文化逍遥。

良質な文化の紹介。

ストラトキャスター改造

2025年01月21日 | 音楽
 手持ちのシェクター(SCHECTER)のストラトキャスター「 L-A-ST-AL/R」を改造。音質的なことは、あまり気にせずに、弾きやすさと軽さに重点を置いて、新たにピックガードを用意して、自分で作ってみた。


 これが元の状態。写真を撮り忘れたので、購入した島村楽器さんのHPから同型のギターの写真を拝借、すみません。これ、見た目は普通のストラトだが、実は、かなり標準的なフェンダーのものとは異なっている。一番の特徴は、ボディ内部がホロウ構造になっていることで、軽量。さらにトーンは、全てのピックアップに効いており、上が高音カット、下が低音域のカットになっている。ピックアップはフロントとミドルがセイモア・ダンカンのSSL1、リアピックアップはやはりダンカンのSTK-S10Bというスタック構造のハムバッカー。ミドルとのハーフトーンではタップ配線でシングルアウトする。なかなかに使いやすく、音質的にも気に入っていた。が、わたしは、ピックを使わず、指で弾くので、どうしてもピックアップに指が当たる。慣れればさほど気にならないが、やはり、ストレスのない状態でプレイ出来るのが望ましい。と、いうわけで、リアピックアップのみのオリジナリティーに富んだストラト?に変身させた。


 ボディ材はアルダー。内部はご覧の様に、かなり空洞になっている。元の状態でも3㎏ほどの重さで、標準的なストラトキャスターよりかなり軽い。


 サウンドハウスで穴が空いていないストラト用のピックガードを購入して、ホビー用の工作機械で加工した。たまたま、この白いガードの在庫が余っていたのか、安く売りだされていて他の色の半値ほど、2000円弱で買えた。リペアマンのようにきれいには仕上がらないが、多少雑なところは目をつむり、節約して自分でやるのも悪くない。取りあえず、これで完成。重さは2.7㎏に減少。腰痛持ちにはありがたい。ノッペリした感じだが、指弾きではかなり弾きやすくなった。コントロールも今のところヴォリュームのみ。シングルコイルなのでトーンが欲しいところだが、とにかく配線をシンプルにして ピックアップそのものの音をストレートにアンプに通したい気持ちもあり、考慮中。現状ピックアップは、まろやかな音質のディマジオDP175がついている。


 全体では、こんな感じ。ギターから受ける印象が大分変わった。自分では悪くないように思うが、どうだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢詩とブルースの詩、その類似性

2024年06月25日 | 音楽
 かねてより漢詩と古いタイプのブルースの詩には類似性がある、と感じていた。わたしは、比較文化学の研究者ではないので具体的な論証が出来るわけではない。が、異なる文化に共通点を見出せれば、相互理解の一助になることもあるだろう。「突飛なこじ付け」と思われるかもしれないが、無理を承知の上で書いておきたい。

 漢詩と言うと、学校で教わったように、難関試験「科挙」に合格した文人エリートたちがたしなんだ教養のひとつで、それを型にはまった読み下し文にして理解しようとする人も多いかもしれない。が、その中には庶民生活を歌ったものも多く、漢字の知識さえあれば大まかな意味と脚韻の面白さを味わうことが出来る作品も多い。元々、漢詩も「楽府題(がふだい)」といって、歌の歌詞が源といわれる。白楽天(白居易)は、作った詩を自ら庶民の前で歌って聞かせ、意味が通じなければ書き直した、という言い伝えもあるらしい。日本の和歌なども、百人一首大会などでは節をつけて読み上げられている。基本、「詩」は「歌」なのだ。

たとえば「詩仙」と言われる李白の詩に、『山中対酌』というものがある。七言絶句、あるいは研究者によっては七言古詩。脚韻に注目。

両人対酌山花 一杯一杯復一
我酔欲眠君且去 明朝有意抱琴

(読み下し文の一例)
『両人対酌して山花開く 一杯一杯復(ま)た一杯
我酔いて眠らんと欲す 君且(しばら)く去れ 明朝意有らば琴を抱いて来たれ』

読み下し文では分かりづらいが、原文の太字にしたところが韻を踏んでいる。「平仄(ひょうそく)」というイントネーションのこともあるが、ここは日本語で、開(かいkai)、杯(はいhai)、来(らいrai)、と音で読めば音感がつかめる。ざっくばらんに、意訳してみると・・・

