文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚―ブルース21、Sleepy John Estes,

2011年06月29日 | わたしのレコード棚
 1974年11月、高校3年だったわたしは、当時ブームになっていたこともあってブルースに興味を持ち、第1回ブルース・フェスに行くつもりだった。しかし、当時の国鉄(現JR)がストを打ったため断念せざるを得なかった。この時来日したのが、ロバート・ロックウッド・ジュニア&エイシスとスリーピー・ジョン・エステスだった。ロックウッドはその後も3回来日して生の演奏に接することが出来たが、エステスは'77年に亡くなってしまうので、ついに生の演奏を聞く機会はなくなった。もっとも、高校生だった自分が聞いてどこまでエステスの音楽を理解できたかは疑問だ。が、今思い起こしても残念ではある。

 スリーピー・ジョン・エステス(Sleepy John Estes,本名John Adam Estes)の生年もはっきりしないが、来日した時の書類には1900年になっていたということなのでそれを取っておく。場所は、テネシー州のリプレー(Ripley)という所らしいが、育ったのは同州のブラウンズヴィルで、少年の頃に遊んでいて小石が右目に当たり失明。後に、左眼も徐々に視力を失い'62年に↓3枚目デルマークに録音した時には完全に失明していたという。'77年に亡くなったのも、やはりブラウンズヴィルだった。レコーディング・キャリアは1929年のビクターからで、デッカやブルーバードに吹き込みを続け、後にスタンダードになった名曲[Some Day Baby ,aka, Worried Life Blues]などを残している。

 このブログを書くにあたり、エステスのLPを久しぶりに聴き直した。本当に久しぶりだった。レコードの表面にはカビがうっすらと滲んでいた。それは、エステスが自分にとって軽い存在だからではなく、むしろ逆で、聴き込むのにエネルギーを必要としていたからだった。聴く前から疲れてしまっていた、と言ってもいい。それでも、レコード盤のカビをバランスウォッシャーできれいに拭き取り、針を落としてみた。すると、そこから流れてきたブルースは、以前聴いたものとは全く違う音楽ではないかと思われるほどリズミックで楽しささえ感じるものだった。若かった自分は、宣伝文句に乗せられていたのかもしれない。いわく、「涙なくしては聞けない悲痛なブルース」。でも、それは表面的な聞き方だ。何曲かレコードに合わせて音を取ってみたが、しっかりしたリズム、オリジナリティーに富む音使い、そして何より言葉のメロディーに対するノリがすばらしい。「まいったなあ」、と言うのが正直な感想だ。歳を重ねなければ、分からないことも多いようだ。


WOLF(オーストリー)のWSE129。A面にサン・ボンズ(Son Bonds1909~1947)ヴォーカルとギター、ハミー・ニクソン(次回予定)のハーモニカで、'34年録音10曲。B面にボンズとエステスで、38年2曲と'41年の8曲を収録。


メンフィスのレーベル「サンSUN」に残されていた音源をP-vineが編集・配給したPLP-347『Memphis Country Blues In The 50's』。以前は'41年録音を最後にエステス死亡説まで流れ、'62年に再発見されるまで極貧の中でギターすら持っていなかった、というようなことも言われていた。が、それはレコード会社によるイメージ作り、悪く言えば誇大広告だったようだ。現に、このLPには、'52年にサンに残した4曲が収められている。さらに、小出斉氏の解説によれば、'47年にもシカゴのオラ・ネールにも吹き込んでいたという。細々とでもギターを弾いていなければ、'60年代になって音楽活動を再開して、あんなに良い演奏を出来たとは思えない。ジャケットの写真はエステスとその妻を’62年に撮影となっている。おそらくは、メンフィス郊外にあったというエステスの家の前で取られたのもと思われる。子どもも写っているが、エステスの子かどうかは不明。しかし、しっかりと子どもと目を合わせている様にも見える。
 ここで、エステスの使っているのはエレキギターのようだ。彼は、独特の音使いをする人で、コードの抑え方にも他のブルースマンにはない独自のものがあるように聞こえる。わたしも、何度かコピーを試みているが、なかなかエステスの音に近づけない。教則本などにエステスの演奏が取り上げられることもないようだが、彼の演奏にもっと注目されて良いように思う。エステスは言葉も豊富で、音程もしっかりした美声のヴォーカルリストでもある。そのエステス特有の繊細な演奏が、エレキギターを使っているこのLPに収められた録音で聴くことが出来る。


これが日本のブルース・ブームに火を付けた、当時のトリオ・レコードから出た『The Legend Of Sleepy John Estes』。デルマーク原盤No.DS-603。録音は'62年と思われるが、わたしが手に入れたのは'73年頃と記憶している。当時のヒットチャートにランクインされた程売れた。ハーモニカに旧友ハミー・ニクソン、ピアノにジャズピアニストでたまたまそこに居合わせて4曲セッションに加わったというジョン・パーカー、ベースにエド・ウィルキンソン。


