客の前で芸を披露することが出来るのを喜んでいるようだった。
 真打は三笑亭茶楽。この人は、とび抜けてうまい人ではないが、芸に対する姿勢は真っすぐで好感が持てる。この日に掛けたのは「芝浜」。古典落語の人情噺の名作で、数ある落語の下げ(落ち)の中でも、この「芝浜」の下げは抜きん出た傑作。私の父はアルコール依存症で早死にしたので、「芝浜」の下げは、何度聞いても感動する。この噺は、大晦日が下げにつながる。なので、年末に掛かることが多く、この日のように秋の紅葉の時期にかかるのは珍しい。本格的な人情噺が聴けるとは思っていなかったので、何か得した気分になった。現実的には、この噺のようにうまくはいかない事はわかっている。ある意味「夢物語」にすぎない。それでも「一縷の望み」を噺に託したい気持ちがある。

 それにしても、芸人さん達には苦難の時代が続く。感染症だけでなく、聴く耳を持った客がどんどんと居なくなってゆく。柳家小三治もすでに亡く、古典落語の神髄を語ることで客を呼べる噺家も、古い言葉を説明なしで理解できる客も減る一方だ。そんな中でも、古典に精進する若手も確かに存在する。今は、地道な稽古と目立たぬ活動が求められる時だろう。が、それは困難を多く伴う道になる。わたしにできるのは、たまに寄席に行くくらいで、それがもどかしい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公園の紅葉

2021年11月17日 | まち歩き
 歩いてすぐの千葉公園。11/15、穏やかな秋の午後。「紅葉」と言うほどではないかもしれないが、イチョウが色付き、落ち葉が舞う光景が心を和ませてくれた。春も良いけど花粉症なので、やっぱり秋が一番だ。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR御茶ノ水駅2021/11/12

2021年11月14日 | まち歩き
 所要があり、ほぼ1年半ぶりに御茶ノ水へ。電車に乗って東京へ出るのも本当に久々。正直言って、1時間電車に乗っているのが、ずいぶん長く、あるいは遠く感じた。仕事をしているときには、あまり気にならなかった電車での移動も、今は気が重くなるほどだ。車内の風景も随分と変わった。スマホを見ている人が9割以上いて、本や雑誌などを読んでいる人は皆無。そんな時代の移り変わりも、ストレスとして感じるのかもしれない。

 さて、改修工事中の御茶ノ水駅。何しろ、工事そのものに無理がある場所なので、想像していたほどには進んでいなかった。それでも、駅の改札やトイレなどはすっかり装いを新たにして、昔の面影はすでにない。エスカレーターやエレベーターも設置され、使い勝手が良くなっていた。


 聖橋の上から新宿方向を撮影。ホームの上に、この先駅ビルが立つ予定。大きなクレーンで、建築資材などを移動していた。
 いつ見ても、すごい工事だなあ。神田川に杭を打ち、駅の外側から工事を進めるとは・・構造力学に基づいた計算をして作業を進めているのだろうが、計算通りにいかなかったら大災害になりかねない。まあ、素人考えの余計な心配だろうが・・。



 こちらは、お茶の水橋から撮影。ホームに停まっている電車は中央線の東京行きで、写真奥が東京方向。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ライト」ブルースセッション2021/11/6

2021年11月10日 | ライブ
 11/6(土)、ほぼ1年ぶりに千葉のライブハウス「ライト」でブルースセッションがおこなわれ、わたしも参加させてもらった。店内は、新たに二酸化炭素の計測装置や空気清浄機などが設置され、更なるコロナ対策が施されていた。まだ参加者は少ないが、それでも演奏できる喜びを味わうことが出来た。
 この日、わたしはギター・ヴォーカルで7曲ほど演奏。古いタイプのブルースなので、バックについてくれた若い人達には戸惑いもあったようだ。それでも、世代を超えて何かをやるれるのは良いことだし、自分自身の勉強にもなる。
 それにしても、マスクをつけたまま歌うのは予想以上にしんどい。この日は、厚手のウレタンマスクを使ったが、それでも呼吸しにくいし、自分の声も聞き取りにくく歌いづらい。普段ならスムースに出てくる歌詞が、ワンテンポ置かないと出てこない。仕方ないのでギターのリードを多めに弾いて、なんとか曲の構成を立て直したりした。早くコロナが終息して、マスクなしで歌えるようになってくれるとよいが・・。


画像は、「ライト」店内でオープンニング演奏をするホストバンドの面々。この日は、ベースやドラムスを演奏する参加者がいなかったので、ベーシストとドラマーは23時近くまで3時間ほどバッキングを務めていた。ご苦労様でした。

 この日のわたしの演奏曲は以下のとおり。
1.Stranger Blues
2.Steady Rollin'man
3.Dust My Broom
4.夜明け前の静けさの中で(オリジナル)
5.Take A Little Walk With Me
6.Cross Road Blues
7.Walk On