『裏山の花が咲いて昔馴染みと酒を酌み交わしている まあまあ一杯 と飲み続けていて切りがない
酔っちゃて眠くなった 君悪いが一旦帰ってくれないか 明日も来るなら琴を持って来て聞かせてくれや』


さて、ここでブルースの詩。ウィリアム・ハリスという人が1928年頃に録音した『kansas City Blues(カンザスシティーブルース)』からの抜き出し・・こちらも脚韻に注目。

I wish I was a catfish in the deep blue sea 青く深い海に住むナマズになりてえなあ
I'd have all these women just fishin' after me 泳ぎ回る娘たちを釣り上げてやるのに・・
(refrain) Then I'd move Kansascity・・・(彼女がカンザスに行っちまったから) 俺も行こうかカンザスへ・・

I wish I was jeybird flyin' in the air 空を飛ぶカケスになりてえもんだ
Build my nest some of these her brown hair あの娘の金髪の頭に俺の巣を作ってやる
(refrain) Then I'd move Kansascity・・・(彼女がカンザスに行っちまったから) 俺も行こうかカンザスへ・・

 下線部が脚韻を踏んでいるところ。この様な古い英詩の形式に沿った詩はモダンブルースではほとんど見かけないが、古いブルースでは珍しくない。『kansas City Blues』では、特に下段の flyin' in the airとしている部分に注目したい。「in the sky」とするのが普通だろうが、そこをあえて in the airとして脚韻を踏んでいる。そこに、わたしは漢詩と共通するものを感じる。中国語も英語も語順が意味を決める言語ということで、言語学的に脚韻を踏みやすいという共通した特徴もあるようだ。

 漢詩とブルース。脚韻の踏み方だけではなく、4連の漢詩「絶句」を8小節ブルース、8連の「律詩」を12あるいは16小節ブルース、と、スタンザ(詩の連)の形式に共通性を見い出すこともできる。

 と、まあ、こういうことは演奏してみないと実感できないところ。逆に言えば、学校で読み方や意味を教わっても、作者の気持ちや情趣までは伝わって来ない。学校で得る知識に価値がない、ということではない。その知識を身に沁み込ませるためには、自ら一歩踏み出して、作品と向き合う必要がある、ということだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイナミックマイク買い換え

2023年05月02日 | 音楽
 長年にわたり使ってきた、シュアーのダイナミックマイクBeta58が故障。全く音を拾わなくなってしまった。修理に出すと、かなり高額な代金がかかりそうだ。というわけで、安価なヴォーカル用のダイナミックマイクをサウンドハウスで買った。


 ドイツのメーカー「Behringer(ベーリンガー)」のUltravoice XM8500。製品の設計はドイツで、生産は中国。しっかりした作りで、写真のようにハードケースとホルダーが付いて、値段は税込で ¥3,680。注文する時には「さすがに安すぎるかな」とも思ったが、また急な故障があったら、これを予備にしておいてランクの高いものを別に購入してもいい、とも考えていた。が、使ってみてビックリ「これなら十分使える」と感じ、考えていた品質をかなり上回るものだった。

 レコーディングを始めたのは40年程前になるが、その当時は定番と言われたシュアーのヴォーカル用ダイナミックマイクSM58 が2万円以上しており、4~5千円のマイクはオモチャ程度の品質しかなかった。それが今はSM58も1万数千円円ほどで買えるし、録音機器の価格は全体に下がっていて求めやすい。今回購入したこのXM8500などは、Beta58の現在の価格に比べて5分の1以下だ。シュアーのマイクに比べると、さすがに音抜けは落ちるが、コストパフォーマンスの高さには驚かされた。レコーディングやネット配信あるいはライブで自分のマイクを利用する人が多くなり、生産数が多くなってコストが下がっている、ということだろう。今の若い人たちが、正直言って羨ましい。



 千葉公園のツツジ。4/27(木)朝、スマホで撮影。ツツジとサツキの違いがわからないけど、五月(さつき)と言うくらいだから旧暦の5月(今の6月)頃に咲くのがサツキだろう・・と思ってツツジにした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TASCAMデジタルレコーダーSD-20M

2022年08月01日 | 音楽
 オープンリールデッキやテープなど、アナログ機器を売却処分したら思いのほか高値で売れたので、適当なデジタルレコーダーを買うことにした。