こちらのLPは、上のLPの続編とも言えるデルマークDS-613。詳しい録音データはクレジットされていないが、1960年代のセッションを集めたものらしい。

(2015年3月追記)
 先日、久々に千葉のタワーレコードに行って、数少なくなったブルースの棚を見ていたらスリーピー・ジョン・エステスSleepy John Estes&ハミー・ニクソンHammie Nixonの1974年と1976年の日本公演20曲を収録したCDがP-VINEから出ていたので買い求めた。記憶では、当時はDELMARKレーベルでトリオからLPレコードが出ていて、買おうと思っているうちにいつの間にか無くなってしまった。その後、中古のレコード店などでかなりな高値で売られていた。優歌団との共演した録音も、もう聞くことが出来ないかな、と思っていたが4曲このCDに入っている。

P-vine,PCD-24342,

発売されたのは、昨年の2014年。40年近く前の録音だが、当時のブルースにかける聴き手の熱い思いが伝わってくる。エステスのヴォーカルは、良く声が通り年齢を感じさせないし、ニクソンはハーモニカもヴォーカルも指折りのミュージシャンと確信される録音だ。

エステスは、この1976年12月のコンサートの半年後に亡くなり、ニクソンはその後も活動を続けた後1984年に亡くなった。
さらに残念なことだが、優歌団のドラマーだった島田和夫氏(ジャケットの写真エステスの後方サングラスの人)も2012年に亡くなっている。

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わたしのレコード棚―ブルース20、Gus Cannon,

2011年06月25日 | わたしのレコード棚
 ガス・キャノン(Gus Cannon)は、1883年ミシッシッピ州レッド・バンクス近郊の生まれなので、録音を残した第一世代と言ってもいいだろう。両親はシェアー・クロッパー(小作人)だったという。メンフィスで亡くなったのは1979年で、96歳だった。激動の時代を、ほぼ1世紀生き抜いた希有なミュージシャンと言える。その生涯が象徴するかのように、キャノンの音楽は多様性としたたかさをもっていたように思われる。

 さて、ガス・キャノンは、1927年にシカゴに行きパラマウントにヴォーカルとバンジョーで6曲、最初の録音をしている。その内5曲にはブラインド・ブレイクがセカンドギターを付けている。その時にはバンジョー・ジョーという名前を使ったらしい。その後は、メンフィスで自らのグループ、キャノンズ・ジャグ・ストンパーズを結成し1930年頃まで初期の録音を残している。恐慌後はプランテーションに戻り、仕事の合間に街角で演奏して小銭を稼いでいたらしいが1953年以降再び録音の機会に恵まれ、記録映画にも出演した。
キャノンズ・ジャグ・ストンパーズの主な構成メンバーは以下のとうり。
ガス・キャノン(Gus Cannon)ヴォーカル、ギター、バンジョー、ジャグなど。
アッシュレイ・トンプソン(Ashley Thompson生没年未詳)ヴォーカル、ギターなど。
ホーサ・ウッズ(Hosea Woods生没年未詳)ヴォーカル、バンジョーなど。
ノアー・ルイス(Noah Lewis,1895~1961)ハーモニカ、ヴォーカル。


 YAZOOの2枚組LP1082/1083。ジャグ・ストンパースとしての1927~'30年までの全録音35曲が聞ける。特にノアー・ルイスのハ―モニカは、後のハ―ピストのように複雑なテクニックは無いが、素朴な響きがすばらしい。わたしの特別に好きなハ-ピストの一人。後にルーフ・トップ・シンガースがカヴァーしてヒットした、1930年の[Walk Right In]を収録。




 Collector's IssueのLP5523。上がジャケットの表で、下が裏面。録音時80歳とは思えない声の張りと、正確で味わい深いバンジョーのピッキングで、わたしの愛聴盤の一枚。内容は、1963年にメンフィスのソウルレーベル「スタックスstax」に残した再発見後の録音で、旧友ウィル・シェイドがジャグを、ミルトン・ロビー(Milton Robie)という人がウォシュ・ボードを担当している。ギターも入っているが、誰かは不明。フラットピックを使っているように聞こえるので、あるいはフォーク系の人が弾いているのかもしれない。このLPにはバンジョーを使ってのスライド奏法は聞けないが、ジャケットの写真はバンジョーを膝の上にねかせてナイフスライドをかまえている。このジャケットの写真は興味深い。ガス・キャノンは5弦バンジョーを弾く人なので、写真のような弾き方をすると5弦の糸巻きがジャマになると思うのだが、どんなもんだろう。あるいは、スライド奏法の時だけは4弦バンジョーを使っていたのだろうか。下のP-vineのCDも同じ内容の物。歌詞カードが欲しくてつい買ってしまう。



 ガス・キャノンは1953年頃に再発見された時、庭師のような仕事をしていて、「昔レコードを吹き込んだことがある」と言っても誰も信じてくれないような状態だったという。また、[Walk Right In]がルーフ・トップ・シンガースのカヴァーでUSAチャート1位になっても印税を貰えなかったらしい。これも、アメリカなんだな、と思う。


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わたしのレコード棚―ブルース19、Memphis Jug Band.

2011年06月22日 | わたしのレコード棚

 上の写真は、下に紹介したRSTレーベルのCDジャケット写真の一部を切り取ったもの。手前の人が演奏しているのがジャグで、大きめのビン等を口から少し離してかまえ、ラッパを吹くときのようにブッブッブと音を出し、ブラスバンドのチューバのような感じで演奏する。うまい人が演奏すると音階が出せる。わたしも以前ウィスキーの特大ビンを使って挑戦したことがあるが、トニックノートに近付けてリズムを維持するのが精一杯だった。なお、写真がメンフィスジャグバンドだとすると、このジャグ奏者はジャブ・ジョーンズの可能性が高い。後方の人は、カズーを演奏しているようにも見えるが、定かではない。

 本来ジャグは、楽器を買えない音楽家たちが苦肉の策で空き瓶や空き缶などを楽器として利用したのが始まりだろう。その点では、桶に棒を立てて紐を弦にして作ったイミテーション・ベースと同じで、必要は発明の母というわけだ。素朴な響きのするジャグやカズー、イミテーション・ベース、バンジョー、ギターなどを集めて色々な音楽の要素をごちゃ混ぜにして酒場や街角で演奏したのがジャグ・バンドで、今でいうコミック・バンドの要素を多分に持っていたと思われる。1930年頃のメンフィスでは大いに受けたという。その中心的存在がメンフィス・ジャグ・バンドというわけだ。
 メンバーは入れ替わりが激しかったようで、フランク・ストークス、ダン・セイン、ウィル・バッツ、メンフィス・ミニー、ファリー・ルイス、ウィル・ウェルダン、といった人達も時に参加していたようだ。中心的メンバーは以下の3人になる。
ウィル・シェイド(Will Shade,1898Memphis~1966Memphis)ヴォーカル、ギター、ハーモニカなど。
チャーリー・バース(Charlie Burse,1901Ala~1965Memphis)ヴォーカル、ギター、マンドリンなど。
ジャブ・ジョーンズ(Jab Jones,生没年未詳)ジャグなど。


 ROOTSのLPでRL-337。1927~'34年の16曲を収録。憂歌団も取り上げた[Stealin' ,Stealin']が聞ける。写真に写っている人物は、LPのジャケットにクレジットされていないので確かなことは言えないが、おそらく、左からチャーリー・バース、ウィル・シェイド、その右後方の人は不詳、右端はケーシー・ウィル・ウェルダンと思われる。


 オーストリアのレーベルRSTのBDCD6002。1932~'34の21曲を収録。


 御多分にもれず、大恐慌後の1930年代前半にはメンフィス・ジャグ・バンドの面々もミュージックシーンから消えてしまうが、1956年にサム・チャータースにメンフィスで見つけられて再び録音をするようになった。このドキュメントのLP561は、再発見後の1961年にウィル・シェイドとガス・キャノンが中心となって演奏したメンフィスでのハウス・パ-ティーを収録したもの。さすがに、衰えは隠せないが、ベテランの味は出ている。ジャケットの写真中央でジャグを首からぶら下げてバンジョーをかまえているのがガス・キャノン。ルーフ・トップ・シンガースのカバーでヒットした[Walk Right In]が聞ける。

 聴き慣れない人がジャグ・バンドを聴くと、音がバラバラでまとまりのない音楽に聞こえるかもしれない。が、音やリズムの微妙なズレは計算されたもので、それによって表現しようとしたものがあることを聴き取りたいものである。それは、聴いた後に余韻として残るもの、とも言える。

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わたしのレコード棚―ブルーグラス、Flatt & Scraggs,

2011年06月19日 | わたしのレコード棚
 ブルースは食傷気味になってきたので、一回お休みして、ブルーグラス。世界中からおいしい料理が入ってきているのに食わず嫌いで、ひとつの物しか食べないのはもったいない。せっかくだから、いろいろと味わってみるのがいい。実際、音楽好きの人の中には自分の好みのジャンル以外は聞こうともせず、馬鹿にする人さえいる。特に、クラッシック音楽の愛好家にはその傾向が強いように思われる。わたしはクラッシックも聞くし、たまにはナイロン弦のギターで簡単な曲を弾くこともある。しかし、クラッシックのミュージシャンが「クラッシック音楽は世界共通の言語です」などと寝ぼけた事を平気で口にするのを聞くと憤りさえ感じる。その背後にあるのは異なる文化を理解しようともしない限りない傲慢と自己中心的世界観と言わざるを得ない。ブルース好きの人も又しかり。ブルーグラスのCDを薦めると「カントリーですかあ・・・」と、聞く前からいやな顔をする人に何度もあったことがある。しかし、その昔はジャンルなどはかなり曖昧だった。バンジョーだって今ではカントリーの楽器と思われているが、元はアフリカ起原と言われているし、ガス・キャノンのようなブルースのミュージシャンでバンジョーの名手もいる。誰が言い出したかは知らないが「音楽には良い音楽と悪い音楽の2種類しかない」というのはわたしの好きな言葉だ。先入観を持たずに異なる文化に接したいものである。前置きが長くなった、本題に入ろう。

Flattscruggs
 最近テレビのCMで[Home Sweet Home]が流れていて、懐かしくなってこのLPを聴き返してみた。やっぱり、いいなあ。レスター・フラット(Lester Flatt)のギター、アール・スクラッグス(Earl Scraggs]のバンジョー、ポール・ウォーレン(Paul Warren)のフィドル、ジョシュ・グレイブス(Josh Graves)のドブロ。いずれも名人技。出る人は出るべき時に出て、引く人は引くべき時に引く。みごとなアンサンブル。ほとんど世界遺産・・・はちょっと大げさかな。
 LPの解説には詳しい録音データは記されていないが、調べたところ録音は1961年らしく、このCBSソニーの日本盤は'76発売となっている。わたしが手に入れたのは'80年頃と記憶している。'95年にはCD化されたようだが、残念なことに今は廃盤になっているようで、アマゾンのリストにも中古のCDしか無い。短い曲が多く、12曲全体でも25分余りなのでCD化しにくい事もあるかもしれない。
 いつも言うことだが、歴史的録音は廃盤にならないように出し続けてもらいたい。そうしないと若い人たちは優れた音楽を継承できず、作られる音楽のレベルが下がってしまう。結果、質の悪い音楽しか無くなり、リスナーはソッポを向いてしまう事態になりかねない。現にわたしは、新しいCDを見つけにCDショップに足を運ぶことはほとんどなくなった。音楽業界は負のスパイラルの中に落ち込んでしまっているかのように見える。


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サドル交換

2011年06月17日 | ギター
 今回はJ-45のサドルとブリッジのピンを交換した修理記録。 
J-45の3弦あたりを弾くと、ブーンという共振音に近いビビった音がする様になってしまった。自分なりに考えてみた原因としては、ブリッジのサドルやピンが古くなってきているのでガタついていて共振する、あるいはブリッジやブレーシングの剥がれなどボディに問題があり共振している、等がある。ボディの修理は自分では出来ないので、とりあえずピンとナットを交換してみようと思い、千葉のパルコにある島村楽器に行ってみた。以前は、駅前に山野楽器があってパーツも豊富に扱っていたのでそこを使っていたが、去年閉店してしまった。大型書店も少なくなってきているし、千葉も面白い店がどんどん無くなってゆく。ネットで通販の時代で自分もネットで買うことが多いので文句は言えないが、やはりさみしい気がする。
 さて手に入れたのは、サドルは例によってタスク(TUSQ)のPQ-9110(これしか無かったので買ったが、本来マーチン様なので厚みが少し合わない、サイズには注意して買うこと)で840円、ブリッジ・ピンは少しぜいたくをしてピックボーイの黒檀製で1500円。

J451
 サドルは、高さを2mm程削らなければならなかったが、ピンはほぼピッタリ。手前に写っているのが、古いナット。弦高はボトルネックを使うため、高めが好きなので約1mm高くした。
J452

J453
 フィンガー・ピッキング全盛になって低い弦高でセットされているギターが多いが、やっぱり弦高をある程度高くしてテンションを確保した方が鳴りはいいなあ。今のところ、ビビりも無くなっているし、このままの状態なら修理に出す必要もなさそうだ。東京までギターを持って行って修理してもらうと万単位のお金が飛んでゆくので、自分でやれることは失敗を恐れずにやっていくしかない。

 6/18追記
 その後1時間ほど弾いていたら、ふたたびビリだした。やっぱり、ブリッジが剥がれてきたのかなあ。J-45のブリッジに小さな丸い白い貝が象嵌してあるのは飾りではなく、ブリッジを固定するネジの頭を隠すためのもの。カワセのマスターに聞いた話だが、当時の接着剤にはそれほど信頼性が無かったのでボルトで補強するように固定した、ためらしい。そんなこともあるのかねえ。1800年代の楽器でボルト無しでちゃんと接着してるものもたくさんあるのに。まあ、ギブソンが合理性を追求した結果、ということだろう。
 いずれリペアに出さなくては・・・世の中金がかかる事ばかりだ。うー・・・、フトコロさみしい。


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わたしのレコード棚―ブルース18、The Country Girls,

2011年06月15日 | わたしのレコード棚
 オリジン・ジャズ・ライブラリー(Origin Jazz Library)のLP、OJL-6『The Country Girls ! 1927-1935』に収録されている女性達を取り上げよう。前回紹介したメンフィス・ミニーを除いて、生没年など詳しい事はわからない人がほとんどだ。活動していたと思われる都市もよくはわからないが、おそらく各州都など中核都市のクラブを回っていたシンガーなのだろう。彼女たちはレコード産業の黎明期とも言えるこの時代に、スカウトされて一時的に録音の吹き込みの機会を与えられたと思われる。下2枚目ウルフのLP解説(ポール・オリヴァー)によると、当時カンザス・シティーだけで300を超えるナイトクラブが在ったとしている。このLPで聞けるような女性歌手が各都市には多くいたと想像される。音楽的には、初期のブルースやオールドタイム風の素朴なコード進行のものがほとんどで、ギターはほとんどが男性ギターリストが弾いている。



