文化逍遥。

良質な文化の紹介。

2015年イギリス映画『さざなみ』

2016年04月30日 | 映画
 4/28(木)千葉劇場にて鑑賞。
 今回の作品は、2015年イギリス映画『さざなみ』。原題は『45years』で、結婚45周年記念パーティーを終末に控えた夫婦の物語。妻役にシャーロット・ランプリング、夫役にはトム・コートネイ。監督はアンドリュー・ヘイ。自然豊かなイングランドの地方都市。すでに引退生活をしている、元会社員の夫と元教師の妻。一匹の犬と共に暮らす穏やかな日々。しかし、あることをきっかけに妻は夫の心の奥深くに若い頃山で死んだ恋人が今も住み続けていることを知る。夫は二人が知り合う前の事と割り切ってやり過ごそうとするが、妻の心は複雑に揺れ動き・・・。





 
 老夫婦を演じる二人の役者さんが秀逸。若い人には退屈かもしれないが、長年連れ添った男女の心の機微を静かに描いた佳作と言えるだろう。木曜メンズデイ1000円でこのような作品が観られて、ありがたい。千葉劇場さん、観客が少なく営業的に苦しくとも、頑張って良い映画の上映を続けて下さい。
 普段のメンズデイの観客は男の方が多いが、この日は年老いた妻に共感するところがあるのか中高年の女性が圧倒的に多く、全体の観客数も多かった。もっとも、60歳以上はシニア料金でいつでも1000円だ。来年からは自分もその仲間に入ることになる。うれしいような淋しいような・・まあ、そんなことはどうでもいいか。

 それにしても、イギリスの人達は「ハレとケ」をあのように極端に使い分けるのだろうか。普段はGパンに無精髭、パーティになると一転してタキシードで社交辞令を連発して、握手また握手。そのあたりの文化の違いは、なかなか理解しづらいものがある。が、文化の違いを遠くに居て感じられることも又、映画の持つ利点と言える。

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玉地任子著『在宅死』2001年講談社刊

2016年04月25日 | 本と雑誌
 還暦近くなると身近な人の死に否応なく接することも多いので、近頃は患者・家族向けの医療関係書を図書館から借りてきて読むことが多い。親類・縁者の中でも歳の近い従兄弟なども何人か亡くなっているし、かつて一緒に仕事をした人の中にも10人程の人が亡くなっている。多くは病気だが、ある人は急死し、又ある人は癌で転移を繰り返した後に亡くなった。昔の同級生の中には30代半ばで癌に倒れ、幼い子供を残して亡くなった者もいた。いずれは、自分の番が来る。その時のために、この国の医療の現実を現場の声を聴くことにより多少なりとも知っておくことも悪くは無いだろう。

 今回読んだのは、玉地任子(たまちひでこ)著『在宅死―豊かな生命(いのち)の選択』(2001年講談社刊)、さらに同じ著者で『いのち、生きなおす』(2003年集英社刊)の二冊。著者は、厚木市で主に癌患者の終末期在宅医療に携わる医師。一年、三百六十五日、二十四時間体制で、患者の容態(ようだい)の急変や痛みや不安の訴えに備え、適時往診している、とのこと。刊行からすでに15年ほどたっているので現在の医療体制とギャップが生じているかもしれないが、末期の患者に関わる現場の声が聞こえてくるような良い著作だ。特に、大病院の医師との複雑な関係性が語られていて、生々しく、深刻さが伝わってくる。生命体としての「人」、そして「病」、この繋がりをどう捉えるのか・・・家族は「人」を見過ぎるし、医療に携わる者は「病」を見過ぎる。どこで兼ね合いをつけるのか、健康な時から考えておく必要がある。

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映画『孤独のススメ』

2016年04月22日 | 映画
 4/21(木)千葉劇場で、2013年オランダ映画『孤独のススメ』を観た。

 舞台は、日曜日は「神の日」として地域の人々が正装して教会に行くようなオランダの方田舎。そこで一人で暮らす初老の男フレッド。彼の家に交通事故で脳に障害を負い記憶と言葉を亡くした男テオが現れ、いつしか二人はコンビを組んでパーティーで余興を演じるようになる。フレッドは、そこから得た報酬を貯めて想い出の地マッターホルンに、テオと共に行く計画を思い描くようになるが・・・。
 中世を想わせるオランダの田園風景と今も残る旧態依然とした価値観。それらが、テオとの関係を通じてフレッドの中でいつの間にか崩れ、多様な価値を認めるようになってゆく姿を映画は描き出す。現代版ルネッサンスと言えるかな・・・個人的には、主人公フレッドの内的変化の描写があまりに劇的で、不自然な感じがした。その点では、この映画の評価は難しい。
 原題は、『Matterhorn』になっている。つまりは、主人公が目指すヨーロッパアルプス高峰のマッタ―ホルンで、そこは人を苦しめる束縛からの解放を象徴しているのだろう。邦題はいまいちしっくりこない。

