文化逍遥。

良質な文化の紹介。

東京国立博物館「縄文特別展」

2018年07月29日 | 考古・エッセイ
 7/27(金)、上野の東京国立博物館へ「縄文特別展」を観に行ってきた。





 縄文期の遺物のなかで国宝に指定されている6点が全て揃って展示されているので、かなりな人出が予想され、行くのを躊躇していた。が、やっぱり観たくなった。この日は、このところの異常な暑さもひと段落。混雑を避けて、午前中に入館した。入場制限などは、今のところ行われていないようだが、夏休みに入ったこともあり子供も多く、やはり落ち着かない。それでも、行って良かった。

 縄文期の遺物の魅力は、何と言っても、その静謐さにある。静かに、心の最も深いところに静けさがある事に気付かせてくれる。中には実用的なものもあるけれども、多くは創りたくなった人がゆっくりと時間をかけて自然に完成された神聖なものだろう。誰かから認められたいわけでもなく、交換価値を込めたわけでもなく、言ってみれば天命に従い自然に出来あがったものだ。そこに作為は無く、あるのは人の営為と祈り。おそらく、制作者はシャーマンに近いような人で、地域の集団から尊敬されていた、とわたしは推測している。

 展示品の中には、このブログ2018/4/2に取り上げた犢橋(こてはし)貝塚などからの出土品(展示No.207深鉢形土器、東京国立博物館蔵)や、2016/5/6に取り上げた松戸市立博物館の所蔵品(展示No.26関山式土器)もある。今回の特別展をきっかけにして地域の歴史と縄文期出土品の素晴らしさに目を向けてくれる人が一人でも増えることを期待したい。

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2016年スペイン映画『La Chana(ラ・チャナ)』

2018年07月26日 | 映画
 7/25(水)、千葉劇場にて。フラメンコダンサーのラ・チャナ(本名アントニア・サンティアゴ・アマドール)の半生を描いたドキュメンタリー映画。ダンサーとしての側面よりも、一人のヒターノ(ロマ=ジプシー)である女性アーティストの日常を追った作品。良い映画だが、古い考えの残るヒターノ集団の悪しき慣習や前夫からの暴力などが淡々と語られ、あるいは、膝の使い過ぎで71歳の今は一人では椅子から立ち上がれない日常が映し出され、観終わった後に、そこはかとない悲しみが残る。監督は、ルツィア・ストイコヴィッチ。





 踊りそのものについては、わたしも詳しいわけではないが、フラメンコというよりもヒターノのダンスに近いように思えた。幼いころから、ラジオを聞いて独自のステップを編み出したというから、フラメンコで使われるカスタネットの音をステップに置き換えたのかもしれない。それはそれですばらしいことだが、ステップを重ねて膝を痛め、歳をとりフラフラと歩く姿は痛々しい。またラストで、椅子に座ったままで痛み止を打って公演に臨む姿は、正直言って見たくなかった。勝手な思い込みだが、すべて芸術は創る側も受け取る側も人を生かすものでなくてはならないのではないだろうか。それが出来なくなるのは、やはり経済的な要因が絡んでくるからだろう。つまりは、お金だ。良い作品を創るということ、それが売れるということ、それらは同一ではない。そこに作り手の苦しみと悲しみがあるのだろう。そんなことを考えさせられる映画だった。

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わたしのレコード棚―ブルース58、Bukka White

