文化逍遥。

良質な文化の紹介。

年末

2016年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム
 明日は、大晦日。
 昨日は大学時代の友人と、少し早い年越しそばを食べに船橋へ。気の置けない友人と話しながら、香り豊かな手打ちそばを食べるのは、なんとも言えぬ贅沢。その後、JR船橋駅から歩いて数分の所にあるギターショップ「ヘビー・ゲイジ・ギターズ(heavy gauge guitars)」さんへ寄った。2年ほど前に開業したというが、わたしは初めて訪れた。店長さんはナットやフレットの交換までこなせるカスタムショップで、ギターの腕もかなりなものだ。ワンパターンの私から見ると、羨ましい限り。駅からは近いが、場所はわかりにくいところなので、行く人はお店のホームページを見て写真等を参照してから行った方が良い。小さなビルの二階で、一階は骨董店だった。

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映画『ニーゼと光のアトリエ』

2016年12月26日 | 映画
 12/22(木)、千葉劇場で2015年/ブラジル映画『ニーゼと光のアトリエ』を観た。監督 ホベルト・ベリネール、出演 グロリア・ピレス/シモーネ・マゼール他。

 1944年のブラジル、とある精神病院で働くことになった女性医師のニーゼと患者達の物語。当時の精神病患者に対する治療法は、電気ショックやロボトミー手術などで、患者達の人間性を認めないものだった。ニーゼは、ユング心理学に影響を受け、あらたな取り組みとして病室をアトリエにし、そこで自由に絵を描かせたり、塑像作りをやらせたり、あるいは犬を飼育することなどによるセラピーを試みる。その取り組みは少しずつ効果を上げ成功したかに思えたが、古い体質を持つ男性医師達の反発を買って・・・。

 過渡期にあった南米の病院における精神病治療の歴史的現実を描いているが、旧習にこだわる男性医師達を悪、新たな試みをする者達を善と、くっきり分けて描き過ぎているように思った。1944年といえば、第二次世界大戦が終ろうとしている頃に当たる。映像はほぼ病院内に終始し、精神疾患を生み出す要素のひとつであろう当時の南米の社会的な状況は、ほとんど描かれていないのが残念だった。

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国立演芸場12月中席

2016年12月22日 | 落語
12/17(土)、久々に寄席に行ってきた。


 三宅坂にある国立演芸場の中席。

 この日、新作落語の三遊亭白鳥は休演で少し残念だったが、中入り前の三遊亭歌司は『蜘蛛駕籠』、真打ちの柳家さん喬は『幾代餅』で、古典落語を堪能出来た。客席は、全体に6割程度の入り。最近は落語ブームとも言われるが、テレビに出ているようなタレント化した噺家さんの人気のようで、本格的な古典落語を聴かせる地味だが実力のある噺家さんはあまり人気が無いようだ。
 今回、音楽パフォーマンスの「のだゆき」さんという若い女性には感心させられた。ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)やリコーダーを使ったヴォードビルに近いもので、限られた楽器でも表現力のあるしっかりした演奏だった。リコーダーの演奏では、大きさの異なる2本を同時に吹くのだが、それぞれを片手で持っているので限られた音した出せないのに楽器の性質を引き出せるような編曲をしていた。おそらく、クラシックの音楽理論を学んだ人なのだろう、と思い少し調べてみたら東京音楽大学大学院修了ということだった。寄席の芸は大衆芸能として低く見られることもあるかもしれないが、音楽の豊かさを聴く人に伝えるのはホールでも寄席でも全く関係ない。むしろ、普段生演奏に接することの少ない人達に生きた音を届けられることは、ホールでのコンサートよりも意味があるとも言える。最近では下座さんにも音大出の人がいて新たな芸風を吹き込んでいるようだし、彼女のように寄席の芸を底上げしていけるような芸人さんがもっと増えると良い、と願っている。

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市原湖畔美術館[ワンロード|現代アボリジニ・アートの世界]

2016年12月16日 | アート・文化
13日の火曜日、「ワンロード|現代アボリジニ・アートの世界」開催中の市原湖畔美術館に出かけてきた。


左側の建物が美術館。高滝湖畔に位置しており、環境はいい。中央に高く見えるのは房総地方で使われていた古いタイプの揚水機で、展望台を兼ねてオブジェといして展示されている。土・日などは揚水機の運転もあるという。今回の展示はNHKのアート・シーンで紹介されたこともあってか、平日にも関わらずけっこう人が多かった。併設のレストランは、昼時であったので7割ほど席が埋まっていた。一方、自分はというと、コンビニで買ってきたおにぎりを湖の寒風に吹かれながら一人頬張ったのだった。


湖上にもオブジェがある。






 2008年に、六本木にある国立新美術館でエミール・ウングワレーというアボリジニの女性アーチストの作品を見て感動したことがあり、それ以来アボリジニ・アートに興味を持っていた。今回は、様々なアボリジニのアーチストの作品を集めた展示になっている。独自の世界観、独自の色彩、深い精神性に魂が揺さぶられる思いだった。アボリジニのアーチスト達は、誰かに認められるためでなく、ましてやカネのためでもなく、ただ内なる声に従って描いたのだ。
 立地を考えると行くのに時間はかかるが、それを勘案しても見るだけの価値はある展示だと思う。