メンフィス・ミニーはジョー・マッコイとの'30年と'32年の2曲が入っている。その他の10人の録音データは以下のとうり。
ルシール・ボーガン(Lucille Bogan)1934年シカゴ録音。アラバマの人らしい。ギターリストは不明だが、かなりな実力者。
パール・ディクソン(Pearl Dickson)1927年ダラス録音。ギターはペット&カン(Pet and Can)の二人組。
ネリー・フロレンス(Nellie Florence)1928年アトランタ録音。12弦ギターはバーベキュー・ボブ(Barbecue Bob)の可能性あり。
メイ・グロバー(Mae Glover)1929年リッチモンド録音。12弦ギターはジョー・バード(Joe Byrd)の可能性あり。
ルル・ジャクソン(Lulu Jackson)1928年シカゴ録音。ギターは自分でストロークで弾いている。曲は有名な[Careless Love Blues]。
リリアン・ミラー(Lillian Miller)1928年リッチモンド録音。ギターはパパ・チャーリー・ヒル(Papa charlie Hill)。
ロジー・メイ・ムーア(Rosie Mae Moore)1928年メンフィス録音。ギターはイッシュマン・ブレイシー(Ishman Bracey)、マンドリンはミニーの2度目の連れ合いチャーリーマッコイらしい。
エルビー・トーマス(Elvie Thomas)1930年グラフトン録音。ギターはジョン・バード(John Byrd)らしい。下CD参照。
ジーシー・ウィリー(Geeshie Wiley)1930年グラフトン録音。ギターはジョン・バード(John Byrd)らしい。下CD参照。
ロッティー・キンブロー(Lottie Kinbrough)1928年リッチモンド録音。下のLP参照。

Lottiekimbrough
ロッティー・キンブロー(歌)とウィンストン・ホルメス(Winston Holmes歌と鳥の鳴声)の全録音を集めたウルフ・レーベルのWSE114。キンブローのギターを付けているのはマイラス?・プルイット(Milas Pruitt)という人で、ブルースと言うよりヒルビリー調のギターを弾いている。2面にフィーチャーされているホルメスは基本的にはヴォーカリストだろうが、キンブローのバックで鳥の声を入れている。江戸家猫八のように口でやっているのか、あるいは笛のようなものを使っているのか、不明である。


ドキュメントのCD5157。ブルース・ウーマンも4人入っている。CDのタイトルが『Mississippi Blues vol.1(1928-1937)』、ジャケットの写真もミシッシッピー川らしい。なので、これら4人の女性達もミシッシピーで演奏していた人たちだろうと思われるが、詳しい事はわからない。
エルビー・トーマスとジーシー・ウィリーは、'30~'31年グラフトンでの全録音を収録している。こちらのCDでは、二人とも自分でギターを弾いている、とクレジットされている。いずれにしても、トーマスの[Motherless Child Blues]はギターを弾く者にとっては注目に値する曲で、ユニゾンを効果的に使っていてブルースとしては珍しいものだ。ステファン・グロスマンの教則本『Delta Blues Guitar』にも取り上げられている。
さらにルイス・ジョンソン(Louise Jhonson、女性vo,p?)の1930年グラフトンでの4曲も収録。ウィリー・ブラウンのところで紹介したLPにも入っているが、ピアノは自ら弾いているかどうかは疑問視されていて、あるいはクリップル・クラレンス・ロフトンではないかとも言われていた。その後、この時ウィリー・ブラウンと共にグラフトンに来ていてバックで掛け声をかけていたサン・ハウスによるとジョンソンは自分でピアノを弾いていたと言っているので、どうやらピアノも弾いていたということに落ち着いた。歌もピアノもなかなかの迫力で、後のシカゴのピアニスト達を想わせるものがある。
もうひとり、マティー・ディレイニー(Mattie Delaney、歌とギター)という人が2曲入っている。1930年メンフィスでの録音。リズムの取り方が、デルタというよりジャクソンに近いような気もするが、定かではない。

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わたしのレコード棚―ブルース17、Memphis Minnie,

2011年06月12日 | わたしのレコード棚
 クラッシック・ブルースでは、ベッシー・スミスやマ・レイニーといったショービジネスで成功した女性も多い。一方、数は少ないが、ギターを弾いて歌うカントリー系のブルースウーマンもいるので取り上げてみたい。


 メンフィス・ミニー(Memphis Minnie)こと本名リジー・ダグラス(Lizzie Douglas)は、1897年ルイジアナ州に生まれ、10代中頃にはメンフィスに移り、街角やサーカスなどで演奏していたという。'30年代にはシカゴへ移り、'50年代なかばに体を悪くしてメンフィスに戻るまで200曲以上の録音をしたと言われている。亡くなったのは、1973年メンフィス。波乱に満ちた人生だった。