 購入したのは、TASCAMのデジタルレコーダーSD-20M。楽天で36000円ほど。XLRバランス入力が表側に装備され、当然ファントム電源も供給でき、電池でも駆動可能。96kHのハイサンプリングにも対応し、使い勝手も音質も思ったより良かった。以前では考えられない安さ。

 ただ、わたしとしては、以前から持っている同じタスカムのハンディレコーダーDR100でライブ録音等をしたSDカードをミキサーに繋いだ本機で再生・編集したかったのだが、DR100のSDカードは読み込めなかった。そのようなことは説明書やホームページにも書かれていなかったので、タスカムのカスタマーサポートに電話で問い合わせたところ「互換性は無いですが、パソコンでは読み込めるので、必要ならパソコンでメディア変換してください」とのこと。確かに、パソコンでは読み込めたが、同じメーカーの機器でメディアの互換性がない、といのは納得できない。昔、ビデオテープでベータとVHSという2種類のタイプが出たことがあったが、不便で、結局はVHSに統合されていった。その時の不便さをデジタルでも味わっているようで、がっかり。デジタルの弱点を見た気がする。というわけで、厳しい評価になったが、私のようにSDカードの互換性を重視するのでなければ、十分に使える製品と感じる。

 結局のところ、編集などはパソコンで行うというのが今の主流なのだろう。CDなどのメディアを通さず、ネットからスマホに音楽データを落とし、それをBluetoothで再生機器につないで聞く・・そんな時代になっている。BGMなどとして聞く分にはそれで良いかもしれないが、当然ながらデータは圧縮されているので個人的には物足りない。一方で「ハイレゾ」と言われるような、ハイサンプリング録音再生が、一部の人達には好まれているようだ。当然、それらの機器はかなり高価になる。早い話が両極端で、ほどほど、という落としどころが無くなってきている。こんなところにも、持てる者と持たざる者との差が表れているようだ。
 

 こんな感じで、やれるときに録音作業を続けている。終りは無いので、可能な限りコツコツと地道に続けていきたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのレコード棚ーブルース153 Otis Rush

2021年09月26日 | 音楽
 夫人が日本人だったこともあり、オーティス・ラッシュ(Otis Rush)の来日回数は多く、日本でも馴染みのあるブルースマンと言えるだろう。わたしも2度ほど生の演奏に接していて、1度目は1986年九段会館で日本のブルースバンド「ブレイクダウン」と共に行った公演。2度目は、2004年に新宿のパークタワー・ホールでのブルース・カーニバルでだった。双方共、シカゴのウェストサイドブルースと言われるギターのリードを前面に打ち出した演奏で、左利きで弦を右利きのまま張るギタリスト特有の音質、特にチョーキングした時の緊迫感が印象に残っている。ちなみに、九段会館の時の使用ギターはES-335 で、新宿の時はストラトキャスターだったと記憶している。特徴の違うギターを使っても違和感が無く弾きこなしていて、ギタリストとしての底力を感じた。

 生まれは、1934年4月29日ミシシッピ州のフィラデルフィア(Philadelphia)。亡くなったのは、2018年9月29日シカゴだった。2004年初頭に脳梗塞を発症。その年の春に来日して演奏したわけだが、サポートするギタリストがいたものの聴いていてさほどの衰えは感じなかった。しかし、それ以降は後遺症が悪化して演奏からは遠ざかり、晩年は車いすでの生活となった。

 8歳の頃から独学でギターを習い、教会の聖歌隊で歌ったりした事もあるという。1948年頃シカゴへ出て、クラブなどで演奏。1956年にインディーズレーベルのコブラに初録音。1960年からはチェスに録音しているが、この人は、実力の割には録音の機会には恵まれなかった、とも言われている。


 P-ヴァインのCD1804。1985年7月、テキサス州オースチンにあるクラブ「アントンズ」でのセッション13曲を収録。ジャケット写真左上から、エディ・テイラー、ジミー・ロジャース、パイントップ・パーキンス(後方のベーシストはボブ・ストロジャー)、バディ・ガイ、そして下段左からオーテス・ラッシュ、ジェームス・コットン、サニーランド・スリム、ヒューバート・サムリン。当時のアーバンブルースを代表するブルースマン達がそろって参加していて、ラッシュは「Double Trable」を演奏している。


 ジミー・ドーキンスのCDで、「Tribute To Orange」EVIDENCE26031-2。全13曲の内、1974年11月録音5曲でラッシュがギターを弾いている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラファエル・アギーレ、ギター・リサイタル(FMより)

2021年07月22日 | 音楽
 7/19(月)夜、NHK・FM「ベスト・オブ・クラシック」で放送されたラファエル・アギーレ(Rafael Aquirre)というスペインのギタリストの演奏を聴いた。2020年2月4日に、東京の浜離宮朝日ホールで行われたリサイタルをライブ収録された音源。

 実に素晴らしい演奏で、正直言って、驚いた。1984年生まれというから、30代半ばということになる。その若さで、クラシックはもちろん、フラメンコの伝統的な曲を深いところで理解して弾きこなしている。高度なテクニックを駆使していても、楽に弾いているように感じさえする。つまり、あくまで曲のテーマを自分なりに深いところで理解して、技巧は表現の手段でしかない演奏。それは、ごく限られた優れた演奏者にしか出来ない「至難の業」とも言えるのだ。

 ちなみに、この日演奏されたフラメンコの曲は、サビーカスの『オレー・ミ・カディス』、パコ・デ・ルシアの『月に映えて(グラナイーナス)』など。クラシックの曲ではアルベニスやタレガの作品などで、スペインに関連した曲が多くプログラムに入れられていた。

 スペインのみならず世界的にも、「これからのギター界を背負う逸材」と感じた。あえて難を言えば、全体に少し力が入っている感じはする。しかし、若さを考えれば気になるほどではない。彼のお父さんはギター製作家であるらしく、この日使われたギターは彼の父が作ったフラメンコ・クラシック両用のものという。トップ材はシダー、バックとサイドはインディアン・ローズ、という。

 どんなに優れたミュージシャンでも、時には壁に当たり、音に苦しむものだ。これを「音苦(おんく)」と言っているが、どんな時にも自分や先人を信じて、必要以上に音に苦しむことなく大成して欲しい、と願わずにいられない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イントゥ・ザ・ミュージック』

2020年12月10日 | 音楽
 1994年頃、「イントゥ・ザ・ミュージック」というシリーズのテレビ番組が放映され、それがリットーミュージックからヴィデオ・テープとして全6巻で発売された。当初は、フジテレビでかなり夜の遅い時間に放映された記憶がある。ヴィデオでは、テレビ未公開の映像なども含まれているため、全6巻の内5巻分を買い求めた。当時、税込みで1本4800円。かなり高価な買い物をした記憶がある。


 第1巻の『アロハ・アイナ』。観光目的ではない、真のハワイアンミュージックを観、聴くことが出来る。



 わたしが持っているのは、5巻を除いた残りの5本。実は、ほとんどこのヴィデオを観るためだけにヴィデオデッキをいまだに持っている。というのも、他のテープは、ほとんどDVDなどのメディアに変換してあるのだが、このヴィデオ・テープなどにはコピープロテクトがかかっているため、どうしても変換できていなかった。最近、徐々に部屋の整理を進めていて、いいかげんヴィデオ・デッキもそろそろ手放そうかと思い、少しずつ見直していたところ。全体に良く取材されていて、完成度が高い作品なのでDVDになって出ていると思っていたが、今では手に入りそうにないようだ。メディアが変わるのは、時代の要請もあることだろうが、その変化の中で大切なものが消えてゆくのは残念だし、若い人たちにとっても文化的遺産が減ることにもなるので、実にもったいない。

 このシリーズのほとんどで企画・構成そしてナレーションを担当したのは駒沢敏器という人で、その構成力と取材力には感心させられた。その後、1996年に『ミシシッピーは月まで狂っている』を講談社から出版。それも、興味深く読んだ記憶がある。少し調べてみたところ、その駒沢氏は2013年3月に51歳で亡くなっていた。難病にかかって体が動かなくなり、不幸な死に方をしたらしい。安心して老い、病み、そして死ぬことが出来る、本当の意味で「豊かな社会」とは、そういうことではないだろうか。モノがあふれても、豊かな社会とは程遠くなってゆく。音楽に「豊かさ」を感じてもらえるよう、微力ながら力を尽くしたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Byrds

