文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚ーブルース134 Blind Joe Reynolds

2021年05月31日 | わたしのレコード棚
 ブラインド・ジョー・レイノルズ(Blind Joe Reynolds)。生年は資料によりまちまちで、1904年あるいは1905年としているものが多く、生誕地はルイジアナ州だったらしい。ただしウィキペディアによると、死亡確認書には1900年アーカンソー州生まれとなっている、とある。亡くなったのは、1968年3月10日で、ルイジアナ州だったらしい。
 録音は、確認できる記録によると、1929年頃にウィスコンシン州グラフトンで8曲をパラマウントに、1930年にメンフィスで4曲をヴィクターに入れている。レコード会社が異なるためか、ヴィクターへはブラインド・ウィリー・レイノルズ(Blind Willie Reynolds)という名前で入れている。本名は、ジョー・シェパード(Joe Sheppard)とも言われる。レコード会社でお蔵入りになっている曲もあり、我が家にある音源は、この内の4曲だけだ。



 この人の「Outside Woman Blues」という曲は下のLPにも入っているが、それを1960年代にエリック・クラプトンがいたバンド「クリーム」がカヴァーしている。なので、ロックファンにも多少馴染みがあるようだ。皮肉なことに、クリームが解散した1968年頃まで、レイノルズは放浪しつつ路上で演奏して日銭を稼ぐ生活をしていたと言われている。「再発見」されることもなく、自分の曲が世界的なロックバンドにコピーされていることも知らず、その1968年に亡くなっているのだった。


 HERWINレーベルのLP214。3人のブルースマンの1927-1931年の録音を集めたオムニバスLP。レイノルズは、グラフトンとメンフィスでの録音から2曲ずつを収録。LPタイトルは『Delta Blues Heavy Hitters』となっているが、実際にレイノルズの活動したのはルイジアナ州やアーカンソー州だった。ぺグレグ・ハウエルにも通ずる独特のリズム感覚を持ったスライド奏法(おそらくナイフ)のギターを弾き、力強いヴォーカルと相俟って、深南部のストリートで演奏して生活していた盲目のブルースマンの様子を今に伝えている。

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2019年カナダ映画『やすらぎの森』

2021年05月27日 | 映画
 5/25(火)千葉劇場にて。会話はフランス語だが、映画の中で歌われる歌は英語。カナダは、植民された歴史の影響で公用語は英語とフランス語になっている。特に、この映画の舞台となっているケベック州は、独自の文化を持ちフランス語が主要な言語となっている。一方で、支配的な立場にあるのは英語を話す人口の2割ほどを占めるイギリス系入植者といわれ、常に緊張状態にあるらしい。この作品の背景には、そんな社会的緊張もあると感じた。

 監督・脚本は、ルイージ・アルシャンボー。原作はジェスリーヌ・ソシエの小説『Il Pleuvait des Oiseaux』で、映画の原題も同じ。英題は『And the Birds Rained Down』で、直訳すると「そして、鳥たちは雨のように落ちてきた」といったところ。これは、昔の大規模な山火事の際に、逃げ切れなかった鳥達が焼かれて大量に落ちてきた様子を表した言葉。森に囲まれたケベック地方に、森林火災の恐ろしさを言い伝えるもの。





 都市の生活に疲れ、森の中で隠れて暮らす3人の老人達。その中の一人は死期を迎えようとしており、そこから物語は始まる・・。

 予想していたよりリアルな作品だった。「世捨て人」達は、原始的な生活を送っているわけではなく、密かに大麻草を栽培し、それをある若者を通じて密売するルートを確保し、生活していたのだった。時には、生活必需品だけでなく酒・タバコなどの嗜好品、あるいは絵の道具なども手に入れていた。人のしたたかさ、弱さ、そして、失われていたものの中にある本当の価値。見えないものや聞こえないものの奥にある大切なもの。しかし、それらは観ようとしない者には見えず、聴こうとしない者には聞こえない。映像の背後に悲しみの漂うような作品だが、観る価値のある作品と感じた。