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高滝湖

2016年12月14日 | まち歩き
12/13日(火)、千葉県市原市にある市原湖畔美術館に行ってきた。とりあえず、そこまでのルートを紹介。

まず、JR内房線で五井まで行き、小湊鉄道に乗り換える。


小湊鉄道五井駅。懐かしいディーゼル車だ。ここから目指す高滝駅までは約40分。自販機で切符を買うよりも窓口で「上総舞鶴・高滝周遊乗車券」を買うと割安だし途中下車も自由だ。ここは旧国名では上総の国で、その国分寺があったところ。なので、奈良・平安頃の行政府のあった所とも言えようか。ちなみに『更級日記』は、菅原考標(たかすえ)の娘が父の任地であるここ上総から帰京することから始まる11世紀に書かれた回想記だ。


高滝駅。写真奥に高滝ダムがあり、ダムによって出来た湖が上流方向に広がっている。目指す市原湖畔美術館までは、歩いて20分ほど。


高滝ダム。


高滝湖。

湖畔を歩くだけでも気持ちがいい。レンタサイクルもあったのだが、土・日・祝日しか営業していなかった。釣りをしている人も多く、休日はけっこう人出がありそうだ。千葉駅から小湊鉄道高滝駅までは1時間ほどで着くのだが、随分遠く感じるのは列車の本数が少ないためだろう。こういう所に来るには、時刻表を頭に入れて行動する必要がある。もっとも、今は車で来る人の方が多そうだ。この写真左奥に市原湖畔美術館があり、来年1/9まで「ワンロード|現代アボリジニ・アートの世界」展が開催されている。それについては、ページを改めて書くことにする。


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講演会「男性介護者と認知症介護を考える」

2016年12月08日 | 介護
 12/3(土)、わたしも会員になっている「認知症の人と家族の会」千葉県支部主催の講演会が千葉県社会福祉センターであったので出かけてきた。



 わたしも母の介護を姉と共に約15年間続け、2014年の春に自宅で看取ったが、「長い介護でしたねえ」と言われることも多い。しかし、認知症の介護に関しては、15年は標準的か少し長いかな、という位の期間といえる。これから高齢化が進むと、男・女に関わらずかなりな期間を身近な人の介護に携わざるを得ない人が多くなるのは確実だ。その間、介護者―特に男性は孤立しやすく、受けられるはずの公的支援などを受けずに離職したりして経済的にも身体的にも限界に達して自らも病に倒れる、という結果を招くことも少なくない。家族の会では、このようなシンポジウムや「つどい」を定期的に開催して会員か否かに関わらず参加できるので、気軽に出かけてみるのも孤立から逃れるひとつの方法だ。

 今回の公演は、読売新聞の介護に関する論説を担当している方の基調講演―これは過去の新聞に取り上げられた記事の中から推移と変化をデータを基にした分析などで、現状を考える上で意味があると感じた。その後に、今もなお配偶者や親の介護を続けている家族の会会員の方の報告などがあった。最も長い方では、23年間奥さまを介護されて自らも2度癌に罹り、その間どのように切り抜けてきたか、お話があり、母の介護をしていた頃を想いだして胸に迫るものがあった。


 下に、会場で配布されたリーフレットを参考として載せておく。千葉市の介護支援の一環だが、各自治体で介護者の孤立を防ぐ支援を行っているので、住居地の支援センターなどに問い合わせてみるのも良い。地元の支援にどのようなものがあるのか知っておくだけでも、気持ちが楽になることもあるだろう。わたしが介護を始めた頃に比べて、現在はかなり豊富で充実した支援がある。それも、介護をめぐり様々な事件や事故があった反省の上に築かれたもの、と言える。

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船橋の遺跡

2016年12月04日 | 考古・エッセイ
 12/2(金)、晴れて気温16度。穏やかな陽気の中を、船橋市にある「飛ノ台(とびのだい)史跡公園博物館」に行ってきた。
最寄りの駅は東武野田線の新船橋で、歩いて7~8分といったところ。帰りはJRの船橋駅まで歩いてみたが、20分位だった。


 手前が遺構で、左下白く雪のように積もって見えるのが貝塚の一部を展示してあるもの。奥の建物が博物館。携帯で撮影。



 今月いっぱい、船橋の遺跡から出土した土器や石器などで、他の研究機関や個人が所蔵している資料を集めて「里帰りした資料(モノ)たち」というコンセプトで展示している。入館料100円を払うとこのパンフレット(10ページ)をくれる。

 土器の豊富さもさることながら、黒曜石の石器がとても美しかった。石の産地は信州や栃木、伊豆七島の神津島などであるという。原始的なイメージのある縄文期だが、当時の交流および流通は我々の想像をはるかに超えて進んでいたのだ、と改めて感じた。当時は、やはり物々交換だろうから、黒曜石の原石を得るために何かと交換したのだろう。想像するに、やはり貝などの海産物を干して日持ちするようにした物などではなかったろうか・・・他に何かあるかなあ。

 貝塚から出る貝の種類について、千葉市にある加曾利貝塚ではキサゴという小さな巻貝が圧倒的に多いが、こちら飛ノ台貝塚ではアサリなどが多数であるという。地域によりかなり違いがあるのは興味深い。ちなみに、貝塚の数は千葉県がダントツに多い。現在、確認されている貝塚は1500ほどらしいが、その3分1以上が千葉県に集中しているという。もっとも、あくまで現在確認されている貝塚数であって、特に都市部では現実的に発掘は不可能なので埋もれてしまっている可能性は大きい。
 印象深かったのは、男女の遺体が抱き合うように埋葬された墳墓で、二人の関係は不明だが兄妹か夫婦ではないかという。当時のことなので、流行り病か事故で二人が時を違わずして亡くなったのだろう。哀れだが、昔日の人達の情を感じさせてくれる遺跡だった。

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