文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚ーブルース105 Sam Chatmon

2020年09月28日 | わたしのレコード棚
 サム・チャットモン(Sam Chatmon)は、1897年1月10日ミシシッピー州ボルトン(Bolton)に生まれ、1983年2月2日に同州ホランデール(Hollandale)で亡くなっている。サム・チャットマン(Sam Chatman)と呼ばれることも多いが、発音上の流れで自然とそう呼ばれたので芸名のようにしていたらしい。余談だが、日本では有名シンガーの名前と混同されたのか、「チャップマン(Chapman)」とCDの解説で書かれているのを目にしたこともあるが、これは誤り。ミシシッピー・シークスを構成した「チャットモン・ファミリー」の一員だった人なのだ。
 ミシシッピー・シークスは20世紀初頭に人気のあったグループで、レパートリーはかなり広く、白人にも受けが良かったらしい。音楽的にも、泥臭いブルース色は薄く、リズムもカントリー系の2ビートな感じの曲も多くて全体に聴きやすい。レコーディングしていく中でシークスの中心となったのはヴァイオリンを弾いたロニー・チャットモンとウォルター・ヴィンソンで、『Sitting On The Top Of The World』など、かなりなヒット曲を送り出している。同じく、チャットモン・ファミリーの一人ボー・カーター(Bo Carter)は、単独でもレコーディングして成功している。サムはその頃、どちらかというと手伝いで、器用なところもあったらしく、バンジョー・ベース・マンドリン・ハーモニカなどでグループに参加していたという。「再発見」されたのは、1960年になってからで、我が家にあるヴィデオなどは再発見後のものだ。ギターを弾きながら歌うという素朴なミュージシャンだが、味わい深いヴォーカルは心に響くものがある。なお、ミシシッピー・シークスについては、すでに2011年7月のこのブログで書いているので、興味のある人はこちらを参照してください。


 B・B・キングがナレーションを担当したYAZOOレーベルのヴィデオ505。写真はサム・チャットモンで、まだ髭を伸ばしていない。

 上のヴィデオの裏側。ヴィデオの最初に出てくるが、こちらの右端の写真と同じく、その時には豊かな顎鬚をたくわえている。


 こちらもヴィデオで、VESTAPOL13016『Legends Of Country Blues Guitar』。1972年録音の3曲を収録。写真は上から、ブッカ・ホワイト、サム・チャットモン、サン・ハウス。

 上のヴィデオの解説にある写真。


 友人だったユージン・パウエルと共に出演した『Mssissippi Delta Blues Fes' 』1984年より。


 WOLFレーベルのLP120.911。1981年に録音された3曲を収録。飼い犬と思しき吠え声も入っているので、おそらくは彼の自宅で録られたものと思われる。このLPは、全体に雑音も多く音質的にはお世辞にも良いとは言えないが、ブルースマン達のやりたいように演奏させた感じで、その意味では貴重な録音。私のようなカントリー・ブルースを演奏する者にとっては「これこそが、ブルースだ」と感じることができる一枚。

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台風12号通過中

2020年09月24日 | 日記
 現在、朝の9時。台風12号が、千葉県沖を通過中。当初の予想よりも進路が東にずれたため、幸いにも今のところ被害は出ることなく済みそうだ。ここ千葉市も風や雨はあまり強くはない。何しろ、昨年の台風15号で、南房総では強風による多大な被害が出て、停電も続き熱中症で亡くなった人も出た。屋根が飛ばされて、今でも修理できていない家も多いと聞く。地元の一人としては、一安心といったところ。修理業者が足りない、ということだが、行政が補助して他県の業者を手配することはできないのだろうか。危機に対応する能力の不足、を感じざるを得ない。

 ヨーロッパでは、新型コロナウィルスの感染第二波が起こりつつある。日本も、「ゴーツートラベル」だとか「ゴーツーイート」などといった姑息なことをやっていては、元の木阿弥になる。あれほど「ステイホーム」と叫ぶように言って、外出を控えるように半ば強制していたのに、経済の落ち込みにビビッて正反対の施策を取るとは・・何のために我慢を強いたのか。医療の専門家も危惧するところが大きいと聞く。日本での感染再拡大は、おそらく避けられないだろう。そのとき行政は、また「ステイホーム」と言うのだろうか。

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わたしのレコード棚ーブルース104 Eugene Powell