 余談だが、映画の中で年老いた元歌手が歌うトム・ウェイツの「タイム(Time)」は、『Rain Dogs』というアルバムに入っている曲。我が家にもあるが、改めて聴くとリフレインがきれいで、とても印象的だった。トム・ウェイツは、ぼそぼそと歌うようなところがあり、せっかくの歌詞の美しさが聞き取りにくいところがある。まあ、わたしの聞き取り能力が低いということだが、異なる歌い手に出会うことによって曲の良さを再認識することもある。

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わたしのレコード棚ーブルース133 J.D.Short

2021年05月24日 | わたしのレコード棚
 J.D.ショート(J.D.Short)は、1902年12月26日にミシシッピー州のデルタ地方南部ポートギブソン(Port Gibson)で生まれ、1962年10月21日にセントルイスで亡くなっている。日本では、ほとんど知られていないブルースマンだが、活動歴は長く、ギター・ヴォーカル・ハーモニカさらには足踏みドラムも同時に演奏するワンマンバンドで、ピアノも弾けたらしい。本来は、もっと注目されるべき人と思われる。

 若い頃は、クラークスデイルでチャーリー・パットンなどを聴いてブルースに親しみ、1923年頃にセントルイスへ移動。1930年~1933年には、パラマウントやヴォキャリオンに録音を残している。その後は、第二次世界大戦中に陸軍に入ったものの、戦前戦後を通じてセントルイスで小さなクラブやパーティーで演奏を続けた。ハニー・ボーイ・エドワーズやビッグ・ジョー・ウィリアムスとは従弟で、時に共に演奏することもあったらしい。


ORIGIN JAZZ LIBRARYのLP、OJL11。オムニバスLPで、1930年代と思われる初期の録音2曲が入っていて、名前は「Jaydee Short」となっている。

 以下4枚の写真は、イギリスBBC制作1963年のヴィデオ『The Blues 』よりテレビ画面をデジカメで撮ったもの。

セントルイスのストリートで、撮影はサミュエル・チャータース。画面左下に「SC」とあるのは、チャータースのイニシャルと思われる。

 けっこう恰幅がいい。

 ハーモニカは首からのホルダーではなく、ギターに固定されている。

 右足でバスドラムを叩きながらの演奏。


 GNP CRESCENDOレーベルのLP、GNPS10018。1962年7月にセントルイスでサミュエル・チャータースがフィールド録音したもの。LP裏ライナーノーツもチャータースが書いており、録音時にショートはすでにこの30年ほどセントルイスで暮らしていた、とある。チャータースのインタビューなども入っているが、残念ながらわたしは半分ほどしか聞き取れない。

 音楽的には、伝統的なカントリーブルースを自分なりにアレンジする、といった正統的なミュージシャンだ。ヴォーカルも力強く、ハーモニカもギターにホルダーで付けて吹いているにもかかわらず、咽喉を震わすようなヴィブラートをかけている。
 おそらく、昔のハウスパーティーなどでは、この人の演奏で踊ったりしたと思われる。

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わたしのレコード棚ーブルース132 William Robertson

2021年05月20日 | わたしのレコード棚
 ウィリアム・ロバートソン(William Robertson)。この人に関しても、詳しい事跡は分からない。インターネットでも検索してみたが、ほとんど資料はなかった。下のLPは、ジョージ・ミッチェルが1976年頃にジョージア州南部を訪れた際にフィールド録音したもので、ミッチェルが書いたLP裏面のライナーノーツが唯一と言っても良いほどの資料になる。

 それによると、ミッチェルが伝統的なブルースを演奏できるブルースマンを探していた1976年頃のジョージアには、古いカントリーブルースの継承者は死に絶えているか、老いて演奏をやめていた、という。そんな中で、やっと出会ったのがウィリアム・ロバートソンで、ジョージア州の南西に位置するアルバニー(Albany)という町から25マイル離れた農村に住んでいた。ピーナツ畑が水平線まで続いているようなところで、ロバートソンの収入はほとんどなく、家には電気も水道も来ておらず、わずかの障害者年金で生活していたらしい。
 録音時54歳だったというから、1922年頃の生まれと推測される。没年等は未詳。5歳の頃に、食用油の缶を使ってワンストリング・ギターを作って弾いたのが初めで、12歳の頃にギターを手に入れたという。その後は、近隣のパーティーなどで演奏していたらしい。


 SOUTHLANDレーベルのLP、SLP5。写真はロバートソンの家と思われるが、かなり傾いている。

 音楽的には、けっこうモダンな感じの多様なスタイルで、ギターはエレキギターを使っているようにも聞こえる。ただし彼の家には「電気も来ていなかった」ということなので、確かなことは分からない。ヴォーカルは、あまりうまいとは言えないが、ジョージアの田舎のパーティーを盛り上げていたソングスターの音色を今に伝えている。

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千葉県銚子

2021年05月17日 | 旅行記
 5/14(金)、友人夫妻がドライブに誘ってくれたので、便乗して銚子まで連れて行ってもらった。千葉市の自宅から1時間半ほどで着ける。この日、気温は25度ほど。夏日という訳で、けっこう暑かったが、海からの風は心地よかった。


 屛風ヶ浦。断層が観察できる。


 犬吠埼。

 コロナ禍の中で、移動を自粛して1年以上電車にも載っていない。なので、密を避けて、平日に近場でのストレス解消には丁度良く、ありがたかった。「ステイホーム」と一口に言っても、庭のある広い家に住む人とワンルームに暮らす人では、かなりストレスのかかり具合も違うだろう。また、その人の感性によっても、かなり差がありそうだ。いずれにしても、何とか人や自然と接する機会を、感染対策を怠らずに作らないと精神的にも参ってくる。リモートでのアクセスという手はあるが、なんとも味気ない。特に、認知症の予防や進行を止めるには、狭い部屋で隔離状態にすることは禁物だ。簡単ではないが、感染状況を見極めつつ慎重に行動したい。

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2020年日本映画『椿の庭』

2021年05月13日 | 映画
 5/11(火)千葉劇場にて。監督・脚本・撮影は、上田義彦。



 登場人物や撮影地域がとても少ない作品。逆に言うと、同じ場所をほぼ1年にわたり丁寧に撮り続け、一本にまとめた作品。
 葉山の海を見下ろす高台にある古民家を移築した家に住む絹子(富司純子)。夫を亡くし49日の法要を済ませたところから映画は始まる。一緒に暮らしているのは、事情があり外国で生まれ育った孫娘の渚(沈恩敬シム・ウンギョン)で、まだ日本語になれないので今は日本語学校に通っている。二人は、手入れのゆき届いた庭とともに、豊かな自然を感じつつ静かに暮らしている。が、相続税の問題が生じて、その静謐は破られようとしていた・・・。

 上田義彦という人は、広告写真を手掛ける写真家だそうで、さすがに海や草花の変化を様々な角度から巧みにとらえて秀逸な映像が続く。ストーリー性のほとんどない映画で、映像自体の美しさを感じられないと「退屈」と思う人もいるかもしれない。映画館でしか味わえないこの様な作品は、個人的には好きで、推奨できる映画と感じる。ただ、自然の美しい側面があまりに強調されすぎている感も拭えない。

 富司純子の凛とした演技が、印象的でもあった。

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花見川サイクリングコース2021/5/8

2021年05月10日 | まち歩き
 自転車で走るには良い気候・・というわけで5/8午前、花見川までサイクリング。千葉市中央区の我が家から、往復で2時間ほど。一人で走るので「密」にはならないが、マスクは外せないので、息苦しさからペースは落ちる。


 ゴールデンウィーク最後の土曜、というわけで、海岸は人が多いと考え、幕張辺りから上流方向へ向かった。こちらは下流の東京湾方向で、JR総武線の鉄橋が遠くに見える。


 こちらは、上流の印旛沼方向。右端に写っているサイクリングコースを走って、八千代市方向に進んで行く。


 花島橋という橋から下流方向を撮影。


 同じ場所から上流方向。写真の右側奥にサイクリングコースがあり、途中途切れているところもあるが、印旛沼サイクリングコースを通って利根川まで行けるということだ。利根川までは無理としても、印旛沼くらいまでは機会があれば行ってみたい。