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐原

2021年11月07日 | 旅行記
 11/2(火)、友人夫妻の車に便乗して、佐原まで行ってきた。
 千葉の佐原は水郷の町で、古い町並みが保存され、江戸末期に正確な日本地図を制作した伊能忠敬の生活した所でもある。今は、かなり観光地として有名で、土産物店も多く、観光案内板なども整備され、訪れる人も多い。


利根川支流の小野川にかかる「樋橋」。わたしは「かけひばし」と読むのかと思っていたが、「といはし」だそうだ。また橋の中央から水が流れ落ちる橋で、その水音から地元では「ジャージャー橋」とも呼ばれ、環境省の「残したい日本の音風景100選」にも選ばれているという。テレビなどでも取り上げられることが多い。この橋を渡った所に、伊能忠敬記念館がある。


地元のボランティアの方の話によると、本来この橋は標高差を利用して下流域に水を流すための農業用水路の一部で、水量を調節するために川に水を排出する目的で作られたという。写真の左奥が上流域で、右手前側が下流域になる。今は用水路としての役割を終え、観光客のために午前9時から午後5時まで、1時間に2回ポンプで川の水を汲み上げて定時に水が落とされている。


昔の人の知恵と労力、そして根気の良さに、敬服するしかない。


小野川沿いの景観。写真の奥が下流方向で、利根川に合流する。

 下は、伊能忠敬記念館のパンフレット。



 この記念館所蔵の「伊能忠敬関係資料」2345点は国宝に指定されていて、この日もその一部や他の史料を見ることが出来た。それらの保存状態は素晴らしく、虫食いや破損などほとんど無かった。今はリタイヤしたが、わたしは長年にわたり古文書などを(マイクロ)写真に撮影する仕事を続け、かなりの量の古文書を見てきたつもりだ。その中には重要文化財などもあったが、それらに比しても保存状態は良好、と言えた。あるいは、状態の良いものを選んで展示しているのかもしてないが、地元の人たちがいかに伊藤忠敬に親しみ敬愛してきたか、古文書を通じても伝わってくるような気がした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セッション再開

2021年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム
 ここ千葉でも10/25(月)より、主に飲食業に出ていた営業制限は、すべて解除された。

 ライブハウス「ライト」も11月より通常営業となり、毎月第一土曜日に開催されているブルースセッションも11/6(土)19:30より再開される。
 10/24(日)に発表された、千葉県内のコロナ感染者数は2人。その後増減はあるものの、低い数値で推移している。が、夜の繫華街が賑わいを取り戻し、人流が活発になればリバウンドは避けられず、第6波の可能性も大きい。わたしはアレルギーがあるので、今のところコロナワクチンの接種は控えている。なので、ライブハウスでの演奏が出来るか、状況を見て判断せざるを得ない。「ライト」は感染対策が徹底しており、ビルの2階にあるので休憩中は窓を開放している。なので、今のところ6日のセッションは参加する方向で考えている。このまま終息してくれるといいが・・。

 先日、テレビインタビューで、ある小さなスナックの店主という人が語っていた事が印象的だった。それは、「(給付金などの)公的援助が無くなってからが本当の不況です」というもの。確かに、従業員などを抱えない個人でやっているお店などは、給付金などで逆に安定していたところもあるようだ。客が、ある程度外出を控え続ける状況がこれからも続くので、公的援助が無くなれば経営は苦しくなる店も多くなるのかもしれない。状況を見ながら、慎重に活動範囲を決めていきたい。


 画像の中のSaito-Gというのは、ギターショップ「ルイジアナギターズ」のマスター。演奏する人は、初心者からプロのミュージシャンまで参加している。もちろん、聴くだけの人もいるし、お店の常連で聴きながら食事やお酒を楽しむ人もいる。かなり遠くから参加する人もいるし、地元でも貴重な場となっている。

閑話休題・・わたしは千葉でのセッションに4年ほど参加しているが、過去に参加した人でステージで演奏するのが初めてらしく、緊張のため指が動かず、恥ずかしそうにしている人も少なからず見受けられた。しかし、それも経験だ。慣れれば徐々に演奏出来るようになってゆく。自己嫌悪に陥って止めてしまうのが一番良くない。音楽はスポーツとは違い、記録やスピードを競うものではない。他者に認められたい気持ちは、わたしにもある。が、自分が大切と信じる音楽を演奏すること自体が貴重なものだ、と信じている。そして、やれるだけ練習して、無心で演奏することを心掛けている。自分に対する執着を忘れて、ひたすら演奏出来た時には「感動しました」と言ってもらえることもある。不思議なものだ。

 最初は、敷居が高いかもしれないが、多くの人に気軽に訪れて欲しいものである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする