文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚―ブルース33、Ed Bell.

2017年03月28日 | わたしのレコード棚
 ひと口にカントリー・ブルースと云っても、広いアメリカのことなので便宜的に地域で分けることが多い。ミシシッピー・ブルースや、あるいはイースト・コースト・ブルースなどなど。今回は、あまり注目されることのないアラバマ州(ミシシッピー州の東隣)の古いブルースマン、エド・ベルを取り上げる。



 アラバマの代表的ブルースマンと云えるエド・ベル(Ed Bell)の生年は、P-vineのCD『The Story Of Pre-War Blues』の解説によると、1905年5月アラバマ州フォート・デポジット、となっている。現在、わかっている録音は上のDocumentのCDに入っている24曲で全てらしい。1927年にエド・ベルの名前でシカゴで4曲。1929年にニューヨークでギターの名手クリーフォード・ギブソン(Clifford Gibson)とスルーフット・ジョー(Sluefoot joe)の名前で8曲。さらに、同年から翌1930年のかけてアトランタでベアフット・ビル(Barefoot Bill)などの名で残りの12曲を録音している。

 この頃の演奏を聴くと、後の時代には聞けなくなった素朴さを感じる。実際、ロバート・ジョンソンが録音するのは1936~37年で、その時にはエド・ベルやクリーフォード・ギブソンの奏法に影響を受けながらも「ウォーキング・ベース」と言われるような後の8ビートロックに繋がるリフが出てきている。このCDで聞けるのは、溜めの聴いたシンプルなリズムで、8ビートとは遠い。おそらく、古くは地域の集まりなどで週末に小人数を前に演奏していたものから徐々に酒場など大きな会場で演奏するに至り、リズムも変わっていったのだろう。ここで聞けるギブソンとベルのギターデュオは、ブルースの歴史的録音と言っても過言ではないだろう。現代のギター・プレーヤーのなかで、この古いリズムに合わせてしっかりと演奏出来る人は、おそらくいないと思われる。


 マムリッシュ(Mamlish)というコレクターズレーベルから出たLP『Barefoot Bill's Hard Luck Blues』。エド・ベルは5曲、ジョン・リー(John Lee)4曲、メイ・アームストロング(May Armstrong)1曲、ソニー・スコット(Sonny Scott)1曲、さらにベルの演奏仲間だったフィリー・ボウリング(Pillie Bolling)3曲(うち1曲はベルと共演)などを収録している。このLPが出るまでは、スルーフット・ジョーやベアフット・ビルがエド・ベルの変名かどうか諸説あったという。が、SP盤からこのLPを編集した際に、録音時の詳しいで調査研究がなされ、同一人物という事で論争に決着がついたらしい。当時は、レコード会社の都合でトラブルを避けるために名前を変えて録音した事がけっこうあったという。LP解説によると、経済の大恐慌の時代になってから、ベルも音楽活動を止めて伝道の道に入ったという。亡くなったのは、1960年頃アラバマでらしい。

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千葉市稲毛人工海浜

2017年03月23日 | まち歩き
 3/22(木)、春の陽気に誘われて自転車で稲毛の人工海浜まで行ってきた。


 我が家からここまで自転車をゆっくり走らせて35分ほど。


 高いビルの向こう側は幕張メッセ。写真中央、ビルの左に低く見えているのは千葉マリンスタジアム。わたしが子どもの頃、このあたりは遠浅の海で、潮干狩りによく来たものだった。少し掘っただけで簡単に摂れるので、帰りはアサリなど貝を持って帰るのが重くて大変だった。その自然な貝は、身がしまっておいしかった。50年たった今でも、その味が口に残っておりスーパーで売っている貝は食べる気にならない。


 東京方面を200㎜ほどのズームレンズで撮影。スカイツリーが、右端に見える。ビル群は東京都江東区あたりだろうか。


 けっこう、水鳥がいた。鴨類だろうか。北へ帰る途中で、羽根を休めているのカモ。


 今年に入って買った丸石の自転車。腰や眼が悪くなってきて、以前のっていたドロップハンドルのスポーツタイプ自転車には乗りづらくなってきた。スピードはあまり出せないが、街並みを眺めながらゆっくり走る(ポタリングと言うらしい)にはこういうタイプの方が適している。安全基準を満たしたBAAで、6段ギヤ、普通に走っている分にはほとんどパンクしない肉厚タイヤが付いて25000円ほど。千葉―東京間の通勤定期券が一ヶ月20000円ほどだから、相対的に安くなったものだ。
 この道は、基本的に車両は入れない道で、ここを真っ直ぐに行くと花見川サイクリングコースに至る。次に来る時は、もう少し先まで行きたい。