 Blues Classics1。1929~'46の主にバンド形式での演奏を収めたもの。メンフィス・ミニーは、生涯に3回結婚している。最初は1920年代初めにケイシー・ビル・ウェルダン(Casey Bill Weldon)だが、これについては謎がありウェルダンの項で書いておいたのでそちらも参照していただきたい。2回目が'29年にカンザス・ジョー・マッコイ(Wilbur "Kansas Joe" McCoy)、3回目が'39年にリトル・サン・ジョー(Ernest "Little Son Joe" Lawlar)。いずれも腕利きのギターリストだが、このLPでは30年代のカンザス・ジョー・マッコイと40年代のリトル・サン・ジョーとの演奏をおもに収めている。


 Blues Classics13。二度目のパートナーであるカンザス・ジョー・マッコイとの30年代の録音14曲。もしこのLPしか聴いていなければ、歌の合間にリードギターを巧みに入れているのはマッコイの方だと今でも思っていたかもしれない。上のLP―BC1でピアノをバックにセカンド・ギター無しで歌っている曲や、下のLPでミニー単独での録音を聞いて、リード・ギターもミニー自身で弾いていることが分かった時は驚いたものだった。ほとんどがシカゴでの録音だが、すでに泥臭さは無くシカゴの都会的なリズム、音使いになっている。また、ミニーはスライド・ギターも巧みで、ここでの音使いはタンパ・レッドを連想させるものがある。


 マムリッシュ(Mamlish)のS-3803『Low Down Memphis Barelhouse Blues(1928-1935)』。文字どうり少し俗っぽい(Low down)歌詞の曲を集めたようで少しウンザリもするが、良い編集をしていると思われる。マムリシュは好事家が集まって作った、いわゆるコレクターズ・レーベルだが、盤のつくりは厚みがあってしっかりしているし解説も丁寧だ。ジャケットの写真は特定できないが、おそらくSouth Memphis Jug Bandで活動していた面々と思われ、中央にヴァイオリンをかまえているのはフランク・ストークスの時に紹介したウィル・バッツ(Will Batts)。
 このLPを聴くと、メンフィスという場所が交通の要衝で人口の流れが多く、音楽的にも雑多な要素が混じり合っていたのがよくわかる。収められているミュージシャンの名前だけ書いておこう。
Side1: Hattie Hart. Will Shade. Robert Wilkins. South Memphis Jug Band. Kansas Joe And Memphis Minnie.
Side2: Mooch Richardson. John Estes. Jack Kelly. Jim Jackson. Memphis Minnie.
このLPの1面ではミニーのエッジの効いたスライドを2曲、2面では単独での1曲を聞ける。

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わたしのレコード棚―ブルース16、Furry Lewis,

2011年06月08日 | わたしのレコード棚
 前回のフランク・ストークスに続きメンフィスで活躍したファリー・ルイスを取り上げる。このブログを始める時はあまり地域にこだわるつもりは無かったのだが、書き続けていく上でやはり関連した地域の人が次々に頭に浮かんでくる。

  ファリー・ルイス(Walter "Furry" Lewis)は1893年ミシッシッピー州グリーンウッドの生まれだが少年の頃にはメンフィスへ移り、その後、南部を回る売薬ショーやミンストレルショーなどで旅をしつつ演奏するようになったらしい。生年について、下のYAZOOのLP解説によると本人は当初1900年と言っていたらしく、『RCAブルースの古典』など古いLPなどにも1900年の生まれとなっているものがある。早い話が、サバを読んだということか。昔のブルースマンの生年が一定しないのは本人の記憶が曖昧なこともあるだろうが、サバを読んだ人もいたらしい。話を戻そう。1916年に列車の事故で足を悪くしてメンフィスに戻り、街角や公園、パーティーなどで演奏していたが、1922年にはメンフィスの衛生局の仕事を得て街の清掃を生活の糧として40年近く続けたという。1927~'29年にかけてはボキャリオンやヴィクターに23曲を録音したが、その後1959年にサム・チャータースにふたたび見出されるまで録音は無い。再発見後は多くの録音や映像を残して、1981年にメンフィスで亡くなっている。88歳で亡くなったのだから、天寿を全うしたと言えるだろう。ライブ録音などを聞くと、終始笑いを絶やさないユーモアあふれるステージで、ソングスターと言うよりエンターテナーに近い要素を多分に持っていたと思われる。


 Yazooの1050。1927~'28年の14曲を収録した名盤。この人のフィンガー・ピッキングは模範的と言ってもいいだろう。聴いていると「うまいなー」と思わず呟いてしまう。


 バイオグラフのBLP―12017。フレッド・マクドウェル(Fred McDowell)とのカップリング・アルバムで、1968年にメンフィスのファリー・ルイスの家で録音された6曲がB面に収められている。A面にはマクドウェルのミシッシッピーの自宅で1969年に収録された7曲が入っている。ジャケットは綿花の集積所の写真と思われる。