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新緑の加曾利貝塚

2016年04月16日 | 考古・エッセイ
 まずは、4/14夜から4/16未明、熊本県を中心に発生した地震で被災された方々にお見舞いを申し上げたい。
14日のM6.5の地震は「前震」で、4/16未明のM7.3のものが「本震」だったと気象庁の発表。テレビの映像を観ていると、地震に対して無防備な地域だったのだなあ、と感じる。宇土市という所では市役所の4階が潰れてしまっていて、立ち入り禁止になっている。大きな災害時には、対策本部が置かれるべき建物なのに、耐震補強もされていなかったのだろうか。行政は、もっと人の生活に関わる基本的な所にお金をかけるべきだ。さらに言えば、原子力発電はもとより、リスクを伴う建築物などは基本的に作るべきではない。後から「想定外」と言っても、失ったものは帰ってこない。


 話題変わって、地元の話。
 4/15日午前、墓参がてら千葉市若葉区にある加曾利貝塚に寄ってきた。



 すでに、新緑の季節を迎えている。
縄文時代中期から後期に当たる大きな貝塚で、南北二つに分かれているが、こちらは南貝塚。直径は約185メートルという。写真の左後方に見えているトンネルのようなものは、貝の層が観察できるようになっている施設。この下には膨大な量の「歴史の証人」たる貝や土偶、人骨などが眠っている。ざっと5000年分くらいの時の流れを凝縮した史跡、と言えるだろう。中心部には貝は無く、祭祀が執り行われていたのではないか、と言われている。ストーンサークルに近いような、特別な場所だったに違いない。今風にいえば「パワースポット」と言うことになるだろうか。実際、ここに足を踏み入れると、何か神聖な場所に入ったようで、空気も違い、自然に呼吸が深くなるような気がする。

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江戸家猫八師匠を悼んで

2016年04月09日 | 落語
 3月21日、四代目江戸家猫八師匠が亡くなった。66歳だった。
実父である三代目より受け継いだ動物の鳴き真似の芸で、寄席には無くてはならない人だった。関東の寄席のプログラムは、落語家の名前が黒字で書かれ、その他の芸人は朱色で書かれる風習がある。それゆえ、落語以外は「色もの」と言われ、落語の引き立て役のように扱われることもある。つまりは、落語が本芸でその他は一段低く見られるようなことも関東の寄席の世界ではあるようだ。実際私も、寄席で最後に出演するいわゆる「トリ」を取ったのを落語以外で見たことがあるのは、国立演芸場の名人会で内海桂子・好恵師匠の漫才だけだ。ちなみに、「トリ」と言うのは、昔の寄席では最後の主演者がその日の出演料を一度全て「取り」、その後に他の出演者に適当に配ったことに由来するらしく、品の無い言葉なので芸人さん達の間ではあまり使われないようだ。そんな芸の世界にあって一芸の脇役に徹し、目立ち過ぎず、かといって客を返さず、誰も真似できない事をさらっとやる。これは簡単ではない。三代目も、四代目も、わたしは寄席で何度か見たが、適度に客を引きつける間合いには感心させられたものだ。

 ご冥福をお祈りしたい。

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1978年、イタリア映画『木靴の樹』

2016年04月04日 | 映画
 3月31日、お茶の水界隈を3時間近く歩いた後に、この『木靴の樹』を岩波ホールで観た。上映時間3時間7分。ミレーの絵画のような映像が延々と続き、その美しさとは裏腹な19世紀末の北イタリアの農村における小作人の生活が静かに語られる。長く歩いた疲れからか睡魔に襲われ、知らず知らずうちにウトウトっとしたが、現代ではなかなか作りえない映像表現だと思った。CGを多用した映像は個人的には好きではないので、このような素朴な作りの映画をで映画館で味わいたい。



 監督は、エルマンノ・オルミ。同じ監督の2014年の作品『緑はよみがえる』が4月23日から上映される予定なので、それに先立ち一カ月弱、今ではなかなか観られない過去の大作を上映したらしい。次回作も観てみたい。

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神田明神の桜

2016年04月02日 | まち歩き
 3月31日、暖かな陽気に誘われてお茶の水界隈に出かけてきた。いつも同じようなところだが、まあ、なじみの街を四季の変化を感じながら歩くのも悪くは無いだろう。携帯で撮影。


神田明神。外国からの観光客も多かったようで、参拝の人がいっぱい。ちょうど昼時だったので周辺のオフィスから出てきて花見をする人達も加わり、境内も周辺も満員電車並みの混雑だった。


一方、こちらは大きな通りをはさんで神田明神のすぐ前に位置する湯島聖堂。江戸期は「昌平坂学問所」。徳川綱吉の時代にここに移転、以降、明治に至るまで朱子学を正学とした幕臣・藩士の学びの中心となった所。今は、人影もまばら。


同じく、大成殿(孔子廟)。


神田川の上を走る地下鉄丸ノ内線。手前がJR御茶ノ水駅、左奥に見えるのが湯島聖堂。千葉方面からは、写真奥から中央・総武線で神田川の鉄橋をを越えて御茶ノ水駅に入ってくることになるが、その時、なぜか異質な空間に入ったような不思議な気がする。また、かれこれ40年近く前に飯田橋まで大学に通学していた頃のことや、卒業後に入った会社がお茶の水にあったので、その頃の事を思い出すとなにか郷愁を誘われるようでもある。東京の中でも、好きな光景のひとつ。

 この後、例により岩波ホールで映画を観た。上映時間3時間を越える1978年イタリア映画『木靴の樹』。かれこれ3時間近くぶらぶらと歩いてから長い映画を観たらけっこう疲れて、一晩寝ても疲れが取れない。歳だね。映画の内容については、ページを改めて書くことにしよう。

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