2018年07月21日 | わたしのレコード棚
 ミシシッピーのスライド奏法を駆使するギタリストを代表する一人ブッカ・ホワイト(Bukka White、本名Booker T Washington White)は、1909年11月ミシシッピー州に生まれ、1977年2月にテネシー州メンフィスで亡くなっている。LPの解説などによると、彼の父親はプロのミュージシャンで、マンドリン、ヴァイオリン、ピアノ、ギター、ドラムス、などをこなしたらしい。後のヴィデオの映像にブッカ・ホワイトもピアノを弾いているものがあるが、幼いころからの家庭環境と音楽的な素養があったのかもしれない。
 1930年にメンフィスでヴィクターに初録音をしている。なので、ロバート・ジョンソンよりも6~7年早く、録音期の早い頃にその機会に恵まれたブルースマンの一人と言えるだろう。ただし、その時メンフィスでのヴィクターへの録音14曲の内、発売に至ったのは4曲だけだったらしい。その後の経済恐慌を経て、1937年に再びシカゴで録音。その後、ミシシッピー州パーチマン・ファーム監獄に入る。理由は不明だが、戦前の黒人差別の中で、さしたる理由も無く投獄された黒人も多かったというから、彼もその一人だったのかもしれない。その監獄にいた1939年、アラン・ローマックスが議会図書館の録音の為そこパーチマン・ファーム監獄を訪れ、2曲の録音をした。さらに、監獄を出所した後'40年に録音の機会を得て、ヴォカリオン、オーケーに12曲吹きこんでいる。
 その後のフォーク・ブルースが再評価される時代になって1963年に「再発見」され、多くの録音や映像を残している。が、再発見後のものは、聴衆に迎合したようなところが感じられ、音楽的な深みを失っているように感じられる。この人の本質的な良さは、やはり戦前の演奏に残っているようだ。


 YAZOOのLP1026。スライド奏法のブルースを集めたオムニバス盤。ジャケットの写真に写っているギタリストが誰かは不詳。1930年初録音のブッカ・ホワイトが、『The Panama Limited』の1曲だけだが聴ける。なお、『RCAブルースの古典』にも同じ曲が入っている。


 CBSソニーから出ていたLP、SOPJ96『Parchman Farm』。1937年の2曲と、1940年の12曲を収録。名盤。1940年の収録時には、ビッグ・ビル・ブルーンジーのギターを借りて録音したとLP解説にある。おそらく、リゾネーター・ギターの田舎臭い音質がエンジニアに嫌われたのだろうが、それが返ってブッカ・ホワイトの精神的な深みのようなものを際立たせているように聴こえる。1940年の録音では、ウォシュボード・サムがウォシュボードでバックアップしているが、それも良い雰囲気を醸し出している。


 LPジャケット裏面にある写真。ブッカ・ホワイトは、このようにギターを左膝に載せて弾く。クラシックのギタリストに近い構え方だが、ブルース系のギタリストには珍しい。


 DOCUMENTレーベルのCD5320。ミシシッピー州パーチマン・ファーム監獄で1939年、アラン・ローマックスが録音した2曲が入っている。この2曲も、ブルースの歴史においては重要な録音で、精神的な深みを感じさせてくれる。


 ソニーから出ていたCD7612『Memphis Hot Shot』。1969年の録音で、バンド形式によるもの。悪くはないが、戦前のものと比べると、やはり深みに欠け、寂しい気がする。

 今回、この稿を書くにつけ、何曲かの歌詞をネットからダウンロードした。それとLPに付いている聞きとられた歌詞、さらに教則本に載っているものとを比較してみた。マトリックス・ナンバー(原盤番号)や録音データを可能な限り照合して、同じものが聞きとられていることを確認したが、これがけっこう違う。古い録音なので聞きとりにくいのは仕方ないが、それにしてもずいぶん違う。したがって、詞の内容も変ってくる。専門家が聞きとったものとはいえ、完全に信頼できないものなのだと、改めて感じた。

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暑中お見舞い、2018年夏

2018年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
 西日本の豪雨被害にあった地方では、暑さの中での片づけ作業が続いているようだ。あらためて、お見舞い申し上げたい。

 比較的、気温が上がりにくいここ千葉でも、連日34度程の厳しい暑さが続いている。エアコン嫌いのわたしだが、さすがに冷房に頼らなければ過ごせないし、眠れない。夏は、いつのまにか、部屋の中で暑さをやり過ごす季節になってしまった。学校が、まだ夏休みに入らない7月中旬だというのに、この暑さは尋常ではない。昨日は、愛知県の小学校の生徒が課外授業の後に熱中症で亡くなっている。気象庁が「命に関わる暑さ」と、注意喚起しているのに、だ。たとえば、冬の吹雪の中で外出する人はまずいない。夏の暑さにも、その位の注意が必要な時代になってきていると考えた方がいい。気候の変動は、すでにその位の域に達している。学校も高音注意報が出たら、休校にした方が良いのではないだろうか。エアコンの無い教室や体育館では、生徒のみならず、教師だって危険だ。早め早めの対応をしなくてはならない。