 かなり八千代市に近い所まで来た。この日は、ここから引き返して帰途に就いた。この辺り、右端に写っているサイクリングコースも以前は砂利道だったが、今は綺麗に舗装されて走りやすくなっている。見てわかるとおり、周囲の緑濃く、色々な鳥の声が聞こえ、空気も清涼だ。コロナ禍での閉塞感もだいぶ解消される。が、帰りは交通量の多い市街地を通らざるを得ないので、疲れがどっと出るのがつらいところ。でも、自宅から自転車で行けるところにこんな場所があるのだから、まあ、ぜいたくは言えないね。

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わたしのレコード棚ーブルース131 Frankie Lee Sims

2021年05月06日 | わたしのレコード棚
 ライトニン・ホプキンスの従兄弟ともいわれる、フランキー・リー・シムズ(Frankie Lee Sims)。我が家にある音源は下のLPだけだが、カントリーブルースでも8ビートに近いようなロックの要素を持ち、なかなかご機嫌なノリの良いサウンドになっている。戦後テキサスのエレキギターを使ったカントリーブルースを代表するブルースマンの一人と言えるだろう。
 LP裏のライナーノーツには本人の話として「1906年にルイジアナ州ニューオリンズで生まれた」となっていいる。しかし、ウィキペディアなど多くの資料は、1917年4月30日生まれとしている。亡くなったのはテキサス州ダラス、1970年5月10日で間違いないようだ。第二次世界大戦では海兵隊員だったらしいが、1945年以降はダラスのジュークジョイントなどで演奏したという。ギタースタイルや声の質は、ライトニン・ホプキンスに似ているようにも感じるが、よりラフで田舎の力強さを感じる。個性的な音を出せるブルースマンだったのだ。


 SpecialtyレーベルのLP、SPS2124。1953年の録音12曲を収録。LPのタイトル曲でもある『Lucy Mae Blues』は、一部地方でヒットしたらしい。バンド演奏だが、メンバー達のクレジットはされておらず、詳しいことは分からない。聴いて判断する限りでは、ドラムス、ベース、曲によってはブルースハープが入っている。べースは、エレキのプレシジョン・ベースではなくイミテーションベースのようにも聞こえるが、定かではない。

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わたしのレコード棚ーブルース130 Bessie Smith

2021年05月03日 | わたしのレコード棚
 ベッシー・スミスは、1894年4月15日テネシー州Chattanoogaで生まれ、1937年9月26日にミシシッピー州クラークスデイルで亡くなっている。マ・レイニーの後輩といえるクラシックブルースの女性ヴォーカリストだが、ルイ・アームストロングなどとも活動し、どちらかというとジャズヴォーカリストとして評価が高く、後のジャズヴォーカリストへの影響も大きい。1923年からコロンビアなどに170曲ほどの録音を残し、当時としては珍しく映画にも出演しており、戦前のスター歌手と言っても過言ではないだろう。

 彼女の死について、ウィキペディアによると・・「スミスは、1937年に乗っていた車がトラックに追突するという不運な交通事故に遭い、近くの病院に搬送されたものの白人専用病院だったので受け入れを頑なに拒否されたためたらい回しにされた。ようやくミシシッピ州のクラークスデールにある黒人専用病院に移送されたが、間もなくスミスは息絶えてしまった。43歳没。」とある。


 コロンビアのLP、CL885。1923年から1925年にかけての12曲を収録。バックには、ルイ・アームストロング他ジャズの名手がそろい、彼女の歌唱力を今に伝えている。

 下の二枚は、1929年制作の映画『St.Louis Blues』よりの映像をデジカメで撮ったもの。15分ほどの短い作品だが、1929年と言えばまだレコードも78回転盤が普及し始めた頃だろうし、かのロバート・ジョンソンが最初のセッションで録音したのが1936年なので、その7年前に当たる。その時期を考えれば、極めて貴重な映像と言えるだろう。

 映画の内容は単純で、恋人に捨てられた「ベッシー」が傷心の思いを込めてセントルイスブルースを歌う、というもの。


 バックにはフレチャー・ヘンダーソンのバンドとジェイムス・P・ジョンソンのピアノ、さらには客になって参加しているのはコーラスグループのHall Johnson Choir。

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