2019年06月29日 | 音楽
 我が家から歩いて10分程のところにある千葉市中央図書館に、ザ・バーズ(The Byrds)の1969年のライブCDがあったので借りて聴いている。
 ザ・バーズは1964年の結成で、ロスアンジェルスを中心に活躍したロックバンド。1964年の結成だが、中心になったロジャー・マッギン以外のメンバーはかなり入れ替わっている。ちなみに、このCD録音時はロジャー・マッギン(Vo,12st-g)、クラレンス・ホワイト(g)、ジーン・パーソンズ(ds)、ジョン・ヨーク(b)、となっている。
 サウンドは、カントリーを基盤にしてエスニック―特に当時注目されていたインドのシタールの音作りを取り入れたりして、当時としてはかなり斬新なものだったと思われる。聞きどころは、やはりクラレンス・ホワイトのギターで、「ストリング・ベンダー」という特殊な装置を装着したエレキギターで、ペダル・スチールに近いような音を出している。しかし、正直言って、いくら「ストリング・ベンダー」があったとはいえ本当にこんなスライド音が出せるのか?とも感じた。曲によっては、ペダル・スチールを使っているのではないだろうか。なお、クラレンス・ホワイトは、元々はカントリーというかブルーグラスのギターリストで、彼の所属したバンド「ケンタッキー・カーネルズ」のCDをこのブログでも紹介している。参考にしたい方はこちらから



 1965年に全米ヒットチャートで1位になった『ミスター・タンブリンマン(ボブ・ディランの作品)』、あるいはピート・シーガーが旧約聖書の1節を曲にした『ターン・ターン・ターン』を含む16曲。すでに半世紀前の録音だが、聴くに値すると感じた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

B.Bキング、初期録音集

2019年04月24日 | 音楽
 久しぶりにCDを買った。B.Bキングの初期録音集『Complete Recordings 1949-1962』。6枚組で、全168曲を収録。60~70年ほど前の録音で、著作権が切れている為か2000円程で買えた。レーベルはENLIGHTMENTになっているが、イギリスで編集されたものらしい。こういうものがネットで簡単に手に入る時代になり、ありがたさが半分、面白みが薄れたのが半分。

 さて、わたしが地元のブルース・セッションに参加させてもらって1年になる。セッションとなると、やはりモダン・ブルースが中心になる。そうなると、必然的にB.Bキングの曲を演奏する人が多い。わたしのように、カントリー系のブルースを中心に演奏してきた者にとっては、馴染みの薄い曲も多く戸惑うこともある。具体的には、コード進行やリズムに、カントリー・ブルースには無いものも多いのだ。
 そこで、B.Bキングの初期録音を聴いて、セッションの時に参考にしよう、というわけだ。しかし、聴いてみて感じたのは、やはりルーツはカントリーブルースやゴスペルだ、ということだった。実際、「これは、あの曲を元にして作りかえている・・」と感じる曲も少なくない。その意味では、キングは、伝統的な曲からインスピレーションを得て新たな曲を構成し、それを別の次元に移し替えて自分のものにしてゆく、天才、と云えるだろう。



 彼は子供の頃、ミシシッピーのElkhorn Baptist Churchという教会の合唱団(Gospel Choir)に属して歌っていた、とCD解説にある。やはり、キングのヴォーカルのルーツはゴスペル・クワイアーだった。個人的には、これら初期のモダン・ケント(レコード・レーベルの名前)時代、と云われる録音が気に入っている。

 B.Bキングは、2015年に90歳を前に亡くなった。晩年は糖尿病を患い、それに伴なう合併症に苦しんだようだ。ジャケットの写真の様な若い頃の体型を維持していれば・・とも思うが・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耳栓

2018年10月12日 | 音楽
 昨年、三半規管の異常とみられる目まいに襲われ、特に左耳が大きい音にさらされると今でも軽い目まいを感じることがある。なので、ライブの時なども耳栓を左耳には使っていた。その耳栓も古くなったり、失くしたりしたので、新たに買い求めることにした。ネットで良いものがないかと探していると、ミュージシャン向けのものがあった。欧米では、ライブハウスやクラブなどで働く人達、あるいは地下鉄や建設工事などで騒音にさらされる人たちが難聴になりやすい事が問題になり、必要な音は聞こえるが全体に音圧を下げられる耳栓(イヤープラグearplugs)を使うことが推奨されているらしい。
 成田のサウンドハウスでも取り扱っており、大きさや種類もいろいろ。値段も、ペアで1000円位から、高いものでは射撃用の特殊なもので3万円を超えるものまで様々。どれを買ったら良いかわからないので、取りあえず、ETYMOTICというメーカーのミディアムサイズとラージサイズの2組になっているものを買った。値段は、2300円程。