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深読み、ブルースの詞

2017年03月17日 | 音楽
 先週観た映画『ラヴィング』についてはこのブログ3/10欄に書いたが、あらためて1950~60年代のアメリカ社会と、そこに生まれたブルースの中で歌われてる詞(ことば)について考えている。

 ブルースあるいは広く黒人音楽の詞の中で、性的比喩が多いことは良く知られるところだ。例えば、男性の象徴として「バナナ」「さつまいも」「レモン」「黒蛇」など、他にも多数ある。今では日常的に使われる「ロックンロール(rock and roll)」や「ジャズ(Jazz)」、あるいは「グルーヴ(in the groove)」などという言葉は、もともとは性的な意味で使われていた。日本でも、「百合の花」が女性を「藤の花」が男性を象徴させることがあり特別なことではないが、ブルースのなかではそれが際立って多い。さらに、性的能力を誇示する詞も目立つ。代表的な曲を挙げれば、ベーシストのウィリー・ディクソン(W.Dixon)が1950年代終わり頃に作った『Hoochie Coochie Man』がある。そのなかで「オレは何度でもやれる」と云って性的な力を誇示している。

 ブルース研究家のサミュエル・チャータースなどは、これらを「開放的なエロチシズム」(『ブルースの詩』p250)と云っている。が、その詞の奥深く意味するところを読み取ると「いずれは数で圧倒する」と云っているとも取れる。少なくとも、時代背景を考え合わせるとそういった解釈も成り立つように思えるのだ。全ての人が参加できる民主主義では多数決が基本だ。公民権運動の頃のアメリカでは、黒人の選挙権登録に対して妨害もあったと聞くが、今はそれも解消しているだろう。要は、「今は苦しくとも子や孫の時代になれば繁殖能力の強いものが多数を占め意見を通せる、それまで、せいぜい子作りに励もうじゃないか」言外にそう言っているとも取れるのだ。そうなると、日本のような社会では想像できないような問題を内に含み、詞の表面的なことだけで喜んでいるだけでは浅薄な解釈しか出来ていない、とも言える。

 ちょっとかたい話になったが、言葉には様々な背景があり、内奥を捉え、把握しようとすることも大切なのだ。少なくとも、演奏する者にとっては、そうありたいものだ。自戒を込めて。

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東日本大震災から6年

2017年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム
 東日本大震災から6年がたつ。

 2016年2月に警察庁がまとめた統計によると、一連の余震での死者も含め、死者15,894人行方不明者2,562人となっている。東北での被害があまりに大きかったため陰に隠れてしまって感があるが、ここ千葉県でも外房の旭市で津波被害があり、今でも2名の方が行方不明だ。また、2016年3月に消防庁がまとめたところによると、震災関連死を含めると死者は19,418人にのぼる。 また、最近の報道では、みなし仮設を含め35000人が今なお仮設住宅での生活を余儀なくされており、なんらかの形で避難している方は123000人にのぼるという。その中で、原発事故による福島県からの避難者は80000人とも言われている。首都圏などに避難している人達、特に子どもになどに差別的な言葉が投げかけられ、いじめも深刻らしい。社会が病んでいる、としか言いようがない。

 家族を亡くし、今も海岸地帯を探し続ける人もいる。忘れ去られてはならなもの、それを言葉にしなければならないのだが、余りに現実が重くて言葉に出来ない。自分も表現者の端くれとして、無力さを恥じ入るばかりだ。
 6年目の3月11日を迎え、改めて亡くなった方々を追悼し、安心して暮らせる環境の確立を祈念したい。東日本大震災は、単なる自然災害ではなく文明の災害でもあったのだ。それを忘れたくない。