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2017年フランス・ドイツ・ベルギー映画『マルクス・エンゲルス』

2018年07月14日 | 映画
 7/12(木)、千葉劇場にて。英題は『The Young Karl Marx』。監督・脚本は、ラウル・ペック。今年の春に、岩波ホールで上映されていた作品。スクリーンは、千葉劇場の方が大きくて観やすい。



 1840年代のヨーロッパを舞台に、若き日の理想に燃えるマルクスとエンゲルスを描いた作品。ドイツ語、英語、フランス語が混じる。いかに、根は同じ言語とはいえ、3ヶ国語を使いこなす俳優さんたちは大したもんだ。

 この映画が、どの程度二人の実際の交流、あるいは人物そのものを描ききっているか、それはわからない。しかし、大きな変革期にあるヨーロッパをある程度映像化していることは確かだろう。最後の場面では、ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリングストーン』が流れ、レーニンはじめマルクス思想に影響された実在の政治家達の映像が流れる。そのレーニンは、最近旧ソ連がひた隠しにしてきた虐殺行為がグラスノスチ(情報公開)により知られるようになってきた。一説によると、革命後の混乱期に少なくとも2000万人の農民がレーニンにより毒ガスで殺害されたという。旧ソ連は、レーニンを神格化し、社会主義国家の精神的な支柱としたのだ。理想とは、ある意味残酷で、常に不寛容を伴う。映画は、美談に終わっている。が、理想と現実、あるいは不寛容と寛容、その境目をどこに置き物事に対応していくのか、そこを明確にすることがどうしても必要になる。しかし、1970年代以降の「新左翼」と呼ばれた人達は、これを「妥協」と云い、「甘い!」と切り捨てた。わたしも、かつて、そういう言葉を投げかけられた一人だ。この作品とは直接の関係はないが、そんなことを想った。

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7/7ライブの写真

2018年07月12日 | ライブ
 「ルイジアナギターズ」の斉藤店長が、「リンゴ」での7/7ライブの写真をスマートフォンで撮ってくれていたのでメールで送ってもらった。光が足りないのでブレ気味だろうと予想したが、そうでもなく、けっこう鮮明だ。スマホでもきれいに撮れるもんだなあ。おどろいた。デジカメが売れなくなるわけだ。


 ちょっと見えにくいが、左手薬指にブロンズ製のボトルネックをはめて演奏しているところ。歳にもめげず、がんばっている様子が見て取れる・・かな? 今でも、声はけっこう出ている。聞きたい人は、千葉まで来て下さい・・・って、そんな奇特な人は居ないだろうなあ。次回は、9/1(土)19時30分スタート予定で、わたしも参加するつもりです。

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ブルースセッション、7/7

2018年07月09日 | ライブ
 まずは、西日本の大雨により被災された方々へお見舞い申し上げたい。
 今月初めから降り始め、昨日までの積算雨量は多いところで1600ミリを超えているという。小学校のプールが雨水だけで満水になるような雨。それが、町全体に襲いかかるのだから今までの常識では対処できない。献身的に救出作業に当たる方々、特に、平素は他の仕事につき緊急時に活動する消防団の方々に二次災害や熱中症など出ぬよう留意していただきたい。


 さて、7日、千葉のライブハウス「リンゴ」で月例のブルースセッションに参加してきた。この日も満員。もう少しで立ち見が出るか、というくらい。けっこうブルースを演奏したり、聴く人が千葉にもいるもんだ。これも、長年セッションを地道に続けてこられた「ルイジアナギターズ」の斉藤店長はじめサポートしてこられたミュージシャンの方達、さらにライブハウスの関係者の方などのおかげ。この場から御礼申し上げたい。