2020年09月21日 | わたしのレコード棚
 どの世界にも隠れた名人はいるもので、ブルースの世界にも世に知られぬ名人がいる。もっとも、ブルースマンの中でレコーディング出来たのは、10人に一人位だったとも言われているので、我々のようなブルースファンの知るところとなっているのは、ほんの一握り、と言うべきかもしれない。
 ヴォーカルとギターの、サニー・ボーイ・ネルソン(Sonny Boy Nelson)ことユージン・パウエル(Eugene Powell)も、そんな隠れた名人の一人だ。1908年にミシシッピー州ロムバーディー(Lombardy)で生まれ、1998年11月4日に同州グリ-ンヴィル(Greenville)で亡くなっている。1936年にブルーバード・レーベルにサニー・ボーイ・ネルソン名義で最初の吹き込みをし、1950年代初めころまで音楽活動をしていたというが、1952年以降は音楽から遠ざかっていたらしい。1972年になって、ミシシッピー・シークスのメンバーだったサム・チャットモンに勧められ復帰し、ブルース・フェスなどにも参加している。


 YAZOOレーベルのLP1053『Harmonica Blues』。タイトルのとおり、ハ-モニカの歴史的名演を集めた名盤。この中でパウエルは、ハーモニカとヴォーカルのロバート・ヒル(Robert Hill)という人のバックで、ギターを弾いている。1936年の録音なので、ごく初期の頃のものということになる。


 WOLFレーベルのLP120.911。1967年から1981年までに「再発見」されたブルースマン達の生活していた場での、言わば「フィールド録音」を集めたオムニバス盤。名盤。パウエルは、1981年にグリ-ンヴィルのおそらくは彼の家で録音された3曲を収録。ヴォーカルとギターだが、収録時には70歳を超えており、さすがに衰えは隠せない。が、この人独特の音遣いは健在で、特にブルーノートと言われる5音音階を基礎としながらも、時に流れるように加える半音階は、とてもモダンで洒落た感じを受ける。あるいは、それがためにローカルの場では、あまり受け入れられなかったのかもしれない。


 上のLPジャケット裏。


 さらに、拡大した写真。パウエルは、右目が悪かったようだ。おそらく、撮影場所は彼の自宅前ではないか。


 「Mississippi Delta Blues Fes' 1984」でサム・チャットモン(右)と共演した時の一コマ。タイトルから1984年に行われたように考えられるが、1984年はヴィデオの発行年で、実際のフェスティバル開催は1978年と思われる。ヴィデオの映像をデジカメで撮ったもの。

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稲架掛け2020年秋

2020年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム
 厳しい暑さも、どうにか峠を越し、秋めいてきた。夏の間は猛暑日が続き、自転車で外を走るのも控えていたが、気温も30度を下回るようになったので、少し走ってきた。


 ここは千葉市の東寺山というところで、今でもかなり自然が残り、また、歴史のある所でもある。我が家から自転車で15分くらい。すでに稲刈りが終わり、刈り取られた稲は稲架(はさ)に掛けられている。今では、地方の農家でも機械で刈り取りそのまま乾燥機で乾燥させるので、このような光景は珍しいかもしれない。おそらくは、自家消費分や地元の神社に奉納する分をこのようにして稲架掛けしていると思われる。自然乾燥された米の味は、機械乾燥よりも格段に良いらしい。が、かなりの重労働だそうで、米作りをしていた新潟の友人は、この稲架掛け作業をすると腰がつらいと、かつて話していた。


 こちらは、上の写真の左側。葭川の水源地の一つである東寺山調整池方向。森の奥、台地の先に東寺山貝塚などがある。この辺りの空気は清浄で、思わず深呼吸を繰り返している。新鮮な空気が入ると、体も心も正常な状態に戻るような気がする。

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わたしのレコード棚ーブルース103 R.L.Burnside

2020年09月14日 | わたしのレコード棚
 1996年3月21日木曜日夜、わたしは、東京タワー近くにあった「Volga(ヴォルガ)」という店に向かった。すでに、4半世紀近くも前のことになるが、今でも記憶は結構鮮明だ。その月の18日から30日まで、R.L.バーンサイド(R.L.Burnside)のライブが行われていたのだった。

 店の入り口にはドアボーイが立っているような店で、ちょっと入りにくさがあったが、中は普通のレストランにステージがしつらえてあるような、けっこう親しみやすいところだった。客はまばらで、食事をしに来ていると思しきグループが一組、端の方にブルース・インターアクションズの編集者らしき人が数人いただけだった。あまり宣伝してなかったようで、この日ブルースを聴くために来店した客は、私一人だけだったようだ。