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2016年アメリカ映画『Loving ラビング』

2017年03月10日 | 映画
 3/9(木)、千葉劇場にて。実話をもとにした作品。監督・脚本は、ジェフ・ニコルズ。



 1958年、異人種間の結婚がまだ違法だった頃のアメリカ合衆国バージニア州。レンガ積みを生業とする素朴な白人の青年リチャード、彼は黒人の恋人ミルドレッドをごく自然に愛し、彼女は妊娠する。それを機に二人は結婚が許されているワシントンD・Cに行き、密かに結婚届を出し、証明書を得る。しかし、それが保安官の知るところとなり、二人は逮捕拘束されてしまう。ワシントンD・Cで得た結婚届証明書はバージニア州では無効とされたのだった。そして裁判。判決は、司法取引により、いったん有罪となるが執行猶予が25年間の州追放となる。やむなく、二人はワシントンD・Cに住むことになるが・・・。
 歴史的にバージニア州は、南北戦争で南軍に属していたが、それでも深南部のミシシッピーやアラバマなどに比べればまだ差別は緩やかだったのだろうか。あるいは、映画では抑制されて描かれていたのか。リンチなどの暴力的なシーンは出てこなかった。公民権運動といわれる黒人の権利が主張された時代。混乱の中、非暴力運動を主導したM・キング牧師が1969年に暗殺される。そんな時代背景の中、静かなラブストーリーとも言える映画だった。主演の二人、ジョエル・エドガートンとルース・ネッガの演技が心に残った。


 1958年と云えば、わたしは1歳。その頃のアメリカ社会の混乱、それは生まれる前のことではないのに現実としてなかなか実感できない。あるいは「合衆国」ということの意味、つまりは、各州が独立しており法律は各州で決めるということ。その法律が合衆国憲法に反するかどうかは、告訴されてから連邦の最高裁判所に判断が委ねられることになる。バージニア州は、現在の人口は600万人ほどらしい。わたしの住む千葉県と比べ、面積は別として、人口はあまり変わらないわけだ。アメリカ社会の複雑さを考えさせられる映画でもある。

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楽譜作成ソフト

2017年03月05日 | 音楽
 最近、尺八で簡単な童謡などを吹いている。そうなると、指の運びを憶えるのにキイ(曲調)を吹きやすいC(Am)などにした譜面が欲しくなる。一度運指をおぼえれば、長さの違う尺八に換えるだけで原曲のキイに合わせられる、というわけだ。そこで、原曲を移調させた譜面を作ることにした。

 もとより民俗音楽系のギターを弾くので、譜面にはあまり縁が無く、中学校で習った程度の知識しか持ち合わせない。そこで、パソコンを使って楽譜を原曲のまま入力し、その後に移調させることにした。さいわいに、「MuseScore」というフリーソフトがあったので、それをダウンロードして使っている。思ったより簡単で、重宝している。まあ、入力している元の楽曲がシンプルなものなので、簡単なソフトでも対応できているのだろう。しかし、こんなに便利なソフトウェア―が無料でイイのかねえ。作った人はどこから報酬を得るのだろうか。余計な心配をしたくなる。
 ギターのタブ譜も入力できるので、そのうち自分の曲のタブ譜集でも作ろうか。しかし、残念なことにそれをやると、考えすぎる為か自分の演奏がわからなくなって、曲の中に入り込んでいけなくなってしまう。型どおりの、面白みのない演奏になってしまうのだ。そんなわけで、以前、弾き方を訊かれたときに言葉に出来ず、戸惑ったりしたこともあった。「音楽の先生に良い演奏家はいない」とも言われるが、そのあたりに遠因があるのかもしれない。

 閑話休題―思い出話―中学の頃と云えば、音楽の成績が良かったわけではなかったが、楽器をいじることは好きだったのでブラスバンド部に入ってユーフォニュームを吹いていた。顧問は当然音楽の教師で、ある時、音楽の授業中に指されて、「アンダンテ(Andante)」の意味について聞かれた。これは、テンポの「歩く程度の速さで」を意味しているのだが、その時わたしは答えられなかった。その先生にしてみれば、自分が顧問をしているブラスバンド部の生徒なので、当然その程度のことは答えられるだろう、と思ったのかもしれない。ところが意に反して答えられなかったからか、失望のあまりか、厳しい言葉を投げかけられた。「おまえはブラスバンド部だろう、そんなこともわからないのか。だいたいアンダンテなんて記号じゃないんだ。言葉なんだ。おまえは言葉もわからないのか!」
 そんなこと云われたって、わからないものはわかりませんよ。そもそも言葉だっていったってイタリア語でしょうが。中学生にイタリア語をわかれ、という方が無理ってもんだ。アンダンッテんだよ(シャレで落としたつもり)。じつは、これは実話(これもシャレ)。

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