 この日のわたしの演奏曲は、いつものように2曲。1曲目は、ロックウッド・ジュニアーの『Little Boy Blue』。これはオープンGチューニングでボトルネックの曲。さらに、ブラウニー・マギーの『ウォーク・オン』、これはノーマルチューニングにして英語の詞と自分で付けた日本語の詞両方で演奏した。バックが盛りたててくれたので、なんとか形に成った。ありがとうごさいました。
 なお、次回は8月4日(土)の予定でしたが、ハウスバンドの都合によりお休みです。

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わたしのレコード棚―ブルース57、Mance Lipscomb

2018年07月06日 | わたしのレコード棚
 テキサスのブルースを原初の形で伝えているマンス・リプスカム(Mance Lipscomb)。生まれは1895年4月、テキサス州ナヴァソタ(Navasota)。亡くなったのは同地で1976年1月30日だった。つまり、生まれたのは19世紀末で、本人はシェアークロッパー(Sharecropper)―あえて訳すと「小作人」―で、父親は奴隷だったとも言われている。農作業のかたわら、週末にパーティーなどで演奏して小遣いを稼ぐソングスターでもあった。アーホーリー(Arhoolie)というレコード会社のクリス・シュトラッハウィツ(Chris Strachwitz)とマック・マコーミック(Mack McCormick)に見い出され録音したのは1960年で、この時すでに65歳になっていたことになる。
 


 アーホーリー(Arhoolie)のLP、F1001。1960年、テキサス州ナヴァソタでクリス・シュトラッハウィツとマック・マコーミックによって録音されたもので、かなり詳しい解説と歌詞がついたブックレットが付いている。
 おそらく、これが初録音と思われる。やはりテキサスのギタリスト・ゴスペルシンガーで歴史的録音を残したウィリー・ジョンソンは、1900年頃の生まれで、その録音をしたのが1927年から1930年にかけてで、1947年頃に亡くなっている。つまり、マンス・リプスカムはウィリー・ジョンソンより5年ほど前に生まれ、30年以上後に録音した事になる。どちらが良いか、という問題ではないが、二人の生涯を比較する時、人生の不思議さと困難さを感じずにはいられない。


 LP裏面にある写真。おそらく、録音した時よりかなり後の写真と思われる。普段、使用しているギターはLP表面のジャケットに写っているハーモニーというメーカーの、どちらかというと安ものだ。これが、妙にブルースらしい音がしたりするし、本人もよほど気に入って愛用していたようだ。残されている映像などを見ても、ほとんどハーモニーのギターを使って演奏している。しかし、下のLP1049の中に入っているバンドでの演奏3曲ではエレキギターと思しきものを使っている。それが、ひょっとしたら、この写真に写っているギブソンのアコースティックギターにピックアップを付けたものなのかもしれない。資料によると、ファンからJ-200というギブソンのアコースティックギターを贈られたとあるが、ボディの大きさやブリッジの形を見るとJ-185のような気もするが、どうだろう。


 同じく、アーホーリー(Arhoolie)のLP1049。1968~’69年の録音11曲を収録。
 このLPのなかに、2曲スライド奏法での曲が入っている。下の写真はヴィデオの裏面にあるものだが、見てのとおりで、使っているのはボトルネックではなく、なにか工具のようなものだ。独特の音質で、ウィリー・ジョンソンの音質に近いものを感じる。ウィリー・ジョンソンもナイフのようなものを使っていたという説もあるし、あるいはこのような独自の器具を使うことによって独特な音質を得ていたのかもしれない。



 Vestapolレーベルのヴィデオテープ13011。1969年に地元テキサスのTV局KLRUが制作したもの。局内のスタジオで収録されたようで、観客はなんとなくTV局の従業員を集めているように見える。

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2018年も半分終わり

2018年07月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 6/29(金)に梅雨明けとみられる、と気象庁。観測史上もっとも早い梅雨明けらしいが、まだこの後に雨が続くと、やっぱりまだでした、と言える余地を残した表現になっている。言葉というものは、便利でもあり、怖いものでもありますなあ。

 今日から7月。今年も後半になる。エアコンの使用は最低限にしているので、扇風機を回しながら汗をかきつつこのブログを書いている。なので、暑いときは更新も少しペースを落として節電に努めよう。あしからず。

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