 バンドの編成はシンプルで、ヴォーカルとギターのR.L.バーンサイド、ドラムス、セカンド・ギター、という3人編成。バーンサイドが一人で3曲ほど演奏した後に、バンドでの演奏に入っていった。ちなみに、バーンサイドの使っていたのはギブソンのレスポール・ジュニアという、かなり使い込んだエレキギターだったように記憶している。他のメンバーは、白人プレーヤーだった。けっこうダウンホームなブルースを聴かせてくれたが、何しろ慣れない土地で客とのコミュニケーションも取れない状況の中での演奏は「手探り」状態で、必要以上に慎重になっていたようだった。まあ、それはしょうがないか。わたしの記憶では、その翌年にバーンサイドは、新宿でのブルースフェスティヴァルに出演するため再来日している。その時は、残念ながら、わたしは聴いていないが、結構盛り上がったらしい。

当時のヴォルガのスケジュール葉書。この店について、少し調べてみたが、今は無くなったようだ。

 さて、バーンサイドは、1926年11/23ミシシッピー州オックスフォード(Oxford)生まれ、亡くなったのは2005年9/1メンフィスだった。年代としては、マディ・ウォータースよりも一回り若い、ということになる。が、その演奏スタイルは、かなり古いタイプのカントリー・ブルースで、ミシシッピー・フレッド・マクドウェルなどに影響を受けているらしい。


 ARHOOLIEレーベルのCD402。1967年と翌1968年ブルース研究家でありプロデューサーでもあるジョージ・ミッチェル(George Michell)がミシシッピーに出向いて録音した3人のブルースマンの演奏を収録。バーンサイドのアコースティックギターによるヴォーカル10曲のほかに、ジョー・キャリコット(Joe Callicott)の同じくアコースティックギターによるヴォーカル11曲。さらには、ヒューストン・スタックハウス(Houston Stackhouse)のエレキギターとヴォーカルによるバンドでの演奏4曲を収録。バーンサイドは40歳を過ぎていたはずだが、この時が最初のレコーディングだったようだ。


 CDジャケット内の写真。


 こちらは、カセットテープで発売されたもので、Burnside Records#101となっているので、おそらくは自主製作されたもの。テープなどには録音データは記されておらず、いつ頃どこで買い求めたのかも記憶に残っていないが、1980年代に御茶ノ水のレコード店だったような気もする。やはり、アコースティックギター一本での弾き語りで、かなりプリミティブなブルースになっている。若い頃の写真は、かなり痩せているように見えるが、わたしがライブで見た時には、かなりふっくらした感じだった。

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千葉競輪ドーム、2020/9/7

2020年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム
 9/6~7、台風10号が九州の西を通過し、こちら関東にも湿った熱い空気を持ち込んで、9月も中旬に入ったというのに「高温注意情報」が出る日々が続く。ある気象の専門家が言っていた「エアコンは、今では生命維持装置と考える必要がある」、と。自分が生きている間に、こんなにも気候の変動があるとは思わなかった。



 そんな暑さの中でも、千葉競輪の建て替え工事は進んでいる。撮影は、9/7(月)午後。ドームの屋根材も張り付けられて、だいぶ形になってきた。いつか新型コロナウィルスの感染が終息して、ここで色々なイベントが開かれる日が来るのだろうか。今のところコロナの収束する兆しは見えないが、この先は医療体制を根本的に見直して検査を充実させ、安心して医療機関を受診できるようになれたら良いと願うばかりだ。今のままでは、例えば軽症あるいは無症状のコロナ患者が歯が痛くなったり、皮膚の病気になったりしても、治療してくれる歯科医や皮膚科医は居なそうだ。一方でPCR検査が陽性でも専門の医師が診れば、「すでに感染の危険はない」と判断できる場合も多いそうだ。いつの時代も病気に対する偏見や差別が生じる。「正しく病気を恐れる」ことが肝要だ。

 それにしても、ドームの中の工事は暑くて大変だろうなあ。熱中症対策はしていても、危険な作業に変わりはない。労働者にやさしい環境を整えるような社会になることを願いたい。

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わたしのレコード棚ーブルース102 Robert Wilkins