 1971年8月、ニューヨークのガスライト(the Gaslight)でのライブ録音で、わたしの愛聴盤の一枚。この時80歳近かったわけで、驚異的な持続力と言える。特にボトルネックを使った曲での音のコントロールは「さすが」と唸らせるものがある。残念なことに、曲によってはかなりチューニングがずれてしまっていて、音がバラバラになってしまっている。チューニングをオープンに変える時に、ショーマンシップを発揮して喋りながらやっているもんだからピッタリと合わないようだ。それでも本人はあまり気にせずに弾いていて、ヴォーカルにはくるいも無いのが不思議なところ。
 なお、ウォード・シェイファー(Ward Shaffer)という録音時23歳のギターリストがセカンド・ギターやヴォーカル、曲の解説などのサポートを数曲でつとめている。LPの解説によると、この人はルイスの弟子(protege)となっている。80歳近くにもなれば、サポートしてくれる人が必要になるのも無理は無い。

 ファリー・ルイスは、W・C・ハンディー(W.C.Handy 1873Ala.~1958N.Y)のバンドに参加していたこともあるという。[セント・ルイス・ブルース]で有名なハンディーは、音楽的素養がありブルースに新たな発想を加えてオリジナリティーに富んだ曲をたくさん作り、バンドを率いて演奏活動をし楽譜を出版した。彼の曲にはマイナー・コードをたくみに使ったものや転調するものもある。これらはクラッシックの要素を含むので「クラッシック・ブルース」と言われていて、普通に言う「ブルース」とは区別されて扱われている。ブルースマンというと、ひたすらスリー・コードのブルースを歌う「ストレート・ミュージシャン」というイメージが強いが、ルイスのようにクラッシック・ブルースなど様々な音楽に接してユーモアに富んだ演奏が出来る人もいたことは大切に記憶しておきたいものである。

Handy
 これが、ハンディーの譜面集。ちなみに、わたしは譜面を読むのが大の苦手で、中学で習った程度の読解力しかない。



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わたしのレコード棚―ブルース15、Frank Stokes,Dan Sane,

2011年06月05日 | わたしのレコード棚
 フランク・ストークス(Frank Stokes)は1888年にミシッシッピ州境に近いテネシー州ホワイトヘブンの生まれだが、ミシッシッピーで育ったらしい。1955年にメンフィスで亡くなっている。レコードを残したもっとも早い世代と言えるだろう。資料によると、鍛冶屋として手に職を持っていて、その仕事の合間にソングスター的な演奏をしたり、テントショーなどで南部を回っていたようである。日本風に言えば、出稼ぎの「旅芸人」みたいな人だったらしい。
 ダン・セイン(Dan Sane)の生没年はともに不明だが、YAZOOのLP解説には1900年頃の生まれとある。ビールストリート・シークス(The Beale Street Sheiks)としてストークスのバックでリズミックなベースラインのセカンド・ギターを弾いた。

 この二人の絡みはいつ聴いても絶妙。それほど難しい事をやっているわけではないのに、高いレベルを感じさせる。ストークスの溜めの効いたラグタイム系のブルースギターと、体の奥から絞り出すようなヴォーカルも聴き応え十分。1927~'29にかけて30曲を超える録音をしているが、その頃ストークスは40歳前後だったわけで気力・体力ともに充実していたのだろう。演奏に風格のようなものが感じられる。大恐慌の後は録音の機会は無く、セインと共に街角やサーカスなどのテントショーで演奏していたらしい。


Stokes1
 YAZOOのLP1056。写真の座っている方がストークス。'27から'29年の録音14曲を収録。

Stokes2
 MATCHBOXのLP、MSE1002。これと上のLPで合わせて'27から'29年の録音33曲が聞ける。おそらく、これでほとんどの録音と思われる。'29年の録音では4曲、ストークスのバックでウィル・バッツ(Will Batts)がヴァイオリンを弾いていてカントリー調の曲になっている。バッツは、ジャック・ケリーと共にJack Kelly and His South Memphis Jug Bandで活躍した人。当時のメンフィスの音楽シーンの人脈を垣間見るような気がする。

Stokes3
 ROOTSのLP、RL-308。14曲を収録しているが、曲目は上の二枚とほとんど重複。

 ストークスの演奏はブルースのみならずヒルビリーやオールドタイムの影響も強く感じられ、言葉も豊富で、なにか聞く者の気持を愉快にさせてくれる。ギターを弾く者の一人として、音楽の歴史の上で極めて重要なミュージシャンの一人と言っておきたい。


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LED電球

2011年06月03日 | うんちく・小ネタ
 夏に向けて多少なりとも節電するため、白熱球をLDE電球に換えることにした。
今年に入って、すでに換えられるところは換えてあったのだが、もっとも明るい白熱球が付いていた風呂場は密閉されたガラス容器に入っているので今までのLEDでは使えなかった。しかし近頃では、密閉されたところでも使用出来るタイプ、調光器対応のもの、光が拡散するタイプなど種類も豊富になったいる。千葉のヨドバシ・カメラでも豊富に展示販売されていたので、値ははるが取りあえず風呂場と、調光器付きのスタンドをLED電球にすることにした。

Led1
 こちらが、密閉対応タイプ。825ルーメン昼光色で60w電球相当だが、実際に60wの裸電球と交換した感じでは、かなり明るくなった気がした。ヨドバシで、¥4480。下部の注意書きのところがボケているが、普通のLEDでは調光機能付きライトで100%での使用も不可となっている。電圧が安定した状態で使わないと、故障しやすいためらしい。

Led2
 こちらは、調光機能対応タイプ。810ルーメン昼白色でやはり60w相当だが、上のものより暗い感じがした。色の質や使う場所によって、かなり感じ方に差がでるようだ。¥4980。

 LEDの光の質は、やはり冷たい感じがするのと、読み物をすると眼が疲れような感じだ。まあ、それは仕方ないとして、安くなってきたとはいえ2個買って10000円近くするのだからまだまだ気軽に買える品物ではない、というのが実感だ。

 それにしても庶民がわずかな節電で財布とにらめっこしているというのに、国会の混乱はどうしたものか。まるで総会屋が入った株主総会みたいだ。分別のない人たちが国の政治を担っていて何処へ行こうというのか。それについての昨日・今日の朝日新聞の社説は辛辣だった。今朝は「見たくないものを見た気分」とまで書いている。普通、社説は言葉を選ぶものだが、二日も続けて言葉を選ばずに書かれた社説は初めて見た。実際、総選挙になったらどうするつもりだったのだろうか。被災地で通常どうりの投票行動が出来るわけがない。浦安では、液状化が起こっただけで春の県議選の投票が出来なかった。政治家達の判断能力を疑わざるを得ない。




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わたしのレコード棚―ブルース14、Garfield Akers,Joe Callicott

2011年06月01日 | わたしのレコード棚
  ガーフィールド・エイカーズ(Garfield Akers,c1902Miss~c1962Tenn)は、ミシッシッピー北部の人で、非常に安定した独特のリズムを聞かせる。このリズムの取り方は、メンフィスで活躍したフランク・ストークスなどに近く(一緒に活動していたこともあるらしい)、おもにダンスパーティーなどで演奏したことに起因するらしい。そう思って聞くと、エイカーズの演奏をバックに踊っている人の姿がなんとなく見えてくるような気もする。わたしの手元には1929~'30年に録音した3曲があるだけで、あるいはこれで全録音なのかもしれない。もっとたくさんの演奏を録音しておいて欲しかったブルースマンの一人である。
 ジョー・キャリコット(Joe Calicott,1901Miss~c1969MIss)は、エイカーズと共に活動した人で、やはりメンフィス系のリズムを聞かせてくれる。手元にある戦前の録音は2曲だけで、やはりこれで全てかもしれないが、’60年代に再発見され再び録音を行っている。

Ojl2
 The Origin Jazz LibraryのOJL-2。エイカーズの「Cottonfield Blues,part1&2」(セカンド・ギターはキャリコット)を収録。

Ojl11
 同じくOJL-11。キャリコットの「Fare Thee Well Blues」、エイカーズの「Dough Roller Blues」を収録。
ジャケットの写真には圧倒されそう。LPならではで、CDのように文字どうりコンパクトになってはこうはいかない。


Arhoolie402
 ARHOOLIEのCD402。ジョージ・ミッチェル(George Mitchell)という研究家が、1967年の夏にミシッシッピー州ネスビット(Nesbit)という所にあったキャリコットの自宅で録音した9曲と、’30年の2曲を収録。他に、同じ’67年R.L.バーンサイドの自宅での10曲と、’68年のヒューストン・スタックハウスの4曲を収録している。ミッチェルの解説によると、キャリコットはエイカーズの死まで地元で演奏していたらしいが、エイカーズの死後は一時期演奏は止めていたという。その数年後には、研究者によって再発見されることになるのだから、わからないものだ。考えようによっては、エイカーズもあと数年生きていたら晩年に再び録音できた可能性が高い。聞いてみたかった、残念。

 ためしに「Fare Thee Well Blues」を少しコピーしてみた。自信は無いが、3フレットにカポでCモードのDシャ-プで弾いているようで、やはりフランク・ストークスに近いと感じた。CDの解説にもキャリコットの友人(Two of his best friends)としてエイカーズとストークスを挙げており、その影響が強い、とある。
 興味深いのは、再発見後「Fare Thee Well Blues」を「Fare You Well Baby Blues」と替えていることだ。TheeはYouの尊称で「あなた」と言ったほどの意味だろうか。語源的には、ドイツ語の[Sie]から来ているのではないかと勝手に想像しているが、'30年の録音時にはすでに古い言葉で、'70年頃には死語になっていたことを想わせる。

次回は、フランク・ストークスの予定。





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