 左が大きめのもので、右が標準タイプ。大きめのものを耳にフィットさせるとかなり音は減衰する。が、どうしても耳が痛くなってくる。途中まで耳に差し込む感じでリゾネーターギターを弾いてみたが、かなり効果があった。気長に、自分に合う使い方を試してみたいと思っている。他のメーカーのものも試してみたくなった。その分、お金がかかるのだが、聴力は一度失えば戻らない、とも言われている。難聴になれば医療費もかかるし、大切な耳を守ってくれるなら、多少の出費は惜しくは無いように思うが、どうだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カニサレス フラメンコ・クインテット

2018年09月29日 | 音楽
 9/28(金)、船橋市民文化ホールでの「カニサレス フラメンコ・クインテット」の公演に行ってきた。



 音のコントロールが抜群で、しかも音そのものも生き生きしている。技術力の高いプレーヤーは多くいるが、この二つを両立させられるギタリストは非常に少ない。船橋に来てくれた事に感謝したい。
 音楽については、基本的に伝統的なフラメンコの曲をカニサレス自身がアレンジしたものがほとんどで、クラシックあるいはジャズの要素をかなり取り入れた現代風な音楽になっていた。日ごろ民族音楽としてのフラメンコに馴染みのない人でも十分に楽しめるコンサートになっているな、と感じた。同時に、フラメンコのもつ奥深さが失われているかな、とも感じた。芸人は、常に道半ばだ。これからも、この人がどんな音楽を紡ぎだしてゆくのか、それを見守っていたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カニサレス来日中

2018年09月27日 | 音楽
 スペインを代表するギタリスト、フアン・マニエル・カニサレスが来日して各地を巡回している。すでに終盤に近いが、明日28日(金)は千葉の船橋で公演がある。昨日、会場となる船橋市民文化ホールに問い合わせたところ、残席にはまだ余裕があるようだ。当日券でも入れそうだが、取りあえず予約をしておいた。
 カニサレスは基本的にはフラメンコのギターリストだが、オーケストラとの共演もあり、今では世界的に活躍する優れたミュージシャン。わたしは、もう20年ほども前になろうか、パコ・デ・ルシアのトリオの一員として来日した時に渋谷で一度聴いたことがある。うまい人だなあ、と感じたものだった。すでにパコ・デ・ルシアは亡く、時を経てどんな音楽を聞かせてくれるのか、楽しみだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11/1夜、NHK・FMより『サヴァール・トリオ』

2017年11月03日 | 音楽
 11/1夜、NHK・FMの「ベスト・オブ・クラシック」で放送された『サヴァール・トリオ』の古楽演奏は良かった。今年9月14日に東京・王子ホールでの演奏会を収録したライブで、メンバーと担当楽器は以下のとおり。
 ジョルディ・サヴァール (トレブル・ヴィオール&リラ・ヴィオール)、アンドルー・ローレンス=キング(アイリッシュ・ハープ&プサルテリ)、フランク・マグワイアー(ボラーン[バウロン])。
 わたしも古楽器については詳しいわけではないが、ヴィオールというのはチェロに近いような、アメリカ式に云えば中型のフィドル属になるようなもののようだ。ボラーン[バウロン]は、アイルランドの打楽器で、左手で張力を変えることにより音程を変えられるもの。演奏されたのはヨーロッパ各地の古謡が中心だった。現代の楽器のように、正確なピッチ(音程)を求めるものではなく、ある意味即興性もあり、スリリングとも感じられる演奏で、適度な「ゆらぎ」が心地よかった。いつか、生の演奏を聴いてみたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10/11夜のNHK・FMよりジャン・ロンドー、チェンバロ独奏会