2020年09月07日 | わたしのレコード棚
 ロバート・ウィルキンス(Robert Wilkins)は、1896年1月16日ミシシッピー州ハーナンド(Hernando)に生まれ、1987年5月26日にメンフィスで亡くなっている。晩年まで演奏を続け、91歳まで生きた長寿の人だった。
 彼は、1915年頃にメンフィスに移り、街角で演奏してチップを稼いでいたらしい。その後、第一次世界大戦に従軍。除隊後は、再びメンフィスに戻りダウンホームなブルースをストリートで演奏して、1928年9月にはヴィクター・レーベルに最初の録音をしている。最も早い時期に録音できたブルースマンの一人だった、と言える。1935年頃に、「The Church Of God In Christ」というプロテスタント系の宗派の牧師になった。それ以降は、聖職者を意味するレヴァレンド(Reverend)・ロバート・ウィルキンスとも呼ばれる。
 その後は目立った音楽活動はしていなかったようだが、1960年代のフォーク・リヴァイバルで「再発見」され、再び表舞台に登場することになる。その再発見後は伝道者(evangelist)として、晩年までブルース調のゴスペル(聖書や信仰に基づく曲)などを中心に演奏・録音している。その頃、すでに70歳位だったはずだが、下のLPなどを聴いても、衰えは感じない。すばらしい持続力。

 余談だが、ブルース系のミュージシャンの中には、ゴスペルナンバーを中心に歌う人もいれば、レパートリーに宗教的な意味を持つ歌を多く入れている人も少なくない。その中で、どういった人が「レヴァレンド」と呼ばれるのか、厳密にはわたしにも分からない。おそらく、キリスト教の宗派の中で正式に牧師あるいは説教師として認められた人たちなのではないだろうか。他にレヴァレンドと呼ばれる人には、思いつくままに書いてみると、レヴァレンド・ゲーリー・デイビス、レヴァレンド・パーリー・ブラウン、レヴァレンド・J・M・ゲイツ、などがいる。


 OJLのLP、8052。1964年2月、ワシントンでの録音8曲を収録。

 ジャケット裏。

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2020.9/5ブルース・セッションについて

2020年09月04日 | ライブ
 毎月第一土曜日恒例、千葉のライブハウス「ライト」でのブルース・セッション。今月も、いつもどおり明日5日19時よりスタート予定。しかし、わたしは、残念ながら今回は都合により参加できないので、この場でお知しらせしておきます。いつもサポートしてくれている他のメンバー達は、いつもどおり演奏する予定です。

 参加、あるいは見学の方は、マスクの着用が必要なので、お忘れなきようお願いします。忘れた場合や、入店時の検温で熱がある人は入店出来ないこともあります。あらかじめの御了承、お願いします。

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2020年8月も終わり

2020年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 2020年8月も終わり、今日から9月。今年は春からの新型コロナウィルスの感染拡大、その後の豪雨被害を伴う長い梅雨、そして記録的な暑さとなった8月と続いた。連日の暑さで、毎日のように熱中症により亡くなる方が続出。新型コロナウィルスの感染拡大で、経済は混乱。医療も混乱。ただの風邪だったり、鼻の病気でも、医者に掛かれず、多くの人が不安の中で過ごしている。そして、首相の突然の辞意表明。おそらく、永田町の主要な政治家たちは、はぼ準備していたようだ。そのあたりの政治の「力学」は、素人目には分からないし、報道も迂闊には報じられない。ただ、河井前法相の贈賄事件などを考えると、広島の地方議員たちは首相の辞任を見越して安倍政権に見切りをつけていたようにも感じられる。

 自分の事を思い返してみると、今年に入ってから、電車に乗っての外出をほとんどしていない。そんなこともあって「閉塞感」の中で暑い夏を過ごしていたような気もする。

 今年2020年は、オリンピックも延期された「パンデミック」の年として歴史に残ることは確実だろう。その「パンデミック」も、あるウィルスの専門家によると、「人災」だという。本来、ジャングルの奥地で生息している蝙蝠などに寄生しているウィルスが、ジャングルの開発などにより人にも接触し感染するようになった、というのだ。つまり、ジャングルの開発を抑えていれば人への新型コロナウィルスの感染拡大は本来は無く、逆にこれからも無計画な開発が進めば未知のウィルスはこれからも人間を襲い続ける、という。人類は、パンドラの箱を開けたのだろうか。

 それにしても、厳しい気候が続く。冬の吹雪などなら「仕方ないので家にいるしかない」と判断できても、暑さでは外出するのを躊躇しないのが人間というものらしい。台風も接近している。油断せず、体調管理には気を付けて過ごしたい。

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