2017年10月12日 | 音楽
 昨夜のNHK・FM「ベスト オブ クラッシック」は、今年4月に東京文化会館小ホール(上野)でのチェンバロの独奏会を収録したものの放送だったが、これが実に良い演奏だった。独奏は、わたしも初めて聞く人だが、ジャン・ロンドーという1991年生まれの若い人。演奏されたのはバッハの「ゴールドベルグ変奏曲」全曲にアンコール2曲。クラッシック音楽には疎いわたしだが、ゴールドベルグ変奏曲はグレン・グールドのピアノで録音されたCDとカート・ラダーマーのギターによる多重録音によるCDを持っているので、多少の馴染みはある。アリア+30の変奏曲+アリアという構成で、80分程の大作だ。若いとは言え、これを、最後まで張りを持ったままで独奏するとは・・恐れ入った。東京文化会館小ホールはわたしも何度か行った事があるが、マイクを使わずに楽器の音が会場に響く良いホールで、生音を味わえる数少ない場所と言える。こういう演奏会の模様を伝えてくれたのだから、NHKには取りあえず感謝しておきたい。というのも、テレビの方は、訳の分からないドラマも多くて受信料を払うのが嫌になっているところ。まあ、がまんかな。
 演奏について感じたことだが、拍子の中、アクセントの取り方がかなり奔放だったようだ。古楽では、やはり伝統を重んじる傾向にあるようで、落ち着いたソツのない演奏が多いような印象がある。昨日の放送では、曲を自分なりに解釈してリズムのアクセントを付けていたように感じた。ある意味、ジャズっぽい、と言っては言い過ぎかな。いずれにしろ、ジャン・ロンドーという演奏家には古楽を現代に蘇らせる力量がある、と感じた次第。


 おまけの写真。10/11(水)夕方、千葉公園で、色付き始めた銀杏(イチョウ)を撮影した。ここ2・3日高めの気温だが、黄色くなったイチョウの葉を見ると否応なく秋を感じる。





鷺と亀。

 この後、歯科医院に行って左上の奥歯(第二大臼歯)の三分の一を抜歯。1本の1/3です。かなり悪くなったので、残せないかな、と、諦めていたが、悪い部分を削るだけ削って、残せない1/3を割るようにして抜き、残った2/3の所に台を作り隣の歯と合わせた冠を作るという。歯科技術も進んで、自分の歯がかなり残せるようになっている。ただし、土台が弱いのので、何十年も持つわけではない。あたりまえだけどね。命が無くなるのが先か、歯が無くなるのが先か、天のみぞ知る。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深読み、ブルースの詞

2017年03月17日 | 音楽
 先週観た映画『ラヴィング』についてはこのブログ3/10欄に書いたが、あらためて1950~60年代のアメリカ社会と、そこに生まれたブルースの中で歌われてる詞(ことば)について考えている。

 ブルースあるいは広く黒人音楽の詞の中で、性的比喩が多いことは良く知られるところだ。例えば、男性の象徴として「バナナ」「さつまいも」「レモン」「黒蛇」など、他にも多数ある。今では日常的に使われる「ロックンロール(rock and roll)」や「ジャズ(Jazz)」、あるいは「グルーヴ(in the groove)」などという言葉は、もともとは性的な意味で使われていた。日本でも、「百合の花」が女性を「藤の花」が男性を象徴させることがあり特別なことではないが、ブルースのなかではそれが際立って多い。さらに、性的能力を誇示する詞も目立つ。代表的な曲を挙げれば、ベーシストのウィリー・ディクソン(W.Dixon)が1950年代終わり頃に作った『Hoochie Coochie Man』がある。そのなかで「オレは何度でもやれる」と云って性的な力を誇示している。

 ブルース研究家のサミュエル・チャータースなどは、これらを「開放的なエロチシズム」(『ブルースの詩』p250)と云っている。が、その詞の奥深く意味するところを読み取ると「いずれは数で圧倒する」と云っているとも取れる。少なくとも、時代背景を考え合わせるとそういった解釈も成り立つように思えるのだ。全ての人が参加できる民主主義では多数決が基本だ。公民権運動の頃のアメリカでは、黒人の選挙権登録に対して妨害もあったと聞くが、今はそれも解消しているだろう。要は、「今は苦しくとも子や孫の時代になれば繁殖能力の強いものが多数を占め意見を通せる、それまで、せいぜい子作りに励もうじゃないか」言外にそう言っているとも取れるのだ。そうなると、日本のような社会では想像できないような問題を内に含み、詞の表面的なことだけで喜んでいるだけでは浅薄な解釈しか出来ていない、とも言える。

 ちょっとかたい話になったが、言葉には様々な背景があり、内奥を捉え、把握しようとすることも大切なのだ。少なくとも、演奏する者にとっては、そうありたいものだ。自戒を込めて。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする